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   <title>日本を守るのに右も左もない</title>
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   <updated>2012-05-18T13:15:26Z</updated>
   <subtitle>人類を破滅に導くマスコミ・官僚・学者たち。マスコミさえ倒せば、支配勢力は瓦解する。</subtitle>
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   <title>共同体社会の実現に向けて－２８（最終回）　～実現論序８．新理論の構築をどう進めてゆくか～</title>
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   <published>2012-05-18T13:54:04Z</published>
   <updated>2012-05-18T13:15:26Z</updated>
   
   <summary>デフォルトが起きるまでに準備しておくべき課題は、共同体企業のネットワーク作りと、それを導く新理論の構築の、二つある。とりわけ、近代思想に代わる新理論の構築は、不可能に近い超難課題であるが、はたして経済破局までに間に合うのだろうか？ みなさん、こんにちは。 約９ヶ月の長きにわたって連載してきた「共同体社会の実現に向けて」シリーズも今回で最終回です。 これまで私たちは、シリーズ第１回（リンク）の問題提起『いま求められるのは、運動論の提示』に始まり、社会状況を事実に基づいて分析→構造化し、新しい社会の実現可能性やそのための道筋、運動論等を探索してきました。 今回は、運動を成功させるために必要な『理論』に焦点を当てつつ、先週開催された第１３５回なんでや劇場（リンク）で提示された新しい認識を重ね合わせて、万人が望む社会＝『共同体社会』の実現見通しやその展望を、「実現論」（リンク）を紹介しながらお伝えします。 ...</summary>
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      <name>daian</name>
      
   </author>
         <category term="07.新政治勢力の結集に向けて" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nihon-syakai.net/blog/">
      <![CDATA[<blockquote>デフォルトが起きるまでに準備しておくべき課題は、<span style="color:#ff3300;">共同体企業のネットワーク作り</span>と、それを導く<span style="color:#ff3300;">新理論の構築</span>の、二つある。とりわけ、近代思想に代わる新理論の構築は、不可能に近い超難課題であるが、はたして経済破局までに間に合うのだろうか？</blockquote>
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みなさん、こんにちは。
約９ヶ月の長きにわたって連載してきた「共同体社会の実現に向けて」シリーズも今回で最終回です。


これまで私たちは、シリーズ第１回（<a href="http://www.trend-review.net/blog/2011/09/002071.html">リンク</a>）の問題提起『<span style="color:#ff3300;">いま求められるのは、運動論の提示</span>』に始まり、社会状況を事実に基づいて分析→構造化し、新しい社会の実現可能性やそのための道筋、運動論等を探索してきました。


今回は、運動を成功させるために必要な『理論』に焦点を当てつつ、先週開催された第１３５回なんでや劇場（<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=600&c=200">リンク</a>）で提示された新しい認識を重ね合わせて、<span style="color:#ff3300;">万人が望む社会＝『共同体社会』</span>の実現見通しやその展望を、「実現論」（<a href="http://www.rui.jp/new/jitugenron/jitugen_top.html">リンク</a>）を紹介しながらお伝えします。
]]>
      <![CDATA[<blockquote><center><strong>　序８．新理論の構築をどう進めてゆくか </strong></center>

バブルが崩壊した’90年以降、見通し不良と先行き不安から、「この先、どうなる？」という方向へ意識が向かい、滅亡論や陰謀論が登場したが、’11年原発災害以降は、「どうなる？」という情報探索が加速し、予知・予言に対する関心が急上昇してきた。
しかし、予知や予言が一点に収束することはないので、結局は、「現状(＝事実)は、どうなっている？」という状況認識に収束してゆく。

おそらく、この先行き不安発の情報探索は、１～２年後には「放射能はなくならない」「日本経済の没落も避けられない」etc、『もう元には戻れない』という状況判断に収束してゆくだろう。

この<span style="color:#ff3300;">『もう元には戻れない』</span>という判断は、状況認識の大きな転換であり、それは<span style="color:#ff3300;">脱市場社会への価値観の転換</span>を引き起こす。
<center><img alt="%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97%E7%94%BB%E5%83%8F%5B1%5D.gif" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97%E7%94%BB%E5%83%8F%5B1%5D.gif" width="300"/></center></blockquote>

<blockquote>従って、おそらく数年後には、<span style="color:#ff3300;">脱市場≒ゼロ成長の自然循環型社会への変革気運</span>　が高まってゆくだろう。

社会はガタガタで、政府が機能を失いつつある現在の状況は、人々の統合期待に応えて諸子百家が次々と登場した春秋時代に近いとも言える。今回も、<span style="color:#ff3300;">社会的な統合気運の高まり</span>を受けて、脱市場社会に向けての理論追求が始まるはずである。

あるいは、あと10年あれば、新理論家が次々と登場してきたかもしれない。
しかし、<span style="color:#ff3300;">経済破局までに残された時間は１～２年(運が良ければ３～４年)しかない。</span>
いったんデフォルト→リセットに突入すれば、一気に現実が緊迫し、状況は日々刻々と動いてゆく。そうなれば、人々の意識は目先の「どうなる？」「どうする？」に収束し、理論追求どころではなくなってしまう。

しかし同時に、<span style="color:#ff3300;">米・中・欧が次々と秩序崩壊</span>してゆくのを見て、<span style="color:#ff3300;">根本的な転換の必要が共認されてゆき、それを実現してくれそうな新勢力に対する期待が高まってゆく。</span> 
<center><img alt="%E7%A0%B4%E5%B1%80%E3%81%8B%E3%82%89%E6%9A%B4%E5%8B%95.jpg" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/%E7%A0%B4%E5%B1%80%E3%81%8B%E3%82%89%E6%9A%B4%E5%8B%95.jpg" width="400" /></center>
<center><span style="font-size:80%;">経済破局から暴動へ</span></center></blockquote>

<blockquote>　 はたして、その期待に応えられるか？

既にこれまでに、新理論がある程度構築されていれば良いが、現在までのところ、そのような新理論は<span style="color:#ff3300;">『実現論』</span>以外には見つかっていない。従って、残された時間の中で、可能な限り、実現論の改稿を進めるしかない。

しかし、私自身は、実現論を改稿するためのまとまった時間が、取れそうにない。私に出来るのは、せいぜい、実現論の序と章立て(全体構成)を考えることくらいだろう。

従って、これまで<span style="color:#ff3300;">るいネットに蓄積された秀作群</span>を、その章立てに応じて再編成し、実現論の塗り重ね板を作るしか、手はない。
この塗り重ね板があれば、<span style="color:#ff3300;">デフォルト後の大混乱期でも、最低限の認識の組み替えは可能になる。</span>　そして、それはそのまま、<span style="color:#ff3300;">共認社会を統合する理論統合サイトの原型</span>となる。</blockquote> 
いかがですか？
新理論を少しでも早く構築する、その必要性はおわかりになりましたか？


★ここで少し踏みとどまって、新理論どころか、現実社会を変革しうる<strong>「運動」は何故立ち上がってこないのか？</strong>をあらためて考えてみましょう。
（この点は、このシリーズ記事の大きなテーマでもありましたね）


・・・先のなんでや劇場でその理由が明確化されたので紹介します。
<blockquote><span style="color:#6666ff;">運動を立ち上げるには、<span style="color:#ff3300;">余力と拠点</span>が要る。

更に、運動を成功させるには、<span style="color:#ff3300;">理論</span>が必要になるし、<span style="color:#ff3300;">広宣活動</span>も必要になるし、<span style="color:#ff3300;">情報収集</span>も必要になるが、理論を追求するにも、広宣活動を展開するにも、情報を収集するにも、<span style="color:#ff3300;">膨大な余力(時間)が必要</span>になる。そして、もちろん、それらの活動は、何れも専任した方が集中できて高度化してゆくので、専任化した方が有利になる。

しかし、日々、仕事に追われて暮らしている庶民には、そのような余力も場も与えられていない。まして経営に全力投入している経営者なら、なおさら運動を立ち上げるような余力(時間)は、どこにも無い。

<span style="color:#ff3300;">大衆には余力も場も与えられていない</span>ということ、それこそが、大衆発の真の運動が立ち上がってこない直接的な最大の原因である。
<strong><span style="font-size:80%;">『大衆には、運動を立ち上げる余力が無い→余力を与えられた悪徳エリートが支配する社会』（<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=264228">リンク</a>）より</span></strong></span></blockquote>

★つまり<strong>『余力と場』がないから</strong>。というのがその究極的な理由。確かに身の周りには余力がある人など、居ないですよね～


★一方、その『余力と場』があるのは誰か？　
それは<span style="color:#ff3300;">金貸し（金融勢力）</span>であり、その<span style="color:#ff3300;">金貸しの手先＝悪徳エリートに余力と場を与え、現実社会を支配</span>しているのが実態なのです。

しかし、彼らの支配力も ′０８年リーマンショック以降、翳りを見せています。そして、この記事で明らかにしてきたように「経済破局」が彼らの息の根を止める引き金を引く事でしょう！


その準備として、余力のない状況でも、るいネットの秀作群を再構成した<span style="color:#ff3300;">実現論『塗り重ね版』</span>が形になりはじめていますので、 :m118: 是非ぜひご覧ください :m118: 
<center><a href="http://www.rui.jp/new/jitugenron/re_jitugen_top.html"><img alt="%E5%A1%97%E3%82%8A%E9%87%8D%E3%81%AD%E6%9D%BF.jpg" src="http://www.nihon-syakai.net/blog/img2011/%E5%A1%97%E3%82%8A%E9%87%8D%E3%81%AD%E6%9D%BF.jpg" width="300" /></a></center>
<center><span style="font-size:80%;">↑ ↑ ↑クリックすると「塗り重ね版」のページに移動します</span></center>

続けます。
<blockquote>どうやら、人々が本格的に認識収束し始めるのはリセット以降となり、本格的な理論追求が始まるのは、新政権が樹立され共認社会に転換した後となりそうである。

<span style="color:#ff3300;">デフォルト後の大混乱期には、人々の意識は「どうする？」に強く収束し、社会統合期待は最高潮に達する。</span>
そして、<span style="color:#ff3300;">新政権が樹立</span>され、<span style="color:#ff3300;">共認社会が建設</span>されてゆく頃には、認識収束が高まり、<span style="color:#ff3300;">本格的な理論追求の時代</span>が始まるだろう。

その追求と発信の場として、<span style="color:#ff3300;">理論統合サイト</span>が形成されるはずである。

そこでの統合軸は、当然、<span style="color:#ff3300;">『事実の共認』</span>となる。
皆の手で構築され、無限に進化してゆく事実の体系は、やがて、<span style="color:#ff3300;">人類を導く人類の『鑑』</span>となってゆくだろう。  　 
<center><img alt="%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8.jpg" src="http://www.nihon-syakai.net/blog/img2011/%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8.jpg" width="300"/></center></blockquote>

上記では、大衆が認識収束するのは経済破局→リセット後だろうと予測されていますが、この記事を読んでいただいている読者のみなさんには、早々に意識転換していただきたいと期待します。


『理論統合サイト』はより多くの人の手で紡ぐべき、みんなの課題だからです。そして、それを可能とする土台はすでに出来ており、時代の流れもそれを後押しするはずですから！


<strong>★現在は、実現期待の時代です。</strong>


貧困を脱した１９７０年以降、それまで力（序列原理）によって封鎖されてきた大衆の願いが、<span style="color:#6666ff;">本能回帰</span>の潮流と<span style="color:#6666ff;">共認収束</span>の大潮流によって、いよいよ<span style="color:#ff3300;">その本源的な期待を実現出来る基盤</span>が出来てきました。


　　　　〇<span style="color:#6666ff;">本能回帰</span>の潮流とは？
　　　　　　　　’70年代以降のヒッピーや環境運動を含む自然志向
　　　　　　　→’90年代の健康志向
　　　　　　　→’02年以降の節約志向(もったいない)
　　　　　　　→’11年、原発災害を契機とした「食抑」意識などの潮流
　　　　　　　　<span style="font-size:80%;"><strong>『市場の縮小と根源回帰の大潮流』（<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=260775">リンク</a>）より</strong></span>


　　　　〇<span style="color:#6666ff;">共認収束</span>の大潮流とは？
　　　　　　　　’70年代の仲間収束
　　　　　　　→’80年代には（私権追求に代わる）やりがい志向を顕在化
　　　　　　　→’90年代半ばには自我発の性欲を衰弱→セックスレスが蔓延
　　　　　　　→’02年には遊び第一の価値観を終焉させ課題収束を顕現させた潮流
　　　　　　　　<span style="font-size:80%;"><strong>共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流（<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=260805">リンク</a>）より</strong></span>


★現在残る足枷せは
　<strong>①<span style="color:#ff3300;">『金貸し支配』</span>という構造</strong>と、
　<strong>②<span style="color:#ff3300;">『余力と場がない』</span>ために新しい運動にもその為の理論作りにも時間がさけない。</strong>という２点に集約されそうです。


★①に関しては、前述したように、<strong>金貸しの支配力は衰弱</strong>しつつあります。
金貸し連中はこの間、統制が効かなくなった特権階級の暴走を許し、これまで決して表に出てこなかったその背中を、遂に大衆に見せはじめ、今では官僚・マスコミ・学者連中はそれぞれ好き勝手に動いている様相を呈しています。
（ex.先の小沢起訴の件などは、金貸しの指示というより、官僚の勝手な判断と見たほうが良さそうです）


そのような状況にある現在、最大の実現期待は、金貸しの支配構造を凌駕することです。
具体的には、<span style="color:#ff3300;">金貸しにトドメを刺すにはどうするか？</span>どの段階か？を明確に目標として掲げ、実現すべき段階に入ったのです。


先のなんで屋劇場では、
　『経済破局は暴動を招くのか？』
　『金融破局のツケは全て国民に押し付けるだろう』といった考察から始まり
　『アメリカ軍の反金貸しクーデターは実現するのか？』
　従来の『デモや市民運動で変えられるのか？』
　『共同体企業ネットワークの戦略どうする？』
　あるいは『金貸しの支配下にあるマスコミを凌駕出来るのか？』
　　　　　　　　・・・などなど、多方面から議論されました。（継続課題）


この様な議論が行われた事は、いよいよ<span style="color:#ff3300;">闘争対象（敵）を打倒する手順を組み立てる</span>段階に突入したことを示しています。その意味でも既に、<span style="color:#ff3300;">実現過程に入った</span>と云えます。


★②もう一方の<strong>「余力と場」がない</strong>中、類グループでは、先んじて<span style="color:#ff3300;">理論構築</span>を進めてきました。現業を行いながら、同時に社会勉強→理論構築の時間を確保しながら、<span style="color:#ff3300;">共同体の組織づくり</span>を進めてきました。
しかし、経済破局前夜という現在の状況は「余力と場がない」状態を克服し、新理論→運動推進に向けた組織化、体制増強等が必要な局面といえます。


このあたりは、闘争目標を明確にして、類グループ内・外の集団・人材を結集して具体化していくのが当面の課題です。
<center><img alt="%E7%90%86%E8%AB%96%E3%81%A8%E7%8F%BE%E6%A5%AD.jpg" src="http://www.nihon-syakai.net/blog/img2011/%E7%90%86%E8%AB%96%E3%81%A8%E7%8F%BE%E6%A5%AD.jpg" width="400"/></center>


★最後に、余力が生まれるであろう次の時代は一体どんな社会なのでしょうか？　
　具体的に未来の生活を想像してみて、実現イメージを高め共有していきましょう。
<blockquote> なお、将来は、全ての工業製品の耐用年数を２～３倍に上昇させる(例えば、耐用年数に応じて売り上げ税率に大きな差をつける)ことによって、物の生産・運送・販売およびそれに付帯する金融その他のサービスに要する労働時間は、1/2～1/3に圧縮される。もちろん、必要資源量もゴミの量も半分以下となる。

従って、食糧も含めて物的生産に必要な国民の労働時間は５時間程度に縮小する。
ここで、仮に農共と企業との交代担当制において、企業では従来どおり８時間働くとすれば、農村共同体での労働時間はわずか2時間となる。いったい、残りの時間は何をするのか？

これは、<span style="color:#ff3300;">まったく新しいスタイルの生活が始まる</span>ということであり、大胆な頭の切り替えが必要になる。

実現論では、共認圧力に基づく評価競争の社会になると予測されているが、おそらく余力時間は、「集団をどうする？社会をどうする？」という統合課題をはじめとする、さまざまな未明課題を追求する時間となるだろう。言わば、<span style="color:#ff3300;">大衆による、創造の時代の始まり</span>である。

<span style="color:#ff3300;">次の共認時代は、人類の頭脳進化の時代になると期待したい。</span> </blockquote>

★今回記事を中心とした「まとめ図解」を作りましたので、内容理解に役立てて下さい。
<center><a href="http://www.nihon-syakai.net/blog/img2011/s%E5%8F%B3%E5%B7%A6%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E5%9B%B3%E8%A7%A3%E6%9C%80%E7%B5%82%E7%89%88s1.html" onclick="window.open('http://www.nihon-syakai.net/blog/img2011/s%E5%8F%B3%E5%B7%A6%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E5%9B%B3%E8%A7%A3%E6%9C%80%E7%B5%82%E7%89%88s1.html','popup','width=1063,height=449,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.nihon-syakai.net/blog/img2011/s%E5%8F%B3%E5%B7%A6%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E5%9B%B3%E8%A7%A3%E6%9C%80%E7%B5%82%E7%89%88s-thumb.jpg" width="485" /></a></center>
<center><span style="font-size:80%;">↑ ↑ ↑クリックすると拡大されます</span></center>


これにて、シリーズ記事<strong>『実現論・序　共同体社会実現に向けて』</strong>を終えますが、私たちの活動はまだまだ端緒についたばかりです。ここで提起された新しい運動を拡げ、ともに戦っていく仲間を募り、一丸となって前進していきたいと考えています。
心ある方、また内容に共感された方には、ぜひ仲間の輪に加わっていただきたいと期待しています。


<span style="color:#ff3300;">あなたも『自分たちが生きる社会を、自分たちの手で』一緒になって創り上げてみませんか！！</span>


<center>☆ご愛読、ありがとうございました☆</center>
]]>
   </content>
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   <title>魔術から近代科学へ12　十字軍侵略とアリストテレス翻訳を先導した主勢力（ノルマン人＋クリュニー修道会＋イタリア商業都市）</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nihon-syakai.net/blog/2012/05/002269.html" />
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   <published>2012-05-17T12:30:32Z</published>
   <updated>2012-05-17T17:46:41Z</updated>
   
   <summary>「キリスト教の欲望否定（封鎖）から欲望肯定（刺激）へパラダイム転換が近代思想と近代科学を生み出した」 その契機となっているのは、 【１】１１世紀から始まる西欧による外部世界の侵略活動（十字軍やレコンキスタ）と、 【２】ほぼ同時期に始まる古代ギリシア文献、とりわけアリストテレスの翻訳運動である。 そして、侵略活動と翻訳運動は連動していると考えられる。 今回は、１１～１３世紀のヨーロッパにおいて、なぜ外部侵略が始まり、同時にアリストテレスの翻訳運動が始まったのかを考察する。 いつも応援ありがとうございます。 ...</summary>
   <author>
      <name>GO-MITU</name>
      
   </author>
         <category term="13.認識論・科学論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nihon-syakai.net/blog/">
      <![CDATA[<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/04/002240.html">「キリスト教の欲望否定（封鎖）から欲望肯定（刺激）へパラダイム転換が近代思想と近代科学を生み出した」</a>
その契機となっているのは、
【１】１１世紀から始まる西欧による外部世界の侵略活動（十字軍やレコンキスタ）と、
【２】ほぼ同時期に始まる古代ギリシア文献、とりわけアリストテレスの翻訳運動である。
そして、侵略活動と翻訳運動は連動していると考えられる。


今回は、１１～１３世紀のヨーロッパにおいて、なぜ外部侵略が始まり、同時にアリストテレスの翻訳運動が始まったのかを考察する。


いつも応援ありがとうございます。
]]>
      <![CDATA[まず、当時の社会背景から紹介する。
<a href="http://www.msz.co.jp/book/detail/08031.html">山本義隆著『磁力と重力の発見』（みすず書房刊）「中世社会の転機と磁石の指向性の発見」</a>から引用する。
<blockquote>1.中世社会の転換

魔術的とも呪術的ともいうべき色彩のまとわりついていた中世ヨーロッパ人の磁力理解は、十三世紀に大きな大転換をむかえる。その転機は、ドミニコ会修道トマス・アクィナス、「磁気書簡」を著したペトロス・ペレグリヌス、そのペトロスを師と仰ぎ「経験学」の創始者と称されるフランチェスコ会修道士ロジャー・ベーコンの三人に代表される。彼らが活躍したのはいずれも13世紀後半、とりわけ1260年代末である。

<img alt="250px-St-thomas-aquinas.jpg" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/250px-St-thomas-aquinas.jpg" width="250" height="328" />
トマス・アクィナス
画像は<a href="http://http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%82%B9">こちら</a>から
　　　
<img alt="200px-Roger-bacon-statue.jpg" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/200px-Roger-bacon-statue.jpg" width="200" height="198" />
ロジャー・ベーコン
画像は<a href="http://http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%B3">こちら</a>から
　
この時代にこの三人が文字通り踵を接して登場した背景には、ヨーロッパ社会が大きな変わり目にさしかかっていたということがある。磁気認識に注目すると、航海用コンパス（磁気羅針儀）の使用の始まりが磁気のそれまで知られていなかった性質を明らかにしたことが挙げられる。<span style="color:#6666ff;">新しく発見された磁石と磁針の指向性（指北・指南性）のは北極星ないし天の極が磁石に力を及ぼしていると考えられた。その影響は極めて大きい。</span>

社会的変動から歴史をみると、外部世界との関係で言えば、8世紀以降イスラーム教徒の支配下にあったイベリア半島のレコンキスタ（再征服運動）において、スペインがコルドバとセヴァリを略奪（1236年と48年）、同様にシチリアとナポリの王国をアンジュウ伯シャルル（ルイ9世の弟）が乗っ取った（1266年）。こうして13世紀中期にはイベリア半島の大部分がキリスト教に確保され、現在の私たちが理解するヨーロッパの輪郭が浮かび上がりつつあった。
他方、ギヨーム・デ・リュブリュクがモンゴルに赴き帰国し（1245年と55年）、マルコ・ポーロ（1254-1324）が父とともに中国に旅立つ（1271年）など、ヨーロッパ人がそれまで知らなかった東方世界と接触しはじめた時代でもある。

そして、内的にはパリに高等法院が設立され（1250年頃）、イギリスで議会が成立し（1265年）、近代国家の機構がすこしずつ姿を見せ始めている。この世紀が終わる頃には<span style="color:#6666ff;">「人々が帰属意識として、教会共同体にかわってしだいに国家が登場してきた」</span>と言われ、ヨーロッパ世界全体が新しい相に入り始めた時代と言える。

実際これに先立つほぼ2世紀の間、ヨーロッパは大きな変動を経験してきた。12世紀後半の英仏の王権強化に加え、「中世における産業革命」とも言うべき技術的発展、イスラームおよびビザンツ世界との接触による古代ギリシャの科学と哲学の発見であった。

技術面では、水車の使用の増加・拡大が見られる。特に、農業における技術革新が著しく、農機具の改良や鉄製農機具の登場、とくにアルプス以北の湿気の多い気候と重い土質に適した馬の農耕への使用拡大、11世紀以降はで二圃制度から三圃制度への切り替え、比較的安定した高温の気候によって、生産性が大きく向上した。そのうえ開墾と干拓による農地の拡大も進み、11世紀中葉から14世紀初頭（とくに13世紀）にかけて人口も飛躍的に増加する。

11世紀から13世紀にかけてヨーロッパにおいては産業革命と農業革命がすすめられたのであり、それは都市の形成と発展を促すことになった。すなわち、農業生産性が飛躍的に向上した結果、自給自足経済から余剰生産物の交換経済への移行が始まり、<span style="color:#6666ff;">都市が建設され重要な役割をはたすようになっていった。</span>こうしてヨーロッパは11世紀から13世紀にかけて空前の都市化が進み、13世紀には全人口の約1割が都市に集中していたと言われる。

この傾向は13世紀に入るといっそう顕著になり、フランスでは、都市に住む人口が増加するとともにその活動領域が広まっていった。これに加え、王は中央集権を強めるために支配気候内部に都市市民のエリートを登用し、知識階層として官僚層が生み出されていった。さらに、王権は力をつけた町人階級との結びつきを強化し、その見返りとして都市自治体の発展を支援し、都市にいくつもの特権をあたえた。

ドイツにおいても1190年にはじめて都市自治体が誕生し、以降、都市化の波は13世紀中つづいた。かくして12世紀から13世紀にかけてヨーロッパには、従来の三身分に関わらず、都市を生活基盤とする官僚や商人や製造業者（将来のブルジョアジー）がその存在を主張しはじめたのである。そして彼らは商業的目的からであったが読み書きを学び、聖職者だけが文字文化の担い手であった時代が終わる。

都市の発展に並行して、12世紀にはパリをはじめ、<span style="color:#6666ff;">これまでにない教育機関として大学が登場する。</span>これらの大学は、当初「学生と教師の組合」として発足したが、13世紀なかばまでにその組織を確立させていった。特筆すべきこととしては、それまでの修道院と異なる、都市を活動基盤として、世俗社会と積極的にかかわりを求めるフランチェスコ会（1209年）とドミニコ会（1216年）のような托鉢修道会の創設が挙げられる。高度な学問研究を重視したことによって、生まれたばかりの大学に有用な人材を供給することになる。以上がトマスやペレグリヌスやベーコン登場の社会的背景である。</blockquote>
そして<span style="font-size:Font;"><span style="color:#ff3300;">１２世紀以降、古代ギリシア文献、とりわけアリストテレスの翻訳活動が活発化する。</span></span>
<blockquote>2.古代哲学の発見と翻訳

知的・思想的な面では、ヨーロッパ人の自然の見方と自然に接する姿勢を転換させた決定的な契機は、<span style="color:#6666ff;">先進的イスラーム社会にヨーロッパ人が接触し、イスラームの学問とともにアリストテレスの諸著作を発見したことである。</span>中世におけるヨーロッパのイスラーム社会との接触といえば、私たちは十字軍を連想しがちであるが、1154年にロジェー2世がアル・イドリーシーに実証的な地理学の「ロジェー王の書」を編著させ、カスティリアとアルフォソン10世が天文学者に「アルフォソン表」を作成したことが象徴しているように、十字軍運動の喧騒とは別のところで多くのことを学んできた。

イスラーム科学の先進性をいち早く認めて、その吸収と移植に尽力したのは、ジェルベール（後の法王シルヴェスデル2世）であった。10世紀半ばに貧しい農民の子としてうまれたジェルベールは、修道院に入り教育を受けた。その後967年から3年間、彼はカタロニアの修道院でさらに学習を続け、数学と天文学と音楽を学び、イスラームの科学に接した。その後、ローマ法王に認められ、ランス大司教座聖堂付属学校の校長、999年にはフランス人で初めて教皇の座につき、1003年教皇シルヴェステル2世として死んだ。

彼は、正統信仰の徒でありながら「神は人間に大いなる賜物を授けたもうた。信仰を与えたまい、同時に学術も禁じたまわなかったからである」と語り、信仰と理性を結合しようと望んだ。科学におけるジェルベールの貢献は、イスラームの天文学と数学をヨーロッパに紹介したことにある。
彼は、天文学では、イスラームに伝えられていたプトレマイオス天文学を学び、それにもとづき精巧な天球儀を作成した。数学では、それまで扱いにくいラテン数学にかわって、アラビア数学表記法を導入し、「アバクス」とよばれる古代の計算盤をヨーロッパに復活させたとも言われる。

もう一人の先駆者は、ヨーロッパ最大の修道院クリュニーの院長に若くして就任した尊者ピエールであった。彼は西欧が文化と情報の量で圧倒的に劣っていることを自覚し、<span style="color:#6666ff;">ギリシャやイスラームの文献を購入し、翻訳者を集め、紹介作業</span>に努めた。「コーラン」のはじめてのラテン語訳も彼のもとでなされた（1143年）。

その翻訳者の一人、チェスターのロバートは、「代数学」を訳し、ヨーロッパにこの学問の名称と方法を伝えたことでも知られている。
もちろんこのような人たちが現れたことは、現実にイスラーム社会との接触・交通が存在していたイベリア半島、シチリア半島においてであった。</blockquote>

<span style="color:#ff3300;">１１世紀以降、西欧は外部侵略へ向かう。一つはイスラム世界へ（十字軍）。二つ目は東ヨーロッパへ（奴隷狩り）。三つ目はイベリア半島へ（レコンキスタ）。

その主勢力は、ノルマン人とクリュニー修道会とイタリア商業都市(初期はジェノヴァとピサ)である。</span>
とりわけ、11世紀中ごろにイングランドと仏ノルマンディー、南イタリアとシチリア島を征服したノルマン人が、西欧が外部侵略を始める契機になっている。


再び、<a href="http://www.msz.co.jp/book/detail/08031.html">山本義隆著『磁力と重力の発見』（みすず書房刊）「中世社会の転機と磁石の指向性の発見」</a>から引用する。
<blockquote>イベリア半島においては、イスラーム教徒が713年に西ゴート王国を滅ぼして以降1492年にグラナダが陥落するまでイスラームスペイン社会が存続した。同様にシチリアは、西ローマ帝国崩壊後の一時期、東ゴート王国の支配下にはいり、その後三世紀に及ぶビザンチン支配ののち、902年にアラブ人に征服され、以来11世紀後半にノルマン人によって再征服されるまで、イスラーム教徒の統治下にあった。

その結果、イベリア半島やシチリアは経済的にも文化的にもヨーロッパをはるかに凌駕することになる。実際、アラブ人は、イベリア半島においてもシチリアにおいても農業生産性を飛躍的に高めることに成功し、鉱山の開発、養鶏や馬の育種、絹織物の生産にのりだし、9・10世紀にはイスラーム教徒はパレルモを中心として地中海の海運を完全に制圧した。こうしてパレルモとコルドバは大都市に成長し、両都市は10世紀には人口30万を擁したと言われる。当時のラテン・ヨーロッパ最大の都市といわれるパリやローマでさえ、この足下にも及ばない。

著しいのはその豊かさだけではなく、専門家によれば「イスラームに征服されても、キリスト教教会はそこでの市民権、信徒たちへの精神的指導者としての立場を保持し、また資産についても保持・獲得したり寄進を受けることができた。教理・信仰・教会規約などについて、ムスリムがキリスト教は、奴隷で無い限り、イスラーム世界でも異教徒の国でも、完全に自由に移動できた」とある。だからこそ、ジェルベールがイスラーム支配下のイベリア半島で学ぶことができたのであろう。

もともと遊牧の民であったアラブ人が、七世紀以降に大規模な征服活動を展開して拡大し、経済、文化ともに急速に成長をとげたのは、征服した異教徒にたいして宗教的にも寛容である上、積極的にその文化や技術を学習し自分のものとしていったからであった。<span style="color:#6666ff;">イスラーム社会は、ビザンチン経由でギリシャの哲学、医学、その他の学問を、インド文明からは数学、天文学を学び、翻訳をすすめた。こうして、ラテン世界では見失われていたギリシャの哲学や科学が、イスラーム社会では大切に保存され熱心に研究されていた。</span>

ヨーロッパ人のイスラーム文化との接触と、それを介しての古代文明の再発見はイベリア半島とシチリア半島の再征服を機に本格化する。1031年の後ウマイヤ王朝の崩壊により、1085年のアルフォソン6世によるトレドの攻略によって、半島のほぼ北半分がキリスト教に明け渡された。こうして、イスラーム、キリスト、ユダヤ文化の交錯するトポスが出現した。

他方シチリアでは、ノルマン人の一旗組がイスラーム教徒の支配を打ち倒した。彼らがシチリア攻略に乗り出したのは1061年、「ノルマン・コンクエスト」の直前であり、シチリア全島を制圧したのは1091年である。ノルマン人頭目ロベール・ギスカールとロジェーの兄弟が1072年にパレルモを征服したとき、彼らは賢明にも異教徒・異民族の宥和をはかった。その政策は、ギヨーム1世・同2世と王位が継承されて以降も変わることはなかった。
　
<img alt="%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%94%EF%BC%92%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E3%81%AE%E7%8A%B6%E5%8B%A2.jpg" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/%EF%BC%91%EF%BC%91%EF%BC%94%EF%BC%92%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E3%81%AE%E7%8A%B6%E5%8B%A2.jpg" width="475" height="344" />
１１４２年のヨーロッパの状勢
画像は<a href="http://http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%AD%97%E8%BB%8D">こちら</a>から
　
ノルマン人支配下のシチリアではラテン、ギリシャ、アラビア語が公用語に使われ、西暦とアラビア暦が併用され、ローマ法、コーラン、ノルマンの習慣法が尊重されていた。行政の中核はアラブ人、ギリシャ人が占め、国軍の主力はイスラーム教徒の部隊であった言われる。これを「トレランス（宗教上の寛容）」とも解釈できるが、それだけでなく、経済活動の中核をアラブ人に握られていたという現実的な打算も働いていたと予測される。なぜなら、大商業都市を経営していくにはアラブ人に依拠しなければならず、教皇を完全に信用していない彼らにとってイスラームの軍事力を配下におくことはどうしても必要であったからだ。したがって、<span style="color:#6666ff;">宗教上の寛容ではなく、強力な王権がアラブ人を必要とし、彼らに対する攻撃を制御するためといったほうが正しい。</span>　　</blockquote>
<span style="font-size:130%;">●ノルマン人とイタリア商業都市国家の結託</span>
ノルマン人は東欧で奴隷狩りをした。それがヨーロッパからイスラムへの主要な輸出品だった。ノルマン人が狩ってきた奴隷を売買していたのがイタリアの商業都市国家、とりわけジェノヴァである。


また、イタリアの商業都市国家はノルマンの力を借りてイタリア内のイスラム勢力を駆逐する。1086年ノルマンによる南イタリアとシチリア征服によって、イスラムの支配は終わり、ピサとジェノヴァはティレニア海から外に出る航路を確保する。


そして、第一回十字軍の主力は南イタリア・シチリアのノルマン人とフランス人（その中心はフランス系ノルマン人か？）であり、第一回十字軍に協力したのがジェノヴァとピサであり、その見返りにジェノヴァとピサは十字軍征服地における特権を手にしている。


このように、侵略者ノルマン人とイタリアの商業都市国家が結託して、十字軍や東欧侵略を進めたのである。
　
<img alt="Kingdom_of_Sicily_1154_jp.bmp" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/Kingdom_of_Sicily_1154_jp.bmp" width="480" height="548" />
シチリア王国
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<span style="font-size:130%;">●ノルマンとキリスト教好戦派クリュニー修道会の結託</span>
十字軍やイベリア半島のイスラム駆逐（レコンキスタ）を進めた勢力はもう一つある。キリスト教勢力、とりわけクリュニー修道会である。


ノルマン人は征服地であるイングランド支配のために教会のお墨付きを必要としていた。そこでクリュニー修道会と結託し、クリュニー修道会はノルマン・コンクェストを支援した。　　
イタリアでは、教皇ベネディクトゥス８世（在位1012～1024年）は、ノルマン人と同盟を結んでイスラム勢力をイタリアから駆逐しようとしたが、ベネディクトゥス８世を援助したのがクリュニー修道会である。
ノルマン人とクリュニー修道会は利害が一致していたのである。


そして、イベリア半島のイスラム勢力駆逐戦争（レコンキスタ）を奨励したのがクリュニー修道会であり、十字軍を始めた教皇ウルバヌスⅡ世もクリュニー修道院長を勤めている。ウルバヌスⅡ世が集めた第一回十字軍の主力は、南イタリア・シチリアのノルマン人とフランス人（その中心はフランス系ノルマン人か？）


<span style="color:#ff3300;">★このように、１１世紀から始まる西欧の侵略活動(十字軍・レコンキスタ・東欧侵略)の主勢力は、ノルマン人－イタリア商業都市国家－キリスト教会(クリュニー修道会)の３者連合である。</span>
イスラムの武力に拮抗し得るノルマンの武力を手に入れたことによって、大々的な侵略活動が開始されたということだろう。
<span style="color:#ff3300;">言い換えれば、ノルマンの武力と、イタリア商業都市の資本力、クリュニー修道会の観念支配力が結託して、十字軍やレコンキスタや東欧への侵略を開始したのである。</span>


<span style="color:#ff3300;">●古代ギリシアのアリストテレスの翻訳運動を推し進めたのも、この勢力、ノルマン＋クリュニー修道会＋イタリア商業都市の三者連合である。</span>
例えば、クリュニー修道会の院長ピエールは、大金をはたいてギリシアやイスラムの文献を購入し、翻訳者を集めて、紹介作業に努めた。

<blockquote>シチリアのパレルモで育ったロジェー2世（シチリア・ノルマン王朝の初代の王）はたくみな外交によってシチリアを安定させ、西ヨーロッパで最も豊かな王国が出現した。彼は、学問を愛好する教養人であり、イスラーム世界から数多くの学者を呼び寄せる。パレルモは、キリスト、ビザンツ、イスラーム文化の融合するヨーロッパ随一の国際都市となった。

こうして、11世紀から12世紀にかけてヨーロッパ人は高度なイスラーム文化とともに古代ギリシャの哲学と科学の圧倒的な遺産に出会った。イスラームの文化や技術とともにギリシャの学問的水準の高さを知り、ラテン語への翻訳にきそって取り組んだ。12世紀初頭に始まるこの翻訳運動は13世紀中期まで継続される。こうして1260年代にいたるまでのほぼ150年間にアリストテレスをはじめギリシャの科学と哲学の大部分がアラビア語ないしギリシャ語語原典からラテン語に翻訳された。

そうしてこの古代ギリシャとイスラームの高水準の学問と思想の流入がその後の西欧における科学の発展の基盤を形成することになる。また、大学とは膨大な量にのぼる新知識を西ヨーロッパが組織し、吸収し、拡充するたての制度的な方策であり、共通の知的財産を形成し、世間に広めるための道具だった。しかし、そのことは中世の大学が科学を観測や実験からではなく、もっぱら書物から学んだことを意味し、やがて科学のさらなる進歩と発展にとって桎梏と化していくことになる。</blockquote>
教会支配から支配権を奪取し、近代国家（金貸し支配国家）への移行を推し進めたのも、この勢力だと考えられる。


実際、ノルマンの初代シチリア国王の孫であるフリードリヒⅡ世は、神聖ローマ皇帝とシチリアとナポリ国王、エルサレムの王位を兼ねるという強大な権力を手にするが、彼がやったことは、１５世紀イギリスや１６世紀フランスの絶対王政に先んじること３００年前に、最初の絶対王政を実現している。さらに教会の息のかからない国立大学ナポリ大学を創設したのも、フリードリヒⅡ世である。


<span style="font-size:130%;">●なぜ、彼らはアリストテレスの翻訳運動をやったのか？</span>


【１】クリュニー修道会の院長ピエールは、その翻訳活動の動機として「イスラムの汚らわしき謬説を暴き出すことによって、理論的・思想的にイスラムに勝利するためである」と記している。つまり、イスラム侵略の正当化が第一の動機であろう。


【２】当時の西欧に比べて圧倒的に豊かなイスラム世界を目の当たりにして、富国強兵を図ってイスラムに勝つために、イスラムやイスラムが翻訳した古代ギリシアの文献を吸収しようとしたのであろう。


実際、それまで欲望封鎖で比較的平和だったヨーロッパが、１１世紀後半から欲望肯定→富国強兵・侵略路線に転換している。そして、その２００年後にイタリアルネサンスが始まる。


欲望封鎖のキリスト教が観念支配する中で、ノルマン＋イタリア商業都市は、欲望肯定→富国強兵・侵略の正当化観念を求めていた。それに応えて侵略を正当化したのがクリュニー修道会である。
また、欲望肯定観念の一つが恋愛観念であるが、欲望肯定するだけでは欲望は充たされない。
欲望を実現するには富国強兵が必要で、そのために自然認識が必要になる。
ところが、キリスト教は徹底した欲望否定・現実否定思想であるが故に自然認識は欠落させている。
富国強兵のために欠落した自然認識を獲得するために、アリストテレスの翻訳に励んだのだと考えられる。


まとめると、<span style="color:#ff3300;">十字軍をはじめとする外部侵略を進めた主勢力はノルマン＋イタリア商業都市＋クリュニー修道会の三者連合であり、彼らが欲望肯定を正当化し、富国強兵→侵略を実現するために古代ギリシア文献（アリストテレス）の翻訳に躍起になったのである。
これが、<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/04/002240.html">「キリスト教の欲望否定（封鎖）から欲望肯定（刺激）へパラダイム転換が近代思想と近代科学を生み出した」</a>契機であろう。</span>



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   <title>共同体企業ネットワーク理論勉強会テキスト（１２）理論収束の実現基盤と突破口（必要なのは、実現構造を読み解く史的実現論）</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nihon-syakai.net/blog/2012/05/002271.html" />
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   <published>2012-05-16T13:31:11Z</published>
   <updated>2012-05-17T17:47:55Z</updated>
   
   <summary> 皆さんこんにちは :m105: このシリーズもいよいよ最終回を迎えました :m033:  初めて本ブログを読まれた方のために、この理論勉強会の趣旨、テキストは何のためにあるのかを今一度整理したいと思います :m208:  　　 今世の中が全的に行き詰まりに瀕しているのは誰もが感じていることですが、社会の統合機関たる政府や学者からは何の打開策も出てきません。 今我々に求められる（我々が求めている）のは、自分たちで何とかする（＝答えを出す）能力であり、それはこの世の中で実現していく（勝ち残っていく）ために必要不可欠なものです。このテキストはそんな人たちの思い（答え欠乏）に応えるためにあります。理論勉強会はこのテキストを読み解き、いかなる状況に置かれても答えを出せる思考法“概念装置”を体得することが目的です :m051:  　　 ★過去のテキストはコチラです★ テキスト１：これから生き残る企業に求められる能力は？ テキスト２：私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた テキスト３：市場の縮小と根源回帰の大潮流 テキスト４：共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流 テキスト５：自我と遊びを終息させた’０２年の収束不全 テキスト６：同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた テキスト７：情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口 テキスト８：大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機 テキスト９：新理論が登場してこない理由１　近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった テキスト10：新理論が登場してこない理由２　専門家は根本追求に向かえない テキスト１１：学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口～否定の論理から実現の論理への転換～ 　 ...</summary>
   <author>
      <name>HOSHINO</name>
      
   </author>
   
   
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      <![CDATA[<img alt="201205~3.JPG" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/201205~3.JPG" width="400" height="282" />

皆さんこんにちは :m105: このシリーズもいよいよ<strong>最終回</strong>を迎えました :m033: 
初めて本ブログを読まれた方のために、この理論勉強会の趣旨、テキストは何のためにあるのかを今一度整理したいと思います :m208: 
　　
今世の中が全的に行き詰まりに瀕しているのは誰もが感じていることですが、社会の統合機関たる政府や学者からは何の打開策も出てきません。
今我々に求められる（我々が求めている）のは、<u><strong>自分たちで何とかする（＝答えを出す）</strong></u>能力であり、それはこの世の中で<u><strong>実現していく（勝ち残っていく）</strong></u>ために必要不可欠なものです。このテキストはそんな人たちの思い<span style="color:#ff3300;">（答え欠乏）に応える</span>ためにあります。理論勉強会はこのテキストを読み解き、<span style="color:#ff3300;">いかなる状況に置かれても答えを出せる思考法“概念装置”を体得することが目的</span>です :m051: 
　　
<span style="color:#6666ff;">★</span>過去のテキストはコチラです<span style="color:#6666ff;">★</span>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/02/002217.html">テキスト１：これから生き残る企業に求められる能力は？</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/02/002222.html">テキスト２：私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/03/002225.html">テキスト３：市場の縮小と根源回帰の大潮流</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/03/002234.html">テキスト４：共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/03/002239.html">テキスト５：自我と遊びを終息させた’０２年の収束不全</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/04/002243.html">テキスト６：同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/04/002246.html">テキスト７：情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/04/002260.html">テキスト８：大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/04/002254.html">テキスト９：新理論が登場してこない理由１　近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/05/002262.html#more">テキスト10：新理論が登場してこない理由２　専門家は根本追求に向かえない</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/05/002264.html">テキスト１１：学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口～否定の論理から実現の論理への転換～</a>
　
]]>
      <![CDATA[<blockquote>いかに観念支配を徹底させようとも、人々の意識を完全支配することはできない。潜在思念が変化してゆくからである。
私権の終焉によって生起した本能回帰・共認回帰の潮流は、その潜在思念に応合した言葉を生み出してゆく。すでに、<span style="background:#C8FFFF">「もったいない→節約・食抑」</span>あるいは<span style="background:#C8FFFF">「役に立ちたい→社会を良くしたい」</span>等の言葉が浮上してきており、それらは、構造概念ではなく価値観念に過ぎないが、すでに若い世代では、それらの言葉＝観念が、同じく価値観念に過ぎない「恋愛」「自由」「個人」等の近代観念を圧倒しつつある。
<span style="background:#C8FFFF">どうやら、動かなかった観念が動き始めたようである。</span></blockquote>
<strong>「とにかく出世がしたい」「三度の飯より人事の話がすき」というような私権時代が終焉して、人々の意識の奥底では、本能回帰、共認回帰の意識潮流が生起しました。その中身は「もったいない」や「役に立ちたい」という新しい可能性を切り開く人類本来の潜在思念が顕在化し、ついに時代が動き出したということです</strong> :m208: 
　
参考記事：<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=259355">食べなければ死なない①</a>
<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=259357">食べなければ死なない②</a>
<blockquote>「役に立ちたい」という言葉に象徴される、周りの期待＝課題に応えようとする課題収束の潮流は、期待に応えるための能力の欠乏を蓄積させてゆく。
さらに期応収束⇒課題収束を強める新しい世代は、どんどん同類課題を感取する感度を高めていき、遂に’11年、原発災害と統合機関の暴走を目の当たりにして、一気に社会統合期待を上昇させた。
彼らは、化石化した専門家を尻目に<span style="background:#C8FFFF">「自分たちで、どうにかしなければ」という統合課題を自らの課題として肉体化させつつある。</span>この統合期待は、必然的に、それを実現するための答えの欠乏を蓄積させてゆく。
現実課題の中で蓄積されてゆく<span style="background:#C8FFFF">能力欠乏</span>と、統合期待の中で蓄積されてゆく<span style="background:#C8FFFF">答え欠乏</span>は、<span style="background:#C8FFFF">ともに答えを出すための道具＝概念装置あるいは実現基盤を提示してくれている新理論の探索へと先端収束してゆく。</span>従って、新理論が登場しさえすれば、理論忌避の壁は一気に突破され、<span style="background:#C8FFFF">社会統合課題を自らの課題</span>とした人々が新理論に収束してゆくのは必然である。</blockquote>
この意識潮流を顕著にしたのが、昨年の東日本大震災です。１９９５年の阪神・淡路大震災と比較してみます :m001: 
<BR>
◆1995年の阪神・淡路大震災のときは、既存組織の活動が目立った。例えば、神戸に拠点を置く山口組が被災した市民を対象に自主的に炊き出しを始めたり、地元の金融機関が無担保で生活資金を貸し出した。（１年以内にほぼすべての人から返済されたという事実がある。）このような事象をきっかけに、我々日本人が自らの民族性を意識すると同時に日本人の意識と日本社会の安定性を世界に示すことになった。<BR>
◆一方東日本大震災では、政府が有効な支援が取れない中で、若い世代が中心になって組織を創り、被災地に向けて有効なネットワークを作っていった事象が多々見られました。これは政府に頼らず「自分たちがどう動いたら、地域の人たちに手を差し伸べていけるのか」と自分たちの手で新しい社会統合ネットワークを創り上げようとする気運の現れであると言えるでしょう。
<BR><BR>　
<strong>02年から仲間収束→課題収束という新しい意識潮流を受けて、11年の東日本大震災では、新しい社会統合に向けたネットワーク作りへの萌芽が見え始めました。</strong><BR>
<BR>参考記事<BR><a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=247139">震災後、みんなの意識が、ネットを中心に統合されていく感じ。</a><a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=247171">日本人のモラルに世界が驚く①</a><BR>
<a href="http://www.kyoudoutai.net/blog/2011/07/001116.html">シリーズ大震災復興～日本企業の底力！3-2～震災後見えてきた日本人の可能性と特権階級との断絶</a><BR>

<blockquote>この社会的な統合期待の高まりに応えて、新理論が登場してくるのは時間の問題である。なぜなら、そこにしか可能性がない以上、その可能性に収束するのは生命の摂理だからである。
しかし、近代観念をメシの種にする専門家には期待できない以上、新理論は素人の手で作ってゆくしかない。さらに、「自分」観念に囚われた観念派にも期待できない以上、新理論はこれまでほとんど観念思考などしたことがない普通の人々が協働して構築してゆくしかない。

周りの期待に応えて現業課題を突破するためには、より鋭い切り口が求められるが、そのためには、より深い状況認識が必要になる。そして究極的には、歴史的に塗り重ねられてきた人類の意識の実現構造と社会の実現構造の認識＝史的実現論が、最強の武器となる。とりわけ、<span style="background:#C8FFFF">社会統合課題を実現するためには、この意識と社会の実現構造の認識＝史的実現論が不可欠となる。</span>

新理論は、人々の実現期待に応えられる理論＝現実に使える理論でなければならない。従って、現実から乖離した近代観念をはじめとする全ての架空観念は全的に否定され、ゼロから新理論を構築してゆくことになる。そのためには、現実世界を動かす実現の構造を発掘できるまで、徹底して人類史を(必要ならサル社会や生物史まで)遡って、歴史事実を収集し、それを法則化＝構造化する必要がある。
もちろん、1人では不可能だが、幸い先人の手で多くの歴史事実が既に発掘されており、数十人で協力して歴史事実を収集すれば、論理が整合する実現構造を構築することは決して不可能ではない。

現に類グループは、40年に亙って歴史構造の解明に取り組み、新しい共認社会を実現するための実現基盤＝史的実現論を提示できる段階に達した。この史的実現論は、人々が自分で答えを出せるようになるための基本的なOS＝概念装置であり、人々が実現課題⇒実現方針を見つける上で、最強のツールとなるはずである。
もちろん、理論は無限に進化してゆくものであり、現在もるいネット「実現論の塗り重ね板」において、少しずつ塗り重ね＝改良が進行中である。そのようにして皆の手で精錬されてゆく『史的実現論』こそ、共認社会を実現に導く羅針盤であり、この新理論の下に結集した新しい共認勢力こそ、共認社会を実現してゆく中核勢力となる筈である。</blockquote><strong>社会統合課題＝「社会をもっと良くしたい」「みんなのもっと役に立ちたい」という意識を実現していくには、新しい時代を切り開く概念装置＝『史的実現論』を学ぶ勉強会がとても重要になってきます。もちろん概念装置はこれから勝ち残る企業にとっては必要な能力になります。</strong><BR>
現にこのテキストを使って「外圧＝内圧」などの新しい概念を学び始めた企業の若手の皆さんから、るいネットの経営板へと多くの気付き投稿がなされています。
<a href="http://www.kyoudoutai.net/blog/2012/05/001289.html">【大起エンゼルヘルプ　第1回エンゼルカレッジ開催後報告♪ 】</a>
<img alt="%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%83~1.JPG" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%83~1.JPG" width="200" height="112" />
このシリーズを最後まで読んで頂きありがとうございます :m001:  :m001: 次回からは、このシリーズに引き続いて、<strong>より実践的にみんなの役に立つ事例</strong>を紹介していきます :m051: こうご期待下さい :m208: 
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   <title>江戸時代の思想１４　日本人の共同体質（古の道）を追求した本居宣長→尊皇論は縄文体質の肯定</title>
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   <published>2012-05-15T12:45:49Z</published>
   <updated>2012-05-17T17:49:13Z</updated>
   
   <summary>今回は、いよいよ国学の大成者として日本の思想史に大きな足跡を残した本居宣長(1730年～1830年)の思想について考察を試みたいと思います。 江戸時代の思想シリーズ第９回と１０回で紹介した伊藤仁斎や荻生徂徠は、朱子学を全否定したが、儒学は否定せず、中国の古代孔子や孟子の時代に遡り追求を行った。 しかし、今回紹介する本居宣長は、儒学など中国からの思想を全て“漢心(からごころ)”として完全に否定し、日本の“古え”に可能性を求めて追求していった人物です。 以下、宣長についての記述は主に『日本政治思想史　十七～十九世紀』（渡辺浩著　東大出版会刊）から引用しています。 「本居宣長六十一歳自画自賛像」 応援よろしくお願いします。...</summary>
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      <name>ihiro</name>
      
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         <category term="04.日本の政治構造" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nihon-syakai.net/blog/">
      <![CDATA[今回は、いよいよ国学の大成者として日本の思想史に大きな足跡を残した本居宣長(1730年～1830年)の思想について考察を試みたいと思います。


江戸時代の思想シリーズ第９回と１０回で紹介した伊藤仁斎や荻生徂徠は、朱子学を全否定したが、儒学は否定せず、中国の古代孔子や孟子の時代に遡り追求を行った。
しかし、今回紹介する本居宣長は、儒学など中国からの思想を全て“漢心(からごころ)”として完全に否定し、日本の“古え”に可能性を求めて追求していった人物です。


以下、宣長についての記述は主に『日本政治思想史　十七～十九世紀』（渡辺浩著　東大出版会刊）から引用しています。

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「本居宣長六十一歳自画自賛像」


応援よろしくお願いします。]]>
      <![CDATA[<strong><span style="font-size:130%;">１．本居宣長略歴</span></strong>
まずは、本居宣長の略歴について。


『日本政治思想史』より
<blockquote>本居宣長として知られるようになった人物は、1730年(享保15年)に伊勢国松坂の商家に生まれた。いわゆる伊勢商人の本拠であり、そのイエも木綿商として江戸に出店していた。幼名は富之助、次に弥四郎、のち健蔵、実名は栄貞。

幼少から上層商人らしい遊芸に親しみ、父や兄の死去などにより宝暦元年(1751)、イエを継ぐ(22歳)。しかし、商売には向かないのは明らかだったため、医者になることとし、翌年、京都に留学する。

儒学の師にも就く。(漢文を読めないと漢方医にはなれない)。それが堀景山である。徂徠の影響を強く受け、契沖をも尊敬した人物であった。留学中、健三は、丁髷(ちょんまげ)を総髪に改め、医者として「春庵」となのる。一方、先祖の姓だったとして本居と称し始め、実名も宣長と改める。「本居宣長」の誕生である。
そして、宝暦7年(1757)、松坂に帰り、町医者「春庵」としての生活を始める。医業のかたわら、和歌を詠み、物語・和歌集・『古事記』などを研究する。そういう時、彼は「本居宣長」だった。平穏で勤勉な生活が続き、『古事記』の詳細な注釈(『古事記伝』)を始めとする多数の書を著し、次々に刊行した。自宅で次第に増えた弟子たちに講義もした。弟子は、特に晩年には急増した。</blockquote>

このように、宣長は穏やかに研究を続けながらも、支持者や弟子達が次第に増えていったことが窺えます。


<strong><span style="font-size:130%;">２．宣長の方法論：歌学び　～和歌や古事記に徹底的に同化しようとした。～</span></strong>

宣長は，人間はありのままの素直な真心で生きるべき事を説き，そのためには漢心（からごころ）を捨て，古典を通して古の道（惟神の道（かんながらのみち））を研究することが大切であると述べた。


つまり江戸時代には、殆どの人が持っていた、既成観念である仏教や儒教のフィルターを捨て、そして古の人々の心になりきる、同化することを試みたのだ。


聖人の道（仏教や儒教）は簒奪者の正当化のイデオロギーであると喝破した安藤昌益とは全く異なるアプローチによる、既成観念の全的否定だった。


『日本政治思想史』より
<blockquote>宣長は、その学問入門の手引き(『宇比山踏』)で、人はみな「歌学び」をし、和歌を詠み、物語を熟読しなければならない、それは「雅の趣」「物のあはれ」を知り、「心」ある人になるためである、と述べている。そして、それが「古の道をしるべき階梯」であるという。

（中略）
･･･但し、宣長は、あくまで古の雅語を使いこなし、<span style="color:#CC6600;">心も古人の雅情に変質させてこそ、優れた歌が詠めると主張する。</span>「歌よむ人の心ばへは、もはら此物語(『源氏物語』)の中の人々の心ばえなるべき」(『紫文要領』)である。<span style="color:#CC6600;">つまり、不断に歌と物語に心を潜め、光源氏や紫上に内面的変身をしなければならないのである。</span>（一見奇妙だが、荻生徂徠と賀茂真淵の方法論の継承である。）</blockquote>

このように古代の人物に徹底的に同化(その人の立場や外圧状況に身と心を置くことによって、内面的変身を試みる)することによって、古の道を知ろうと努めた。そうしてはじめて、古の人同様に「あはれ」と感じ、同様に和歌を詠めると考えたのだ。


<strong><span style="font-size:130%;">３．宣長の古道論（尊王論）</span></strong>
このようにして、古の道を極めた宣長は、カラの教えで汚される前の、日本の神代・上代の人の心のありようこそが、全人類の模範であることを発見する。


『日本政治思想史』より
<blockquote>「古の道」とは、カラの教えの流入で汚されてしまう以前の「大御国の古への大御てぶり」(『直毘霊』)を言う。神代･上代における天皇を含めたすてべの人の、心･言･わざの一切が「道」である。したがってそれは「人の道」であり、同時に「天皇の天下をしろしめす道」でもある。しかも、それは全人類の模範であり、まことの道は、天地の間にわたりて、何れの国までも、同じくただ一すぢ」(『玉くしげ』)である。

なぜそう言えるのか？

それは、<span style="color:#CC6600;">「此道、ひとり皇国にのみ正しく伝わりて、外国にはみな、上古より既にその伝来を失」ったからである。すなわち、宣長は、『古事記』などに記され、その厳密な解読によって再現できる神代･上代の有様が事実であり、かつ、「御国」のみならず人類の本来性を示しているのだというのである。</span>

但し、宣長は、『古事記』の記述が一言一句そのままに事実だと主張するわけではない。ただ、極めて信頼性の高い史料だと考えるのである。それ故、彼は、史料としての信頼性はやや落ちる『日本書記』『万葉集』『古語拾遺』をも用いる。現存する文献資料をすべて用いて、その彼方に実在したはずの史実を再現しようとしているのである。

（中略）
<span style="color:#CC6600;">天皇は専制君主ではない。我意をもって変革したりしない。常に先例に倣い、迷ったら占いで神意をうかがう。しかも臣下・万民も同様である。</span>
　<span style="color:#CC6600;">其時代には、臣下たちも下万民も、一同に心直く正しかりしかば、皆天皇の御心を心として、ただひたすら朝廷を恐れつつしみ、上の御掟のままに従ひ守りて、少しも面々のかしこだての料簡を立ざりし故に、上と下とよく和合して、天下はめでたく治まりしなり、</span>（『玉くしげ』）

<span style="color:#CC6600;">天下・臣下・万民は相似形をなす。それぞれが、その上位者の心をそのまま自分の心とする。誰も自己決定などしない。それ故に、天下は穏やかに、見事に治まっていたのである。</span></blockquote>


ここに宣長の思想の核心がある。


天皇・臣下・万人は相似形をなしており、
上位者の心＝臣下・万人の心であり、
自分＝みんな、でもある。


そして、上も下も自己決定を否定し、常に先例と周りに倣っている。

これは<strong><span style="color:#ff3300;">共認統合</span></strong>に他ならない。

･･････････････････････････････････････････････････････････

そして、宣長は復古を強行することは「古道」に反すると諌め、平凡に穏やかに五百年～千年生きろと説く。


『日本政治思想史』より
<blockquote>学者はただ、道を尋ねて明らめしるをこそ、つとめとすべけれ、私に道を行うべきものにはあらず、されば随分に、古の道を考え明らめて、そのむねを、人にもをしへさとし、物にも書遣しおきて、たとい五百年千年の後にもあれ、時至りて、上にこれを用い行い給いて、天下にしきほどこし給はん世をまつべし、これ宣長が志也、（『宇比山踏』）

五〇〇年、一〇〇〇年である。それまで惑わずに、しかし穏やかに生き続けよ。彼は、読者達にそう語りかけている。</blockquote>

この冷静な現状分析（肯定）も穏やかな対応策も共同体質（現実肯定と順応性の高さ）故であり、社会が共認によって統合されていることを宣長が認識していたことの証でもある。<a href="http://www.rui.jp/">るいネット</a>にも全く同様の認識がある。

<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=21496">観念パラダイムの逆転７　新しい認識だけが、現実を変えてゆく
</a><blockquote>社会は人々の共認によって統合され、その意識＝共認内容が変化してゆくことによって変わってゆく。現実が変わる＝社会が変わるとは、ただそれだけの事である。
その共認内容は徐々にしか変わらず、例えそれが30年ほどの間に猛スピードで変わったとしても、その共認内容の変化に応じて一つずつ規範や制度が改革されてゆくことによってしか、社会は変えられない。</blockquote>　

まさに宣長は、300年前にこのことを認識していた。

宣長は、古代に遡って日本人の共同体質の源泉(古の道)を追求していたのであり、追求した事実が、人々に広がることによって共認も変わっていくと考えていた。現代、宣長以来300年が経ち、新たな知識（縄文時代などの人類史、生物史）が蓄積されてきている。追求者宣長なら、これらの事実から認識を組み替えて、「古の道」を再構築し続けてきたに違いない。


しかし、現代の学者達は、国学という1つの学問領域に押しとどめ、既成観念化させ、単なる売り物(メシのタネ化)させているのではないか？宣長を始めとする、追求者である江戸時代の思想家とは全く相容れないのが、現代の学者ではないだろうか？


<strong><span style="font-size:130%;">４．宣長の古道論は、極端ではあるが、その基本的正しさは認めざるを得ないという空気が形成されていた。</span></strong>


『日本政治思想史』より
<blockquote>彼のいう「道」は普遍的に妥当する。したがって、宣長は、各国それぞれでよいという相対主義も認めない。ある人を厳しく批判して、彼はこう述べている。

「各人各国がそれぞれ信じたいものを信じればよいでないか」などと言ってはならない。そういうあなた自身は、何を正しいと思っているか。そう宣長は迫る。正しいことなら正しいと、全人類が認めるべきなのである。
　
さてかくのごとき本朝は、天照大御神の御本国、その皇統のしろしめす御国にして、万国の元本大宗なる御国なれば、万国共に、この御国を尊み戴き臣服して、四海の内みな、此まことの道に依り遵はではかなはぬことわり･･･(「玉くしげ」)

以上の主張は、それなりに論理的かもしれない。しかし、いささか正気を疑わせる。だが宣長の古道論について、やや極端ではあるがその基本的な正しさは認めざるをえまいという雰囲気が、当時徐々に広がったようである。深く宣長の影響を受けた水戸学の支持者が増え、宣長がしきりに用いた「皇国」という語は、すみやかに通用を広げた。そして徳川末期(から1945年まで)にはどの政治的立場の人も用いるようになった。この国は一貫して天皇を戴く特別な国なのだ、という誇りを込めた自称である。</blockquote>


宣長の古道論は、極端ではあるが、その基本的正しさは認めざるを得ないという空気が形成されていた。
これは何故か？


あるいは、尊王論が登場するが、その中核となったのは宣長の国学であるが、それだけではない、山鹿素行も山崎闇斎も浅見も伊藤仁斎も、その思想から尊王・倒幕的な思想が登場している。


<span style="color:#CC6600;">これだけ多くの思想家から尊王論が登場し、それが基本的に正しいと考えられていたということは、この時代の意識潮流であったと考えられる。</span>
江戸時代中期までの尊王論の中身は、
日本は平和なよい国である（戦乱と王朝交代に明け暮れる中国より優れている）、
ということを誰もが感じていた。

そして、戦争がないのはなぜか？　王朝交代しない天皇がいるからである。･･･と


日本が平和なのは縄文体質（共同体質）故である。
<span style="color:#CC6600;">全く新しい仮説であるが、言い換えれば尊王論とは縄文体質の肯定or探求であったのだ。</span>

<span style="color:#CC6600;">そのために歴史を遡ったが、しかし、<strong>「縄文時代」</strong>という概念すらなかったため、「古事記」によって<strong>『尊王論』</strong>でとどまった。</span>

そして、多くの思想家が日本の縄文体質⇒平和を肯定し、その原因を探求したのはなぜか？
しかも、多くの思想家が追求の結果、既成観念を否定し、共認統合、さらには縄文体質を対象化する方向に追求が向かっていったのも縄文体質（共同体質）故である。


<strong>イエという共同体（経営体）を母体とした、社会をどうする？意識⇒社会統合秩序の形成とそれを導く社会統合理論の必要性を感じていた。
共同体を母体にした追求が、それを導く観念として縄文体質（共同体質）へと向かっていくのは必然であった。</strong>
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   <title>魔術から近代科学11　キリスト教→近代科学の時空認識および終末論的熱力学の陥穽</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nihon-syakai.net/blog/2012/05/002263.html" />
   <id>tag:www.trend-review.net,2012:/blog//1.2263</id>
   
   <published>2012-05-14T14:51:26Z</published>
   <updated>2012-05-17T17:50:39Z</updated>
   
   <summary>「キリスト教も近代思想も近代科学も、ゾロアスター教が確立した略奪集団の正当化と他者否定のパラダイム」で紹介した、大出晁氏の論文「ヘレニズム・ローマ時代の知の系譜２－正統的知識と非正統的知識Ⅴ」には、注目すべき記述がある。 我々が常識としている、直線的に時間が進行するという時間認識が、実はキリスト教世界だけのものであることが提起されている。 占星術に対するキリスト教思想家の態度を考察するにはキリスト教的時間観について考察しておく必要がある。この問題はキリスト教出現後の思想の基本的枠組みを規定する最も重大な要素を含む。 「魔術から近代科学へ」というテーマからは若干脇にそれるが、「時間・空間」は近代科学、とりわけ物理学の土台を成すキー概念であり、近代科学は時間・空間認識に重大な陥穽を孕んでいると考えられる。今回は、その問題提起である。 いつも応援ありがとうございます。...</summary>
   <author>
      <name>member</name>
      
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         <category term="13.認識論・科学論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nihon-syakai.net/blog/">
      <![CDATA[<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/04/002252.html">「キリスト教も近代思想も近代科学も、ゾロアスター教が確立した略奪集団の正当化と他者否定のパラダイム」</a>で紹介した、大出晁氏の論文<a href="http://libir.soka.ac.jp/dspace/bitstream/10911/2639/1/KJ00004860702.pdf">「ヘレニズム・ローマ時代の知の系譜２－正統的知識と非正統的知識Ⅴ」</a>には、注目すべき記述がある。


我々が常識としている、直線的に時間が進行するという時間認識が、実はキリスト教世界だけのものであることが提起されている。
<blockquote>占星術に対するキリスト教思想家の態度を考察するには<span style="color:#ff3300;">キリスト教的時間観</span>について考察しておく必要がある。この問題はキリスト教出現後の思想の基本的枠組みを規定する最も重大な要素を含む。</blockquote>
「魔術から近代科学へ」というテーマからは若干脇にそれるが、「時間・空間」は近代科学、とりわけ物理学の土台を成すキー概念であり、近代科学は時間・空間認識に重大な陥穽を孕んでいると考えられる。今回は、その問題提起である。


いつも応援ありがとうございます。

]]>
      <![CDATA[大出晁氏の論文<a href="http://libir.soka.ac.jp/dspace/bitstream/10911/2639/1/KJ00004860702.pdf">「ヘレニズム・ローマ時代の知の系譜２－正統的知識と非正統的知識Ⅴ」</a>から引用する。
<blockquote><span style="color:#ff3300;">古代オリエントの民族の多くは円環的時間観を有していた。</span>
古代エジプトでは時間は再帰する状態の継起とみなされ、過去と未来の区別をもたなかった。早くから天変占星術に関心をもっていた古代メソポタミアの諸民族は、その天体の地上への影響への信仰を考えると、歴史的進歩の思想を持っていたとは考え難く、天体の運動に象徴される円環的な時間観を有していた。前５世紀の古代ギリシアにおいては、その思想の＜過去回顧的＞性格からして、主要な哲学学派が未来を軽視して過去を重視する円環的な時間観を有していたことは驚くにあたらない。

<span style="color:#ff3300;">古代社会で例外的なのはペルシアのゾロアスター教である。</span>
前６世紀から前３３１年のバビロニア征服のころにかけてペルシアではゾロアスター教が最盛期を迎えた。その始祖ツァラツストラは北ペルシアの牧羊族の出で、多神教を排してマツダ神への信仰を説き、真理に組するものは不朽の栄光を獲得し、虚偽に組するものは「永遠の暗闇」に罰せられると説いたが、この「最終の事態」の教義こそ、<span style="color:#ff3300;">終末論の最初の体系的主張</span>で、ユダヤ教とキリスト教に深刻な影響を与えた。

<span style="color:#ff3300;">キリスト教は救世主キリストの出現にはじまる世界の出来事の一回性と最後の審判に終る歴史的終末論を主張し、この直線的な時間観は古代世界を支配していた循環的で再現可能な時間観と基本的に対立していた。</span>そして、それを明瞭に主張し、特に、ギリシア人の時間観を弾劾したのはアウグスティヌスで、『神の国』で<span style="color:#ff3300;">キリスト教教義を支える終末論的な直線的時間観</span>を明確に述べて、それに反するギリシア人を痛烈に非難している。</blockquote>
我々現代人が常識としている直線的時間観の起源はこのキリスト教にある。すなわち、天地創造に始まって最後の審判に至るまで直線的に進むという時間認識である。


そして、この直線的時間認識を前提として近代科学は組み立てられている。
例えば、時間軸を数直線で表し、変位量（例えば移動距離）を時間で微分すれば速度が求められ、速度の変位を時間で微分すれば加速度が得られる。


これを見い出したニュートンは『プリンキピア』の冒頭で、時間と空間について次のように説明している。 
<blockquote>普通の人々は、これらの概念を経験的な事物との関係でしか考えないので、誤りが生じやすい。それを避けるために、絶対的な時間空間と相対的な時間空間とを区別し、力学は絶対的な時間と空間に関わることを銘記することが肝要である。

絶対時間とは、外的な事物とは無関係に、それ自体で一様に流れる時間であり、人々が物理的な手段で測定している時間は、それを不完全に計ったものにすぎない。力学は、本来、絶対時間を使って成り立つものである。

他方、絶対空間とは、これまた外的事物とは無関係に存続する不動かつ不変の空間で、力学で扱う空間的距離は、この絶対空間に即した大きさでなければならない。

かくして、場所や運動など、力学で扱われるそのほかの概念も、絶対時間と絶対空間に基づいて理解されなければならない。
<a href="http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~suchii/intro.PS/absol-relation.html">『科学哲学入門』「時空の理論と測定──ニュートンの絶対説とライプニツの関係説」</a> </blockquote>
このように、対象と独立した（無関係の）絶対時間と絶対空間を尺度として物理量を把握したのがニュートンであるが、デカルトも空間認識も同じである。デカルト座標（直交座標＝Ｘ軸・Ｙ軸・Ｚ軸から成る三次元の空間座標）と呼ばれる。
<blockquote>直交座標システムは、デカルト座標システムとも呼ばれるが、その名は、フランスの数学者にして哲学者のルネ・デカルトに因んで付けられている。なぜならば、デカルト座標は、デカルトの哲学を数学へと応用したものだからだ。

<span style="color:#ff3300;">デカルト座標システムにおいて、デカルト哲学の出発点である自我に相当するのは、原点である。</span>すなわち、視覚的に与えられた三次元空間における原点は、原初的には自我の位置にあり、物理的に自我の位置にない場合も、他我の立場に自我を想像的に置くことで三次元空間の位置付けが理解されているのである。 

有限な存在者である自我が有限な原点だとするならば、無限な存在者である神は無限に延びる座標軸で、自我が神を媒介に認識する世界はその座標軸によって位置付けられる空間全体ということになる。座標軸が無限ならば、その座標軸を媒介にして、有限な原点と無限の空間が結び付けられる。
<a href="http://www.systemicsblog.com/ja/2011/cartesian_coordinate_system/">『システム論ブログ』「デカルト座標はなぜデカルト的か」</a></blockquote>
<img alt="Cartesian_coordinate_system.png" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/Cartesian_coordinate_system.png" width="550" height="263" />
<span style="font-size:130%;">「デカルト座標」</span>


ニュートンもデカルトも、直線的に進むという時間認識、時間とは独立した空間が一方的に無限に拡がるという空間認識は共通である。


実際、近代科学の物理量の基本単位がこの時間と空間(長さ)である。それに質量と電気量を加えた４つの独立した単位を基本単位として、長さ・時間・質量・電気量という単位（物理量）を組み合わせて様々な単位概念が構築されている。


このように現代科学（物理学）の土台を成している、その時間概念や空間概念は本当に正しいだろうのか？
<span style="color:#ff3300;">架空観念であるキリスト教の天地創造→終末論の延長に近代科学の時間認識や空間認識があるとすれば、その時空認識も架空観念ではないだろうか？</span>


●<span style="color:#ff3300;">また、近代科学の時間認識・空間認識はキリスト教の影響だけでなく、もう一つの特徴がある。座標という形で数量化されているということだ。</span>


<a href="http://www.trend-review.net/blog/2011/12/002163.html">「数学的形式に当てはまるように捏造した、現実には存在しない架空観念の体系が近代科学」</a>で、『新・物理入門』（駿台文庫）の山本義隆の言葉を紹介した。　
<blockquote>近代物理学の法則とは、このように数学的処理になじむように人間が単純化し、理想化し、抽象化した現象の法則である。ここに、近代物理学を学ぶうえでの数学的概念の重要性がある。
「自然の言葉は数学で書かれている」と言ったのはガリレイであるが、近代になって人間は数学的に自然を捉える術を見出したというほうが真相に近い。自然がというよりは人間がとりわけ、近代人が数学的見方を好むのである。</blockquote>
加えて、<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=263437">『るいネット』「宇宙や世界を考察する際の数学の位置」</a>では、近代科学では数少ない解ける微分方程式だけで世界が説明される傾向が指摘されている。
<blockquote>現在の物理学は数学的手法で理解される。例えば、宇宙を考える基礎には『アインシュタインの方程式』と呼ばれる微分方程式がある。しかし、この式は近似的なものは別にするといまだに解けず、現在でも数学者の追求テーマになっている。そして、これが解けると世界がわかるという前提で、数学的世界の中での追求が続いている。ここには、現代の数学はこの世を解き明かす万能の知恵であるというような価値観が潜んでいそうだ。

また、微分方程式というものは、科学工学の分野では多く使われているのだが、これはこの方程式が解けることが前提になる。実際に学校で習う微分方程式は解けるものを選んで勉強する。しかし、一般にはあまり知られていないが、<span style="color:#ff3300;">多くの微分方程式のうちその解が得られるのはほんのわずかで、そのほとんどが解けないというのが現実だ。つまり、解ける微分方程式だけで世界を把握しようとしている偏向が見て取れる。</span></blockquote>
<span style="color:#ff3300;">近代科学が前提としてきた直線的時間認識やデカルト座標という空間認識は、キリスト教の天地創造論と終末論を引き継いでいるだけではなく、数学的形式に当てはまるように都合よく数量化された時空概念を捏造したのではないだろうか。</span>
実際、デカルトやニュートンが生きた１７世紀は、世界を数量化しようとする時代精神（パラダイム）に支配されていた。


近代科学は数学を金科玉条のように使う。
しかし、数式にインプットされる時間概念や空間概念そのものが、数学的形式に当てはまるように都合よく捏造されたものだとしら、自然（宇宙）の真の姿が未だ解明されないのは当然であろう。


物理学者の朝永振一郎氏も、現代物理学の矛盾の所在がその時間・空間概念にあることを指摘している。
朝永振一郎氏著の<a href="http://www.msz.co.jp/book/detail/05121.html">『量子力学と私』（みすず書房刊）</a>から引用する。
<blockquote>それでは、自然は一体どちらを望んでいるのであろうか。
すなわち、相互作用をいくらでも小さくすることが実際に可能であり、したがって互いに無関係な素粒子という概念が明確な意味をもっていて、その上無限大などの現れて来ない理論が要求されているのであろうか。それとも、相互作用の小ささには限界があり、したがってわれわれの理論の構成の土台になっていた「互いに無関係な素粒子」という概念の変更が要求されているのであろうか。
このいずれかが自然の真相である。

しかして<span style="color:#ff3300;">量子力学と相対性理論とをそのままの形で結び合わせたわれわれの理論は、このどちらにも属せずに内に矛盾を含んでいるのである。
この矛盾の所在は多分この理論の中の素粒子とか相互作用とかあるいは時間とか空間とか、そういう概念にあるのだろう。</span>なぜならこれらのものは相対性理論において絶対運動の概念が、量子力学において粒子・波動の概念が受けたような批判を、まだ少しも受けずに多分日常的な意味で用いられているからである。 </blockquote>

●キリスト教の世界観を引き継いだと考えられるのは時間認識・空間認識だけではない。
<span style="color:#ff3300;">ビッグバン説はキリスト教の天地創造説を、「宇宙はひたすら無秩序化→熱的死に向かっている」という熱力学の第二法則は終末論を引き継いだものではないだろうか？</span>

<a href="http://quasimoto.exblog.jp/17565977/">井口和基氏はその公式ブログ『Kazumoto Iguchi's blog』「生命の物理学的基礎の理論の構築のハードル」</a>で、熱力学の法則に対して根本的な疑問を提起している。
<blockquote>我々が生命現象を理解しようとすると何が一番のハードルになるか？というと、それは熱力学である。微視的な観点を入れたら統計物理学である。これが一番の大問題になる。
つまり、<span style="color:#ff3300;">エネルギーの保存則とエントロピー増大の法則、永久機関の不可能性など、こういった熱力学の大原則がそっくりそのまま生命現象を否定する方向に働いてしまうのである。</span>

その理由は、我々の知るところの、<span style="color:#ff3300;">熱力学理論体系というものは、「孤立系」を記述するために成立したものだからなのである。孤立した系のエントロピーは常に増大する。エネルギーは不滅である。その結果、一度エネルギーをもらったら、後は崩壊して定常状態、つまり、死んだ状態へと回帰して行くことを必須とする学問、理論体系</span>なのである。

ところがその一方で、<span style="color:#ff3300;">生命は常に万物は流転するのである。一度も留まるところを知らない。常にエネルギーの流出入がある。</span>
世代は常に交代し、身体の中の原子分子も約３ヶ月で全部入れ替わる。にもかかわらず、国は国であり続け、人は人であり続ける。脳は脳であり続ける。しかも時間とともにますます新しい経験や情報を蓄積して行くのである。</blockquote>
<blockquote>果たして、こういう生命の移ろいゆく様を物理学の原理として解明可能か？
果たして、そういう生命現象を数学の言葉で記述することは可能なのか？

これが、私がこれまで、そして死ぬまでに何とかして解明しようとしている問題なのである。この問題に集中し始めて、すでに５年が過ぎ去った。

そしていきついた答えが、
我々はどこかで間違った？というものなのである。我々は１９世紀に近代科学を誕生し、それを２０世紀に発展させ、ついに２１世紀にやって来たが、時代が立てば経つほど、時間が過ぎれば過ぎるほど、逆にこういう生命現象の解明からは遠ざかっているように見えるのである。

確かに生命現象に必須な物質的側面のパーツ（部品）の解明という意味ではかなり進歩したが、それは物質科学の矛先が生命系にも物理学帝国主義的に侵入したという意味でしかないのである。例えば、DNAは解明できても、DNAがなぜ自分で自己複製し、子孫を残してゆくのかという問題ではまったく進展はないからである。</blockquote>
●それに対して、<span style="color:#ff3300;">原始人類や（キリスト教以外の）古代人たちの時間認識・空間認識はどのようなものであったのか？</span>

楢崎皐月氏は<a href="http://www.narasaki-inst.com/soujishougakkaishi.htm">『相似象』第六号（１９７３年刊　楢崎研究所発行）</a>
「現代科学の物理法則と、カタカムナ的な相似象のサトリ」「１．物の観方、考へ方の相異点」で次のように述べている。
<blockquote><span style="font-size:130%;">●現代人の科学的な考へ方（時間・空間量、エネルギーと物質、熱力学法則等について）</span>

現代人一般は、すべての現象は、「非可逆性」のものである、と決めて居る。
そして、<span style="color:#ff3300;">全宇宙現象の始元量を、「時間量と空間量の二元」で扱ひ、いづれの元も、「一方的に拡がる性質の物理量」であると観て居る。即ち、時間の概念は、「未来から過去へ」一方的に、タテに経過する性質（未来の時間がやがて現在になり、過去になる）だけであって、「過去から未来に」反転する時間量を認めようとしない。空間量も、一方的に無限遠に拡がる「正」の性質だけであって、縮小方向に進む「反」の空間量の存在を認めようとしない。</span>
そして、時間・空間といふ二つの「元」から成り立つ基本的な「次元」量を、「エネルギー」と「物質」として扱って居る。

つまり<span style="color:#ff3300;">宇宙は、それぞれの集合に応じて、非可逆性の経過をもつ現象であり、熱力学の法則に従ふ、といふ考へ方である。</span>

熱力学の第一法則は、「エネルギーの恒存性」である。つまり、エネルギーは、光・熱・電気・運動・位置等の様々のエネルギーに変遷し得るが、エネルギーとしては恒存する（つねに存在する）という意味である。

第二法則は、「エントロピー増大」即ち、すべての現象は、秩序のあるところから、無秩序の状態に進展し、その秩序は再び戻らないといふ法則である。つまり全宇宙は、「エントロピー増大」に進み、その窮極は、熱の拡散的均一化に因って「熱的死」の状態に到達し、すべての生物も、このエントロピー増大の原理に従って死滅する、といふ観方である。</blockquote>
<blockquote><span style="font-size:130%;">●カタカムナ的サトリの考え方の基本的特徴</span>

（１）現象と潜象の無限循環の可逆性（潜象の把握）

このように、全宇宙の現象が、一回限りの経過、即ち非可逆性のものであるといふ現代科学の見解に対し、<span style="color:#ff3300;">カタカムナのサトリの基本的特徴は、「現象」は、現象背後の「潜象」と重さ成り、「無限循環」の「可逆性」のものである、といふ直観である。言ひかへれば、「現象」は旋転的に短期回路を可逆しながら、潜象として、長期的回路の循環可逆を重ねて行って居る（マワリテ　メグル）といふ観方である。</span>
そして、たとへば、地球が自転しながら公転して居る現象も、又、我々の肉体が、刻々に新陳代謝しながら生命を持続して居る現象も、更に、精神現象も、すべて、この物理（コトワリ）の相似パターンとして把握して居る。

したがってカタカムナの上古代人は、時空量を、現代科学の見解のように、一切の現象に対する、ハジマリの量（元）とは観て居ない。時空量に当たる上古代語は、＜トキ　トコロのマリ＞であり、<span style="color:#ff3300;">カタカムナ人は、時空量よりも、もっとモトに、全宇宙の諸現象の、ハジマリの元（始元量）のあることを直観して、それを＜アマ＞と称して居る。即ち、科学でとらへて居る時空量をはじめ、全宇宙の一切の諸現象は、この＜アマ＞の微球、即ち、＜トキ　トコロのマリ＞の変遷したものである、といふサトリである。</span></blockquote>
<blockquote>（２）アマ－カムの重合系潜象

＜アマ＞とは「アのマ」即ち、「アらゆるマ」とか、「アまねきマ」といふ思念である。
そして、その＜アマ＞とよぶ有限世界の宇宙球は、＜カム＞とよぶ無限世界に接続して居る「重合系の潜象」であり、したがって＜マリ＞とは、そのアマ（マ）から離れて（リ）「マトマリ」を成した「球状の潜象」であり、別言すれば、「微分されたアマ」、即ち＜イマ＞の意でもある。＜イ＞には微粒子の思念があり、「イマのマ」とは「今」の意に通じ、「今」といふものの本質も亦、潜象のアマの微粒子（マリ）である事を示して居る。

言ひ換へれば、<span style="color:#ff3300;">時空量としてあらはれる全宇宙現象は、＜アマ＞（マ）といふ目に見えぬ潜象から生成され、＜アマ＞の潜象に還元する「短期旋転の可逆」を行ひながら、その＜アマ＞は、無限界の＜カム＞から生成され、＜カム＞に回帰する「長期回路の循環可逆」と重さ成り合って居る、といふサトリである。</span>
そして、この相（スガタ）こそ、天然の「原形象」であり、宇宙の諸々の現象事象は、それの相似象であるといふ直観である。
要するに、<span style="color:#ff3300;">宇宙の諸現象は、すべて、現象背後界の＜アマ－カム＞の潜態から生成され、長期的に、その潜象に還元する、可逆の性質であるといふサトリである。</span></blockquote>
<blockquote>（３）互換重合性の物理

<span style="color:#ff3300;">現代科学が時空量の二元を、それぞれ別質の独立した物理量として、固定した観方をして居るのに対して、カタカムナの直観のサトリに於ては、時空量の本質は＜マリ＞（マの微球）であり、始元の状態に於ては、時空は重合した＜マ＞になって居り、＜マ＞（潜象）に於て互換されて、時空量は空間量に、空間量は時間量に、交番的に変化する性質がある、といふ観方である。</span>
自然の真相を、ありのままに、運動系の重合状態として把握した点に、根本的特徴がある。</blockquote>
<blockquote>（４）互換重合の相似パターン（トキ・トコロ、エネルギーと物質、物質と生命質等の互換性）

この「互換重合性」（トコタチ）の把握は、カタカムナの直観物理の、最も重要な特徴を示すものであり、アマ－カムの重合系潜象を原象（モトガタ）とする、基本パターンである。
彼らは、この互換重合のパターンに相似する例として、「エネルギーと物質の互換性」をサトリ、「恒存性」（エネルギー不滅）の物理と共に、「互換性」の物理を示して居る。
又、生物に於て、物質の代謝により、物質が生命質（生命物質）に変り、生命質は分解によって素物質に変る、といふ「物質と生命質の互換性」があると共に、個体の生命は、つねに「アマ始元量（潜象）に重合」して保たれて居る有様を直観し、その関係を、次のような物理として示して居る。

即ち、物質や生命質の基本的構造の内奥に＜アマナ＞（アマの分身）なるものが、目に見えぬ潜象の「核」として潜在し、広域のアマ世界と、刻々に、融通無碍の自由な出入り関係にあるからこそ、このような、互換重合の事実が、成り立つといふコトワリ（物理）である。

そして、物質のアマナ（潜象の核）は、物質の基礎的要素を生産し、原子を構成し、保持し、その質量を決める役割を演ずる。同様に、生命質のアマナ（潜象の核）は、生命質の諸要素を生産し、これを秩序化して、生命体の構造と機能を発展させる役割を演ずる、といふ直観である。

要するに、すべては可逆性のものであり、短期回路を旋転しながら、長期回路を循環する（マワリテ　メグル）モノである、といふ自然観をもって居たカタカムナの上古代人は、全宇宙の現象が、螺旋的可逆性（アマノウズメ）の繰返しであることを直観し、万物万象を、「流転の相（スガタ）」としてアリノママに把握して居たのであった。

例へば、<span style="color:#ff3300;">生物が、熱力学にいふところの、エントロピー増大の、即ち「プラス」のエントロピーの法則のみに従って居るとは思はれない。</span>「栄養」「生殖」「遺伝」「世代交番」といふこと等々は、熱力学のプラスエントロピーの法則では説明しきれぬ、<span style="color:#ff3300;">「マイナス」のエントロピーの現象、即ち、「新たな秩序化の方向」</span>といふべきものである。
たしかに、生物は、プラスエントロピーとは逆向きの、マイナスエントロピーの法則にも従って居る、と考へる方が妥当であらう。
といふよりも、生命体の健康な生活の為には、プラスエントロピーの増大を抑制する程度ではなく、積極的に、「マイナスエントロピー」を増大させる方法が必要であることを直観して、科学的思考では考へられぬ有効な技法を、いろいろと示して居たカタカムナの教へは、我々にとって、大いに参考になるに違ひない。</blockquote>
井口和基氏が指摘するように、熱力学第一法則も第二法則も宇宙は孤立系であることを前提として成り立っている。そして、その孤立空間の中で、時間も空間も非可逆のものとされている。つまり、時間は一方的に流れ、空間は一方的に拡がり、物質もエネルギーも時間とともに空間の中に無秩序に拡散してゆき、いずれ「熱的死」を迎えるというものだ。


しかし、カタカムナの認識では宇宙は孤立系ではない。
有限宇宙球＜アマ＞を取り巻く無限の潜象世界＜カム＞との間で常に循環している。
そして、時間量も空間量も宇宙球＜アマ＞から分かれたものであり、時間量と空間量は相互に入れ替わりながら、無限世界＜カム＞と有限宇宙球＜アマ＞の間を循環している可逆性のものである。
また、物質もエネルギーも相互に入れ替わりながら、カム－アマの間を循環している。そこでは熱力学の第２法則（無秩序化）とは逆方向の、秩序化＝統合の法則が存在している。


近代科学の誤りor限界、あるいは新しい自然認識の可能性は、このような宇宙認識（孤立系か循環系か？）、時間・空間認識（非可逆性か可逆性か？）、熱力学法則とは逆の秩序化法則の存在といった辺りにあるのではないだろうか。


いずれ本格的に、この問題は追求する。



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]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>金貸し支配の構造（下）　～共認支配されているとはどういうことか？～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nihon-syakai.net/blog/2012/05/002267.html" />
   <id>tag:www.trend-review.net,2012:/blog//1.2267</id>
   
   <published>2012-05-12T14:00:00Z</published>
   <updated>2012-05-17T17:51:55Z</updated>
   
   <summary>これまでの投稿 金貸し支配の構造(上)　～国の借金900兆とマスコミの第一権力化の背景に金貸しの存在あり～ 金貸し支配の構造（中）～中央銀行制度は金貸し支配の究極手段～ 前回扱ったように、金貸しによる支配とは　中央銀行制度とそれらを正当化する共認支配からなる。 今回はこの共認支配に焦点をあてる。...</summary>
   <author>
      <name>kichom</name>
      
   </author>
         <category term="01.どうする？マスコミ支配" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nihon-syakai.net/blog/">
      <![CDATA[これまでの投稿
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/04/002249.html">金貸し支配の構造(上)　～国の借金900兆とマスコミの第一権力化の背景に金貸しの存在あり～</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/04/002253.html">金貸し支配の構造（中）～中央銀行制度は金貸し支配の究極手段～</a>

前回扱ったように、金貸しによる支配とは　中央銀行制度とそれらを正当化する共認支配からなる。

今回はこの共認支配に焦点をあてる。

]]>
      <![CDATA[<span style="background:#C8FFFF">共認支配されているとはどういうことだろう？</span>
それは共認されていると言う事が示す通り、その共認内容に疑問を感じる事はなく、自らが支配されているという自覚など全く無いという事である。
例えば、金貸しにとって都合のよい民主主義や市場経済について、大多数の人がそれを当然のように受け入れているし、金貸しが作り出した、ただの紙切れでしかない「紙幣」の存在について疑問を抱く人はいないだろう。
自らが支配されているという自覚が全く無いどころか、積極的にそれらに収束してきた。


この<span style="color:#ff3300;">共認支配を担っている中心が、マスコミと大学(学者)を頂点とした学校教育制度</span>であるが、<span style="color:#ff3300;">とりわけ貧困が消滅した１９７０年以降、人々の「みんなどうなん？」という収束不全を背景にした共認収束によって、その役割を拡大させたのがマスコミである。
人々が共認収束したので、その共認の場を牛耳るマスコミが共認支配の中心勢力となったのだ。</span>
※詳しくは　<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/04/002249.html">金貸し支配の構造(上)</a> 


しかし今やテレビの視聴率がさがり、新聞購読数が減るなどマスコミ不信が増えたと言われるが、<span style="background:#C8FFFF">そんなマスコミ不信の人であっても、気づかないうちに、マスコミに共認支配されている。なぜこのようなことになってしまうのか？</span>
このマスコミの共認支配の仕組みを考えてみる。


<span style="color:#ff3300;"><span style="color:#ff3300;"><span style="font-size:170%;">■マスコミによる共認支配</span></span></span>

<span style="color:#009933;"><span style="font-size:130%;">①金貸しにとって重要な前提について危機をあおり正当化する。</span></span>
９０年バブル崩壊、０８年のリーマンショックなどのように、金貸しにとって重要な「市場」や「経済」に焦点を当てて危機を煽る。
マスコミが発信する内容は一見、単に市場の危機としての、状況認識にすぎないものであっても、市場崩壊の危機を強調し繰り返し叫ぶほど、それは市場経済が絶対必要である事の裏返しとして認識され、なくてはならない絶対のものとして正当化される。


<span style="color:#009933;"><span style="font-size:130%;">②問題の焦点をずらし、すりかえる。</span></span>
例えば地球温暖化という環境問題を取り上げ、その原因がＣＯ２であるとしてそこに焦点をあてて問題視する。その結果、ＣＯ２を削減する商品（ハイブリッドカーなどのエコ商品）が売れ、ＣＯ２排出権市場が創設されるなど、新たに環境市場が生まれる。ここでは結局市場そのものの問題については全くふれられていない。
根本の問題である大量生産大量消費される自由な市場の是非については、完全に捨象されて、地球温暖化＝ＣＯ２が問題だとすりかえられている。そしてその認識が広まるほど、環境市場が拡大していく。その結果、市場とその背後の金貸し勢力がますますはびこっていく。


以上から<span style="color:#ff3300;"><span style="color:#ff3300;">マスコミは、問題や危機の「焦点」をつくり出しているのだという事実が見えてくる。</span></span>そして何を問題や危機とみなし、どこに「焦点」を当てるかは、マスコミ（その背後の金貸し）によって決定される。本当は重要なことであっても、マスコミがそこに「焦点」をあてず、取り上げなければ、それは無かった事になる。これら<span style="color:#ff3300;">マスコミが当てた焦点にもとづいて思考した段階で、無自覚に共認支配されてしまうのだ。</span>（逆に言えば、今の時代は「焦点」をつくり出したものが勝つということ）








<span style="color:#ff3300;"><span style="color:#ff3300;"><span style="font-size:170%;">■マスコミと学者と学校教育制度</span></span></span>

マスコミは、金貸しにとって重要な、本来あるべき何かを前提に、それが問題であると危機を叫ぶが、その「本来あるべき姿（観念や制度）」を植えつけるのが、大学を頂点とした学校教育制度である。例えば金貸しにとって重要な民主主義（貸し倒れの可能性がある国王にかわって、そのリスクがない国民主権の民主主義議会に金を貸す）は学校教育の要である。

この学校で植えつけられた前提があるからこそ、マスコミが叫ぶ危機が危機としてより、深く認識される。<span style="background:#C8FFFF">だからマスコミが民主主義の危機を叫べば、人々は民主主義を疑うのではなく、本来の民主主義は？を模索することなる。実はそれこそが金貸しの狙いなのだ。</span>

さらに、マスコミが危機を叫ぶ時、焦点の中身は、ＣＯ２地球温暖化説に象徴されるように学者がつくり出している。民主主義もしかり。

このように、<span style="color:#ff3300;">マスコミと学者と学校教育制度が互いに補完しあいながら、共認支配が推し進められている。</span>


<span style="color:#ff3300;"><span style="font-size:170%;">■学校教育制度による思考停止人間の大量生産</span></span>

共認支配の観点からみた、学校教育制度の目的は、金貸しにとって都合の良い観念を植えつける事だけではない。もう一つの目的は、<span style="color:#ff3300;">与えられた命題にしか答えることが出来ない、思考停止人間を大量に生み出す事</span>であり、その代表が試験エリートである。
試験エリートの能力とは、あらかじめ答えが容易されている試験問題をひたすら解く事に特化した能力でしかなく、すでにある前提や枠組みを疑い、そこを遡って一から思考することなど出来ようもない。<span style="color:#ff3300;">当然自ら頭を使って、市場や金貸し支配の前提など疑う余地は微塵もない。</span>

そしてこの<span style="color:#ff3300;">試験エリートの頂点に東大があり、その上位が官僚となって、日本を法制支配</span>しているのだ。




<span style="color:#ff3300;"><strong>★マスコミ不信の人であっても、マスコミが焦点をあてる問題、危機、すりかえられた焦点を元に思考する限り、気づかぬうちに、金貸しによる共認支配の罠にはまる。
★学校教育によって、刷り込まれた観念や制度を前提としてマスコミが危機を煽る。
★どこに焦点をあてるかといった観念や制度は学者が生み出している。
★学校教育によって、金貸し支配を疑う余地のない思考停止人間が大量に生み出されている。
★その代表である試験エリートが官僚となって、人々を法制支配している。</strong></span>]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>共同体社会の実現に向けて　―２７　～実現論序７．企業を共同体化し、統合機関を交代担当制にする（その４）～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nihon-syakai.net/blog/2012/05/002265.html" />
   <id>tag:www.trend-review.net,2012:/blog//1.2265</id>
   
   <published>2012-05-11T04:07:03Z</published>
   <updated>2012-05-11T04:12:26Z</updated>
   
   <summary>みなさん、こんにちは。GWボケがようやく収まりつつある今日この頃、いかがお過ごしでしょうか？ 前回は、共同体を実現するにあたり、現在の教育に対する抜本的な解決方法となる『農(漁)村共同体の建設』を追究しました。 今回は、もうひとつの重要な軸となる『婚姻制度』を扱います。 今後の共同体における『婚姻制度』はどういうものになるんでしょうか？ 楽しみですね。 それでは、いつもの応援よろしくおねがいします！ ...</summary>
   <author>
      <name>ohmori</name>
      
   </author>
         <category term="12.現代意識潮流" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nihon-syakai.net/blog/">
      <![CDATA[みなさん、こんにちは。GWボケがようやく収まりつつある今日この頃、いかがお過ごしでしょうか？

前回は、共同体を実現するにあたり、現在の教育に対する抜本的な解決方法となる『農(漁)村共同体の建設』を追究しました。

今回は、もうひとつの重要な軸となる『婚姻制度』を扱います。
今後の共同体における『婚姻制度』はどういうものになるんでしょうか？
楽しみですね。

それでは、いつもの応援よろしくおねがいします！
<center><img alt="20100109-107.jpg" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/20100109-107.jpg" width="315" height="230" /></center>
]]>
      <![CDATA[<a HREF="http://blog.with2.net/" target="_blank"><img src="http://image.with2.net/img/banner/banner_14.gif" border="0" alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"></a><a href="http://politics.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://politics.blogmura.com/img/politics80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 政治ブログへ"></a>


ありがとうございます。
引き続き、<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=0&t=7">序７．企業を共同体化し、統合機関を交代担当制にする</a>から引用してゆきます。


<blockquote>

<span style="color:#009933;"><strong>『婚姻制度の転換に備えて』
しかし、家族問題の根は深い。
少子化も深刻だが、それ以前に、結婚しない若者が急増中である。
どうやら、私権圧力を背景にして形成された現在の婚姻制度も、私権の衰弱によって機能不全に陥りつつあるようだが、考えてみれば、私権原理が崩壊した以上、古い婚姻制度が崩壊してゆくのは必然である。
それに、企業を共同体に変えても、家族は私権制のままでは、うまくいかない。
従って、共認原理に則った、新しい婚姻制度が必要になる。
もちろん、婚姻制度の転換は、何十年orそれ以上の長い時間を要する課題である。
しかし、女が安心して出産し子育てが出来るようになるためには、共同体を母体とする婚姻制度の方が適していることだけは間違いないだろう。</strong></span>

</blockquote>

新しい婚姻制度を考える。かなり難しそうですが、過去にヒントがあるかも知れません。
人類婚姻史を俯瞰してみましょう。

<center><img alt="%E5%A9%9A%E5%A7%BB%E5%8F%B2%E5%9B%B3%E8%A7%A3.jpg" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/%E5%A9%9A%E5%A7%BB%E5%8F%B2%E5%9B%B3%E8%A7%A3.jpg" width="480" height="339" /></center>

図解は<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2011/12/001047.html">ここ</a>からお借りしました。
（<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/img2011/koninron.html">クリックで拡大します</a>）

様々な婚姻様式があったんですね :shock: 
図解の上半分が、自然外圧が厳しく、遊牧から略奪へ移行していった部族の婚姻様式、
下半分が自然外圧が比較的緩く、採取生産から農業生産へ移行した部族の婚姻様式になります。
私たちが当たり前のように思っている一対婚は約5500年前からの私権時代の、さらに終盤になってから登場します。
そして、日本での一対婚の歴史はもっと浅いようです。

<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2011/09/001034.html">新シリーズ【日本の婚姻史に学ぶ、共同体のカタチ】～プロローグ～</a>
からの引用になります。

<blockquote>

<a href="http://bbs.jinruisi.net/blog/2011/09/001034.html">今では殆どの人が一対婚（一夫一婦）制度の中で生まれ育ち、それが当たり前のようになりましたが、一対婚制度の歴史は実はとても浅いことを皆さんご存知でしょうか。
日本の婚姻史を紐解くと、村落共同体での兄妹婚や夜這い婚、貴族・武士階級の婿取り婚など、縄文から江戸時代までの婚姻様式には、現在の一対婚とは違う性・婚姻の姿がありました。
明治以降、西洋からの近代思想により一夫一婦の考えが取り入れられ、戦後の日本国憲法によって現在の一対婚制度は法制化されましたが、庶民の間では1960年代まで夜這いの風習が残っていた地方もあります。つまり、１万6500年前の縄文時代からの日本の歴史でみると、実はほんの50年（0.3％）程度しかないことがわかります。</a>

</blockquote>



続いて、一対婚が一般的になる以前の本源集団の様子、とりわけ子育ての様子を見てゆきましょう。

<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=24993">るいネット：共同体では、子供はみんなで育てる。</a>　より引用します。

<blockquote>

<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=24993">仕事を終えて家に帰ってきた母親は、まず泣いている赤んぼに乳を飲ませる。それは誰の子でも差し支えない。その赤んぼ満腹して泣きやみ、まだ乳が出る場合には自分の子に飲ませる。だが、前の子に充分飲ませるために、自分の子が飲み足りないことがある。すると次にやってきた母親に自分の子供を渡して、乳を飲ませてくれと頼み、また働きに出かけていく、といったふうであった。

この話は真の共同生活を確保するためには、女たちの育児の共同性にまで及ばないとならぬことを示唆している。子供が生まれた場合、母と子の強固な紐帯が生まれて、他者との連帯を脅かすようになる。白川郷の場合、それがたくみに抑止されている。</a>

</blockquote>


『共認原理に則った新しい婚姻制度』を考えてゆくときに、本源集団が残っていた時代の婚姻様式、およびその子育ての方法にヒントがあるようですね。


<blockquote>
<span style="color:#009933;"><strong>その場合、子どもの教育が農(漁)村で行われる点から考えて、共同体企業を母体とするよりも農(漁)村共同体を母体とする方が適している。
従って、最終的には、婚姻をも包摂した農(漁)村共同体の建設が必要になる。
おそらく、将来の共認社会では、農(漁)村共同体こそが拠点となり、人々は、そこから統合機関や民間企業に交代で出向する形の社会となるだろう。

農(漁)村共同体を建設するためには、農(漁)村への人口移動が必要になる。
はじめの5年間は、統合機関の交代担当制によって生じる学者や官僚や公務員(教師を含む)やマスコミの社員、あるいは仕事が半減する金融機関の社員たちを再教育して、農(漁)村共同体の建設にあたってもらう(もちろん農作業をしながら)のが良いだろう。</strong></span>
</blockquote>


共認原理に則った新しい婚姻様式の母体は、なぜ農（漁）村共同体が相応しいのでしょうか？
少し考えてみましょう。

冒頭に以下の様な一文がありました。

『女が安心して出産し子育てが出来るようになるためには、共同体を母体とする婚姻制度の方が適していることだけは間違いないだろう。』

これは、反面教師として、現状の密室の核家族、その子育て環境をイメージすれば、すぐに理解いただけると思います。母親たちは相談もままならない不安の中で、孤立した子育てを強いられているのが現実です。

対して農（漁）村共同体では、生産課題も生殖課題も、あらゆる課題は村のみなが適応していくための、みんなの課題として共有され、子育て不安は即座に周りのみなが解消してくれます。みなに見守られ、協力を得ながら安心して産み、育てられるのです。

生殖課題は人類集団の基盤を成す、最大課題です。
子育てが、農（漁）村共同体という集団形態が相応しいのなら、その前段階にあたる男女の性関係を規定する婚姻様式もまた、農（漁）村共同体が新しいかたちを作っていく母体になるのは必然でしょう。

<blockquote>

<span style="color:#009933;"><strong>最終的には、民間企業の半数を農(漁)村の近くの適地に移し、全ての国民が農(漁)村共同体を拠点として農共３年・企業3年ぐらいで交代担当する体制を目指すことになる。</strong></span>

</blockquote>

今回の内容を図解にまとめてみました。
<center><img alt="2%E5%8F%B3%E5%B7%A6%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E5%9B%B3%E8%A7%A320120511.jpg" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/2%E5%8F%B3%E5%B7%A6%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E5%9B%B3%E8%A7%A320120511.jpg" width="551" height="199" /></center>

婚姻をも包摂した農（漁）村共同体を建設し、女たちの安心基盤のもとで自然外圧に触れさせながら子育てを行ってゆく。
どうでしょう？
次代を担ってゆく有望な子供たちが、すくすく育っていくイメージが湧いてきますね :love: 

次回はいよいよ最終章です。
デフォルトが起こる前に我々がなすべき課題を、あらためて整理します。

それまで、くれぐれも突然の雷雨や雹、竜巻など『不自然な自然災害』には気をつけて。　
さようなら。


]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>共同体企業ネットワーク理論勉強会テキスト（１１） 学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口～否定の論理から実現の論理への転換～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nihon-syakai.net/blog/2012/05/002264.html" />
   <id>tag:www.trend-review.net,2012:/blog//1.2264</id>
   
   <published>2012-05-09T10:52:31Z</published>
   <updated>2012-05-10T01:07:05Z</updated>
   
   <summary> 　 皆さんこんにちは、このシリーズもいよいよ１１回目を迎えました。 初めて本ブログを読まれた方のために、この理論勉強会の趣旨、テキストは何のためにあるのかを今一度整理したいと思います。 　 今世の中が全的に行き詰まりに瀕しているのは誰もが感じていることですが、社会の統合機関たる政府や学者からは何の打開策も出てきません。 今我々に求められる（我々が求めている）のは、自分たちで何とかする（＝答えを出す）能力であり、それはこの世の中で実現していく（勝ち残っていく）ために必要不可欠なものです。このテキストはそんな人たちの思い（答え欠乏）に応えるためにあります。理論勉強会はこのテキストを読み解き、いかなる状況に置かれても答えを出せる思考法“概念装置”を体得することが目的です。 　 ★過去のテキストはコチラです★ テキスト１：これから生き残る企業に求められる能力は？ テキスト２：私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた テキスト３：市場の縮小と根源回帰の大潮流 テキスト４：共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流 テキスト５：自我と遊びを終息させた’０２年の収束不全 テキスト６：同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた テキスト７：情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口 テキスト８：大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機 テキスト９：新理論が登場してこない理由１　近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった テキスト10：新理論が登場してこない理由２　専門家は根本追求に向かえない 　...</summary>
   <author>
      <name>yankaz</name>
      
   </author>
         <category term="13.認識論・科学論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nihon-syakai.net/blog/">
      <![CDATA[<img alt="gennpathu.jpg" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/gennpathu.jpg" width="476" height="357" />
　
皆さんこんにちは、このシリーズもいよいよ１１回目を迎えました。
初めて本ブログを読まれた方のために、この理論勉強会の趣旨、テキストは何のためにあるのかを今一度整理したいと思います。
　
今世の中が全的に行き詰まりに瀕しているのは誰もが感じていることですが、社会の統合機関たる政府や学者からは何の打開策も出てきません。
今我々に求められる（我々が求めている）のは、<u><strong>自分たちで何とかする（＝答えを出す）</strong></u>能力であり、それはこの世の中で<u><strong>実現していく（勝ち残っていく）</strong></u>ために必要不可欠なものです。このテキストはそんな人たちの思い<span style="color:#ff3300;">（答え欠乏）に応える</span>ためにあります。理論勉強会はこのテキストを読み解き、<span style="color:#ff3300;">いかなる状況に置かれても答えを出せる思考法“概念装置”を体得することが目的</span>です。
　
<span style="color:#6666ff;">★</span>過去のテキストはコチラです<span style="color:#6666ff;">★</span>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/02/002217.html">テキスト１：これから生き残る企業に求められる能力は？</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/02/002222.html">テキスト２：私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/03/002225.html">テキスト３：市場の縮小と根源回帰の大潮流</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/03/002234.html">テキスト４：共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/03/002239.html">テキスト５：自我と遊びを終息させた’０２年の収束不全</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/04/002243.html">テキスト６：同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/04/002246.html">テキスト７：情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/04/002260.html">テキスト８：大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/04/002254.html">テキスト９：新理論が登場してこない理由１　近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/05/002262.html#more">テキスト10：新理論が登場してこない理由２　専門家は根本追求に向かえない</a>

　]]>
      <![CDATA[<blockquote>いまや、観念思考をする者は、近代観念をメシの種にしている専門家か、「自分」観念に毒された観念派しかおらず、全員が根本追求を忌避している。それが、新理論が登場してこない理由である。
またその結果、観念世界には役に立たない旧観念しか存在しない。それが、大衆をしてここまで徹底して理論を毛嫌いさせる理由である。
ところが、<u><strong>近代観念は、それが「絶対正しい」という形で刷り込まれている</strong></u>ので、それに反する認識を受け付けない。かくして、潜在思念は動いているのに、観念はまるで止まった時計の針のように動かず、同じ方向を指し示したまま、大衆の意識を支配し続けている。今、大衆の頭は、役に立たない近代観念に支配されながら新理論は忌避するという、救い様のない無限地獄に封じ込められている。
</BR>　
これら全ては、<u><strong>学校教育とマスコミによる徹底した観念支配の結果</strong></u>である。その観念支配の先鋒が、金貸しの下僕たる学者とマスコミであるが、市場を支配する金貸し勢は、現在も学者とマスコミに対して決して根本追求には向かわせないように、様々な圧力を加え続けており、金貸しに発するこの圧力こそが、観念世界全般に根本追求を忌避する空気が蔓延した直接原因である。</blockquote>　
人類はかつて無いパラダイム転換（私権の終焉⇒共認収束）を迎えており、それに際し新理論が求められています。しかし<u><strong>大衆は理論を忌避し、観念の専門家である学者や評論家は新理論の構築に向かおうとしない</strong></u>。これらすべての原因は<span style="color:#6666ff;"><u>近代観念</u></span>にあることは前2回で深く掘り下げてきました。
　</BR>
参考投稿→【<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=263085">教科書の危険な筋道</a>】
　</BR>
<blockquote>その意味では、<strong><u>出版物であれ、ネットであれ、決して<span style="background:#C8FFFF">新理論の構築に向かおうとしない全ての発信者</span>は</u></strong>、金貸しの手先ではないにしても、その罠に嵌ったピエロでしかない。このるいネットのお勧めサイトに掲示されているサイト群も、その大部分が、<u><strong>政府や金貸しに対する<span style="background:#C8FFFF">批判と要求を繰り返しているだけ</span></strong></u>で、決して新理論の構築に向かおうとはしていない。
</BR>　
だが、考えても見よ。その<span style="color:#6666ff;">批判と要求しか出来ない思考回路</span>は、<u>金貸しが作った<span style="background:#C8FFFF">近代観念の思考回路と全く同じ</span></u>ではないか。批判するだけならマスコミと変わらない。何より、批判するだけでは世の中は変わらない。事実、批判するだけで社会が変わった試しはない。それでも、批判と要求を繰り返し、金貸しに踊らされるだけの道化を演じ続けるつもりなのか？変革者なら、<strong><span style="background:#FFDBA4">もっと根底から切開し</span></strong>、<strong><span style="background:#FFDBA4">もっと根本から創造せよ</span></strong>。
</BR>　
社会を変えるには、まずこの<span style="color:#ff3300;">現実世界を動かしている力の構造を掴む必要がある</span>。そこまでなら、すでに数多くの「構造論」らしき認識が存在するが、問題は、その先である。次に、その力の構造をさらに根底から覆してゆく実現基盤を発掘しなければならない。それは、まだ誰も出来ないでいるが、決して不可能なことではない。
そのためには、<strong><u>人類史を(必要なら生物史にまで)遡って、<span style="background:#FFDBA4">歴史的に塗り重ねられてきた意識の構造と社会の構造を、実現基盤に到達するまで徹底して解明し切る</span>必要がある</u></strong>。それが出来て初めて、否定の論理を乗り越えることが出来る。そして、このような実現の論理を導きの糸として、はじめて新しい共認社会を実現してゆくことが可能になる。また、その構造認識は、<span style="background:#FFDBA4"><strong>普通の人が自分で答えを出してゆくためのOS＝概念装置ともなる</strong></span>。</blockquote>　
近代観念によって武装した特権階級に何も期待できないのは今や誰の目にも明らかですが、そのことをネットや出版物で批判し要求を繰り返す行為は、その対象である特権階級の思考回路（近代観念の思考回路）となんら変わりがないのです。近代観念のまま思考していては社会の変革はおろか、一組織としても勝ち残ってはいけないでしょう。
　</BR>
参考投稿→【<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=237673">旧観念では、要求かあるいは批判しか出てこない！</a>】
　</BR>
そんな<u><strong>否定の論理を突破し、共認社会を実現していくには、人類の摂理である「意識の構造」と「社会の構造」を徹底して解明しきる必要があります</strong></u>。そうすることで得られた認識こそが答えを導き出す<span style="color:#ff3300;">OS=概念装置</span>となるのです。
　</BR>
参考投稿→【<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=256776">実現基盤を発掘する方法に同化</a>】【<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=125001">答えを出すために</a>】
　</BR>
すでにこのテキストで学び始めた方々から、るいネットへと多くの気付きが投稿されています :m034:
　</BR>
【<a href="http://www.kyoudoutai.net/blog/2012/05/001289.html">大起エンゼルヘルプ　第1回エンゼルカレッジ開催後報告♪</a> 】
<img alt="%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8%EF%BC%91%E3%80%80%E8%AD%B0%E8%AB%96.JPG" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8%EF%BC%91%E3%80%80%E8%AD%B0%E8%AB%96.JPG" width="500" height="280" />
</BR>　　
普通の人が概念装置を学んだことで深く現実を捉え、それに対し確かな答えを紡いでいく。皆さんもその発信をその目で確かめてみてください :m027: 
</BR>　
次回はいよいよこのシリーズのラスト！“理論収束の実現基盤と突破口（必要なのは実現構造を読み解く史的実現論）”をお送り致します :m258: 
]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>江戸時代の思想13　日本で私有権が制度化されてから、わずか１５０年しか経っていない</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nihon-syakai.net/blog/2012/05/002258.html" />
   <id>tag:www.trend-review.net,2012:/blog//1.2258</id>
   
   <published>2012-05-06T11:25:38Z</published>
   <updated>2012-05-17T17:53:08Z</updated>
   
   <summary> 西欧の中世と日本の鎌倉～江戸時代は、同じ「封建時代」という言葉で括られていますが、その実態は全く違うものだったようです。 国王から領土を貸し与えられた西欧の封建貴族が、貸し与えられた領地の所有権及び支配権を国王から奪っていきましたが、江戸時代の大名は領地の管理者にすぎませんでした。 『私権要求の塊であった西欧の封建貴族と、領地管理者にすぎなかった江戸時代の大名』 それどころか、江戸時代には農地の私有権など存在していなかったのです。 応援いつもありがとうございます！...</summary>
   <author>
      <name>よっし～</name>
      
   </author>
         <category term="04.日本の政治構造" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nihon-syakai.net/blog/">
      <![CDATA[<img alt="%E9%A9%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%99%BD%E4%BA%BA%E3%81%A8.jpg" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/%E9%A9%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%99%BD%E4%BA%BA%E3%81%A8.jpg" width="99" height="144" />

<blockquote>
西欧の中世と日本の鎌倉～江戸時代は、同じ「封建時代」という言葉で括られていますが、その実態は全く違うものだったようです。

国王から領土を貸し与えられた西欧の封建貴族が、貸し与えられた領地の所有権及び支配権を国王から奪っていきましたが、<span style="color:#CC6600;">江戸時代の大名は領地の管理者にすぎませんでした。</span>
<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=263066">『私権要求の塊であった西欧の封建貴族と、領地管理者にすぎなかった江戸時代の大名』</a>
</blockquote>
それどころか、江戸時代には農地の私有権など存在していなかったのです。


応援いつもありがとうございます！]]>
      <![CDATA[江戸時代の農民の姿を<a href="http://www.bk1.jp/product/02586638">『驕れる白人と闘うための日本近代史』（松原久子著　文芸春秋刊）</a>から引用していきます。


<span style="font-size:130%;"><strong>■「農民の一揆」と「江戸時代の反乱」の違い</strong></span>

<blockquote>
しかし厳密にいえば、封建主義なるものはヨーロッパで中世の初期と後期に生じたある特定の社会形態であって、価値観を伴わない言葉である。
当時、国王やその他の上級君主が封臣たちに広大な領地、都市や村を「封土」として与えた。封臣たちは、その土地とそこに住んでいる人間とを借り受け、領主の名の下にその土地を管理した。

ヨーロッパの封建主義はしかし退廃していった。
それは、封土やそこに住む人々が封臣貴族の世襲財産になってしまうことを防ぐ措置が、その制度に中に取り入れられていなかったからである。
領地を管理する権利は、やがて領地の所有権及び支配権の要求へと発展し、ついには、王ではなく、封臣貴族による支配こそ神の御意志であると解釈するまでに至った。それによって、権力の濫用を食い止めるいかなる規定も崩壊してしまった。

<span style="color:#CC6600;">日本では事情は全く異なっていた。
大名にとって君主は幕府の将軍であった。大名は二百六十余人いた。
彼らは領地に配属された管理者であって、決してその土地やそこに住む人間の所有者ではなかった。彼らは領地を侵すことは許されなかった。売却することも担保にすることもできなかった。

幕府は、大名たちをいつでも任地から呼び戻したり、配置換えしたりする権利を持っていた。実際、鎖国時代の最初の十数年には、それはしばしば行なわれた。また大名が死亡し、その息子が後継者となる時は、将軍の同意を得なければならなかった。新しい将軍が政権についた時も、全ての大名は新将軍の承認を得なければならなかった。

どの大名領地にも城下町があった。大名は居城に住み、それを管理、維持する義務があった。幕府の許可なく城を改築することは許されなかった。大名はその領地のサムライの最高雇用主であり、大名には裁判権の行使の義務があった。しかし領地内で起きた事件であっても、全国的な重要性を持つものであれば、直ちに幕府に報告しなければならなかった。大名は他の大名と、民事的な争いであれ、経済の問題であれ、直接に交渉しではならなかった。そのような場合には、将軍に報告し、将軍の判断を仰がなければならなかったのである。

大名を厳密な監視下に置いておくために、将軍は全ての大名に一定の期間、江戸に居住する義務を課した。具体的には、参勤交代といって、一年おきに一年間江戸に住まなければならない制度である。そのため大名は全て江戸に自分の屋敷を持ち、維持しなければならなかった。この屋敷の大きさ、そこに駐在するサムライの人数など、全て指示されていた。</span>

<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=263066">『私権要求の塊であった西欧の封建貴族と、領地管理者にすぎなかった江戸時代の大名』</a>
</blockquote>

<blockquote>
<span style="color:#CC6600;">事実、「農民一揆」と言われている出来事の大半は、天候不順の為に収穫量が落ち込んだので、農民たちが配慮を願い出るといったような正当な申し出をしたとか、町へ静かに出かけて行って、自分たちの事情を説明してから、また静かに立ち去っただけに過ぎない事が証明されている。</span>
<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=262727">『陳情にすぎない江戸時代の百姓一揆と、血塗られた欧州の農民反乱』</a>
</blockquote>

<blockquote>
反抗が無かったということは、ヨーロッパの庶民族と違って日本人が卑屈な意志の弱い民族だという事を示す証だと言われてしまう。<span style="color:#CC6600;">そこで日本の多くの歴史家は、古い史料の中に農民たちの不満が読み取れる些細な出来事を探しだして、そこにせめて革命の花火だけでも見つけ出そうと懸命になっているのではないだろうか。</span>

<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=262727">『陳情にすぎない江戸時代の百姓一揆と、血塗られた欧州の農民反乱』</a>
</blockquote>

<blockquote>
<span style="color:#CC6600;">しかし、本当の所は日本では同時代のヨーロッパ諸国と比べて、公正と自冶が高度に機能していた。</span>農民たちは現存の統治システムに対して反抗しなければならないという感情に駆られることが少なかったのである。大名の改易や幕府の解体を求め、市民による統治を叫ぶ革命的な試みは、その萌芽さえなかった。そしてその理由は、欧米で良き鵜耳にするような、日本人が卑屈な民族だったからではなく、また当時自由を求める努力や試みが情け容赦なく弾圧されたからでもなかったのである。

<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=262727">『陳情にすぎない江戸時代の百姓一揆と、血塗られた欧州の農民反乱』</a>
</blockquote>

<blockquote>
だからルターは、「強盗のような殺人者のような農民の群れに抵抗する」と言ったビラを発行した。その中で彼は、支配者の不正に対して蜂起し、暴動を引き起こす者たちを断罪し、迫害した。「彼らを閉め出し、絞殺し、そして刺殺さなければならない、密かに、あるいは公然と」と書き、それに次のように付記している。「扇動的な人間ほど、有毒で、有害で、悪魔的な者はいない」。

<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=262727">『陳情にすぎない江戸時代の百姓一揆と、血塗られた欧州の農民反乱』</a>
</blockquote>

<blockquote>
一方、ルターと同じ宗教改革者で、農民の側に立ち農民と一緒に命を落としたトーマス・ミュンツアーはこう書いている。
<span style="color:#CC6600;">「休まずにどんどんやれ、続けろ、火が燃えているのではないか。刀を血で濡らせ。そこにいるあいつらがお前たちを支配している限り、誰もお前たちに神について語ることはできない。なぜならそこにいる奴らがお前たちを支配しているからだ。休まず続けるのだ、がんばれ、時が来た、神が先に行く、神に続け」</span>

<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=262727">『陳情にすぎない江戸時代の百姓一揆と、血塗られた欧州の農民反乱』</a>
</blockquote>

<blockquote>
<span style="color:#CC6600;">ルター時代の農民たちの血なまぐさい暴動は、残酷なやり方で無慈悲に打倒された。</span>蜂起した農民のうちおよそ十数万人が殺された。彼らに大半は、稚拙に組織された一揆が崩壊したのちに、領主による裁きによって殺されたのだった。

<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=262727">『陳情にすぎない江戸時代の百姓一揆と、血塗られた欧州の農民反乱』</a>
</blockquote>

このように、江戸時代の百姓一揆のほとんどは陳情にすぎず、血塗られた欧州の農民反乱とは大きく異なるが、注目すべき点がもう一つある。


<span style="font-size:130%;"><span style="color:#ff3300;">日本では明治維新の後、地租改正や学校制度が導入された時に、それに反対する一揆が起こっていることである。
それは、地租改正という農地の私有制度や学校制度が共同体を破壊するものだったからである。</span></span>


<img alt="%E5%9C%B0%E7%A7%9F%E6%94%B9%E6%AD%A3%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E4%B8%80%E6%8F%86%EF%BC%88%EF%BC%89.jpg" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/%E5%9C%B0%E7%A7%9F%E6%94%B9%E6%AD%A3%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E4%B8%80%E6%8F%86%EF%BC%88%EF%BC%89.jpg" width="511" height="400" />
<span style="font-size:130%;">「地租改正反対一揆（伊勢　１８７６年）」</span>
画像は<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%A7%9F%E6%94%B9%E6%AD%A3%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E4%B8%80%E6%8F%86">こちら</a>からお借りしました。


<span style="font-size:130%;"><strong>■江戸時代には私有権など存在していなかった！</strong></span>

<blockquote>
<span style="color:#CC6600;">鎖国時代の日本では、農地を所有していたのはだれか？</span>
何時でも欲しい人に売却できる権利と定義するならば、実は誰も私有していなかったことになる。つまり、農地は売却できないものと理解されていた。農地は売却できないほど高いものであったからである。農地は全国民の食料の基盤であったから、全国民の生存は、農地の永続的かつ最大限に利用することにかかっていた。

幕府は農地の私有者が変わると食料の供給不安をもたらす事を懸念していた。そこで幕府は、農地の所有が営利的な関心の対象にならないように、あらゆる手立てを考えていたのである。但し、これは、<span style="color:#CC6600;">農業と林業の為の土地についてのみ幕府の基本政策だった。</span>
<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=262853">『江戸時代には、農地の私有権は存在していなかった』</a>
</blockquote>

<blockquote>
真の大地主は幕府で将軍一族で日本の全農地に１／４以上所有していた。これが幕府の権力の基盤となっていた。
結局、国家（幕府）だけが大地主であったのである。 

<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=262853">『江戸時代には、農地の私有権は存在していなかった』</a>
</blockquote>

<blockquote>
明治政府が行った多くの改革のひとつが、1872年の<span style="color:#CC6600;">農地改革(地租改正)</span>だった。「土地の所有」を貸権と使用権のことだとする従来の日本人の考え方はヨーロッパの尺度に従えば原始的であるとみなされた。そして新しく個人的な土地所有権の概念が取り入れたてたのである。

このことは農民たちにとって、農地の共同所有や賃貸契約の申し合わせといった長年培われてきたシステムが、たちまちにして崩壊してしまうことを意味した。

<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=262839">『日本では農地私有は地租改正によってはじめて確立した（その１☆）』</a></blockquote>

<blockquote>
農民たちが今まで共同の財産と思っていたものが、また村の自治のもとに共同で育て、使ってきたもの全てが、今や1枚の紙によって不安になるほどに完璧なやり方で、ある特定の人、特定の家族、あるいは有限会社、合資会社、株式会社といった法人に委ねられてしまった。

農地改革に伴い、国家の所有となった森林の管理のために、森林局が設置された。森林を育成する村の役割は村人から官僚へ移行した。道路や橋を造る役割は村に代わって県当局と政府がその義務を負うことになった。

農民たちは各自公正証書を受け取った。そこには、各自がそれぞれ何世代にもわたって耕作してきた田畑の所有権を獲得し、所有権は未来永却に文書によって保証されていると書いてあった。<span style="color:#CC6600;">第一の根本的な改革は、農民たちが今や真の意味で「所有した」土地を自分の自由裁量で売却できるようにあったことであった。</span>そして<span style="color:#CC6600;">第二の根本的な改革は、農地が自分のものになったという喜びとともに、地租の支払いもついてきたということであった。</span>
<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=262865">『日本では農地私有は地租改正によってはじめて確立した（その２☆）』</a>
</blockquote>

<blockquote>
むしろ農地の個人所有というヨーロッパの概念の導入は、農業日本は、たちまちにして投機の渦の中に巻き込まれてしまったのである。

彼らは、急速に発展する都市で、もっと良い暮らしをしたいと望むようになった。金を持った都会の商人の多くは、チャンスとばかりに、あっという間に農地を手にし、大地主になった。時の流れについていけない小心な農民たちは簡単に騙されてしまい、甘い話に惑わされて土地を二束三文で手放してしまったのである。

<span style="color:#CC6600;">投資家たちは短期間の内に稲田を次々と手に入れた。彼らはまた漁業権を買い、湾の使用権を買った。彼らは日本の農業機構を完全に変えてしまった。鎖国時代の日本には全く存在しなかったものが出現した。大地主である。</span>
<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=262865">『日本では農地私有は地租改正によってはじめて確立した（その２☆）』</a>
</blockquote>

<blockquote>
農民たちが自分たちの村で確保していた自治、窮乏の時に仲間であることを実感させたあのかつての自主独立は、大きく損なわれて、あるいは消え失せてしまった。長い間、村を支えてきた相互援助のシステムも大幅に壊れてしまった。以前の人々の心根は、新しいヨーロッパの精神に取ってかわられた。<span style="color:#CC6600;">階級意識</span>である。

<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=262865">『日本では農地私有は地租改正によってはじめて確立した（その２☆）』</a>
</blockquote>
<img alt="%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E8%AD%B0~1.BMP" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E8%AD%B0~1.BMP" width="425" height="216" />
<span style="font-size:130%;">「帝国議会衆議院之図」</span>
画像は<a href="http://www.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko10/b10_8354/index.html">こちら</a>からお借りしました。


<span style="font-size:130%;"><strong>■結論</strong></span>

<blockquote>
<strong>民主主義と私有権要求は不可分一体であり、かつ、大衆民主主義と大衆の私有権は金融勢力をはじめとする支配者の都合によって大衆に分け与えらたものである。
従って、支配者の都合によって、例えば支配者が追い詰められれば、民主主義は簡単にファシズムに転化し、大衆の私有権は簡単に剥奪されるのである。</strong>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2011/12/002177.html">『民主主義と私有権は不可分一体であるが、大衆のそれは支配者の都合によっていつでも剥奪され得る』</a>
</blockquote>で明らかにしたように、民主主義と私有権要求は不可分一体である。
実際、日本の明治政府も、まず地租改正等によって私権制度を法制化した上で、議会制度等の民主主義制度を導入したのである。


そして、
<blockquote>私有権がいったん共認されると、社会の全ての土地と物財は私有の対象となり、人々は私有権を獲得しなければ生きていけなくなる。従って、誰もが私権(地位や財産)の獲得を目指して争うようになり、私権闘争の圧力が社会の隅々まで覆い尽くしてゆく。かくして、飢餓の圧力を下敷きにして作り出されたこの私権闘争の圧力は、否も応もない強制圧力となって人々をその中に封じ込める。
<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=260742">『るいネット』「私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた」</a></blockquote>


<strong><span style="color:#CC6600;">つまり、私有権が共認されると私権の強制圧力によって人々は私権のことしか考えられなくなり、集団や社会をどうする？という課題は二の次、三の次になる。ここに民主主義のカラクリがある。自らの私権のことしか考えられない状態に置かれている大衆が、民主主義によって私権要求の塊になるのは必然である。こうして、民主主義によって大衆は自我・私権要求の塊となり、集団や社会の課題を捨象するように仕向けられてきた。</span></strong>
これが<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=256228">「民主主義が自我の暴走装置」</a><a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=262192">「脱貧困の素朴な願いが民主主義を媒介して、自我・私権欠乏にスリ変わる」</a>という構造である。


それに対して、江戸時代の日本には、私有権も民主主義も存在していなかった。
あったのは、武士も農民も商人も、イエという経営体（共同体）を母胎にして、集団や社会をどうする？という当事者意識である。
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/03/002233.html">「イエという経営体（共同体）を母胎に観念追求がなされた江戸時代」</a>で紹介したように、そこでは、自我・私権原理に立脚した民主主義とは全く違う、共認原理に立脚した社会統合観念が追求されていた。


<span style="color:#CC6600;">江戸時代の共同体と当事者意識⇒社会統合観念の追求を破壊したのが、明治政府による私権制度の法制化と民主主義である。
加えて近代観念の教宣機関たる学校制度である。</span>
<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=241731">『るいネット』「明治時代初期：なぜ、学校一揆や学校焼き討ちが起こったのか？」</a>には、次のようにある。
<blockquote>当時の庶民にとって学校教育は、現実の役に立たないどころか、村落共同体を破壊しかねないものだった。その学校教育を押し付ける国家に対する反発が、「学校一揆」や「学校焼き討ち」だったのではないだろうか。</blockquote>
<span style="color:#CC6600;">地租改正という農地の私有制度や学校制度に対して一揆が起こったということは、私有権や民主主義や学校制度が江戸時代までの共同体（共認原理）と如何に対立するものであったかを示している。


これら私権制度と民主主義と学校制度は近代国家（金貸し支配国家）の三点セットであり、その強制的な導入によってはじめて日本は金貸し支配国家になってしまったのである。</span>




金貸し支配国家の３点セットのうち、土台を成すのは私権制度である。
それなしには民主主義も学校制度も機能しない。
例えば、私権（地位や身分）を獲得するという動機付けがなければ学校制度も機能しなかったであろう。


<span style="color:#ff3300;">その私有権が日本において制度として確立したのはわずか１５０年前のことにすぎない。歴史的に考えれば、つい最近のことである。
それまでは、日本人は共同体を母胎にして共認原理にもとづく社会統合観念を構築しようとしていたのである。これが、来る共認原理の世界をリードする日本人の可能性の基盤の一つであろう。</span>]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>消費税増税の背後にある国際金融資本（金貸し）の狙いは、何なのか？</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nihon-syakai.net/blog/2012/05/002261.html" />
   <id>tag:www.trend-review.net,2012:/blog//1.2261</id>
   
   <published>2012-05-05T01:37:16Z</published>
   <updated>2012-05-05T01:42:37Z</updated>
   
   <summary>3月から4月にかけて、多くの時事問題が表れては消えていきました。   尖閣諸島問題、北朝鮮ミサイル問題、鳩山のイラン訪問、など、極東⇔中東を中心とする国際関係の激変が、今後の世界の情勢を考える上での中心ポイントとなるでしょう。   一方で、日本では2011年に就任した野田首相が、文字通り政治生命を賭けて、「消費税増税」を推進してきました。この裏には何があるのでしょうか？  ...</summary>
   <author>
      <name>tnaito</name>
      
   </author>
         <category term="03.アメリカの支配勢力と支配構造" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nihon-syakai.net/blog/">
      3月から4月にかけて、多くの時事問題が表れては消えていきました。
 
尖閣諸島問題、北朝鮮ミサイル問題、鳩山のイラン訪問、など、極東⇔中東を中心とする国際関係の激変が、今後の世界の情勢を考える上での中心ポイントとなるでしょう。
 
一方で、日本では2011年に就任した野田首相が、文字通り政治生命を賭けて、「消費税増税」を推進してきました。この裏には何があるのでしょうか？
 
      <![CDATA[<strong><span style="background:#A4FFA4">●野田が異常に固執する「消費税増税」</span></strong>　
 
2011年8月末に、野田氏が首相に就任して以降、異常な拘りを持ってきた「消費税増税」だが、2012年に入って本格的に議論が盛り上がり、2012年3月末に閣議決定された。
　
この背後には、野田首相を操る財務省の意向があり、その背後には大企業≒経団連の意向が強く働いている。
　
 
<span style="background:#A4FFA4"><strong>●軽減税率を通じて、天下り先を増やそうとする財務省</strong></span>
　
現行の5%から10%に引き上げられる消費税だが、全ての品目に関して10%になる訳ではないと考えられている。欧米のように、食料品など生活必需品の税率を、他の品目（贅沢品など）よりも引き下げる＝軽減税率を適用すると言われている。
　
各業界において、軽減税率が適用されなければ、税率が高くなり消費が落ち込むことになる。つまり、どの業界も軽減税率が適用されるように、財務省に必死に嘆願することになる。
その嘆願を受けた財務省は、軽減税率を適用する見返りとして、軽減税率を適用する。つまり、<span style="color:#6666ff;"><strong>財務省が消費税増税に固執する理由の一つに、「天下りポストの確保」</strong></span>があることになる。
 
　
<span style="background:#A4FFA4"><strong>●経団連＝大企業連合は、消費税増税によって、金が入ってくる</strong></span>
　
政府・官僚にも大きな影響力を持つと言われる大企業連合＝経団連は、財政健全化のために消費税増税は必要だと言う一方で、国際競争力を保つ為には法人税の減税が必要だと繰り返してきた。要するに、<span style="color:#6666ff;"><strong>法人税減税の穴埋めとして、消費税増税を訴えてきたのだ</strong></span>。
　
<span style="color:#6666ff;"><strong>さらに、「輸出戻し税」という制度があるがゆえに、輸出大企業は『消費税率が上がった方が、儲かる』という仕組みを享受している</strong></span>。
 　
<span style="color:#000080;">※輸出には消費税が課せられない。一方で輸出企業は原材料などの仕入れ時には消費税を払っている。そのため、その分が国から還付されるというのが輸出戻し税。ただ、大企業の多くは下請けに『消費税分くらいはまけろ』と迫り、自腹を切らせているケースが多く、実質的には消費税を払っていない。しかし書類上ではきちんと消費税を納めている形になっているので、後にその額が還付される。</span>　 
輸出系大企業にとって消費税増税とは、内需の冷え込み以上のメリットを受けることができる政策なのだ。
　
　
国際巨大資本→大企業→財務省→野田首相　という軸を貫いて、「消費税増税」にひた走っていることになる。表に出ているのは野田首相くらいだが、彼があれだけ必死だということは、その背後に控える　巨大資本・大企業・財務省が形振り構わず消費税増税にひた走っていることを意味している。

＜参考＞　<a href="http://www.financial-j.com/blog/2012/02/001831.html">これからの税制どうする？　第１回～消費税増税するのなんで？</a>
　　
　
<span style="color:#ff3300;"> なぜ、国際金融資本（金貸し勢力）は、なんとしてでも消費税を増税しようとするのか？</span>
　
　
<span style="background:#A4FFA4"><strong>●消費税増税を巡る別の切り口⇒日本国債暴落危機との関係は？</strong></span>
　
「消費税増税が必要である論」の前提になっているのは、財政収支のマイナス＝膨らみ続けている国債発行残高にある。つまり、「この財政赤字を放っておけば、国債の発行残高が膨らみすぎて、いつか破綻する（大暴落を起こす）」というものだ。

実際、消費税増税議論が日本国内で活発化し始めた2012年3月には、海外の経済アナリストたちが「消費税増税が実現されなければ、日本国債が大暴落する可能性がある」ことをおおっぴらに表明していた。

しかし、（よく言われることではあるが）消費税が増税されれば、物価が上昇した分だけ消費が落ち込みむから、税率アップ分ほどは税収は増えない。逆に、消費が落ち込んだ分だけ景気が悪化し、法人税・所得税の税収が落ち込み、トータルの歳入が減少する可能性が高い。つまり、<strong>消費税増税によって、財政赤字＝国債発行に歯止めが掛かるとはとても言えない</strong>。

<span style="color:#000080;">※もし、景気を維持しながら、税収を上げようと考えるなら、消費や所得などのフローに税をかけるのではなく、所有している不動産などの資産に、つまりストックに税をかける必要があるだろう。</span>
　
このように、長期的な視点から見れば、国債暴落の歯止めにはならない。
　
<span style="color:#6666ff;"><strong>しかし、「消費税増税による財政健全化」がアナウンスされれば、短期的には世界中のマネーを日本国債に集中させる効果がある</strong></span>。
　
2008年リーマンショック以降、海外投資家による日本国債買い越しは高い水準を維持しており、今なお上がり続けている。これが、「消費税増税による財政健全化」によるアナウンスと共に、さらに加速する可能性が高い。
　
<span style="background:#C8FFFF">外国人による日本国債買い越し額（＝買い付け額ー売り付け額）</span>
<a href="http://www.jsda.or.jp/shiryo/toukei/toushika/tkbk/index.html">日本証券業協会＞国債投資家別売買高</a>　よりグラフ化
　
<a href="http://www.trend-review.net/blog/img2011/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E5%82%B5%E6%B5%B7%E5%A4%96%E8%B2%B7%E3%81%84%E8%B6%8A%E3%81%97.html" onclick="window.open('http://www.trend-review.net/blog/img2011/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E5%82%B5%E6%B5%B7%E5%A4%96%E8%B2%B7%E3%81%84%E8%B6%8A%E3%81%97.html','popup','width=1255,height=786,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E5%82%B5%E6%B5%B7%E5%A4%96%E8%B2%B7%E3%81%84%E8%B6%8A%E3%81%97-thumb.JPG" width="450" height="281" alt="" /></a>
　
　
これは、<span style="color:#6666ff;"><strong>今まで「日本国内の金融機関が保有しているから、安全」とされてきた日本国債の価格決定権≒暴落の引き金が、海外ファンドに移りつつあることを意味している</strong></span>。日本国債暴落の引き金を、海外ファンド・金融機関が主導権を握るということは、<span style="color:#6666ff;"><strong>海外ファンド（←国際金融資本）が日本経済に対する最大の”脅しの材料”を握る</strong></span>ことと同義である。
　
特に、現システムの安定維持を最大課題・存在理由とする官僚組織にとっては、これ以上ない材料を手に入れたことになる。今までの”（反米政治家であった）小沢潰し”以上に、官僚が暴走する可能性が非常に高くなる。
 
さらに、従来から考えられてきたドルやユーロの連鎖暴落が、EUやアメリカ発ではなく、日本発で始まる可能性が高まってきた。日本国債＝日本円の暴落によって、海外金融機関が得る利益は莫大なものになる。
（<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=254695">11年夏・金融危機５　日本国債の暴落によって莫大な利益を得ることができる</a>）
この莫大な利益によって、ユーロ圏・ドル圏の経済秩序を（一定期間は）維持することは可能となるだろう。
 
 
<span style="color:#ff3300;"><strong>★消費税増税は、日本経済の主権を取り戻すような政策とはなり得ず、逆に日本経済の主権を海外に明け渡すような政策となってしまう。
 
★消費税増税は、単に景気の悪化などという現象を作り出すだけに留まらず、日本経済が欧米経済（海外金融機関＝金貸し勢力）の完全なコントロール化に置かれる状況を作り出す。</strong></span>]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>江戸時代の思想12～天下の台所大坂の商人【経営者】たちによる社会統合観念追求の場「懐徳堂」～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nihon-syakai.net/blog/2012/05/002245.html" />
   <id>tag:www.trend-review.net,2012:/blog//1.2245</id>
   
   <published>2012-05-04T03:32:35Z</published>
   <updated>2012-05-17T17:55:05Z</updated>
   
   <summary>前回は、大衆支配のための既成観念を全的に否定し、新概念を創出しようとした、農民出身の「安藤昌益」の思想を学びました。 　 今回は町人の思想を学んでいきます。 町人の思想と言えば、本ブログでもすでに扱っている、 京都の伊藤仁斎が有名ですが、今回は大坂の町人であった「富永仲基」にスポットを当てます :tikara: 。 　 富永仲基は大坂の商人の家に生まれ、それまでの既成思想である儒教・仏教・神道を全否定し、それに代わって大坂の商人の現実を肯定した「誠の道」を唱えました :roll: 。 　 彼が思想を追求した場が「懐徳堂」です。懐徳堂とは大阪の商人がお金を出し合って作った民間の学校で、現在で言えば総合大学あるいはシンクタンクのような教育研究機関でした（現在の大阪大学の源流の一つがこの懐徳堂です）。 　 そこでは、何が学ばれ、何が追求されていたか？ まず、富永仲基の思想を『江戸の思想史』（田尻祐一郎著　中公新書刊）を手がかりに学んでいきます。 　 いつも応援ありがとうございます。...</summary>
   <author>
      <name>MASAMUNE</name>
      
   </author>
         <category term="04.日本の政治構造" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nihon-syakai.net/blog/">
      <![CDATA[前回は、大衆支配のための既成観念を全的に否定し、新概念を創出しようとした、農民出身の「安藤昌益」の思想を学びました。
　
今回は町人の思想を学んでいきます。
町人の思想と言えば、本ブログでもすでに扱っている、
京都の伊藤仁斎が有名ですが、今回は大坂の町人であった<span style="color:#ff3300;">「富永仲基」</span>にスポットを当てます :tikara: 。

　
富永仲基は大坂の商人の家に生まれ、それまでの既成思想である儒教・仏教・神道を全否定し、それに代わって大坂の商人の現実を肯定した「誠の道」を唱えました :roll: 。

　
彼が思想を追求した場が<span style="color:#ff3300;">「懐徳堂」</span>です。懐徳堂とは大阪の商人がお金を出し合って作った民間の学校で、現在で言えば総合大学あるいはシンクタンクのような教育研究機関でした（現在の大阪大学の源流の一つがこの懐徳堂です）。

　
そこでは、何が学ばれ、何が追求されていたか？
まず、富永仲基の思想を<a href="http://www.chuko.co.jp/shinsho/2011/02/102097.html">『江戸の思想史』（田尻祐一郎著　中公新書刊）</a>を手がかりに学んでいきます。

　
いつも応援ありがとうございます。]]>
      <![CDATA[<br>
<span style="color:#ff3300;"><span style="font-size:130%;">●既成思想を全否定して、現実を肯定する『誠の道』を唱えた富永仲基</span></span>

<a href="http://www.chuko.co.jp/shinsho/2011/02/102097.html">日本の江戸時代の思想を田尻祐一郎著『江戸の思想史』</a>より。
　<blockquote>　一七二四（享保九）年に有力町人（五同志）の手で大坂に開かれた漢学塾で、<span style="color:#ff3300;">町人に対する官許の教育機関として発達したのが懐徳堂</span>（「懐徳」は『論語』に拠る）である。<span style="color:#ff3300;">富永仲基</span>（一七一五〔正徳五〕年～一七四六〔延享三〕年）は、その五同志の一人、道明寺屋吉左衛門の子として懐徳堂に学んだ。早熟の仲基は、十五、六歳の時に、儒教の教説を批判した書『説蔽』を著して師の三宅石庵から破門された。その後、「加上（かじょう）」説を独創し、その視点に立って仏教思想史を構想した『出定後語』を著し、さらに『翁の文』によってて<span style="color:#ff3300;">儒、仏、神の教説を超えた「誠の道」を唱えた。</span></blockquote>
　
<blockquote>　「加上」とは、後世になればなるはど、議論は前のもの付加された部分が重なっていくことで精緻になり、より古い時代のものを装うようになるという理解である。
　
仏教をはじめその他の教えも、まず原型があって、長い時間を経て新しく付加品工されたものが、さも古いものであることを装いながら広がって今日の教義教説になったというのである。つまり教義や用語法を丁寧に分析していけば、儒教にせよ仏教にせよ、より古い単層の教説と、より後世の複雑な層を区分して、歴史的な形成と発展を跡付けることが可能だとする。
仲基はこういう方法的な自覚に立って、『説蔽』や『出定後語』を著した。とくに『出定後語』は、すべてが釈迦の真説だとされた大乗仏典について、その多くが後世の編纂になることを明らかにしたもので、仏教教学に強い打撃を与えた。
<img alt="bunko01_01577_p0001s.jpg" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/bunko01_01577_p0001s.jpg" width="225" height="150" />
　画像は『出定後語』
画像は<a href="http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko01/bunko01_01577/index.html">コチラ</a>からお借りしました。</blockquote>
　 
富永仲基は江戸時代の中期の思想家で、大坂の醤油醸造業・漬物商を営み、懐徳堂を創建した五同志の一人である道明寺屋吉左衛門（富永芳春）の三男として生まれました。
三宅石庵に学び、<span style="color:#ff3300;">11歳で懐徳堂（官許の学問所であり、大阪大学の前身）の教授職に就くほど優秀な人でした。</span>
懐徳堂（官許の学問所）の学風である合理主義・無鬼論の立場に立ち、儒教・仏教・神道を批判しました。　
　
儒家思想を歴史的に批判した『説蔽』（せつへい）を若くして著述。そのために石庵に破門されたといわれますが、これは、富永を批判する仏教僧側からの主張とも言われ事実としては疑われています。
　
後に仏教研究に取り組み、その成果を『出定後語』（しゅつじょうこうご）にまとめます。また『翁の文』（おきなのふみ）を著し、<span style="color:#ff3300;">日本においては神仏儒の三教とは別の「誠の道」を尊ぶべきことを説きました。</span>その学問は、思想の展開と歴史・言語・民俗との関連に注目した独創的なもので、後発の学説は必ず先発の学説よりもさかのぼってより古い時代に起源を求めることを指摘した「加上説」（かじょうせつ）が有名です。
　
【加上説】 
仲基はごく若いときに『説蔽』と題する書を著しました。この書は今に伝わらないのですが、後に刊行された『翁の文』によってその概略を知ることができます。彼の独創である「加上説」の理論で儒教を論ずる書でした。加上説とは、どんな思想も後代にいけばいくほど、後の人が勝手に自分の解釈や考えを付け加える（加上する）ので起源を遡る必要があるというものです。ちなみに、仲基は仁斎も徂徠もそれに気づかず末節を論じていると批判しています。 
　
このように古い時代に起源求める姿勢から、富永は儒教は中国の思想、仏教はインドの思想であり、それら外来の思想を日本人がありがたがることに疑問を持ちます。また、神道も古すぎて現代にはあわなくなっていることに気づきます。
そして、<span style="color:#ff3300;">神・仏・儒ではない新たな道として「誠の道」という新たな思想を打ち出します。</span>
「誠の道」とは簡単に言えば、<span style="color:#ff3300;">真面目に働いて、よい商品（製品やサービス）を作り、それに正しい利益を乗せて、人々に販売し、世の中の役に立って人々に喜んでいただいて、暮らしなさいという、商人や町人の現実に立脚し、それを肯定した思想です。</span>
　
参考：<a href="http://kaitokudo.jp/03intro/p2_3_1.html">WEB懐徳堂</a>　
　　　<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=260778">るいネット　富永仲基～江戸時代大坂で儒教・仏教・神道を批判した町人学者</a>
　　　<a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%82%92%E8%A6%8B%E9%80%9A%E3%81%99%E5%8A%9B-%E5%89%AF%E5%B3%B6-%E9%9A%86%E5%BD%A6/dp/456969778X">副島隆彦『時代を見通す力』</a>
　　

<span style="color:#ff3300;"><span style="font-size:130%;">●大坂商人がつくった学校「懐徳堂」</span>　</span>
神・仏・儒を等しく批判し、『誠の道』という現実を直視した新たな概念の必要性を語る富永の思想の背景には「懐徳堂」という学び舎があります。懐徳堂とは大阪の商人がお金を出し合って作った民間の学校でが、なぜ民間人が作ったのか？そしてなにを学んでいたのか？

当時の大坂の状況から考えていきます。
　
<a href="http://www.osaka-brand.jp/panel/study.pdf">『学問所･町人塾が育んだ大阪人の進取の精神』</a>より引用します。
　
<blockquote>（１）大阪の進取の精神の支えとなった学問所と町人塾
　
大阪は、その長い歴史のなかで、都市としての性格を何度か大きく変えている。
古代では幾たびか首都であり、中世には水陸の交通の要衝であった。戦国時代には蓮如の大坂本願寺建立にともない寺内町すなわち宗教都市として発展し、天正１１年（１５８３）秀吉の大坂城築造により、日本一の軍事都市、城下町に姿を変えた。
そして、１６１５年の元和偃武以降、大坂は徳川幕府の方針により、経済都市としての発展が方向付けられた。

大坂は<span style="color:#ff3300;">江戸時代に、天下の台所と呼ばれる大経済都市に成長した。</span>大阪湾に面した港には諸国の船が出入りし、淀川は京の都へ、大和川は大和の地へと連なっていた。市内には縦横に水路が通い、この交通の便が繁栄の源であった。
また銅の精錬、菜種油や綿実油の製造、綿と木綿の生産、酒造業、薬種、造船など先進工業都市の顔を持つとともに、堂島米市場や両替商に代表される商業、金融の一大中心地でもあった。

大坂の市内地域ともいえる大坂三郷の町人の人口も、１７世紀末の寛文５年（１６６５）には２７万人であったのが、１８世紀中ごろの宝暦９年（１７５９）には４１万人を超えている。ほかに武士階級が約８０００人いたという。領主を持たない大坂では、武士階級とは、大坂城や東西奉行所そして諸藩の蔵屋敷勤務の武士とその家族であり、常に異動（転勤）する人達であった。<span style="color:#ff3300;">大坂の４０万余の人口の、９８パーセントが町人で、まさに商人の町であった。</span>
　
中之島に多く設置された全国諸藩の蔵屋敷も、幕末の天保６年（１８３５）には１１１か所を数えた。諸藩から大坂へ送った廻米高も、１９世紀初めの文政年間には９９藩から１９２万石に達し、そのほか蔵屋敷を経由しない納屋米が蔵米の四分の一ほどあったといわれている。
諸藩の蔵米や国産物を販売する町人の蔵元や掛屋、そして金融機関とも云うべき両替商は徐々に力をつけ、大名貸を行っていた天王寺屋や鴻池、住友などの豪商は巨万の富を築いた。
まさしく、幕末の大坂の儒者広瀬旭窓がその著書「九桂草堂随筆」のなかで「天下の貨
、七分は浪華にあり、浪華の貨、七分は舟中にあり」といった賑わいぶりであったのである。
　
しかし、大坂の商人は経済力をつけながらも、士農工商という封建的身分制度の下位に置かれ、武家政権である幕府から、さまざまな名目で上納金を取られていた。
　
　（中略）
　
大坂商人は、当時の社会的地位では下位におかれつつ経済活動を行い、その上、その蓄積を支配階層の武士階級に吸い上げられていた。そうしたなかで彼らは、自らの存在価値を確認し、商業活動の正当性を確立する必要があった。そのためにも大坂商人は自分たちの学問を発展させ、独自性をもつすぐれた学問を創り上げた。</blockquote>
　
当時の大坂は「天下の台所」と呼ばれる、日本市場の要（流通の拠点）でした。
例えば、米をはじめとする商品相場は大坂で決まり、それが全国で使われました。
かつ、人口の９８％が町人という、文字通り商人の町が大坂です。
　
このような天下の台所で、懐徳堂はどんな期待を受けて設立し、発展したのでしょうか？つづき引用します。
　
<blockquote>　懐徳堂の成立と発展
<img alt="%E6%87%90%E5%BE%B3%E5%A0%82.jpg" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/%E6%87%90%E5%BE%B3%E5%A0%82.jpg" width="250" height="126" />
　画像：三宅石庵書、懐徳堂幅　<a href="http://kaitokudo.jp/03intro/p1.html">リンク</a>よりお借りしました

大坂町人の子弟も為政者なみの儒学的教養を身につけることのできる教育機関を作ろうと、五同志と呼ばれる<span style="color:#ff3300;">大坂の５人の富裕町人が費用を出し合い</span>、そのころ設立された塾の一つとして、懐徳堂は創設された。
　
享保９年（１７２４）、五同志の一人富永芳春、またの名を道明寺屋吉左衛門の隠居所跡である船場尼崎町１丁目の地に、朱子学者の三宅石庵(1665-1730)を学主に仰ぎ、五井蘭洲(1697-1762)が助教に、中井甃庵(1693-1758)が学問所預り人に就任した。
　
蘭洲は懐徳堂の知的な方向性を定めた学者であり思想家であった。彼は、商人の学校には真に知的なものの追求は必要ないという安易な折衷主義を排し、一貫した哲学的基礎を大切にする、本当の意味での学問的指導が行われるよう、方向付けを行った。
　
もちろん高度な講義ばかりではなく、地域の児童のための初歩の読み書きや計算も教えられ、朝８時から夜７時まで授業が行われたという。
　
しかし<span style="color:#ff3300;">懐徳堂を他の学問所や塾からはっきり分ける相違点は、商人世界に道徳的認識を与えるという使命感を持ち続けたことである。
　
それを実現するため、甃庵らは幕府に対して、大坂の商人層を教育する事業の承認を求め、創設２年後の享保１１年（１７２６）に許可されている。</span>懐徳堂は私的な学校から公的な学問所へと再出発したのである。懐徳堂には幕府から用地として土地が与えられ、種々の税も免除された。こうした動きには、江戸の儒者林羅山の設立した私塾弘文館が、幕府の援助を受け昌平坂学問所へと成長したことが参考となったに違いない。ちなみに昌平坂学問所が老中松平定信の学制振興策により、幕府直轄の官立学問所となったのは、のちの寛政９年（１７９７）のことである。
　
官許後最初の講義で、石庵は７８人の指導的商人達を前に学問所の基本的哲学を述べた。題して「官許学問所懐徳堂講義 論孟首章講義」。ここで彼は「論語」では、道徳的な知識を学ぶ目的は人の道を理解することにあると述べていると説き、「論語」を読み解く鍵として「孟子」のなかに、正義の概念に基づく行為の理論があると説明した。正義の概念と人間の欲望すなわち利を求める情念とを哲学的に対比させ、「利は義なり」と結論づけた。
　
商行為によって獲得された生計は、社会の他の職業集団、それが武士であれ農民であれ学者であれ、彼らの努力によって得られた生計となんら異なるものではない。<span style="color:#ff3300;">商人の行動は、社会の他の成員のそれと同様に「正義」によって評価されなければならないと講じたのである。</span>　
江戸時代の一般的な道徳哲学では、商人は社会秩序の下位に位置づけられ、商行為の正当性は理論化されていなかった。そうした中で懐徳堂の学問的追求の方向は、制定された規則にも表れていた。学校のなかでは、いかなる人間も講義への出席は差別されなかった。また商人は商売上の急務のため講義中に退出することもできた。</blockquote>

<span style="color:#ff3300;"><span style="font-size:130%;">●大坂の商人【経営者】たちによる社会統合観念追求の場が懐徳堂</span></span>

そこではどのような追求がなされたのか？
懐徳堂の代表的な学者たちがどのような学説を展開したかをつづいて引用します。
　
<blockquote>二代目学主甃庵の長男であり四代目学主を継いだ中井竹山(1730-1804)は、その弟中井履軒(1732-1817)とともに懐徳堂を代表する学者となった。竹山は老中松平定信に経世済民の著作「草茅危言」を献じたことで有名である。草茅とは民間、危言には正論の意味を持たせている。
　
「草茅危言」のなかで竹山は、国家制度の改革を大胆に提言している。参勤交代制度の軽減、武士の世襲的特権としての俸禄制度の廃止、公的な高等教育と初等教育のための学校を全国的に建設すること、また教師は身分でなく実力で選ばれ、それに免許を与えることなどである。また貨幣制度の整備についても述べているが、この竹山の貨幣論を、より発展させたのは懐徳堂に学んだ草間直方であった。

草間直方(1753-1831)は、図版入りの日本の貨幣史「三貨図彙」を著し、<span style="color:#ff3300;">貨幣論と国家財政論を展開した。これは明治初年に日本の経済構造を根本的に再編成する際、大蔵省に基本的な文献として採用されたものである。</span>直方は商家に生まれ、大坂の両替商鴻池の丁稚として商売の道に入った。のち両替商と大名貸しの担当として大きな功績をあげ、正式に主家の養子となり、鴻池伊助と名乗った商人学者であった。

富永仲基(1715-46)は「出定後語」や「翁の文」で、聖典といわれる古典的な文献をとりあげ、権威然とした仏教や儒教、神道をも厳しく批判している。そして善であるとは<span style="color:#ff3300;">日々の生業からなる現実の世界で当たり前なことをなすことであり、他人に対し同情心をもって接し、自分をしっかりと保つことであると説いた。</span>五同志の一人富永芳春の息子であり、早世の天才である仲基の思想は、<span style="color:#ff3300;">のち国学の本居宣長や平田篤胤に影響を与えている。</span>
　
山片蟠桃(1748-1821)は「夢の代」で知られている。これは<span style="color:#ff3300;">天文、地理、神代、歴史、制度、経済等を論じ、宇宙や地動説の肯定、神代への批判、唯物論による無神論など、当時としては破天荒な開明的思考と科学的合理精神に満ちた大著である。</span>彼は懐徳堂で学ぶとともに、大坂の誇る天文暦学者麻田剛立からヨーロッパ最新の天文学を学んでいたのである。なお懐徳堂では大儒中井履軒ですら「越俎弄えつそろう筆ひつ」で人体解剖の観察を記述するなど、洋学をも研究する伝統があった。蟠桃という号は商家の番頭の音にちなみ、商人としては仙台藩の財政再建に成功したことで有名である。
</blockquote>


大坂の商人によって設立された懐徳堂は、単に商業を道徳的に位置づけるだけにとどまらず、国家制度や貨幣制度論、思想や地理歴史、さらには宇宙論（地動説や太陽暦の提唱）にまで及ぶ、現代で言えば総合的な教育研究機関だったのです。


注目すべきは、この懐徳堂の思想家たちは、みな経営者です。
山片蟠桃（1748-1821）は、大坂の豪商「升屋」の番頭として主家の経営を立て直した実績により、仙台藩、館林藩、川越藩に招かれ、その財政再建に貢献しています。
（彼の「蟠桃（ばんとう）」という号は「番頭」の意味です）　


草間直方（1753-1831）は鴻池本家に丁稚奉公から始め、鴻池一統として大阪・今橋に両替商を開いた人。大名貸しを通じて盛岡藩、熊本藩、佐賀藩などの財政顧問を務め、また幕府が財政破綻を回避するため豪商から「御用金」を徴収、諸藩に資金を融通しようとした政策に反対、退けています。
<a href="http://www.edoshigusa.org/about/genealogy2/19/">『ＮＰＯ法人江戸しぐさ』第19話「懐徳堂と逸材たち」</a>


　
　【まとめ】
【１】当時の<span style="color:#ff3300;">大坂は「天下の台所」＝日本市場全体の要でした。したがって、大坂の商人は社会（＝日本全体）を対象化していました。</span>そのため、社会統合観念の必要性を感じとり、自分達で学問体系を創る学問所や塾を作りました。懐徳堂もその１つで、経営者が私財を投資してつくった総合教育研究機関でした。

<span style="color:#ff3300;">懐徳堂では商人世界に道徳的認識を与えるためにどうするかだけではなく</span>、富永仲基のような現実に立脚した思想「誠の道」、中井竹山の国家制度・教育・貨幣論、草間直方の貨幣論や国家財政論、山片蟠桃の天文学、地理学など<span style="color:#ff3300;">あらゆる分野を学び、政策提言まで行なっていたようです。</span>
　
また、彼らが観念思考の専門家（プロ）ではなく、経営者であった事も注目すべき点です。草間直方や富永仲基、山片蟠桃も経営者です。<span style="color:#ff3300;">真に素人が集まり、社会をどうするかを、経営者が中心となって集まり学びあいながら、考えていく場が「懐徳堂」であると言えます。</span>
　
次回は、富永仲基の影響を受けた国学派の本居宣長の思想を紹介します。]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>共同体企業ネットワーク理論勉強会テキスト（１０）～新理論が登場してこない理由２　専門家は根本追求に向かえない～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nihon-syakai.net/blog/2012/05/002262.html" />
   <id>tag:www.trend-review.net,2012:/blog//1.2262</id>
   
   <published>2012-05-02T08:34:07Z</published>
   <updated>2012-05-06T09:14:06Z</updated>
   
   <summary> 皆さん、こんにちは。 共同体企業ネットワークの理論勉強会のテキストも今回で１０回目となりました。 初めて本ブログを読まれた方は、「理論勉強会ってどんなことを学ぶ場なの？」と疑問を持たれるかと思いますので、もう一度理論勉強会の趣旨に触れておきたいと思います 理論勉強会とは、社会の様々な事象を取り上げながら、現代に繋がる最先端の意識潮流を解明することによって、概念装置を体得する場です。 概念装置があれば、時事問題を考える時、仕事の場面で方針を出す場面･･･、いかなる状況に置かれても答えを出すことができます。 この概念装置を作り出すには、全文明史を振り返って、人類の歴史段階的な進化の構造(＝実現構造)を解明する必要があります。そして、この実現構造を解明する中で、何度も塗り重ねて構築してきた「事実の体系」が概念装置です。 事実の体系ですから、当然、現実の場面で使える理論ですし、２段階、３段階の能力アップが可能になります。 過去のテキストはコチラです☆ ↓ テキスト１：これから生き残る企業に求められる能力は？ テキスト２：私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた テキスト３：市場の縮小と根源回帰の大潮流 テキスト４：共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流 テキスト５：自我と遊びを終息させた’０２年の収束不全 テキスト６：同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた テキスト７：情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口 テキスト８：大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機 テキスト９：新理論が登場してこない理由１　近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった さて、今回のテーマは『新理論が登場してこない理由２　専門家は根本追求に向かえない』 と題して、前回扱ったテーマを掘り下げていきたいと思います。 続きはこちら。  ...</summary>
   <author>
      <name>hiromi</name>
      
   </author>
         <category term="12.現代意識潮流" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nihon-syakai.net/blog/">
      <![CDATA[<a href="http://www.trend-review.net/blog/img2011/%E5%98%98%E3%81%A4%E3%81%8D%C3%97%EF%BC%94.jpg"><img alt="%E5%98%98%E3%81%A4%E3%81%8D%C3%97%EF%BC%94.jpg" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/%E5%98%98%E3%81%A4%E3%81%8D%C3%97%EF%BC%94-thumb.jpg" width="400" height="266" /></a>

皆さん、こんにちは。
共同体企業ネットワークの理論勉強会のテキストも今回で１０回目となりました。




初めて本ブログを読まれた方は、<strong>「理論勉強会ってどんなことを学ぶ場なの？」</strong>と疑問を持たれるかと思いますので、もう一度理論勉強会の趣旨に触れておきたいと思います




<strong>理論勉強会とは、社会の様々な事象を取り上げながら、現代に繋がる最先端の意識潮流を解明することによって、概念装置を体得する場です。</strong>




概念装置があれば、時事問題を考える時、仕事の場面で方針を出す場面･･･、いかなる状況に置かれても答えを出すことができます。

この概念装置を作り出すには、<strong>全文明史を振り返って、人類の歴史段階的な進化の構造(＝実現構造)を解明する必要があります。そして、この実現構造を解明する中で、何度も塗り重ねて構築してきた「事実の体系」が概念装置です。</strong>
<span style="color:#ff3300;"><strong>事実の体系ですから、当然、現実の場面で使える理論ですし、２段階、３段階の能力アップが可能になります。</strong></span>
<br/>
<span style="color:#009933;">過去のテキストはコチラです☆</span>
↓
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/02/002217.html">テキスト１：これから生き残る企業に求められる能力は？</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/02/002222.html">テキスト２：私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/03/002225.html">テキスト３：市場の縮小と根源回帰の大潮流</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/03/002234.html">テキスト４：共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/03/002239.html">テキスト５：自我と遊びを終息させた’０２年の収束不全</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/04/002243.html">テキスト６：同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/04/002246.html">テキスト７：情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/04/002260.html">テキスト８：大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/04/002254.html">テキスト９：新理論が登場してこない理由１　近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった</a>


さて、今回のテーマは<span style="color:#ff3300;"><strong>『新理論が登場してこない理由２　専門家は根本追求に向かえない』</strong></span>
と題して、前回扱ったテーマを掘り下げていきたいと思います。

続きはこちら。



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      <![CDATA[――
<blockquote><a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=261011">『１０．新理論が登場してこない理由２　専門家は根本追求に向かえない』より
</a>
<a href="http://www.trend-review.net/blog/img2011/%E6%83%B3%E5%AE%9A%E5%A4%96.jpg"><img alt="%E6%83%B3%E5%AE%9A%E5%A4%96.jpg" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/%E6%83%B3%E5%AE%9A%E5%A4%96-thumb.jpg" width="300" height="200" /></a>
<strong>本来なら、新理論を構築するのは、学者をはじめとする専門家の役割である。ところが、今こそ近代観念に代わる新理論が求められているのに、誰も新理論の構築に向かおうとしない。それは何故か？

<u>学者や評論家やマスコミ人＝観念思考の専門家たちは、近代観念をメシの種にして生きているので、決して近代観念を捨てることは出来ない。もし捨てれば、たちまちその地位を追われてしまう。</u></strong>

しかし、潜在思念は流動しており、彼らも、新しい潮流と頭の中の近代観念との矛盾・対立を少しは感じているはずだが、一向にその矛盾を切開し根本追求に向かおうとしない。
それは、そもそも新しい潮流を掴む感度が著しく低下しているからだと考えられる。
<strong>
では、彼らは、人々の意識潮流＝潜在思念を感取する力を、何故そこまで低下させてしまったのか？</strong>

人類は一貫して潜在思念(本能と共認機能)で現実を対象化してきた。言葉や文字が登場して以降も、それら観念に大きく規制されながらも、潜在思念発の現実思考があくまでも主役であった。ただ、文字を操る専門家は、現実から乖離した観念思考に嵌っていったが、それでも多くは、潜在思念発の観念思考に(≒健全な範囲内に)とどまっていた。

<u>しかし、100年前に<strong>学校</strong>が出来、全国民が7～18歳(今では22歳)まで、一律に観念教育を受けるようになると、<strong>観念回路が成長してゆく時期に植えつけられたこの一律の近代観念は社会共認となり、人々の意識を強く支配するに至る。</strong>
同時に、<strong>試験制度</strong>が末端にまで浸透し、その結果、<strong>試験エリート＝統合階級という身分が不動のものとして確立されてゆく。</strong>そして、この新たな身分制度が磐石なものとして確立されてゆくにつれて、統合階級の意識は大衆から離反してゆく。</u>

中でも決定的だったのは、<strong><span style="color:#ff3300;">’70年以来(とりわけ’02年以降)、大衆が私権収束から脱して共認収束を強めてきたのに対して、あくまで私権収束を促す試験制度の勝者たる試験エリートたちの意識がどんどんエリート意識(＝私権意識)に塗れてゆき、決定的に大衆とは逆行していったことである。</span></strong>



<strong><span style="color:#ff3300;">その結果、試験エリートたる専門家たちの大半が、大衆の期待を深く感取することができなくなってしまった。</span></strong>



有史以来、求道者たちは、同類期待(＝みんなの期待)を深く感取し、それを自らの課題として根本から徹底的な追求を重ねることによって、新観念を生み出してきた。しかし、現代の専門家＝試験エリートは、子どもの頃から近代観念を植え付けられ、その上、同類期待も真っ当に感取できなくなっているので、かつての求道者のような本物の追求課題を持ち得ていない。

<strong>もし、同類期待を深く自らの課題として孕んだ本物の求道者なら、職業的専門家になると本物の課題を追求できなくなることは明らかなので、プロの道を選ばなかったはずである。</strong>

従って、易々とプロの道を選んだ時点で、課題意識が著しく低下していることは明らかであり、専門家の99.9％は失格だと言えるだろう。

従って<strong><span style="color:#ff3300;">彼らは、相変わらず近代観念に立脚したまま専ら細分化された専門領域での目先の追求か、矛盾を取り繕う詭弁の追求しか出来なくなり、新理論どころか誰も大理論(グランドセオリー)の構築に取り組もうとしなくなってしまった。</span></strong>

それが、新理論が登場してこない究極の原因(「自分」観念に毒されていない者も含めて、誰も新理論を生み出せない理由)であり、全ては学校制度と試験制度の所為である。</blockquote>
――

細分化された専門領域での目先の追求、そして矛盾を取り繕う詭弁の追求の結果は、昨年の大震災で明らかにされている。原子力村で生まれた安全神話は脆くも崩れ去り、その運用経緯に対する説明責任を果たさぬまま今日に至る。その結果、現在、日本の原発は全て稼動停止となったが、彼らは声を上げない。

今更世間に説明しても理解は得られないと思っているからだろうか？
否、<strong>それは彼らの専門領域での追求が、詭弁であり、学者として到底説明することができないという自信の無さのの裏返しである。</strong>

――
<blockquote>観念思考者たちが、根本追求に向かわない(＝近代観念に代わる新理論の構築に向かわない)原因は、もう一つある。
先に述べたように、<strong>人類は同類圧力だけが現実を形成する全く新しい時代を迎えたが、人類はこれまで専ら自然圧力を対象とし、同類圧力(主に期待)をテコにして観念機能を形成してきたし、私権時代も飢餓の圧力→私権圧力を前提とした同類圧力(主に闘争)を追求力の源泉としてきた。
従って、<span style="color:#ff3300;">同類圧力のみを対象とし源泉とする観念思考は、経験したことがない。</span></strong>


例えば、受験勉強のような私権圧力でしか観念追求したことがない人には、同類圧力のみを源泉とする観念追求は出来ない(そもそも追求する気になれない)のかもしれない。試験エリートたる専門家や「自分」観念に囚われた観念病者などは、その典型だろう。

<strong><span style="color:#ff3300;">しかし、ほぼ同類圧力のみを源泉とし、対象として期応収束⇒課題収束してきた世代なら、仲間期待発で観念追求することは、充分可能なはずである。その意味では、何よりまず、私権発から同類発へ(＝自分発からみんな発へ)の意識の切り替えが求められている。</span></strong></blockquote>
――
<strong>
「考える(＝観念思考)とは、何か？」、もう一度考えてみることが必要だ。</strong>
自然圧力を克服した現代では、「同類圧力のみを対象とし源泉とする観念思考」こそが、「考える」ことであるという認識に立てば、私権圧力下における専門領域での追求という狭い職能の檻に閉じこもった学者、そして研究機関の存在意義が大きく揺らいでいる状況を全ての「専門家」は直視する必要がある。



<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=251011">●「専門家」という詐欺集団にご用心！</a>
<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=262682">●大学への信頼が崩れた理由～吉岡立教大学総長の祝辞より</a>






<u>次回は、本シリーズの最終回</u>。
<strong>『学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口』</strong>と題して<strong>「否定の論理から実現の論理への転換」</strong>の必要性を取り上げていきたいと思います。ご期待下さい。
]]>
   </content>
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<entry>
   <title>魔術から近代科学へ10　西洋人の禁欲主義の源流（ゲルマンの性闘争による秩序崩壊の危機意識とキリスト教の禁欲観念）</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nihon-syakai.net/blog/2012/05/002259.html" />
   <id>tag:www.trend-review.net,2012:/blog//1.2259</id>
   
   <published>2012-05-01T14:45:09Z</published>
   <updated>2012-05-02T15:09:45Z</updated>
   
   <summary> 画像はこちらからお借りしました。 それにしてもキリスト教、とりわけカトリック教会の禁欲主義は異常である。なぜ、そこまで禁欲が徹底されたのか？ 「キリスト教の現実否定の自己欺瞞（自然認識を御都合主義で魔術から借用）」 ☆西洋人の性意識で残る問題は、異常な禁欲主義である。 禁欲主義を流布した直接の犯人はユダヤ教→キリスト教らしいが、教会がそんな説教を垂れても聞き流しておけばよいものを、何故未だにカトリックは禁欲主義なのか？ 『るいネット』「西洋人の精神構造と異常な性意識」 今回は、この問題を掘り下げる。 いつも応援ありがとうございます。    ...</summary>
   <author>
      <name>member</name>
      
   </author>
         <category term="13.認識論・科学論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nihon-syakai.net/blog/">
      <![CDATA[<img alt="%E7%A5%9E%E3%80%85%E3%81%AE.jpg" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/%E7%A5%9E%E3%80%85%E3%81%AE.jpg" width="189" height="267" />
画像は<a href="http://helio.jugem.jp/?cid=9">こちら</a>からお借りしました。


それにしてもキリスト教、とりわけカトリック教会の禁欲主義は異常である。なぜ、そこまで禁欲が徹底されたのか？
<a href="http://www.trend-review.net/blog/2012/04/002256.html">「キリスト教の現実否定の自己欺瞞（自然認識を御都合主義で魔術から借用）」</a>
<blockquote>☆西洋人の性意識で残る問題は、異常な禁欲主義である。
禁欲主義を流布した直接の犯人はユダヤ教→キリスト教らしいが、教会がそんな説教を垂れても聞き流しておけばよいものを、何故未だにカトリックは禁欲主義なのか？
<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=247179">『るいネット』「西洋人の精神構造と異常な性意識」</a></blockquote>


今回は、この問題を掘り下げる。


いつも応援ありがとうございます。
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      <![CDATA[<span style="font-size:130%;">●まず考えられるのが、キリスト教の原罪観念による性欲否定である。</span>
<blockquote>ローマでの狡猾なる陰謀により、正統派教会はいよいよその地位を強めていく。初期の頃は一口に「キリスト教」といっても、「グノーシス派」、「マルキオン派」、エジプトの「コプト派」、シリアの「ヤコブ派」・・・様々に存在していた。そもそも女史によれば、「異端」（ Heresy)の言葉の語源はギリシア語の（hairesis）で「選択」という意味を持つという。つまり初期の頃は色々な「選択肢」があった。「異端」＝「邪説」ではなかった事を意味する。

しかし、教会正統派の指導者達は人々を服従させようとして、やがては暴力による「異端弾圧」に乗り出していく・・・だが、最初から非道な暴力行為により人々を服従させようとしたのではない。まず、教義により「人の心」を押さえつける事から始めたのだ。それはどのように？・・・・・「人間の自由意志」を否定し、<span style="color:#ff3300;">「性」の快楽を非難する事から始めたのだ！</span>（※これは現代カトリック教会でもその名残と見られる制約がある）
<a href="http://masa3277.konjiki.jp/4index.html">「キリスト教封印の世界史」　著者「ヘレン・エラーブ」訳者「杉谷浩子」　徳間書店</a> 
</blockquote>

<blockquote><span style="color:#ff3300;">中世の神学者たちは、性により「人類は破滅し、性のために楽園を追放され、キリストは人類のために殺された」と語った。</span>異端審問所の裁判官はその手引書で、次のように教示している。
<span style="color:#ff3300;">女の「肉欲」は魔術や悪魔崇拝の原因である</span>、というのは神は、「人間の他のすべての行為にもまして、性行為に対する支配力をその本来的な淫らさの故に、悪魔に与えたからである(<span style="color:#ff3300;">性行為によって原罪が受け継がれていく</span>)」。

<span style="color:#ff3300;">教会は、性的快楽よりも極度の肉体的苦痛を選ぶほどに性的禁欲を守った聖人たちの物語を流布させた。</span>隠者聖パウロは暴君デキウスに手足を縛られ、娼婦の淫らな愛撫になす術がなかった。彼はペニスが勃起し始めると、「自分を守る武器が何ひとつないので、舌をくいちぎって、その淫らな女の顔めがけて吐き出した」。聖列に加えられた教皇レオは、「ある女性が手に接吻して彼が肉欲への激しい誘惑を感じた」とき、その手を切り落とすほどに潔癖であった。しかし驚くべき幸運に恵まれ、聖母マリアのお陰で元通りにくっついて、以前と同じく宗教儀式を執り行うことができた
<a href="http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/sex.html">「セックス(Sex)」</a>
</blockquote>

<blockquote>イギリスの宗教学者カレン・アームストロングは、そうした断固とした女性敵視の思想が生まれる源泉を、キリスト教に内在する性格に見いだしている。<span style="color:#ff3300;">快楽を女性に起因する原罪と決めつけるキリスト教が西洋人の価値観をすべてにわたって規定してきたからこそ、女性恐怖と快楽敵視のメカニズムは、西洋にしかみられない特質</span>だというのである。

「ヨーロッパとアメリカのキリスト教的世界には、セックスへの憎悪と恐怖が充満している。西洋の男たちは、セックスを邪悪なものと見なすよう教え込まれてきたため、男たちをこの危険な性的欲望の世界へと誘惑する女たちを恐れ憎んできたのである。キリスト教は西洋社会を形成してきた。そしてこのキリスト教は、世界の主要な宗教の中で、唯一セックスを憎み恐れる宗教なのである」
<a href="http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/sosho/6/ochi.pdf">「女性恐怖のドイツ的起源－ヨーロッパ文化史の再構築に向けて」（越智和弘）</a></blockquote>

アダムとイブが楽園を追放されて以来、人間は原罪を背負っており、罪を許す神を信仰することによって救われる。
<span style="color:#ff3300;">この原罪の証拠が誰もが持っている欲望（とりわけ性欲）をであり、救われるためには神を信仰せよ（でなければ地獄に落ちる）という脅しによって、キリスト教（カトリック）は拡大してきた。</span>


西洋人の禁欲の原因に、キリスト教（カトリック）の原罪観念があることは間違いない。


<span style="font-size:130%;">●ところが、それだけでは西洋人の異常な禁欲主義は説明できない。</span>


<a href="http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/sosho/6/ochi.pdf">「女性恐怖のドイツ的起源－ヨーロッパ文化史の再構築に向けて」（越智和弘）</a>が指摘するように、<span style="color:#ff3300;">古代ギリシア・ローマに快楽敵視が存在した証拠はなく、むしろ快楽主義に走って堕落していた</span>からだ。
快楽敵視が西洋に定着するのは、ゲルマン人が欧州を略奪しローマ帝国を滅ぼし、王国を建てて以降である。つまり、<span style="color:#ff3300;">快楽敵視の始まりはゲルマン人にある。</span>
<blockquote>キリスト教そのものに、女性恐怖に基づく快楽敵視の思想が組み込まれていたとするアームストロングの洞察は、一見スムーズですんなり納得させられそうになる。しかし、はたしてこの考え方は、そのまま受けとりうるものなのだろうか。

ローマ帝国崩壊後、ヨーロッパ文明の担い手が、狂暴なまでに戦闘的であると同時に快楽を極端に忌み嫌う、ローマ人とはまったく別種の民族に取って代わられたことを知ることから、ヨーロッパ文化史を初めて整合性のあるものとして把握しうる道が開ける。

ゲルマン人による殺戮に次ぐ殺戮の想像を絶する大混乱の中から、今日あるイタリアも、フランスも、スペインも、そしてイギリスも、まぎれもなくゲルマン人の王が支配する王国として誕生したのである。

〈世界全体を狩猟区とみなす戦闘性〉と〈女性恐怖と快楽敵視を旨とする禁欲〉という二つの要素から成り立つことがますますはっきりしつつある現代の資本主義は、逆にいえば、これら二つの要素を何にもまして重要視する民族のなかからしか生まれ得なかったはずだからである。
<a href="http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/sosho/6/ochi.pdf">「女性恐怖のドイツ的起源－ヨーロッパ文化史の再構築に向けて」（越智和弘）</a></blockquote>

<span style="font-size:130%;">●では、ゲルマン人が禁欲主義になったのは何故か？
　⇒ゲルマン神話「神々の黄昏」を探る</span>


その手がかりとして、<span style="color:#ff3300;">ゲルマン神話</span>を見てゆく。
ゲルマンには<span style="color:#ff3300;">「神々の黄昏（ラグナレク）」</span>という特異な神話が伝えられている。


<a href="http://www.ozawa-katsuhiko.com/6celt_german/celt_german.html">『神々の故郷と、その神話・伝承を求めて』「神々の黄昏世界の終末」小澤 克彦　岐阜大学・名誉教授</a>
<blockquote><span style="color:#ff3300;">ゲルマン神話は「世界の終末と神々の死」という物語があることが最大の特徴</span>であり、これはゲルマン人の世界観のもっとも独特のところかもしれません。もちろん、世界の終末という思想自体は世界のあちこちに見られますが、それはペルシャのゾロアスター教に典型的に見られる「真実の神、光の国の到来」のためのこの地上世界の終末となります。あるいは古代ギリシャ哲学にある「永遠の宇宙の繰り返し、永劫回帰」の思想となるか、です。

このゲルマン神話での神々の死という世界の終末は「新たな真実の神の国の誕生」でもなければ「永劫回帰の哲学」でもありません。「アースの神の一部が残り、あるいは再生して、この地上を引き継ぐ」だけの話で、オーディンもトールも居ないのです。ここには、「なくなるわけではない」という消極的な「安堵」はあっても、真実の神の国の到来という「新たな希望」はなく、やはり、<span style="color:#ff3300;">「偉大なオーディンやトールは終わった」という黄昏観しか見られません。こうした諦観がゲルマン人の本性に色濃くあるのか</span>、興味深い問題となります。

<span style="color:#ff3300;"><span style="font-size:130%;">●ラグナレク（神々の黄昏）</span></span>

フィムブルヴェトと呼ばれる冬が始めて訪れる。その冬というのは雪があらゆる方向から降り、霜はひどく、風は激しく吹きすさぶ。太陽など何の役にも立たない。季節が巡る時となっても、さらにその冬は続く。さらに季節が巡る時となっても冬は依然として続き、夏はついに訪れることはない。こうしてまたさらに冬は続き、さらに冬、さらに冬とつづく時、<span style="color:#ff3300;">兄弟たちはどん欲となり互いに殺し合う。父と子、身内の中で見境なしに人を殺し、姦淫する。</span>
『巫女の予言』はこう予言している。
<blockquote><span style="color:#ff3300;">兄弟同士が戦い殺し合い
身内同士が不義を犯す
人の世は血も涙もなきものとなり
姦淫は大手を振ってまかり通る
鉾の時代、剣の時代が続き
盾は引き裂かれ
風の時代、狼の時代が続きて
やがてこの世は没落することとなる</span></blockquote>
この時に狼はついに太陽に追いつき太陽を飲み込んでしまう。太陽は早く動いていた。おびえるみたいに、殺されるのが怖いのにこれ以上速くは走れないといいだげに急いでいた。そんな風に猛烈に急いで天を運行していたのにはわけがあった。追っ手がすぐ後ろから追ってきていたからなのだ。逃げるより他に手立てがなかったのだった。

天にいる追っ手は二匹の狼であった。太陽を追っていたのはスコルという名前の狼で、太陽はいつか捕まるのではないかと怖れていた。そして太陽の前を駆けているのはハティ・フローズヴィトニスソンといい月を捕まえようとしていた。

<span style="color:#ff3300;">この狼たちの出自だが、ミズガルズの東のイアールンヴィズという森に女巨人が住んでいて、たくさんの子どもを産んだのだがこれがそろいもそろって狼の姿をしていたのだ。</span>太陽を追いかける狼というのはこの一族のものだった。その一族の中でもっともどう猛なのがマーナガルム（月の犬）と言って、死ぬ人間すべての肉を喰らって腹を満たし、月を捕らえて天と空を真っ赤に血塗る。このとき太陽はその光を失い、風は激しく吹き騒ぐのだ。</blockquote>

<span style="font-size:130%;">●この「神々の黄昏」神話から伺えるのは、ゲルマン人の潜在思念には性闘争による秩序崩壊の危機意識が刻印されていることである。</span>


<span style="color:#ff3300;">【１】ゲルマン人は、父子兄弟同士の殺し合いが続いており、血も涙もない不義（仁義なき闘い）が、果てしなく続いていたこと。
【２】その原因は、姦淫、つまり女を巡る男同士の性闘争にあること。
とりわけ、女巨人が生んだ子供が狼になり太陽や月を飲み込み、世界を「ラグナレク（黄昏）」へと没落させる。
つまり、ゲルマン人の男の性闘争を加速させたのは、女の性的自我に基づく挑発であり、女巨人が狼を生む逸話からは、母親が自分の子供を囲い込んで焚きつけ、父子兄弟を争わせていた</span>ことが伺える。


実際、ゲルマン人の生活を全般にわたって詳しく記したローマの歴史家タキトゥスの『ゲルマニア』には、<span style="color:#ff3300;">戦いの際に森の中から甲高い叫声を上げて男たちを駆り立てたり、怖じ気づいて退却しそうになった戦士には裸の胸を見せつけ、戦意を鼓舞するゲルマン女性の様子</span>が記されている。
このこともゲルマン人の女たちが非常に挑発的であったことを示している。


これがゲルマンの「神々の黄昏神話」であり、ゲルマン人の男たち自身が、この果てしなく続く性闘争に黄昏ていたことを示唆している（「オーディンやトールといった守護神も倒されて、どうしようもない」という感覚だったのだろう）。


ゲルマン人は、3800年前の寒冷化に伴い、コーカサス地方から北欧に移動した印欧語族の一派である。
その婚姻様式（制度）は、母系の勇士婿入り婚→父系の嫁入り婚(父権多妻婚)→略奪婚へ変遷しているが、元々の勇士婿入り婚は女の挑発と性闘争本能を活力源にした婚姻様式である。
『るいネット』<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=241479">「白人の部族移動の歴史」</a>
その後、ゲルマン人は2000年前の段階で農業だけでは食えないので略奪を生業としていたが、現在のドイツ人の勤勉性から考えて、部族共同体として移動した可能性が高い。
<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=247161">「遊牧によって何が変わったのか？」</a>


ところが、ゲルマン人の部族共同体は、女の挑発と男たちの性闘争が果てしなく続き、<span style="color:#ff3300;">秩序崩壊の危機を何度も経験しているはずである。
この秩序崩壊の危機は、性本能より深い次元に存在する適応本能を刺激する。
この挑発と性闘争による秩序崩壊の危機意識と適応本能の刺激によって、ゲルマン人の潜在思念には女恐怖が刻印されていただろう。</span>
だからこそ「神々の黄昏」というゲルマン独特の神話ができたのであり、これが、その後のゲルマン人→中世西洋人の禁欲主義の土台であるが、<span style="color:#ff3300;">これは潜在思念の次元の意識であって、実際に禁欲が成立するためには強力な観念操作が必要である。</span>
ゲルマン人の「神々の黄昏」神話程度の観念では性欲を封鎖できなかっただろう。


<img alt="%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%A4%A7%E5%B8%9D%E6%88%B4%E5%86%A0.jpg" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%A4%A7%E5%B8%9D%E6%88%B4%E5%86%A0.jpg" width="280" height="254" />
「フランク国王カールの戴冠」
画像は<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%A4%A7%E5%B8%9D">こちら</a>からお借りしました。


<span style="font-size:130%;">●そこでゲルマン人が出会ったのがキリスト教の原罪観念→禁欲観念である。</span>


そのゲルマンの部族連合がローマ帝国を滅ぼし、西欧に王国を建てると、部族連合の信仰では占領地を支配することはできないので、新しい社会統合観念（支配観念）が必要になる。
そこで、ゲルマン人の支配階級（王侯貴族）は既にローマ帝国の国教となっていたキリスト教に改宗した。

<blockquote>ガリア人をほぼ皆殺しにしたうえで、現在のフランス全土を支配下に治めたフランク族を率いる王クロートヴィヒは、初めてパリに首都を制定したのち、支配を確実なものにするためにはローマの知的遺産と教会の後ろ盾を不可欠とみなした。四九七年のクリスマスの日に、自らゲルマン信仰を捨て、キリスト教の洗礼を受けたのである。同時に三千からなるフランク族の戦士が一気にそれにならったとされる。

これが今日的な意味でヨーロッパがキリスト教化した決定的な瞬間である。以降ヨーロッパ全土を支配するゲルマン人は、ヴォータンやオディンを信仰する自らの宗教を捨て去り、自分たちとは縁もゆかりもないローマ教会を自分たちの宗教として宣言するのである。

言語に関しても、自らの手で破壊し尽くした敵国ローマの言語であるラテン語を唯一の公用語として取り込み、その使用を帝国全土に強要する。ゲルマン人が、ヨーロッパの支配と引き替えに独自の宗教と言語を放棄した。
<a href="http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/sosho/6/ochi.pdf">「女性恐怖のドイツ的起源－ヨーロッパ文化史の再構築に向けて」（越智和弘）</a></blockquote>
こうして、ゲルマン人はヨーロッパ全土の支配体制を確立するために、ゲルマン信仰とは無縁なキリスト教を奉り、帝国の公用言語を地中海文明に根ざすラテン語と定めた。
それにしても、支配者となった彼らが、それまでの言語と宗教を放棄するというのは前代未聞な行動である。かつ、ゲルマン人は略奪後直ちにキリスト教へ改宗している。フランク王国のカール大帝に至っては教会のお墨付きを以て「ローマ皇帝」として戴冠するだけでなく、他のゲルマン部族をキリスト教に改宗させるために戦争まで仕掛けている。


これは単に、ゲルマン支配を正当化するために教会のお墨付きを得るという理由だけではないだろう。
<span style="color:#ff3300;">原罪による快楽敵視と欲望封鎖を教義化していたキリスト教が、女の挑発と男の性闘争による秩序崩壊を何より恐れるゲルマン人が潜在思念で期待していたものだったからではないだろうか。</span>

<span style="font-size:130%;">●まとめると、西洋人の異常な禁欲主義が形成されたのは、


<span style="color:#6666ff;">【１】最も根底にあるのは、ゲルマン人の女の挑発と男の性闘争による秩序崩壊の危機（→性本能より深くにある適応本能の刺激）と、そこから生まれた女恐怖と快楽敵視が潜在思念に刻印されている。


【２】その潜在思念の上に塗り重なったのが、キリスト教の原罪観念と「地獄に落ちる」という恐怖による欲望封鎖観念（恐怖からの危機逃避も性欲封鎖の効果を持つ）。


つまり、ゲルマン人の性闘争による秩序崩壊の危機感の潜在思念に、キリスト教の禁欲観念が重なってはじめて、ゲルマン人→中世西洋人の禁欲主義が出来上がったのではないだろうか。</span></span>
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   </content>
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<entry>
   <title>共同体社会の実現に向けて　―２６　～実現論序７．企業を共同体化し、統合機関を交代担当制にする（その３）～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nihon-syakai.net/blog/2012/04/002255.html" />
   <id>tag:www.trend-review.net,2012:/blog//1.2255</id>
   
   <published>2012-04-26T15:00:00Z</published>
   <updated>2012-04-26T15:37:23Z</updated>
   
   <summary> 桜の季節も終わり、初夏に近づくにつれて活性度も上昇してくる今日この頃、みなさんいかがお過ごしでしょうか？   前回は共認社会を実現するために、企業を共同体化したうえで社内ネット導入で共認の場を作り上げること、さらに国家の統合を担う機関を交代担当制にする必要があることを明らかにしました。   今回は、共同体を実現するにあたって、現在の教育に対する抜本的な解決方法を考えていきます:D    ...</summary>
   <author>
      <name>mizuguti</name>
      
   </author>
         <category term="07.新政治勢力の結集に向けて" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nihon-syakai.net/blog/">
      <![CDATA[<a href="http://www.trend-review.net/blog/img2011/%EF%BC%91.jpg"><img alt="%EF%BC%91.jpg" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/%EF%BC%91-thumb.jpg" width="350" height="234" /></a>

<span style="color:#696969;">桜の季節も終わり、初夏に近づくにつれて活性度も上昇してくる今日この頃、みなさんいかがお過ごしでしょうか？
 
前回は共認社会を実現するために、企業を共同体化したうえで社内ネット導入で共認の場を作り上げること、さらに国家の統合を担う機関を交代担当制にする必要があることを明らかにしました。
 
今回は、共同体を実現するにあたって、<span style="color:#CC6600;">現在の教育に対する抜本的な解決方法</span>を考えていきます:D</span> <br>


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]]>
      <![CDATA[<blockquote>【農(漁)村共同体の建設】
最後に、最も時間のかかる課題として、農(漁)村共同体の建設がある。
これは、単なる農の振興策にとどまるものではなく、「教育をどうする？」というもっと大きな問題に応える必要があるためである。

私権時代を通じて、人々の大半は農業を営んできたし、近代になっても、つい戦前までは人口の過半は農村で暮らしていた。
農家は、現在のサラリーマン家庭のような、単なる消費の場ではなく、それ自体が、農を営む一つの生産体である。従って、そこには、自然圧力をはじめとする様々な圧力が働いている。だから、子どもたちは、学校など無くても親の背中を見ているだけで、健全に育っていった。

しかし、’50年代・’60年代、市場拡大に伴って、農村から都市への人口の大移動が起こる。
その結果、都市のサラリーマン家庭では、生物史を通じて一貫して一つの集団の中に包摂されていた生殖と生産という二大課題が分断され、その結果、生殖と消費だけの場となった家庭には、何の圧力も働かなくなってしまった。こうして、生産活動を失った密室家庭は、教育機能をほぼ全面的に喪失してしまった。
それでも、農家育ちの祖父や父親が生きている間は、それなりに農村的な規範も残っており、子どもの精神崩壊の問題は、あまり顕在化してこなかった。
しかし、祖父世代が高齢化し亡くなっていった’90年以降、いじめや学級崩壊や引きこもり、あるいは周りとの関係が作れない子etc、心の欠陥児が急増してきた。
このままでは、人類はもたない。</blockquote> 　 

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<span style="color:#000080;">■密室家庭の問題点</span>

<span style="color:#696969;">・昔の家庭ではどうだったか 
かつての村落共同体にはまず、村全体にかかる<span style="color:#CC6600;">自然外圧と強い闘争（生産）圧力</span>がかかっていました。
その強い圧力の下では、生産も生殖も、子供の教育も、村全体の課題として全員で取り組むことで初めて克服できた課題でした。
子供の教育も、将来村を背負ってくれることを期待し、現実に役立つ教育が成され、子供たちもその想いに応えようと、必死に学んだはずです。
圧力が末端の子供まで貫徹して行き届いていたために、村の規範が身につき、必要なことを学び、自然の変化の中で工夫思考が身につき、導いてくれる長老や大人たちへの尊敬や礼節も、自然な在り様として育まれたのです。<br>
<br>
・では翻って、現代の密室家庭はどうか？
村落共同体には外圧＝生産課題がかかっているのに対し、現代の密室家庭は、この当然の条件を欠いているのでまとも＝社会をを担える子供が育ちにくいといえます。
現代の家庭では、母親が子供を囲い込むことになりがちで、健全な<span style="color:#CC6600;">関係能力、同化能力、規範が身につきにくい。</span>
そして、次に、子供の精神構造に圧倒的な影響力をもつ母親が、闘争と生殖の分離でどうなったか。1970年豊かさの実現以降、闘争と生殖の分離は母親を「消費特権階級」としてしまった。そのような「権利意識」に染まった母親の子供は当然そのように洗脳されてしまう。 
また、外圧から隔離された家庭では、受験勉強だけが子供に唯一残された「課題」である。試験制度は本質的に極めて一面的な<span style="color:#CC6600;">暗記能力</span>しか要求しないため、無能エリートが跋扈する世の中に成っていく。</span> 
　 　 

<blockquote>　 どうするかだが、もともと子供たちの健全な心を育むには、自然に触れる作業が最も適している。従って、農漁業を手伝いながら学ぶ体制を作ればいい。
そのためには、農漁村に全寮制の幼・小・中・高校を作り、5才以上の子どもを密室家庭から引き離す必要がある。


それは親に対しても、「自分の子ども」という私有意識からの脱却を図ってもらう試みとなる。従って、手順としては、まず高校から始め、中学・小学・幼稚園の順で進めてゆくこととなるだろう。
農漁村にこれら全寮制の学校を建設し終わるには15年くらいかかるが、特に当初５年間は、大幅に落ち込んだ需要を刺激するカンフル剤としての効果も、大いに期待できる。</blockquote> <br> 


<img alt="%EF%BC%93.jpg" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/%EF%BC%93.jpg" width="350" height="220" />

<span style="color:#000080;">■自然に触れる作業の効能（思考力や同化能力）</span>

<span style="color:#CC6600;">・外圧を捉える</span>
<span style="color:#696969;">農作物を守る為に様々な外圧（天候や動物等）を把握し、それに対して対処方法や思考力を身につける。
例えば、天気が悪くなりそうだと感じたら、農作物にビニールを掛ける等の対処をあらかじめ行う（予測思考）
また、動物などに作物を荒らされないように、未然に防ぐ為に罠や仕掛けなどの道具を作ったりする（工夫思考）

<span style="color:#CC6600;">・自然への敬意</span>
農業は、一人ではできない。自然の水や土、空気、風、生き物に触れ合い感じることで、そのありがたさや大切さ、厳しさを学ぶ。
それに伴い、頭と体の全体を使うので、五感を刺激することに繋がる。

<span style="color:#CC6600;">・自然や仲間との同化能力</span>
自然のサイクル（日が昇ると同時に農作業をし、暮れると休む）に同化することで、自らの生活リズムを整えていく。
それと並行して、農作業や生活面（田植えや稲刈り、子育てや教育）で周囲の人たちと協力し、共に助け合うことで、協調性を培う。</span> <br> 
<br> 


それでは今日の内容を<span style="color:#CC6600;">図解化</span>してみます。

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みなさん、いかがでしたでしょうか:D
農（漁）村共同体の建設により、共同体実現に向けてのイメージが更に膨らんだのではないでしょうか。
しかし、これを実現させる為には、もう一段大きな壁が残っています。
次回は、その障壁となる<span style="color:#CC6600;">婚姻制度</span>と、そこから見えてくる可能性について扱っていきます:D
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   </content>
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   <title>魔術から近代科学へ９～キリスト教の現実否定の自己欺瞞（自然認識を御都合主義で魔術から借用）～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.nihon-syakai.net/blog/2012/04/002256.html" />
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   <published>2012-04-26T14:34:17Z</published>
   <updated>2012-04-26T17:34:59Z</updated>
   
   <summary> 画像はこちらから（リンク） ところが、キリスト教の徹底した現実否定は、深刻な自己矛盾を孕んでいました。 キリスト教は徹底して現実を否定した結果、自前の自然認識を持たなかったのです。 しかし、現実には自然認識がなければ生きてゆくことはできません。 例えば、病気になった時には医療が不可欠です。 それに対して、キリスト教はどう対応したのでしょうか？ それではいつものようにポチをお願いします。   ...</summary>
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         <category term="13.認識論・科学論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[<img alt="City_of_God_Manuscript.jpg" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/City_of_God_Manuscript.jpg" width="250" height="360" />
画像はこちらから（<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AE%E5%9B%BD">リンク</a>）


ところが、キリスト教の徹底した現実否定は、深刻な自己矛盾を孕んでいました。
キリスト教は徹底して現実を否定した結果、自前の自然認識を持たなかったのです。
しかし、現実には自然認識がなければ生きてゆくことはできません。
例えば、病気になった時には医療が不可欠です。
それに対して、キリスト教はどう対応したのでしょうか？


それではいつものようにポチをお願いします。


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      <![CDATA[山本義隆氏の『磁力と重力の発見』（みすず書房刊）から「第４章　中世キリスト教世界」後半の要約です。
<blockquote><span style="font-size:130%;">3.キリスト教における医学理論の不在</span>

<span style="color:#ff3300;">アウグスティヌスは科学のための科学は否定したが、自然科学その他の世俗の学問にたいする彼の立場は、キリスト教徒は聖書解釈のために科学的な知識が必要なときにはそれを所有する異教徒から借りればよいという、一種の便宜主義であった。</span>

アウグスティヌスにとって、学ぶ事の目的はあげて「聖書全巻の中に神の意志を探り求める」ことに置かれていたのである。異教の世界に知られていたすべての学問は聖書学習のカリキュラムに加えられるべきということになる。<span style="color:#ff3300;">キリスト教には固有の自然科学理論というものがなかったために、旧来の科学を無視することができなかったのである。　キリスト教が自前の自然科学理論を持ち合わせていなかったという事情は、医療の面においてはとりわけ現実的で直接的な影響を及ぼすことになった。</span>

ヒポクラテス以来の創造的で理論的なギリシャ医学の伝統はガレノスの死でもってはぼ幕を閉じた。それを受け継いだローマは、もともと土着の民間信仰やオリエントの神秘主義の影響を受けていたこともあり、継承したギリシャの医学を発展させるどころかむしろ大きく目減りさせることになった。

軍事国家ローマ帝国が医学に寄与したと言えるのは、尻目に見ても軍陣医学、そして公共病院と都市衛生の思想くらいのもので、理論面での貢献は事実上ないに等しい。したがってローマ社会における医療の現実は、かなり魔術的色彩の濃いものであった。

ラテン語の動詞medicareが「治療する」と「魔術をもちいる」の両義を有していることが、そのあたりの事情を端的に反映している。現実にもプリニウスの「博物誌」には「魔術は最初は医術から起った」と記されている。他方では揺籃期の禁欲的なキリスト教は医学・医療を信仰の下位においていた。アウグスティヌスより約半世紀前に活躍したカエサリアの教父バシレイオスの「修道士大規定」には「自分の健康への希望を意思の手中に置くことは家畜に等しい行為である。」とあり、医療そのものが反キリスト教的であると見なされている。

<span style="color:#ff3300;">「病気はしばしば私たちを回心に導くための罪への戒め」だからである。つまり病苦は原罪に対して神の下した罪であり、過ちを償うために神が与えた機会なのである。「ギリシャ医学は異教徒のわざ」と見なされ「初期の教会では相手にされなかった」のである。</span>

ギリシャとローマの遺産だけではなく、<span style="color:#ff3300;">ガリアやあるいはライン以北の地域では土着のより魔術的・呪術的な民間医療こそがむしろ主であったと考えられる。</span>

キリスト教は、地中海世界からヨーロッパ大陸内陸部に北進してゆく過程で地域社会の上層部支配層から布教を進めてゆき、こうして世俗権力との結びつきを強め、その組織を確立していった。そのため<span style="color:#ff3300;">キリスト教がいかに「カソリック（唯一普遍）」を標榜しようとも、現実には下層の大衆の生活や精神世界の内面にはよりおそくまで土着宗教の影響が残されることになった。</span>実際、最近の研究ではヨーロッパ中世とは「拡大を続ける教会を後ろ盾としてその支配力を強めてゆくキリスト教にたいして、異教信仰が長期間にわたって静かに反抗し続けた時代」であることが明らかになっている。


キリスト教イデオロギーが隅々まで支配する社会が一朝一夕にでき上がったわけではない。そんなわけで、民衆に与えられていた医療は、草深い農村における助産婦や呪術師たちあるいは都市での賤業と見られていた理髪師によって語り継がれてきた土俗的な医療であるか、あるいはオリエント伝来の医術であり、いずれにしても異教的で魔術的であることはまぬがれなかった。

<span style="color:#ff3300;">アウグスティヌスは「医療を目的とする呪いとかその他の魔術的な治療」は「迷信的な学問」であり「そのようなおろかで有害な迷信をキリスト教は断固として、拒否し避けるべきである」と言っている。「迷信」が排斥されるべきなのは、それが非科学だからではなく、それが「異教の残滓」だからである。したがって自然物が超自然的な力を有すること事態は認められていた。忌むべきはその力の魔術的な使役であったが、その境界は不鮮明であった。そんな訳で中世においては「魔術や呪術は当初から治療行為の条件となっていた」のであり、「教会でさえも魔術的実践にキリスト教の衣をまとわせていた」のが実情であった。</span>

幼児死亡率がきわめて高く、子供が無事成人することさえ僥倖に近かった時代であり、自然の猛威と絶望的な貧困のなかで過酷な労働の日々を送っている中世の民衆にとって、病から身を守り、天候不順から農作物を防ぎ、支配者の暴力から家族を護って子孫を残してゆくということは、それだけでもたいへんなことであった。ましてやくり返し襲ってくる疫病にたいする恐怖は、知識人であろうがなかろうが、農民であろうが都市住民であろうが、すべての階層・階級に共有されていた。

キリスト教の公認教義から見ればどれはど許し難いにしても、しかし<span style="color:#ff3300;">異教的教説に民衆が救いを求め、魔術的風習が世代間に受け継がれ、さまざまな自然物やシンボルが魔除けや御守りに使用されつづけた</span>ことは、十分に肯けることである。まさしく歴史学者サザーンの言うように「世俗的な事柄の探究は、キリスト教の知の一般的な枠組におけるその位置づけについてのいかなる理論とも無関係に、それ自体の固有の生命を有していたのである」。
<span style="color:#ff3300;">こうして魔術的自然観が語り継がれることになった。</span>


<span style="font-size:130%;">4.マルボドゥスの「石について」</span>

<span style="color:#ff3300;">レンヌの司教マルボドゥス（1035－1123）においては、磁力や静電気力は、石には霊性が宿り宝石には魔力が秘められているという一般論の代表的事例として論じられているのである。それゆえその探究も、石に秘められているその超自然的な力を暴き出し人間に役立てようという、ある意味では魔術的な探究の一環である。</span>
 </blockquote>


アウグスティヌスは医学を否定していた。しかし聖書解釈のための科学的知識が必要な場合は異教徒から借用するという便宜主義をとっていた。
アウグスティヌスの約半世紀前では病は神が与えた試練であり、医学を持ってそれを逃れることは許されない行為であった。しかしこの時代、様々な疫病や病が流行する中で生きていくためには当然医学の知識が必要であった。そのため民は土着的な魔術的な民間医療を主として病から逃れていた。


キリスト教は知的探究心などの精神的欲求や医学的知識、更には宝石や石の魔術的自然観を否定していたにもかかわらず、それなりの形を持って語り継がれていたのは、キリスト教自身も聖書解釈のためや、治療のための魔術的科学を異教徒から知識を借用したりしていたからであり、更に欲望を否定しているだけでは民もキリスト教徒の誰もが生きていくことは出来ず、その人間の欲望を満たす術が魔術や異教徒の科学だったと考えられる。実際、キリスト教も異教徒の自然認識のうち都合の良いものは借用している。


<img alt="220px-Hildegard.jpg" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/220px-Hildegard.jpg" width="220" height="322" />
画像はこちらから（<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%B3">リンク</a>）

<blockquote><span style="font-size:130%;">5.ビンゲンのヒルデガルト</span>

石の持つ超自然的な力についての想念ほ、ヨーロッパ中世の文学作品にも散見される。宝石のもつ神秘的な力がこのように多くの文学作品に現れるということば、大衆の世界においてもそれが広く語られていたことを示唆しているであろう。


ヨーロッパ中世の自然観というときに注意しなければならないことは、文書に残されたものは、<span style="color:#ff3300;">実際には一握りのキリスト教知識人の世界のものであり、その背後にいる文字を持たない圧倒的多数が大衆がそれとおなじレベルで自然を見ていたわけではないことである。実際、アウグスティヌスはもとより、ベーダやイシドルスやマルポドゥスといったラテン語を自在に操る聖職者は中世社会における僅少の知的エリートであり、彼らが書き記していることがそのまま大衆の世界で語られていたわけではない。しかしそのようなエリート知識人でさえ、デイオスコリデスやプリニウスといった異教の書を受け容れているのである。</span>

ましてや、土着の民間豪の影響をより強く残している民衆の世界においては、魔術的自然観がよりいっそう色濃く見られるであろうと推量される。
太陽の直射する明るい地中海文明から遠く離れた、深く暗い、森に覆われたゲルマン社会の真相に語り伝えられていた話では、のろいを唱えて磁石の力を引き出すというものもある。キリスト教の教えに反した、異教徒・魔術的な行為である。おそらくこれも土俗的宗教的に由来する迷信であろう。ここでは民間伝承に「十字を切る」といったキリスト教の習慣が重ねられていることがわかる。ヒルデガルトは、宝石の力を地上で用いることは神が望むことであると語ることにより、民間伝承・土着宗教を積極的にキリスト教の枠内に取り入れたのである。</blockquote> 

<img alt="AlbertusMagnus.jpg" src="http://www.trend-review.net/blog/img2011/AlbertusMagnus.jpg" width="285" height="300" />
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<blockquote><span style="font-size:130%;">6.大アルベルトゥスの「鉱物の書」</span>

クンツの『宝石の奇妙な伝説』によれば、石には霊性が宿り宝石には魔力が碧られているという想念は、世界中で語り継がれていたようである。ローマにはエジプトないしアジアから伝わったのであろう。しかしそのような伝承はキリスト教の教義とは本来相容れるものではない。

初期のキリスト教教会がローマ上層階級にはびこる宝石嗜好を弾劾したことは知られているが、それはただ単に奢侈を咎めただけではなく、むしろ宝石が魔術にかかわる物体とされていたからこそであったと言われている。にもかかわらず石の力をめぐるこのような異数的で魔術的な思考は、キリスト教が広まって後もいっこうに衰えることなく、時代とともにむしろ強められていった。実際、一四世紀のペストの流行にさいしては、感染防止の手段としてジルコンやエメラルドを身に着けておくことと記されていたと伝えられている。


中世にかぎられるものではない。宝石の力にまつわる伝承は、ヨーロッパでは17世紀になっても依然として語られていた。17世紀科学革命の前衛であったイギリスのロバート・ボイルでさえ「私はこれらの宝石のついての言い伝えや書き手が高貴な好物に付与してきた医学的高価なるものをげに否定するともりはない」と語って、新しい機械論哲学―ボイルの言う「粒子哲学」―の立場から長編の論文「宝石の力と起源」をかいているのである。

このように宝石と磁石についての魔術的な観念はヨーロッパにおいて揺らぐことなく生き延びた。実際のところ、キリスト教は土着の民衆宗教に完全にとってかわったのではなく、異教的要素や民俗的伝承にたいして、ときにはそれらのいくつかに異端であるとか魔術であるとかのレッテルを張りつけて排斥しつつも、またときにはそのいくつかにキリスト教の衣を着せることにより、実際にはその多くを黙認しその多くと共存してきたのである。こうして<span style="color:#ff3300;">中世ヨーロッパにおいては、表層部におけるキリスト教のイデオロギー支配にもかかわらず、その自然観の深層には、前キリスト教的・異数的・土俗的二民俗的ともいうべき精神世界が残されていて、それがアウダスティヌスの禁令や勧告にもかかわらずそれなりの形で自然にたいする関心を喚起しっづけてきたのである。</span>


とりわけ医学・医療の領域においてはそのことは顕著であった。中世において医療は、土着的で呪術的なあるいほ異数的な性格を色濃くおびていた。そして磁力についての関心は、この時代にはどちらかといえばその医療効果－精神的な癒しや心霊作用をもふくむ広義の医療効果－の側面に向けられていたのである。


それゆえにこの時代、ヨーロッパ社会がキリスト教に支配されていたにもかかわらず、磁石と磁力への野心は異教的で魔術的な研究と背中あわせであった。実際、二世紀のフランスはレンヌの司教マルポドゥスや、一三世紀のイギリスのフランチェスコ会修道士バルトロメウス、あるいはやはり一三世妃のドイツの大哲学者アルベルトゥス・マグヌスら、中世キリスト教世界のトップ・クラスの碩学大儒が軒をならべて磁石の持つと言われる超自然的で魔術的な力を公言しているのである。このことは、磁力が当時の人たちに与えた特異な印象をきわ立たせているであろう。　

今バルトロメウスに触れたが、実際彼は磁石について、婦人の不貞を暴くとか、その他の伝承や医薬への使用を語っている。そして同時に、その中に「磁石は一方の端で鉄を引き寄せ、他方の瑞で鉄を撥ねつける」とも記している。これを先に引いたアルベルトゥス．マグヌスの「一方の端で鉄を引き寄せ他方の端で鉄を撥ねつける磁石」の一節と併せて読むと、磁石についての迷信とともに、その特異性が次第に認識されはじめていることがわかる。しかしその磁力の特異性が整理され理論化されるためには、磁石と磁針の指向性の発見を必要としたのである。</blockquote>

このようにキリスト教は現実否定を徹底した結果、自然認識や医術を欠落させたが、それでは現実を生きてゆくことは不可能なので、自然認識や医術を異教や土着的信仰や魔術から借用せざるを得なかったのである。

<blockquote>現実の否定は、頭の中でのみ(＝観念としてのみ)可能なのであって、決して現実には有り得ない。実際、現実にメシを喰いながら現実を否定するというのは自己欺瞞であり、それでは下半身(存在)と上半身(観念)が断絶し分裂して終う。
それほどに、現実を否定する意識というものは異常な意識なのであり、この異常な現実否定こそ、現実の中に可能性を求めるのではなく、頭の中だけに閉ざされた可能性を求める（当然それは決して実現されることがない）倒錯思考の原点である。
現代社会の至る所で噴出する異常現象は、全てこの現実否定→倒錯思考の観念パラダイムが生み出したものであると云っても過言ではない。
<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=20354">「現実否定の倒錯思考」</a>
</blockquote>

つまり、如何に観念で現実を否定しようとも、現実に否定することはできない。その結果、キリスト教はひたすら自己欺瞞に陥ってゆく羽目になる。
中世のキリスト教全盛期にも、異端である魔術が残り続けたのも、とりわけ大衆にとってそれが現実の欲望を実現する唯一の可能性だったからであるが、<span style="color:#ff3300;">キリスト教会も現実否定の原理主義のままでは信者が増えないので、異教的要素や民族的伝承のうち都合の悪いものには異端とか魔術とかレッテルを張って排斥しながらも、都合の良いものにはキリスト教の衣をつけて取り込んできた。</span>
これを山本義隆氏は「一種の便宜主義」と言っているが、<span style="color:#ff3300;">「御都合主義」</span>と呼ぶのが適切である。


つまり、<span style="color:#ff3300;">キリスト教はその現実否定ゆえに欠落させた自然認識を、その教義に反する異教や土着信仰や魔術から御都合主義で借用するという自己欺瞞に嵌っていったのである。</span>


中世キリスト教会で神官たちが神学論争に明け暮れていたのは、現実否定の自己欺瞞による矛盾を繕うためである。そんなことをすればするほど、全体が詭弁と化してひたすら難解になってゆく。まさに<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=232556">「詭弁を説明しようとするから難解になってゆく」</a>のである。


ありがとうございました。


（それにしてもキリスト教、とりわけカトリック教会の禁欲主義は異常である。なぜ、そこまで禁欲が徹底されたのか？　その疑問に対しては次回追求します。）
<a href="http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/sosho/6/ochi.pdf">リンク</a>
参考：<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%82%AB">リンク</a>
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