<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom">
   <title>日本を守るのに右も左もない</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.sayuu.net/blog/" />
   <link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://www.sayuu.net/blog/atom.xml" />
   <id>tag:www.sayuu.net,2006:/blog//1</id>
   <updated>2012-02-22T14:51:14Z</updated>
   <subtitle>人類を破滅に導くマスコミ・官僚・学者たち。マスコミさえ倒せば、支配勢力は瓦解する。</subtitle>
   <generator uri="http://www.sixapart.com/movabletype/">Movable Type 3.33-ja</generator>

<entry>
   <title>共同体企業ネットワーク 理論勉強会テキスト(１)～これから生き残る企業に求められる能力は？～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.sayuu.net/blog/2012/02/002217.html" />
   <id>tag:www.sayuu.net,2012:/blog//1.2217</id>
   
   <published>2012-02-22T14:12:09Z</published>
   <updated>2012-02-22T14:51:14Z</updated>
   
   <summary> 昨年来から多くの経営者の方にご提案させて頂いた共同体企業ネットワークの理論勉強会が近々始まる予定です！ そこで、今回からのシリーズブログでは、理論勉強会で使われるテキストを取り上げて、皆さんにご紹介したいと思います。 第一回目の今週は、「これから生き残る企業に求められる能力は？」というテーマです。 「なぜ共同体企業ネットワークを提案するのか？」、私たち類グループが一企業を超えたネットワークを提案するに至った状況認識と社会全体への問題提起が書かれています。 これから理論勉強会に参加される企業の方に、そして初めて本ブログを訪れた方に読んで頂き、次代の日本を共に創り出していくための状況認識を共有できたらと思います。 続きはこちら ...</summary>
   <author>
      <name>hiromi</name>
      
   </author>
         <category term="13.認識論・科学論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sayuu.net/blog/">
      <![CDATA[<img alt="%E5%8A%87%E5%A0%B4.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E5%8A%87%E5%A0%B4.jpg" width="472" height="314" />
<strong>
昨年来から多くの経営者の方にご提案させて頂いた共同体企業ネットワークの理論勉強会が近々始まる予定です！</strong>

そこで、今回からのシリーズブログでは、理論勉強会で使われるテキストを取り上げて、皆さんにご紹介したいと思います。

第一回目の今週は、<strong><span style="color:#ff3300;">「これから生き残る企業に求められる能力は？」</span></strong>というテーマです。


「なぜ共同体企業ネットワークを提案するのか？」、私たち類グループが一企業を超えたネットワークを提案するに至った状況認識と社会全体への問題提起が書かれています。
これから理論勉強会に参加される企業の方に、そして初めて本ブログを訪れた方に読んで頂き、次代の日本を共に創り出していくための状況認識を共有できたらと思います。




<span style="color:#CC6600;">続きはこちら</span>
<a HREF="http://blog.with2.net/link.php?1276435" target="_blank"><img src="http://www.sayuu.net/blog/banner_04.gif" border="0" alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"></a><a href="http://politics.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://politics.blogmura.com/img/politics80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 政治ブログへ"></a>
]]>
      <![CDATA[==
<blockquote><a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=260719">『１．これから生き残る企業に求められる能力は？』</a>より

バブルの崩壊以降、少しも良くならない景気。その上、金融危機でいつ失速するか分からない世界経済。
それなのに、司令塔たる政府は無策なままで、この国の統合機関の空転はひどくなる一方です。


<u>学者や官僚は、誤魔化しの弥縫策しか打ち出せず、経営コンサル等も同様で、小手先の方法論しか提示できません。</u>事態は悪化するばかりなのに、講演などを聞きに行っても、この状況を打開する抜本的な答えを語る人は誰もいません。
<u>その上、マスコミは中立公正という看板をかなぐり捨てて、偏向報道を繰り返しており、本当のことは何一つ報道しなくなっています。</u>



明らかに、時代はかつて無かったほどの大きな転換期を迎えています。おそらく今回の大転換は、ありふれた企業理念や小手先の方法論では生き残れないでしょう。
<strong>時代はもっと根本的な転換期を迎えており、この大転換に対応する為には、この転換が何を意味しているのかを理解し、現在すでに形成されつつある人類の新たな活力源と、それが生み出す新しい社会の姿を明確に掴む必要があります。</strong>

<u>そのためには、新しい理論が必要になります。今、求められているのは、役に立たない観念ではなく、<strong>現実に使える理論</strong>です。</u>


現業においても、答えを出すためには、より鋭い切り口が必要で、そのためには、<strong>対象をより深く掴むための<span style="color:#ff3300;">OS＝概念装置</span></strong>が必要になりますが、この歴史的な大転換の構造を掴むには、より総合的な概念装置が必要です。そして、そのような概念装置を作り出すには、<strong>全文明史を振り返って、人類の歴史段階的な進化の構造(＝実現構造)</strong>を解明する必要があります。

類グループは、40年に亙ってその追求を重ね、サル社会から生物史にまで遡って、<strong>人類の歴史段階的な実現構造</strong>を解明してきましたが、ようやく皆様にお伝えできる段階に達しました。



<strong><u><span style="color:#ff3300;">生き残る企業に求められるのは、いかなる状況に置かれても答えを出せる能力</span></strong>ですが、
この史的実現論は、自分で答えを出すためのOS＝概念装置のようなもので、この概念装置さえ脳内にインプットすれば、あとは、現業課題であれ時事問題であれ、自分で答えを出せるようになります。
<strong>従って、社員の活性化と能力アップの切り札となるものと考えています。</strong></u></blockquote>
==
全分明史、そしてサル社会から生物史にまで遡り、人類の歴史段階的な進化の構造をゼロから作り上げてきました。



<span style="color:#009933;"><strong> :m281: 難局を突破していくための状況判断力を上昇させたい方
 :m281: 次代の組織力となる人材の活性化と育成方法を模索している方
 :m281: 一企業の枠組みを超えた協業ネットワークを思案している方</strong></span>

<strong><span style="color:#ff3300;">いかなる状況に置かれても答えを出せる概念装置</span>を習得することが勉強会の目的です。</strong>






次回から、この大転換の意味するところを、新概念を使って読み解いていきたいと思います。
新概念については、以下のリンクが参考になります。転換期における1年先、5年先の可能性を実像として結び付ける力が養われると考えています。
↓
<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=400&t=0">●『新概念定義集』</a>
<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=249477">●『５つの概念装置があれば次代を読めるってどういうこと？』</a>







それでは来週もご期待下さい :m034: ]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>江戸時代の思想３　共同体を喪失した中国の官僚の私権観念＝儒学が、共同体質の日本に輸入された</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.sayuu.net/blog/2012/02/002215.html" />
   <id>tag:www.sayuu.net,2012:/blog//1.2215</id>
   
   <published>2012-02-20T15:19:59Z</published>
   <updated>2012-02-20T15:41:55Z</updated>
   
   <summary> 「科挙」 徳のある人物が徳のない大衆を導くべきであって、徳のある人物とは『四書五経』を勉強して科挙試験に合格した官僚である。 これが中国の支配観念となった儒学の中核であり、儒学とは科挙官僚制による支配の正当化観念である。 では、科挙官僚による支配の正当化観念は、どのようにして出来上がったのか？ いつも応援ありがとうございます。     ...</summary>
   <author>
      <name>member</name>
      
   </author>
         <category term="04.日本の政治構造" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sayuu.net/blog/">
      <![CDATA[<img alt="Song_Imperial_Examination.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/Song_Imperial_Examination.jpg" width="230" height="274" />
「科挙」


<span style="color:#ff3300;">徳のある人物が徳のない大衆を導くべきであって、徳のある人物とは『四書五経』を勉強して科挙試験に合格した官僚である。
これが中国の支配観念となった儒学の中核であり、儒学とは科挙官僚制による支配の正当化観念である。</span>


では、科挙官僚による支配の正当化観念は、どのようにして出来上がったのか？


いつも応援ありがとうございます。
<a HREF="http://blog.with2.net/link.php?1276435" target="_blank"><img src="http://www.sayuu.net/blog/banner_04.gif" border="0" alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"></a> 
<a href="http://politics.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://politics.blogmura.com/img/politics80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 政治ブログへ"></a> 
]]>
      <![CDATA[中国の政治体制の最大の特徴は、皇帝専制、つまり、完備された官僚制を手足に、皇帝が全中国を中央集権的に支配したというのが教科書の説明である。<span style="color:#ff3300;">皇帝専制というと、君主が人民をすみずみまで管理し搾取するような体制をイメージしがちであるが、実際には、中国の王朝にはそんな緻密な統治能力はなかった。</span>


しかも、中国の王朝の人民を把握する力は時代を経るごとに（王朝が変わるたびに）弱まっていて、唐の後半には兵役が、明の後半には労役が、清の中頃には戸籍にもとづく徴税そのものが放棄されてしまう。前漢期には社会的剰余の60％を国家が吸い上げていたのに、その割合はどんどん低下していったという。


<span style="color:#ff3300;">皇帝独裁の頂点とされる明・清の統治能力は、地方分権の典型である同時代の日本の幕藩体制より相当劣っていたことはまちがいない。</span>


日本の場合、末端の村落共同体は、田植えや稲刈りなどの共同作業、道路・用水路・入会地などの管理、年貢の割りあてと納入、そして集団としての規範など、村落集団を秩序化し統合する機能を有していた。
そしてこの自主管理能力を持つ農村の上に、幕府や藩がのっかっていた。（同様のことは、座や仲間が機能していた商工業にもいえる。）
この末端の自主管理能力をもつ共同体の存在が、支配層が入れ替わろうとも社会を秩序化させていた。


一方、<span style="color:#ff3300;">中国の場合、春秋（戦国）時代を経由した漢の時代になると、農村の自主管理機能は失われ、末端の農村に共同体としての規範は喪失する。
このことが、次の漢崩壊時～（2Cの寒冷化を経由した）五胡十六国の戦乱時において、秩序を全く維持できず、人口が5000万人から700万人まで激減する人が人を食うというような異常事態に陥っていくことになる。</span>


農業生産を基盤とする中国は、帝国の安定期には人口が急激に増加する。
しかし、農業生産が人口過剰に追いつかない状態に陥いり、飢饉、疫病、内乱、そして周辺遊牧民の侵入などにみまわれると、秩序を維持できずに人口が大激減し大量の流民を発生させる。これは、この末端の自主管理機能をもつ共同体の喪失ゆえである。


そして、流民の頭目か、それを鎮圧した将軍か、遊牧民の族長が、戦乱を制覇し新たな王朝を建てるが、荒廃した国土と崩壊した秩序の上にゼロから支配体制をつくりあげることになる。


<span style="color:#ff3300;">その際にみられるのが「住民の強制移住」である。</span>
これは、流民に土地を与えて定着させる、（魏のように）激減した人口を一カ所にかき集める、無人となった地帯に入植させる、逆に（南宋のように）国境に無人地帯をつくる、といったさまざまな目的で行われる。


<span style="color:#ff3300;">こうして人為的につくられた村落社会では、連帯感や規範意識は薄く、自主管理機能は期待できない。</span>そのため、租税を集めたり治安を維持したりする地方行政は、中央国家がやらなくてはならない。
<span style="color:#ff3300;">中国が「専制の中央集権国家」になるのは、末端の共同体を喪失したがゆえの当然の帰結である。</span>


そして、春秋、五胡十六国など長い戦乱を繰り返す中国は、社会基盤となる（村落などの）自主管理機能をもつ共同体を失ったがゆえに、（戦乱後の荘園地主の増大を抑制するためもあるが）根本的には、この人工村落社会を維持するために、「均田制（口分田を与えて租庸調を課す（唐））」、「10戸を１甲とし110戸で１里とする（明）」といった中国特有の画一的な人民編成の制度が不可欠になる。


<a href="http://blog.trend-review.net/blog/img2011/zu.jpg" target="_blank"><img alt="zu.jpg" src="http://blog.trend-review.net/blog/img2011/zu-thumb.jpg" width="570" height="760" /></a>


つまり、<span style="color:#ff3300;">中国では相次ぐ戦乱と強制移住によって共同体が失われた結果、統治するための官僚機構が肥大化していったが、実際の中国の官僚制はそれだけの力量を持っていなかった。</span>


新たな王朝ができると、前王朝をまねた官僚制がつくられる。中国を支配する仕組みが他にないからである。しかし、官僚制は自分たち官僚集団の利害第一で動くので、必ずしも君主の言いなりにならない。前漢の頃、官僚を実際に率いていたのは皇帝ではなく丞相であったし、各省の長官が自分の裁量で部下を任命したり、郡・国の長官が独自の法令を制定することもできた。


これに対し、皇帝は権力を握るため、側近を集めた直轄組織をつくるが、それも制度化すれば官僚化してゆく。すると皇帝はまた別の直轄機関をつくる。三省→中書省→内閣→軍機処という具合に、王朝を経るごとに上部組織が改廃・追加されるのはそのためである。地方でも同様で、長官を監督する役人を送り、さらにそれを監督する役人を送るというくり返しになる。清の時代には、州県の上に府・道・布政使司・巡撫・総督が積み重ねられていた。


こうして、<span style="color:#ff3300;">中国では官僚機構が肥大してゆくが、それは無駄な組織が積み重ねられてゆくだけであり、統治能力は低下していった。</span>


さらに問題なのは、中国の科挙官僚たちの生態である。


<span style="color:#ff3300;">隋唐以後の王朝を支えていた科挙官僚は、超難関試験を突破したエリートではあるが、行政能力はなかった。科挙で要求されるのは儒教経典の丸暗記や規則に従って詩文をつくる能力であり、法令や行政や経済の知識ではないからである</span>（この点は宋の王安石が改革しようとしたが、うまくいかなかった）。彼らは実務も地方の実情も知らないまま派遣され、数年でまた転勤となる。


<span style="color:#ff3300;">実務を担当したのは土着の下級役人（行政請負人）で、彼らには採用試験がなく、地位は世襲によって受けつがれ、任期は終身であるが、国家から給料は支給されない。土着の下級役人は行政手続の際に庶民から手数料をとったり、賄賂をもらったり、租税をピンハネしたりして暮らしている。</span>


科挙官僚も薄給で、それだけでは地方官クラスでは一家が食っていくのがやっとだった。<span style="color:#ff3300;">彼らも土着の下級役人と同様に、地位と職権を乱用して稼ぎまくった。</span>
税を余分に取ったり、官船をつかって商売したり、外国と密貿易することもできた。<span style="color:#ff3300;">豊かな任地をまわって一財産築けば、土地を買い地主になって一生裕福に過ごすことができた。</span>これらは当たり前のこととみなされ、よほどひどい場合以外は問題にならなかった。
宋の真宗の「勉強すればすべてが手に入る」という詩はつまり、「国から給料がたくさんもらえる」のではなく、「地位と職権を利用して稼げる」ことを意味しているのである。
<a href="http://homepage3.nifty.com/ryuota/emperor.html">「皇帝専制と官僚制」</a>
<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=255837">『るいネット』「春秋、五胡十六国など長い戦乱の繰り返しで、共同体を失ったがゆえに均田制が登場した」</a>


このように、<span style="color:#ff3300;">中国においては科挙官僚が職権乱用して地主になり、地主の子弟が科挙官僚となって、また私利私欲を貪るという収奪構造が出来上がった。</span>これが中国の皇帝専制と官僚制の実態である。
この収奪構造は朝鮮でも同様で、両班という地主階級が科挙官僚となり、農民にはとことん横暴に振舞い、収奪を繰り返した。
彼ら中国や朝鮮の地主⇒科挙官僚階級は「士大夫」と呼ばれたが、彼らが唱えた儒学のお題目「仁政で以て民を導く」と真逆に、庶民からの収奪を繰り返してきたのである。


副島隆彦氏も『時代を見通す力』（ＰＨＰ研究所）の中で、次のように指摘している。
<span style="color:#ff3300;">「中国の民衆は儒教（君子の思想）が大嫌いだ。これは支配者の思想だからだ。君子とは官僚たちのことであり、民衆のことなど全く考えず、自分たち官僚の利益のしか考えない。自分たちは指導者で国家のトップ官僚なのだから威張っているのは当然だと思っている。だから中国の民衆は君子が大嫌いで、彼らが信仰するのは道教である」</span>


儒教をつくった孔子は官僚の収奪を正当化するつもりは全くなかったに違いない。孔子の時代は春秋時代、つまり部族連合が覇権を争い、支配－服属していた時代であり、未だ共同体が残存していた時代である。
しかし、孔子の儒教から発展した儒学は、彼ら地主⇒科挙官僚たちが特権を利用して私利私欲を貪ることを正当化する観念に換骨奪胎されてしまった。


科挙官僚制は６世紀、長きに亙る戦乱と強制移住の末に統一された隋の時代に始まるが、<span style="color:#ff3300;">既に共同体は失われているので、科挙官僚制によって中国を統合するしかなかった。</span>
同時にそれは、<span style="color:#ff3300;">科挙官僚の出身母体である地主階級の私権獲得（大衆からの収奪）を認めてやるということとセットになっており、その正当化観念になったのが儒学だったのである。</span>だからこそ地主階級の子弟は必死になって勉強したのである。
そういう意味で、中国・朝鮮は官僚支配国家であるが、その出身母体である地主階級が好き放題に収奪することを儒学によって正当化してきた国家であると言える。


<span style="color:#ff3300;">問題は、共同体が解体された中国における地主⇒科挙官僚の正当化観念（儒学）を、共同体が残存し共同体質が色濃く残る日本の徳川体制下で、一部の知識人が真剣に学び始めたことにある。
つまり、共認の土壌が全く違う日本に、儒学という観念だけが輸入されたわけである。
その結果、どんなことになっていったのか？　</span>

<a HREF="http://blog.with2.net/link.php?1276435" target="_blank"><img src="http://www.sayuu.net/blog/banner_04.gif" border="0" alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"></a> 
<a href="http://politics.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://politics.blogmura.com/img/politics80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 政治ブログへ"></a> 

<a href="http://www.rui.jp" target="_blank"><img src="http://www.rui.jp/banner/image/ruinet_banner4.gif" border="0" alt="るいネット"></a> 
<a href="http://www.rui.jp/new/kousei/kousei_19.html" target="_blank"><img src="http://www.rui.jp/banner/image/mm_banner.gif" border="0" alt="メルマガ"></a> ]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>江戸時代の思想２　中国の支配観念＝儒学は、科挙官僚の正当化観念である</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.sayuu.net/blog/2012/02/002214.html" />
   <id>tag:www.sayuu.net,2012:/blog//1.2214</id>
   
   <published>2012-02-19T11:30:08Z</published>
   <updated>2012-02-20T15:35:29Z</updated>
   
   <summary> 画像は『感謝の心を育むには』からお借りしました。 江戸時代の思想を考えるに当たり、儒学、とりわけ朱子学は無視できません。 儒学は江戸時代になってから中国から輸入されたものですが、その思想体系は（本家本元の中国では）どんなものであったのか？　 まず、その思想体系を押さえてゆきます。 （孔子がつくった儒教と区別する意味で、「儒学」という名称を使います） いつも応援ありがとうございます。     ...</summary>
   <author>
      <name>member</name>
      
   </author>
         <category term="04.日本の政治構造" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sayuu.net/blog/">
      <![CDATA[<img alt="moyooshi-18-3-naiyou2-022.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/moyooshi-18-3-naiyou2-022.jpg" width="402" height="334" />
画像は<a href="http://blog.katei-x.net/blog/2008/04/000520.html">『感謝の心を育むには』</a>からお借りしました。


江戸時代の思想を考えるに当たり、儒学、とりわけ朱子学は無視できません。
儒学は江戸時代になってから中国から輸入されたものですが、その思想体系は（本家本元の中国では）どんなものであったのか？　
まず、その思想体系を押さえてゆきます。
（孔子がつくった儒教と区別する意味で、「儒学」という名称を使います）


いつも応援ありがとうございます。
<a HREF="http://blog.with2.net/link.php?1276435" target="_blank"><img src="http://www.sayuu.net/blog/banner_04.gif" border="0" alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"></a> 
<a href="http://politics.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://politics.blogmura.com/img/politics80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 政治ブログへ"></a> 
]]>
      <![CDATA[<a href="http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-033100-5.html">『日本政治思想史』（渡辺浩著　東京大学出版会）「第一章　中華の政治思想－儒学」</a>の要約です。

孔子によって大成されて以後、他の諸思想との抗争に勝利し、紀元前から2000年以上、世界屈指の大帝国の正当思想として君臨した儒学の政治思想の体系を概観する。

<blockquote><span style="font-size:130%;">●天と人</span>

天・地・人からなるこの世が、この世のみが存在する。あの世などというものは無い。仏教者が言うようにこの世は所詮「虚妄」だなどということもない。

天とは現代日本語では「大自然」「大宇宙」に近い概念で、人間も大自然・大宇宙の一部であり、その働きによってそこから生まれ、そこに帰ってゆく。天の大いなる働きによって、人間も生かされている。これが不動の基本的な天意である。こうして儒学者は、超越的人格神など無しで、天＝大自然に依拠して、倫理と政治の哲学体系を構築しようとした

人間の生も、他の動植物同様、天の営みの一部であるが、人は禽獣とは違う、特別に優れた「万物の霊」である。儒学の経典である五経の一つ『書経』に、「天地は万物の父母、惟れ人は万物の霊」とある。
人間は禽獣と異なり、社会的・倫理的・文明的に生きる能力を天性として持つ。その意味で人の性は善である。
こうして儒学者は、人間普遍の人らしい自然な（本性に即した）生き方があり、そこには社会性・倫理性・文化性が含まれると考える。</blockquote>
<blockquote><span style="font-size:130%;">●礼と道</span>
儒学者たちは、人らしい生き方の具体的様式を礼と呼ぶ。礼は、日常の作法・儀礼・冠婚葬祭等の儀式・社会制度・政治制度等の一切を指す。そこに、人の社会性・倫理性が具体的に現れる。この礼こそが禽獣と人を区別するものである。

しかも礼は、恣意的に制作できるものではなく、時代ごとの変遷はあっても、その根底には人らしさの基本原則がある。それが道である。
道は、人である以上当然に行くべき道であり、また、人である以上、誰でもが通れる道である。特別な能力を持った人のみが通れる道は、天下の大道ではない。人ならば皆が通れるから人の道なのである。

この道を辿ったからといって、天国・極楽に到着できるわけではない（天国や極楽など存在しないから）。人は人である以上、そこを歩むべきであり、歩めるのである。</blockquote>
<blockquote><span style="font-size:130%;">●五倫と五常</span>
出家して結婚せず子も作らないなどというのは道ではない。万人ができるわけではない特別な荒行も道ではない（邪道である）。この現世にとどまり、良き社会人として、幾重もの人間関係の中で真っ当に生きてゆく。それが人間らしい生き方＝道である。

儒学者によれば、この世における主要な人間関係は、父子・君臣・夫婦・長幼・朋友の５つである（五倫）。それぞれにおいて実現すべき正しい在り様が、親・義・別・序・信である。中でも重要なのが父子（母子も含む）であり、それが人倫の基本である。

人は必ず誰かの子孫として生まれ、誰かの親となるべきものだからである。つまり、人は、ただの個人としては存在しない。人は孤立した抽象的存在ではなく、必ずある親の子として生れる。それは否認不能の絶対的な絆であり、それが他の一切の規定に先立つ。だから、親に孝を尽くすのは当然である。

人は、相手に応じて変わる様々の社会的倫理的役割を有する多面体であり、この５つの人間関係が良好に営まれるには、常に５つの徳が必要である。仁・義・礼・智・信の五常である。この五常があいまって、五倫もうまく営まれ、人間らしく生きることができる。</blockquote>
<blockquote><span style="font-size:130%;">●天下と天子</span>
しかし、人の本性は善であるが、現実の人々は、人の道を踏み外し、不仁。残虐なことさえ行う。
超越者はおらず、凡人が凡人を統治できるはずがないから「自治」も解決策たりえない。誰か優れた人が、人々を導くしかない。それが統治者である。人間らしい生活にとって、統治・支配は不可欠であり、統治の存在もまた天意なのである。

統治者になるのは、強者ではなく、五常の徳を兼ね備えた人間としての選良である。そのような人は自ずから人々に推され、人々は自ら従う。そのような統治者を天子と呼ぶ。人を生成し、人らしく生かしめんとする天の意思の代理人である。
それは人々に推されて天子になるのではなく、天の思し召しとして代理人指名があったと儒学では解釈される。これを天命が下ったと表現する。</blockquote>
<blockquote><span style="font-size:130%;">●君・臣・民</span>
天下の統治は天下の万民のためである。天子のために万民がいるのではなく、万民のために天子がいる。その天子の統治は仁政（慈しみの統治）である。政治とは、特別に優れた人が、人らしさに劣る人々を、人らしさの本質である誠実な慈愛をもって助け、導くことである。

<span style="color:#ff3300;">天子がいかに優れた人であっても、一人で天下は治められない。天子の補助者が臣であり、天子と臣は君臣の関係を結び、共に民を統治する。
臣は天子ほどではないとしても、人として優れた人（徳のある人）である。いわば道徳官僚である。臣の選抜が理想的にいけば、民として残るのは相対的に愚人・小人ばかりとなる。</span>
そして、君は臣を信頼し、臣は君に忠であるべきであるが、それは隷従ではない。君が間違っていれば諌めるべきである。三度諌めてその言が容れられなければ、君臣関係を返上すべである。

民の君への忠誠義務は、説かれない。<span style="color:#ff3300;">民は相対的に愚かで十分に道徳的でないからであり、その民を教導するのが君なのである。</span>従って統治とは教育である。民が治まらず世が乱れるのは、君の責任である。
（日本では往々誤解されているが）儒学は民に教え込んで「忠君愛国」を勧める教えではない。統治する側が学び、信ずべき教えである。</blockquote>
<blockquote><span style="font-size:130%;">●礼楽・学校・科挙</span>
以上のような統治をなすために必要なのが、礼学・学校・科挙である。
政治の本質は暴力ではなく、法を定め罰することも本筋ではない。統治は第一に、人の模範である天子の徳の感化（徳治）としてなされるべきである。具体的には、礼を定め、それを率先し、正しく美しく振舞えば、民も己の野蛮さに気づき、正しい秩序に向けて興起する。
また、楽（音楽）も重要で、美しく正しい宮廷音楽は、人を内面から淘冶し、善き生に導く。
第二に、教育の制度化（学校）である。政治は教育であるなら、国家が学校を設立し、教育すればよい。
第三に、<span style="color:#ff3300;">徳のある人の臣への登用</span>である。その主要な方法の一つは、郷挙里選という、地方から人望のある人を推薦させることであり、もう一つが<span style="color:#ff3300;">科挙</span>である。<span style="color:#ff3300;">有徳の人を選抜するには、道を記した書物（四書五経）について論文を書かせ、それで選考すればよい。</span>

中国では科挙は既に６世紀には実施され、１０世紀北宋の時代には完全に確立し、２０世紀初めまで続いた。</blockquote>
<blockquote><span style="font-size:130%;">●修己治人</span>
人の本性は善であるから、誰でも努力次第で孔子のような聖人（生まれながらの完璧な人格者）になれる。この聖人になるための努力を修身と呼ぶ。修身が進めば、まず家族関係がすばらしく上手くゆき、己の身を修めた人格者は統治者となる（修己治人）。そうすれば国は治まり、天下は平らかになる（修身・斉家・治国・平天下『大学』）である。</blockquote>
<blockquote><span style="font-size:130%;">●三代と革命</span>
儒学者によれば、聖人（完璧な人格者）が天下を治めた理想の世がかつて実在した。堯舜三代、夏～殷～周の三王朝の時代である。最初の政権交代は禅譲であったが、やがて世襲制になって夏王朝が始まった。
儒教が理想の王朝と呼ぶ以上、最高の人格者に天命が下り政権交代が行われるべきで、世襲はおかしいはずだが、儒学、例えば孟子はこれをしたたかに正当化する。世襲制も、現に人民が従っているという事実を以て、それも天の意思であると正当化し、世襲による皇帝も人格者と看做されたのである。

世襲による皇帝が暴君である場合には、どうなるのか？
第一に「天人相関」である。天下統治の善し悪しは、天の活動と無関係ではない。天子が善い統治をすれば天の運行も順調だが、逆であれば天災が起きる。それは天子の統治に問題があるのであり、それに対する天の警告、天罰である。天災も人災であり、政治問題、天子の徳の問題である。

第二は放伐による革命である。
暴政を続ける天子に、臣が諌めても聴かなければ、臣は退去し天下の民心も離れる。天命が改まり、天命を受けた新しい天子が登場する。新天子は旧天子を追放し征伐してもよい。これが禅譲による革命の対極をなす、放伐による革命（易姓革命）である。暴力による王朝交代もこうして正当化される。

孟子も暴君殺害を断乎肯定しており、朱子学を大成した朱熹も、厳しい条件付きで放伐革命を原理的には認めている。暴君(旧天子)の臣が旧天子を征伐しても主君殺しとして糾弾されることはなく、聖人として尊敬される。</blockquote>
<blockquote><span style="font-size:130%;">●華夷</span>
天は一つであり、道（人らしい生き方）も根本的には一つである。従って、天命を受けて人々を導く天子も一人のはずである。つまり、文明の中心は全人類にとって一つであり、天子は全人類の指導者であるはずである。しかし、天子の感化にも限度があり、現実には人らしさに欠け禽獣に近い未開部族が残り続ける。これが、中華に対する夷荻である。

これは基本的には人種主義ではない。礼を身につけ道に従うならば夷荻も中華の人たりうる。現に、中華的生活様式が周辺民族に拡大浸透した結果、言語・風貌・身長等の大きな地域的差異にもかかわらず、互いに同一民族だと固く信じる漢民族が形成された。

夷荻を暴力で征服し、強制的に文明化させるのは、仁とは言い難い。そこで天子は、夷荻なりの支配様式や風俗習慣を認めてやる。夷荻の長の使者が朝貢してきた時には、天子は遠方の臣として、夷荻集団の長の支配の正当性を承認してやる。</blockquote>

<span style="color:#ff3300;">つまり、徳のある人物が徳のない民衆を導くべきであって、徳のある人物とは『四書五経』を勉強して科挙試験に合格した官僚である。</span>
これが中国の支配観念となった儒学の中核である。
もちろん、儒教をつくった孔子は、官僚が民衆を支配すべきであるなどとは一言も言っていない。
<span style="color:#ff3300;">孔子の儒教が官僚に都合よく歪曲され、科挙官僚制による支配の正当化観念になったのが儒学である。</span>

<a HREF="http://blog.with2.net/link.php?1276435" target="_blank"><img src="http://www.sayuu.net/blog/banner_04.gif" border="0" alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"></a> 
<a href="http://politics.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://politics.blogmura.com/img/politics80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 政治ブログへ"></a> 

<a href="http://www.rui.jp" target="_blank"><img src="http://www.rui.jp/banner/image/ruinet_banner4.gif" border="0" alt="るいネット"></a> 
<a href="http://www.rui.jp/new/kousei/kousei_19.html" target="_blank"><img src="http://www.rui.jp/banner/image/mm_banner.gif" border="0" alt="メルマガ"></a> ]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>共同体社会の実現に向けてー20　～実現論序5．破局後の経済は？その時、秩序は維持できるのか？（その5）～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.sayuu.net/blog/2012/02/002212.html" />
   <id>tag:www.sayuu.net,2012:/blog//1.2212</id>
   
   <published>2012-02-17T03:00:00Z</published>
   <updated>2012-02-17T17:14:15Z</updated>
   
   <summary> 暦の上では立春とは言うものの、寒さがまだまだ厳しい今日この頃。皆様いかがお過ごしですか？ 前回の【秩序崩壊し、壊滅してゆく個人主義国家】では、米中をはじめとした個人主義国家は崩壊不可避であることとその崩壊過程、そして共同体質国家の可能性について紹介しました。アメリカや中国の秩序崩壊を予測すると、本当に起こりそうで恐ろしいですね。 今回は、「実現論序5．破局後の経済は？その時、秩序は維持できるのか？」シリーズの最終章です。旧勢力の目論見－中央銀行制の維持－は打ち破れるのか？秩序崩壊を食い止め、新しい社会に移行するための鍵となるのは？...</summary>
   <author>
      <name>mkkzms</name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sayuu.net/blog/">
      <![CDATA[<p><center><OBJECT classid="clsid:d27cdb6e-ae6d-11cf-96b8-444553540000"
codebase="http://fpdownload.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=6,0,0,0"
 WIDTH="400" HEIGHT="300" id="%E5%B4%A9%E5%A3%8A%E4%B8%80%E6%AD%A9%E6%89%8B%E5%89%8D%E3%81%A7%E3%81%AE%E6%97%A7%E5%8B%A2%E5%8A%9B%E3%81%A8%E6%96%B0%E5%8B%A2%E5%8A%9B%E3%81%AE%E9%97%98%E3%81%84" ALIGN="">
<PARAM NAME="allowScriptAccess" VALUE="sameDomain">
<PARAM NAME="movie" VALUE="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E5%B4%A9%E5%A3%8A%E4%B8%80%E6%AD%A9%E6%89%8B%E5%89%8D%E3%81%A7%E3%81%AE%E6%97%A7%E5%8B%A2%E5%8A%9B%E3%81%A8%E6%96%B0%E5%8B%A2%E5%8A%9B%E3%81%AE%E9%97%98%E3%81%84.swf">
<PARAM NAME="menu" VALUE="false">
<PARAM NAME="quality" VALUE="high">
<EMBED src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E5%B4%A9%E5%A3%8A%E4%B8%80%E6%AD%A9%E6%89%8B%E5%89%8D%E3%81%A7%E3%81%AE%E6%97%A7%E5%8B%A2%E5%8A%9B%E3%81%A8%E6%96%B0%E5%8B%A2%E5%8A%9B%E3%81%AE%E9%97%98%E3%81%84.swf" menu="false" quality="high" WIDTH="400" HEIGHT="300" NAME="%E5%B4%A9%E5%A3%8A%E4%B8%80%E6%AD%A9%E6%89%8B%E5%89%8D%E3%81%A7%E3%81%AE%E6%97%A7%E5%8B%A2%E5%8A%9B%E3%81%A8%E6%96%B0%E5%8B%A2%E5%8A%9B%E3%81%AE%E9%97%98%E3%81%84" align=""  allowScriptAccess="sameDomain" type="application/x-shockwave-flash" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer">
</EMBED>
</OBJECT></center>

<br><p>暦の上では立春とは言うものの、寒さがまだまだ厳しい今日この頃。皆様いかがお過ごしですか？

<br><p>前回の<a href="http://www.sayuu.net/blog/2012/02/002204.html">【秩序崩壊し、壊滅してゆく個人主義国家】</a>では、米中をはじめとした個人主義国家は崩壊不可避であることとその崩壊過程、そして共同体質国家の可能性について紹介しました。アメリカや中国の秩序崩壊を予測すると、本当に起こりそうで恐ろしいですね。

<br><p>今回は、<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=0&t=5">「実現論序5．破局後の経済は？その時、秩序は維持できるのか？」</a>シリーズの最終章です。旧勢力の目論見－中央銀行制の維持－は打ち破れるのか？秩序崩壊を食い止め、新しい社会に移行するための鍵となるのは？]]>
      <![CDATA[<blockquote><p><b>【崩壊一歩手前での旧勢力と新勢力の闘い】</b>

<p>それでは、日本をはじめ、秩序を維持できそうな国は、どうなるだろうか？

<p>本来は国家紙幣が不可欠だが、官僚やマスコミや政治家＝旧勢力が認識転換できるとは考えにくい。従って、中央銀行の体制のまま、リセット後の経済運営にあたることになる。

<p>リセット後は、農業や介護や新エネルギーに対する大型の助成が必要になり、直ちに財源が問題になる。しかし、中銀体制の場合、現状でも大赤字なわけで、新財源などある訳もなく、<b>大量の赤字国債を発行する以外に手はない</b>。
<br>その場合、中央銀行が銀行に新紙幣を供給して新国債を買い支えさせるので、新国債の価格を安定させることは可能である。しかし、旧国債と旧紙幣が紙くずになったばかりであり、新国債の価格など誰も信用しない。

<p>新紙幣が信認されるかどうかは、食糧価格を沈静化できるかどうかにかかっている。しかし、またぞろ赤字国債を発行しているようでは、新紙幣も信認されず、従って物価は鎮静化しないだろう。</blockquote>

<br><p>『リセット後の世界』を具体的に予測していきましょう。

<br><p><b>■中央銀行制度の欠陥</b>

<br><p>日本をはじめとする共同体質を残す国家群では、国民の意識が秩序維持に向かうため、混乱は抑止され、事態は収拾するかに思えます。
<br>しかし、所詮は<b>中央銀行体制</b>。赤字国債を国家に発行させ、新紙幣＝新銀行券を市場に注入するこのシステムは、リセット後に<b>決定的な欠陥</b>が炙り出されます。
<br>一度踏み倒してしまったのが仇となり、国債の信頼性が地に落ちて買手が付かないのです。民間銀行に供給する新紙幣で国債を買わせ、なんとか価格維持はできますが、民間銀行以外は誰も手を出しません。
<br>さらに、国債を買い支えるために乱発することになる新紙幣＝新銀行券の信任も得られなくなり、<b>紙幣価値が下落し物価は再び上昇</b>を始めます。

<br><p><b>■追い込まれていく共同体国家</b>

<br><p>一方の個人主義国家、米中欧は一気に秩序崩壊が進行、略奪集団が跋扈する阿鼻叫喚の地獄絵図になります。
<br>中央銀行を軸にした経済システム不成立はもちろんのこと、あらゆる産業が崩壊し、生産性はガタ落ち、というよりゼロに近くなるでしょう。食料や石油などの資源は、自国内への供給もままならず、とてもじゃないが輸出になど回せなくなります。

<p><a href="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E7%94%BB%E5%83%8F11.html" onclick="window.open('http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E7%94%BB%E5%83%8F11.html','popup','width=2827,height=683,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E7%94%BB%E5%83%8F1-thumb.jpg" width="520" alt="" /></a>

<br><p>このような世界情勢に直面した共同体質国家は、米中欧との関係を断ち切り、彼ら同士での輸出入に転換しようとするでしょう。
<br>例えば日本⇔インドネシア・イラン・イラクなどイスラム国家との取引ですね。
<br>しかし、これを阻むのが物価上昇なのです。
<br>日々激しい変動を伴って上昇する物価は、為替相場の乱高下を生み出します。
<br>１日後には取引価格が倍/半分に変動するような状況になり、恐ろしく安定性に欠けるだけでなく、その博打的要素によって猜疑心に満ちた騙し合いに変わる可能性も孕むのです。

<p><center><img alt="%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E7%94%BB%E5%83%8F2.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E7%94%BB%E5%83%8F2.jpg" width="200" /></center>

<br>これでは、安心して取引などできませんね。

<br><p>こうして、リセット後もなんとか生き延びるかに思えた共同体質国家群も、<b>国内の物価上昇と輸出入停止による物資枯渇</b>に苛まれ、徐々に秩序崩壊へと追い込まれてゆくのです。

<br>やはり、<b>『中央銀行制度』</b>が諸悪の根源なのですね。

<blockquote><p>従って、米・中をはじめ、世界中の国々が次々と秩序崩壊し、国内の物価も高騰したままで、秩序崩壊の一歩手前というギリギリのところで『中央銀行廃止→国家紙幣』を掲げる新勢力が登場し、政権を握れるかどうかがカギとなる。
<br>この状況では、迷走を続ける旧勢力に代わって新勢力が一気に勢力を拡大して政権をとる可能性は充分あるが、秩序崩壊の一歩手前での際どい闘いとなるだろう。
<br>当然、リセット前に新勢力が登場し、事前にある程度の備えが出来ていた方が、秩序を維持したまま新しい社会に移行できる可能性は高くなる。</blockquote>

<br><p>実は過去にも、国家紙幣による経済再建という案は、浮上していたことがありますが、その度に旧勢力（政治家、学者、官僚、マスコミ）の圧力によって揉み消されてきました。

<br><p>つまり、新政策（国家紙幣等）を実現させるには、実行させるだけの能力を持つ<b>『新勢力の登場』</b>が不可欠となるわけです。

<br><p>この新勢力とは、<b>共同体企業のネットワーク</b>(次回以降詳しく説明していきます)による企業群のことですが、それらが政策決定にどれだけ影響力をもてるかが鍵となり、大衆が可能性を感じて後押ししていくことが必要です。
これにより、今までの旧市場主義＝利益追求を基盤とした経済政策ではなく、<b>国家紙幣の発行により本当に皆が必要だと感じているところに必要な分だけお金を使っていく</b>といった様な、本当に必要な政策の実現が可能となります。

<blockquote><p>しかし、そのような新勢力は、果たして登場するのか？
<br>登場するとしたら、それは、どのような勢力なのか？
<br>次にそれを明らかにしていこう。</blockquote> 

<br><p>新勢力については、次回以降への期待が高まりますね。今回の内容については一旦ここまでとし、これまで5回に渡ってお送りしてきた「序5．破局後の経済は？その時、秩序は維持できるのか？」シリーズが終わりとなるので、ここでポイントを整理しておきます。
<a href="http://www.sayuu.net/blog/2012/01/002193.html">その1：【目前に迫ってきた国債暴落の危機】 </a>
<a href="http://www.sayuu.net/blog/2012/01/002194.html">その2：【国債暴落→リセット後の世界経済】</a>
<a href="http://www.sayuu.net/blog/2012/01/002203.html">その3：【金貸し勢の甘い読み】</a>
<a href="http://www.sayuu.net/blog/2012/02/002204.html">その4：【秩序崩壊し、壊滅してゆく個人主義国家】</a>

<br><p>・3.11大震災と原発事故を経て、<b>国債暴落の危機</b>が迫っている。背後では、金貸し勢力が世界中の国債を暴落させたうえで<b>全世界一斉に新紙幣に切り替え</b>ることを目論んでいる。
<p>・米国債デフォルトを引き金にした超インフレから新紙幣発行に至る過程で、金貸し勢力は、18世紀初頭頃の<b>貧困を再現</b>し、<b>私権欠乏を原動力にした市場社会の再構築</b>を狙っていると推定される。
<p>・金貸し勢力は、中央銀行制度を死守したままでも秩序崩壊を免れることができるという<b>甘い読み</b>でいる。
<p>・欧米や中国などの個人主義国家では、リセットによって秩序崩壊に至るのは不可避である。
<p>・日本をはじめ秩序崩壊を免れる可能性のある国々でも、旧勢力の存在が足かせとなる。中央銀行廃止⇒国家紙幣による社会秩序維持を掲げる<b>新勢力が登場</b>することが経済再建のためには必要。

<br><p><center><a href="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%EF%BC%93%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%94%E3%83%BC.html" onclick="window.open('http://www.sayuu.net/blog/img2011/%EF%BC%93%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%94%E3%83%BC.html','popup','width=907,height=649,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%EF%BC%93%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%94%E3%83%BC-thumb.jpg" width="500" alt="" /></a>

<p><font size="-2">(クリックで拡大)</font></center>

<br><p> :m252: 　　:m252: 　　:m252: 　　:m252: 　　:m252: 　　:m252: 　　:m252: 　　:m252: 　　:m252: 　　:m252: 　　:m252: 　　:m252: 　　:m252:

<br><p>実現論序5.シリーズはいかがでしたか？将来のことを考えるためには、実現イメージを考えると同時に、最悪の事態をも想定しておく必要があると言います。そういう意味で、今回のシリーズはその最悪の事態の想定でした。ここまでの崩壊が起こるかどうかは今後の世界情勢次第ですが、少なくとも金貸し支配に甘んじたままでは、これに近い事態に陥る可能性は十分にあるでしょう。

<br><p>秩序を維持していくためには、私権原理ではなく、共認原理に基づいた社会に移行していく必要があります。そのために何が必要なのか？可能性はどこにあるのか？次回以降で明らかにしていきたいと思います。

<br><p>では、次回をお楽しみに。]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>近代科学の成立過程１９～十六世紀ヨーロッパの言語革命は私権拡大への可能性収束だった</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.sayuu.net/blog/2012/02/002210.html" />
   <id>tag:www.sayuu.net,2012:/blog//1.2210</id>
   
   <published>2012-02-16T10:38:39Z</published>
   <updated>2012-02-16T16:52:09Z</updated>
   
   <summary> 　前回（近代科学の成立過程１８～十六世紀ヨーロッパの言語革命はキリスト教と金貸しの共認闘争だった）に引き続き今回は山本義隆氏の『十六世紀文化革命』から「第９章　一六世紀ヨーロッパの言語革命」の後半部分を要約投稿します。 　１６世紀になると、西欧では文字文化のあり方が大きく変わっていきます。それまでは、一部の特権階級（教会or大学）が独占していた書籍が印刷技術の発達とともに、印刷書籍が市場に出回るようになります。 　そして、印刷コストが下がると今まで書籍を手にする事がなかった一般大衆にも急速に広まるようになり、書籍の内容も大きく変化していきます。　 　まずは、前回に続き、「言語革命」がどのように推移していったかを見ていきたいと思います。 今日もポチッとお願いします。  ↓   &quot;&gt;...</summary>
   <author>
      <name>ginyu</name>
      
   </author>
         <category term="13.認識論・科学論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sayuu.net/blog/">
      <![CDATA[<img alt="494px-Hawei%2527s_Dorigen_.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/494px-Hawei%2527s_Dorigen_.jpg" width="244" height="300" / align = "left">


　前回（<a href="http://www.sayuu.net/blog/2012/02/002206.html">近代科学の成立過程１８～十六世紀ヨーロッパの言語革命はキリスト教と金貸しの共認闘争だった</a>）に引き続き今回は山本義隆氏の『十六世紀文化革命』から「第９章　一六世紀ヨーロッパの言語革命」の後半部分を要約投稿します。

　１６世紀になると、西欧では文字文化のあり方が大きく変わっていきます。それまでは、一部の特権階級（教会or大学）が独占していた書籍が印刷技術の発達とともに、印刷書籍が市場に出回るようになります。

　そして、印刷コストが下がると今まで書籍を手にする事がなかった一般大衆にも急速に広まるようになり、書籍の内容も大きく変化していきます。　
　まずは、前回に続き、「言語革命」がどのように推移していったかを見ていきたいと思います。


<span style="color:green"><b><span style="font-size:14px">今日もポチッとお願いします。</span></b></span>
 <span style="color:red"><b><span style="font-size:16px">↓</span></b></span>
<a HREF="http://blog.with2.net/link.php?538646" target="_blank"><img src="http://blog.trend-review.net/blog/banner_04.gif" border="0" alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"></a> 
<a href="http://politics.blogmura.com/in/025277.html" target="_blank"><img src="http://politics.blogmura.com/img/politics80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 政治ブログへ
"></a>]]>
      <![CDATA[<a href="http://www.msz.co.jp/book/detail/07286.html">山本義隆氏の『十六世紀文化革命』』</a>から「第９章　一六世紀ヨーロッパの言語革命」より要約

<blockquote><span style="color:red"><b><span style="font-size:16px">６ 印刷書籍が国語の形成に果たした役割</span></b></span>
<img alt="image004.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/image004.jpg" width="226" height="228" / align = "right">

　ヨーロッパに都市が生まれる１２世紀頃まで、ヨーロッパは基本的に農耕社会であった。<span style="color:red">働きづめで食うや食わずの日々を送っている圧倒的多数の農民たちにせよ、事実上軍隊生活を送っている無骨な騎士たちにせよ、いずれも文字文化とは無縁であった。
手写本としての書籍の製作と流通は、修道院とその他の教会付属施設にほぼ独占されていた。</span>

変化はヨーロッパに都市が生まれた１２・１３世紀に始まる。
この頃、大学がいくつもの都市に形成され、大学に学ぶ学生とそしてもっぱら専門知識を教授することによって生活する「知識人」という、それまでヨーロッパには見られなかった社会階層が生み出された。そして大学は、言うまでもなく、書籍の発展に大きく貢献した。

こうした変化によって、文字文化が修道院の塀のなかに閉じこめられていた時代は終焉を迎える。
書物の歴史に焦点をしぼって見ても、この時代に手写本の製作が修道院の独占物であった時代は終わり、手写本の「世俗化の時代」が始まった。

１６世紀になってこの情況を決定的にあらためた要因のひとつは、その前の世紀の印刷書籍の出現であった。
印刷術の発明は１５世紀なかばのことであり、中世末期にヨーロッパに伝えられた製紙技術の地盤上に書籍の印刷出版は企業化され、１５世紀末までのわずか半世紀のあいだに驚くほどの速さで西ヨーロッパ全域に広がった。

しかし印刷技術（ハ－ドウェア）の出現が書籍文化（ソフトウェア）の内実にただちに変化を引き起こしたのではない。最初のうち印刷出版物の多くはこれまでどおりラテン語の宗教書であった。ようするに、印刷書籍の多くはそれまでの手写本の代替物で、体裁さえも手写本を忠実に復元したものになっていた。

<span style="color:red">しかし大量生産の能力こそが印刷の真の力であることにやがて人は気づくことになり、文字文化が大衆に開放されてゆくことになる。

それというのも、印刷出版業はそもそもの発端から市場原理に支配された近代的産業として形成されたのであり、当然、出版業者は「本質的には利潤を目的として」書籍を生産し「売れ行きの確かな作品を貪欲に求めた」からである。そのため読者数の多い俗語書籍の出版が促進されるのにひきかえ、読者数の限られているラテン語の書物は忌避される傾向にあった。

同一の書籍を数百、数千の単位で作り出す印刷書籍の出現はまた、俗語の普及だけではなく、その標準化すなわち「国語化」を推進することにもなった。というのも、当然のこととして、使用されている言語の通用する地域が広いほどその書籍が数多く売れることが見込まれるからである。</span>

印刷書籍の果たしたいまひとつの機能は、印刷業者が業務上の必要から文法の整備と文体の統一、そして正字法の確立に力を注いだことにある。
<span style="color:red">そのようにして印刷術は「国語重視の動きにとって有利に働いた」だけではなく「国語の形成とその固定化において本質的な役割を果たした」のである。</span></blockquote>

　１５世紀半ばの印刷出版物の内訳は、全体の45％が宗教書、<span style="color:red">文学が30％強</span>、法律書10％強、科学書10％強であったが、１６世紀に入ると文学の占める割合が急激に大きくなっていきます。
　文学書の代表的なものがイギリスで出版された『<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC%E7%89%A9%E8%AA%9E">カンタベリー物語</a>』で物語の内容は、王侯貴族や騎士の話や、恋愛・不倫を美化する話の物語集です。　

　<span style="color:red">今まで、手写本であった高価な書籍を読むことができなかった大衆も、印刷による小説を読む事によって、恋愛観念や王侯貴族の快美な生活を見せられ、物欲を過剰に刺激されて、市場拡大の原動力になっていきます。</span>

　このように印刷技術の発展は、書籍を通じて大衆の物欲をあおり、市場の拡大を促し、そのことによってさらに技術を発展させていくというスパイラルとなり急速に市場も技術も発展していくことになります。

参考：<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=260742">私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた</a>



　
<blockquote><span style="color:red"><b><span style="font-size:16px">７ 宗教改革と聖書の俗語訳</span></b></span>

　俗語の国語化がこの時期にいっせいに進められたいまひとつの大きな要因は、宗教改革、とりわけ聖書の各国語への翻訳にあった。
ルターは1522年に『新約聖書』をドイツ語に翻訳し、その年の九月にヴィッテンベルクの印刷業者の協力で出版した。

イングランドにおいても、「国語」としての英語の確立は、ほぼ同時代であり、聖書の英訳に大きく負っている。
聖書の俗語訳は北欧―東欧諸国でも同時期にいっせいに進められた。ドイツに燃え上がった宗教改革の熱気はすぐさまオランダにも波及し、1526年にはファン・リースフェルトによる最初のオランダ語訳聖書が日の目を見ている。

これらの国々では自国語聖書をもつことによって独自の国語を獲得し文化的・言語的に統一されたのであり、そのことは国家としての独立を端的に象徴するものであった。
<span style="color:red">以上の意味において「当時出版されたもののなかで何がいちばん重要かと言えば、それは聖書の翻訳であり、宗教改革史のうえから言っても、言語史のうえから言ってもそうなのである」という主張は－すくなくともプロテスタント諸国では－十分に首肯できるものである。</span></blockquote>

　宗教改革時に印刷技術は書籍の流通だけでなく、大量のビラを印刷し、ばらまく事にも利用されました。
『<a href="http://www.geocities.jp/timeway/kougi-59.html">世界史講義録　第５９回　宗教改革（１）</a>』より抜粋引用
<blockquote><img alt="img5b41c7eazik3zj.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/img5b41c7eazik3zj.jpg" width="242" height="277" / align = "left">　ところで、宗教改革と活版印刷の関係を少し話しておきます。ルターの宗教改革がヨーロッパ中の話題となったのには急速に普及し始めた印刷物の活用抜きには語れません。

　ルター自身が大量にパンフレットを発行します。１５１９年ドイツ全国の出版物が約１１０冊、そのうち約５０冊がルターの書いたものです。翌１５２０年、ドイツ出版総数２００冊。そのうちルターが１３３冊。すごいですね。
　<span style="color:red">また、宗教論争が激しい中で両派が少しでも味方を増やそうとパンフレットやチラシのたぐいを大量に印刷配布します。</span>

　プリントにあるのが「神の水車」というチラシです。ほとんどの農民は字が読めませんから、そういう人でもわかるようにマンガになっている。これは、収穫した麦から小麦粉を作る過程です。中央後ろで棒（からさお）を振り回しているのが農民。これは脱穀をしているところ。

　脱穀した小麦をかついで水車小屋のホッパーに入れているのがイエスです。後光がさしているでしょ。ヨーロッパでは水車小屋で小麦を引いて粉にするのが普通です。水車小屋の上に浮かんでいるのが神様です。神が水を流して水車小屋の水車が回っているのです。だから、神の水車。神が流す水で回転する水車に、イエスが小麦を入れている。

　小麦が挽かれて出てきた粉をショベルですくっているのがエラスムスです。前にも出てきたルネサンス最大の人文主義者。ローマ教会も一目置く大学者です。エラスムスは最終的にはルターと喧嘩をするのですが、はじめの頃はそれなりに親密でした。

　そしてエラスムスの集めた小麦粉をこねるのがルター。エラスムスと背中合わせで袖まくりをしているの人物です。要するにこの絵一枚で、農民もイエスも神もエラスムスもルターの味方だよ、と訴えているのですね。ルターが練り上げた小麦粉が何になるかというとパンになるわけですが、絵ではパンが聖書の形に描かれます。ルターの左側にいる人が出来上がった聖書を右側の人たちに差し出していますが、この人たちがローマ教皇などローマ教会の主だった人たちです。かれらは聖書を受け取るのを拒否していて、聖書はパラパラと地面に落ちていきます。

　全体として何を訴えているのかは明らかですね。</blockquote>

以上のように人々は<span style="color:red">印刷によって情報を短期間に大量に広める事ができることに気がつき始めます。これは、現代のマスコミの原型のようなものですが、印刷技術によって、以下のように国民の意識を纏める（操作）するようになっていきます。</span>



<blockquote><span style="color:red"><b><span style="font-size:16px">８ 国民国家と国語の形成（プロテスタント諸国）</span></b></span>
　
　宗教改革は、政治的には超越的な教皇権力からの国家権力の自立という側面を有していた。
異教徒に包囲された単一のキリスト教社会という中世ヨーロッパ社会での大衆の帰属意識が、海外への進出とイスラム社会の後退によって薄れてゆき、それにかわってそれぞれの国家への帰属意識がすでに強まっていたのである。
1492年にイベリア半島のイスラム教徒の最後の拠点グラナダをキリスト教スペインが攻め落とし、同年コロンブスが新世界を発見したことが、その転換を象徴している。

<span style="color:red">イングランドやオランダにとって宗教改革は、本質的には超越的権力としてのカトリック教会からの王権の離脱を目指したものであり、そのカトリシズムをイデオロギー的支柱とするグローバル帝国スペインからの政治的独立がその帰結であった。西ヨーロッパ社会が教皇庁に支配された単一のキリスト教社会から、それぞれの国王を頭にいだく国民国家の集合へと分解しはじめたのである。自国語の確立はそのナショナリズムのきわめて重要な要素であった。</span>

結局のところ、イングランドやオランダそして北欧諸国における国語の形成は、宗教改革をとおした国民国家の自立の一環であった。他方、ドイツにおける宗教改革は、最終的に1648年のウェストファリア条約による三〇年戦争の終結により、ハプスブルク帝国の崩壊と領邦国家への分裂という結果をもたらした。しかし領邦国家であれ、国家のうえに君臨する普遍的権力としての教皇庁からの独立を果たしたことは、やはりナショナリズムを鼓舞することであり、国語としてのドイツ語の確立はその成果であった。



<span style="color:red"><b><span style="font-size:16px">９ 国民国家と国語の形成（カトリック諸国）</span></b></span>
<img alt="228_Pieter_Bruegel_d_____076.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/228_Pieter_Bruegel_d_____076.jpg" width="300" height="246" / align = "right">

　主権国家の確立への動きとそれに相即的に進められる国語の形成は、カトリックの勢力が強く、もともと民衆の言語がラテン系のロマンス語であったフランスやスペインやイタリアでも明白に認められる。とくにフランスでは、国語の形成はうえからのイニシアティブで進められた。
実際、フランスの歴代の王たちは翻訳を奨励し、国内統一策の実現のためにもラテン語にかわるフランス語の使用を推し進めようと努めた。

スペインにおいても、１５世紀の人文主義者のあいだでは、当初、俗語のロマンス語はラテン語やギリシャ語にくらべて「粗野で無味乾燥」と見なされていた。しかし1479年にアラゴンとカスティリアの合同によってスペイン（エスパニア）王国が成立したことでスペインの国家意識は高揚し、その世紀の終わりが近づくにつれて文化的に進んでいたカスティリアの言語にたいする国語（スペイン語）としての自覚が高まっていった。

イタリアにおいても、国語形成の基盤は１６世紀に作りあげられた。とくにイタリアでは、ラテン語は自分たちの母なる言語、始祖の言語であるという神話的意識が人々を捉えていた。

イタリアでは宗教改革それ自体の影響は少ないが、国語の形成はやはりナショナルな感情に支えられて、１６世紀に成し遂げられたのである。そのことは１６世紀末から１７世紀にかけて、ガリレオがその著書をイタリア語をもちいて執筆するうえで大きな助けとなっている。

<span style="color:red">イタリアの場合、そしてじつはドイツもそうであるが、この時点では単一の政治権力の支配する国民国家の形成にいたらなかったのは事実である。しかし、にもかかわらずイタリアやドイツをそれぞれ一括りに語れるのは、このように「国語」としてイタリア語、ドイツ語を作りあげたからだと言える。
　こうして１７世紀に、ヨーロッパ各国において「国語の結晶化」を見ることになる。</span>


<span style="color:red"><b><span style="font-size:16px">１０ 国語と科学研究</span></b></span>
しかしそれでも、大学で教育された学者によって営まれている科学の分野では依然としてラテン語使用が続けられていた。それはひとえに、当時の大学教育が国境にとらわれていず、学者たちがコスモボリタンな性格を有していたからである。学生たちはヨーロッパの諸都市の大学を遍歴して学んだ。

国語のナショナルな性格が、大学教育と科学研究のこのようなインターナショナルな性格と相容れにくい側面があったと言える。学問における俗語使用は社会的階層のあいだでの学問の垂直的な公開性を推し進めることになったが、逆に、地域的なつまり水平的な流通には不適であった。
　そんなわけで、１７世紀には、イタリアではボレリやマルピーギが、イギリスではギルバートやハーヴェイやジョン・レイが、ドイツではケプラーやグラウバーやライプニッツが、そしてフランスではガッサンディやデカルトが、主要にラテン語で著述を続けている。

<span style="color:red">しかし、このような超一流の業績だけ見て結論づけることはできない。
　実際、１７世紀には、科学において国語としての俗語の使用が圧倒的に拡大している。すくなくとも自然科学の領域では、ラテン語に通じているということが研究に携わるための絶対・必須の条件ではもはやなくなった。</span>

国語となった俗語の使用は確実に拡大していくともに科学と技術の研究の基盤を形成する者の数は圧倒的に増加した。このことは１６世紀文化革命の大きな成果であり、１７世紀の科学革命の展開と拡大を下から支えたのである。

科学研究が俗語で表現されるようになったことは、言語のサイドから見れば、俗語が外国語やそれぞれの分野の専門職人の使っている言葉やあるいはラテン語から語彙を加えることで豊富化され、学問的使用に耐えるものとして鍛えられ、規範化―標準化されることによって国語へと昇華したことである。

<span style="color:red">そのことは、ヨーロッパの言語と文化における根底的な変化であり、文字文化を多くの階層に広げ、学問の基盤を飛躍的に拡大することになった。１６世紀文化革命は、同時期のこの言語革命とパラレルに進められたのである。</span></blockquote>

<blockquote>カトリック教諸国と新教徒諸国の30年に及ぶ宗教戦争を終結させたウェストファリア条約は、新教徒国の承認と、国家は教会から独立しているという事実が承認された。神聖ローマ帝国は崩壊し、教会権力の衰退が加速し、「優位するいかなる権威も認めない多数の独立国を基礎とする国際制度の誕生」であるといわれる。<a href="http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:pqRzD4IsPrkJ:itl.irkb.jp/il/gIntroduction.html+%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%80%80%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%81%8B%E3%82%89%E7%8B%AC%E7%AB%8B&cd=8&hl=ja&ct=clnk&gl=jp">「国際法序説」</a></blockquote>

以上のように宗教改革・宗教戦争（30年戦争）を経て、教会から国家の独立が共認されていきます。


市場拡大のための恋愛観念や「豊かな生活」も国民の物欲を刺激することも、キリスト教観念と真っ向から対立します。


庶民も含めて、万人に私権拡大の可能性を開くためには、私権拡大を封鎖するキリスト教は徐々に邪魔になり、市場拡大のために国家をキリスト教会から独立させる。
これが宗教改革→宗教戦争の究極の目的だったのではないでしょうか。
そして、私権拡大を封鎖するキリスト教に代わって、私権拡大を正当化する近代思想（ｅｘ.自由・個人・民主主義）が作り出されます。


実際、中世キリスト教会は大衆が書物を読むことを強く警戒していましたが、１５世紀以降は印刷術→出版物によって、逆に大衆に書物を読ませることで、金貸しの市場拡大に都合のよい観念（恋愛観念や近代思想）で国民を洗脳し、その物欲を刺激する仕組みが出来上がりました。そこで、国家が教会から独立すれば、国家も国民も富国強兵・豊かさ（私権）拡大に突き進みます。
それを早急に推し進めるために用いられたのが、言語革命であり、そのための印刷技術の発達です。


<span style="color:red">１６世紀にヨーロッパ発の印刷技術の発展と言語革命は、私権拡大への可能性収束だったと言えるのではないでしょうか。</span>


これが近代国家の正体ですが、それは万人が私権の拡大可能性によって統合される国家です。
私権の拡大可能性によって統合される国家だからこそ、近代国家は経済力＝市場の拡大が何よりも優先する課題になったのです。
　

]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>12/29なんでや劇場レポート（３）～庶民から新しい観念が登場し始めた(節約⇒食抑、課題収束⇒答え欠乏)～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.sayuu.net/blog/2012/02/002213.html" />
   <id>tag:www.sayuu.net,2012:/blog//1.2213</id>
   
   <published>2012-02-15T03:27:39Z</published>
   <updated>2012-02-15T08:01:28Z</updated>
   
   <summary> 年末の12/29に行われたなんでや劇場レポート新シリーズより、共同企業体ネットワークの紐帯となり、共認社会実現のための概念装置となる「新理論」構築の可能性がどこにあるのかについて、２回に亘って扱ってきました :m033:  １. 私権時代の観念追求は、大衆を観念統合するためのものだった ２. 学校やマスコミによって刷り込まれた｢絶対に正しい｣という旧観念が理論追求忌避の元凶   前回は、 ・統合階級による観念支配は、学校教育やマスコミを通して、子供の頃から徹底されてる。私達が普段、何気なしに受け入れていることも、全ては観念支配に繋がっていること。 ・潜在思念が新しい潮流の中から本質を掴んで作り上げた新しい観念(“もったいない”“節約志向”“社会の役にたちたい”“食抑”など)が知識人からではなく、若者たちの中から生まれてきていること。 を明らかにしました。 　 今回は、観念のプロではなく、庶民からどのような新しい観念が登場しはじめているのかについて２つ紹介したいと思います :m051: （旧観念で飯を食っているプロは潜在思念をほとんど捨象している。それに対して、旧観念で飯を食っているわけではない庶民は旧観念による束縛度が小さく、潜在思念に素直な観念を生み出せる可能性が高い。） 　 続きはこちら :m001:  　　　...</summary>
   <author>
      <name>HOSHINO</name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sayuu.net/blog/">
      <![CDATA[<img alt="%E5%86%85%E5%AE%9A%E8%80%85%E5%90%88%E5%AE%BF.JPG" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E5%86%85%E5%AE%9A%E8%80%85%E5%90%88%E5%AE%BF.JPG" width="500" height="125" />
年末の12/29に行われたなんでや劇場レポート新シリーズより、共同企業体ネットワークの紐帯となり、共認社会実現のための概念装置となる「新理論」構築の可能性がどこにあるのかについて、２回に亘って扱ってきました :m033: 
<a href="http://www.sayuu.net/blog/2012/01/002202.html">１. 私権時代の観念追求は、大衆を観念統合するためのものだった</a>
<a href="http://www.sayuu.net/blog/2012/02/002207.html">２. 学校やマスコミによって刷り込まれた｢絶対に正しい｣という旧観念が理論追求忌避の元凶</a>
 
前回は、
・統合階級による観念支配は、学校教育やマスコミを通して、子供の頃から徹底されてる。私達が普段、何気なしに受け入れていることも、全ては観念支配に繋がっていること。
・潜在思念が新しい潮流の中から本質を掴んで作り上げた新しい観念(“もったいない”“節約志向”“社会の役にたちたい”“食抑”など)が知識人からではなく、若者たちの中から生まれてきていること。
を明らかにしました。
　
<strong><span style="color:#009933;">今回は、観念のプロではなく、庶民からどのような新しい観念が登場しはじめているのかについて２つ紹介したいと思います</span></strong> :m051: （旧観念で飯を食っているプロは潜在思念をほとんど捨象している。それに対して、旧観念で飯を食っているわけではない庶民は旧観念による束縛度が小さく、潜在思念に素直な観念を生み出せる可能性が高い。）
　
続きはこちら :m001: 
<a HREF="http://blog.with2.net/link.php?1276435" target="_blank"><img src="http://www.sayuu.net/blog/banner_04.gif" border="0" alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"></a>　　　<a href="http://politics.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://politics.blogmura.com/img/politics80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 政治ブログへ"></a>]]>
      <![CDATA[<blockquote><a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=260389">12/29なんでや劇場３　庶民から新しい観念が登場し始めた(節約⇒食抑、課題収束⇒答え欠乏)</a>

<span style="color:#009933;"><strong><span style="font-size:130%;">●一つは、脱物系・脱本能系の観念である。</span></strong></span>
10年ほど前から登場した<span style="color:#ff3300;"><strong>「もったいない」</strong></span>という言葉に始まって、<strong><span style="color:#ff3300;">節約意識は年々高まり、最近では食欲・性欲を始めとする本能を抑制すべきという意識も登場</span></strong>している。その一例が<span style="color:#ff3300;"><strong>「食べなければ死なない」</strong></span>である。<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=259355　">259355</a>　<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=259357">259357</a>
ガンや心臓病をはじめとする病気の第一原因は食べ過ぎである。第二原因が(放射性物質を含めた)人工物質である。例えば、タバコ自体には問題がないのであって、問題なのはそれに含まれる人工物質である。かつ、現代人が摂取する人工物質のわずか1/1千～1/1万の比重にすぎない。タバコが諸悪の根源であるかのような説は真っ赤な嘘である。

食抑とは我々の造語であるが、そういうことを提起する人は昔からいた。ところがかつては全く注目されなかったのが、最近急速に注目されるようになった。また、それ以前から(15年くらい前から)性欲の衰弱が顕著になっている。
これは、<span style="color:#ff3300;"><strong>'70年貧困が消滅して豊かさが実現</strong></span>され、そこから始まって<span style="color:#ff3300;"><strong>人々の意識が本能の抑制に入った</strong></span>ことを意味する。だから、<span style="color:#ff3300;"><strong>もったいない⇒節約⇒食抑という意識がこの10年間で急速に高まってきた</strong></span>のであろう。

<span style="color:#009933;"><strong><span style="font-size:130%;">●もう一つは、共認収束の潮流上の観念である。</span></strong></span>
'02年収束不全の顕在化して以降、<span style="color:#ff3300;"><strong>若者の課題収束</strong></span>が強まってきた。

'90年代の仲間収束(いじめはその表れである。いじめは昔からあったが、いじめられても仲間から逃げられないくらい仲間収束が強まってきたのである)から始まって、周りの期待に応えたい、役に立ちたいという欠乏が若者を中心に年々強まってきた。これも一つの観念である。応えようとすれば、期待の結晶物である課題を追求しなければならない。そこで、'02年以降課題収束が急速に強まってきた。期待に応えることが最大の充足源(活力源)となったので、課題収束が強まっているという構造である。

注目すべきは、若者の発する言葉である。
これまでは役に立ちたい系の言葉としてマスコミ発の「社会貢献」が多かったが、最近はより<span style="color:#ff3300;"><strong>ストレートに社会の役に立ちたい</strong></span>とか、<span style="color:#ff3300;"><strong>社会を良くしたい</strong></span>と言う<span style="color:#ff3300;"><strong>若者がついに登場</strong></span>してきた。さらに最先端では、類グループの新卒募集でも、能力欠乏と答え欠乏が半顕在化しつつある。つまり、<span style="color:#ff3300;"><strong>期待応合充足を求めて⇒課題収束の先に⇒能力欠乏と答え欠乏の半顕在化</strong></span>という構造である。

<span style="color:#ff3300;"><strong>以上の「節約」も「周りの役に立ちたい」も「社会を良くしたい」も価値観念ではあるが、若者においては既に、この新しい価値観念は古い価値観念(恋愛、自由、民主)を圧倒している。近代以降、動かなかった価値観念がついに動き始めたということであり、これは決定的な可能性である。</strong></span>

原発災害に対する統合階級が無能で答えを出せないことも、答え欠乏の上昇を加速させている。統合機能が破綻しているのを見て、人々、とりわけ若者は<span style="color:#ff3300;"><strong>「なんとかしなければ」⇒「どうする？」と答え探しに入った</strong></span>のである。

これは社会そのものを対象化した答え欠乏を孕んでいるということであり、50年来続いた庶民の無思考・無関心から反転する画期的な出来事である。</blockquote>
現在は、「もったいない→節約・食抑」あるいは「役に立ちたい→社会を良くしたい」等の言葉が浮上してきており、それらは、構造概念ではなく価値観念に過ぎないが、すでに若い世代では、それらの言葉＝観念が、同じく価値観念に過ぎない「恋愛」「自由」「個人」等の近代観念を圧倒しつつある。
<strong>どうやら、動かなかった観念が動き始めたようである。</strong>
　
次回から<span style="color:#009933;">現代意識潮流を解明しながら、基本的な概念装置が学習できるテキスト</span>を数回にわたって扱っていく予定です :m001: ご期待ください :m033: ]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>江戸時代の思想１　天下泰平で秩序安定期待が衰弱し、「民の生活」を忘れていった武士階級</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.sayuu.net/blog/2012/02/002211.html" />
   <id>tag:www.sayuu.net,2012:/blog//1.2211</id>
   
   <published>2012-02-14T10:48:58Z</published>
   <updated>2012-02-14T13:27:39Z</updated>
   
   <summary> 「尊皇攘夷や右翼思想は、敗者の思想ではないか？」では、 【１】江戸時代になって秩序が安定すると（戦争がなくなると）、取り立てられる可能性が閉ざされた浪人たちに不満が蓄積されたこと。 【２】その不満の矛先が徳川体制に向かい、それを背景として、浪人儒学者たちが尊皇思想を唱えはじめたことを明らかにしました。 【３】この徳川体制に不満を持つ浪人たちも、安定秩序からのはみ出し者であり、秩序安定期待から外れた敗者ということができます。 しかし、江戸時代の秩序安定期に不全を抱えたの浪人だけではありません。武士階級全体が不全を抱えることになります。 いつも応援ありがとうございます。    ...</summary>
   <author>
      <name>member</name>
      
   </author>
         <category term="04.日本の政治構造" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sayuu.net/blog/">
      <![CDATA[<img alt="102097.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/102097.jpg" width="250" height="400" />

<a href="http://www.sayuu.net/blog/2012/02/002205.html#more">「尊皇攘夷や右翼思想は、敗者の思想ではないか？」</a>では、
<span style="color:#ff3300;">【１】江戸時代になって秩序が安定すると（戦争がなくなると）、取り立てられる可能性が閉ざされた浪人たちに不満が蓄積されたこと。
【２】その不満の矛先が徳川体制に向かい、それを背景として、浪人儒学者たちが尊皇思想を唱えはじめたことを明らかにしました。
【３】この徳川体制に不満を持つ浪人たちも、安定秩序からのはみ出し者であり、秩序安定期待から外れた敗者ということができます。</span>


しかし、江戸時代の秩序安定期に不全を抱えたの浪人だけではありません。武士階級全体が不全を抱えることになります。


いつも応援ありがとうございます。
<a HREF="http://blog.with2.net/link.php?1276435" target="_blank"><img src="http://www.sayuu.net/blog/banner_04.gif" border="0" alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"></a> 
<a href="http://politics.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://politics.blogmura.com/img/politics80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 政治ブログへ"></a> ]]>
      <![CDATA[<a href="http://www.chuko.co.jp/shinsho/2011/02/102097.html">『江戸の思想史』（田尻祐一郎 著　中公新書）</a>「第2章　泰平の世の武士」の要約です。


<img alt="014.gif" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/014.gif" width="375" height="300" />
「北条重時家訓」

<blockquote><span style="font-size:130%;">●中世武士の思想</span>

武士は、戦闘を職能とする武装自弁の集団として登場した。「兵」は武具を与えられ、コマとして動かされる者であるから、両者ほ同じではない。中世の武士たちは、「弓矢取る道」「武者の習」などと呼ばれる独特な規範をもつようになっていた。その社会的な基盤は、在地に根付いて館を構え所領を支配し、一族郎党を抱えて武士団を作っていることにあった。所領の支配については独立して不可侵であり、誰の干渉も許さない独立性を誇った。

このような武士によって政治が運営される中から、<span style="color:#ff3300;">法体系は「道理」に基づくべきものであり、政治家は公平・無私であれというような思想が生まれてきた。</span>最古の武家家訓である「北条重時家訓」（十三世紀中頃の成立）には、一族郎党を率いるべき武士の理想の姿が描かれている。
「<span style="color:#ff3300;">仏・神・主・親に恐をなし、因果の理を知り、後代の事をかんがみ、凡て人をはぐくみ〔中略〕心剛にて、かりそめにも臆病に見えず、弓箭の沙汰ひまなくして、事に触れてなつかしくして、万人に陀び、能く思われ、皆人ごとに漏さず語をかけ、貧げなる者に哀みをなし、妻子眷属にいたるまで、常にうちわらいて、怒れるすがた見ゆべからず</span>」
超越者（仏・神・主・親）への畏怖、物事への洞察、武士としての強み、周囲への配慮、人間的な魅力を兼ね合わせるのが、あるべき武士の棟梁なのである。

「文」や「徳」に依拠する東アジアの正統的な価値観からすれば、戦闘者の世界から独特の思想が生み出されてくるなど、およそ考えられない。しかし日本では違っていた。武士はいつまでも単なる戦闘着ではなく、為政者でもあったからである。</blockquote>
<span style="color:#ff3300;">鎌倉時代～戦国時代まで、武士たちは民の生活を強く意識しており、だからこそ統治者として中立公正と無私であることが求められていた。</span>「北条重時家訓」にはそれがよく表れている。
そこでは、<span style="color:#ff3300;">武士の役割は自明のことであり、「北条重時家訓」以上の言葉化（観念化）は必要なかっただろう。</span>


ところが、<span style="color:#ff3300;">江戸時代に入ると、「武士の役割とは何か？」とか「武士のあるべき姿とは何か？」と考え、それを観念化した思想が登場する。</span>


<img alt="%E5%B1%B1%E9%B9%BF%E7%B4%A0%E8%A1%8C.bmp" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E5%B1%B1%E9%B9%BF%E7%B4%A0%E8%A1%8C.bmp" width="233" height="217" />
「山鹿素行」
<blockquote><span style="font-size:130%;">●山鹿素行の問い「武士は何のためにあるのか」</span>

山鹿素行は会津の浪人の子として生まれ、儒教を林羅山に学び、さらに兵学と同時に『源氏物語』や『万葉集』、さらには忌部神道や両部神道(平安時代からの真言密教系の神道)を学ぶ。素行は兵学者として知られる人物であり、幕府への仕官を希望していたがかなわず、８年間赤穂藩に仕えている。

素行が儒教の専門的な学者であり、かつ兵学者でもあった。他に江戸の思想家には医者が多い。中国や朝鮮の伝統では、知識労働と肉体労働とは厳密に区別されて、交わることのない別世界であるが、江戸の学者が、多かれ少なかれこのような実用の学を身につけているということは、江戸の思想史にとっても重要な要素であろう。

素行は「武家日用の学」を求めていく中で、四十歳の頃から朱子学への疑問を募らせ、１６６５年、四十四歳の時に、その疑問をまとめて『聖教要録』として刊行した。この書物の刊行は、厳格な朱子学者として知られる山崎闇斎をブレインとしていた保科正之の怒りをかい、素行は赤穂藩浅野家に預かりの処分を受けている。そこで素行は『中朝事実』を著した。

素行はこの書で中華思想に反論した。
当時中国は漢民族の明朝が滅び、満州族が皇帝の清朝となっていた。また歴史を見ると、中国では王朝が何度も替わって家臣が君主を弑することが何回も行われている。中国は勢力が強くもなく、君臣の義が守られてもいない。これに対し日本は、外国に支配されたことがなく、万世一系の天皇が支配して君臣の義が守られている。
<span style="color:#ff3300;">中国は中華ではなく、日本こそが中朝（中華）であるというのが、この書の主張である。</span>

素行が自らの思想遍歴を明らかにした書である『配所残筆』には、自分たちは武士だという強烈な自覚が溢れている。

道徳や教養に優れた人格が、世を治め民を安んじるのではない（儒教ならそう考える）。「武士の門に出生」した老は、世を治め民を安んじる責任があるから、「身を修」めなければならないのである。武士は、自分のことだけを考えるのではない、武士としての交際があるし、一身のたしなみ、礼儀作法から統治の担い手としての教義や技能まで、武士として身に付けておくべき「わざ」も多い。

<span style="color:#ff3300;">社会にとって農工商の三民の存在価値は明らかであっても、武士について、それは自明ではない。武士は三民の上に立つというが、実は遊民ではないのかという声を、素行は心の奥に聞いていた。</span>
素行は次のように答える。

<span style="color:#ff3300;">「職業」としての日々の労働に精一杯である農工商の三民に、人倫（道）の手本を示すのが「士の職」だということである。</span>

<span style="color:#ff3300;">武士は何のためにあるのか</span>という問いの前に立たされ、その回答としてこういう説明がなされたのである。
中国や朝鮮の士大夫（読書人＝官僚）は、そもそもそういう問いの前に立たされることがない。文や徳の担い手としてのその存在価値は、あまりにも自明だからである。素行の場合、それは一見すれは武士の儒教的な正当化であるが、およそ儒教の世界では考えられない問題にぷつかっているということが、より重要なのである。</blockquote>

<img alt="51WPR0QZS5L__SL500_.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/51WPR0QZS5L__SL500_.jpg" width="224" height="326" />　
<blockquote><span style="font-size:130%;">●『三河物語』の忠「譜代の衆は御家の犬」</span>

『三河物語』は、戦国時代末期から江戸時代初頭を生きた三河武士である大久保忠教（彦左衛門）（１５６０～１６３９）が、徳川家の歴史と大久保家の戦功を語りながら、徳川家譜代の家臣として生きるための教戒を子孫に書き残したものである。

<span style="color:#ff3300;">忠教は「御普代の衆は、よくてもあしくても御家の犬にて」と述べて、絶対的な忠誠を「御家」に尽くすのが譜代の臣としての生き方だとする。</span>それは、主君への隷属ではない。時には諌争もする。しかし忠敬の関心は、平和な時代がやってきて武士に要求されるものが変わり、譜代が軽んじられる風潮の中で、子孫が譜代らしく生きるにはどうあるべきかという一点にある。

垢抜けた口達者な者、いかにも能吏らしい者、そういった新参の雇われ武士が重宝がられて出世していく。そういう時勢だからこそ、「無骨」な譜代武士はそれを真似たり僻んだりせず、与えられた場所がたとえ不満なものであっても、そこで忠勤を尽くすべきことを忠教は説く。

忠教はこう書いている。
「御主様へ御無沙汰（不忠）申上た者ならば、我死したりと云共、汝共がのどぶえに喰付て、喰殺すべし」（自分の死後、主君に不忠を働いた者がいれば（蘇って）のど笛に噛み付いてやるという意味）。
<span style="color:#ff3300;">『三河物語』が説くのは、生死を共にして主家の活路を閃いてきた譜代武士が、泰平の時代、次第に取り残されていく状況の中で、戦功に代わる自分たちの生の根拠をどこに求めるべきか、その必死の呻きなのである。</span></blockquote>
<img alt="31395883.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/31395883.jpg" width="230" height="326" />
<blockquote><span style="font-size:130%;">●『葉隠』の忠「武士道とは死ぬ事と見付けたり」</span>
佐賀藩（鍋島家）に仕えた山本常朝（１６５９～１７１９）を慕う藩士の田代陣基が、晩年の常朝の口述を筆記して『葉隠』である。素行が、戦闘者としての精神的伝統の上に、「三民」に向き合う道徳的指導者としての武士像を打ち立てたとすれば、<span style="color:#ff3300;">『葉隠』は、「鍋島侍」の生き方は「主君の御用に立つ」べきことに尽きると言う。</span>素行が求めた学問や教養、普遍的な「人倫」への志向は、ここにはない。

仏教も儒教も兵学も、「当家の家風」に沿うものではないから不要で、鍋島家代々の歴史や武勲などの知識だけで十分だと言うのである。
<span style="color:#ff3300;">「主君の御用に立つ」とは、例えばそれは「諫言」をなすことであり、わずかでもそこに、「我が忠」を示そうという自己顕示欲があってはならず、ひたすら主君を思う気持ちに純粋でなければならない。</span>
主人への「忠」は否定されるわけではないが、それを「理屈」として詮索したり、規範として定立する（忠とはかくあるべしと言説化させる）ことは嫌われる。それはおそらく、そのような「理屈」を立てようとする中に、自己中心的な不純さを認めるからである。

<span style="color:#ff3300;">「武士道というは、死ぬ事と見付けたり」</span>から始まる一節は、次のようなことを語っている。
「忠」の「理」を規範として立てるという志向のうちに、自己の不純を理屈で取り繕おうという気持ちが潜んでいて、そこに定立された規範の中にも、形を変えた自己中心性が忍び込んでしまう。<span style="color:#ff3300;">「毎朝毎夕」不断に「死身」となることで、武士として何ものにもとらわれない、つまり自己の「好き」にもとらわれない高次の「自由」を得て、結果的には「一生越度なく、家職を仕果す」ことができるというのである。</span>こうして『葉隠』は家職を仕果すために、武士はどう生きねはならないかを語っている。

そして常朝の場合、それが秘められた官能とも連続している。
恋心を悟られず「思い死する」ほどの恋を「恋の本意」とする常朝は、家臣から主君への忠誠の根底にも、この「忍恋」の心が秘められると言う。先に「無二無三に主人を大切に思えば」とあったが、その「大切に思う」にも、おそらくこのような官能の色合いが潜んでいる。

「好き」に流される時、緊張が緩んで、理屈を操作して自己正当化したい欲望が生まれる。それは武士として恥かしい、「自由」を失ったありようなのである。緊張の中に自己を置いて自己を放たないこと、それは、深い恋心を懐きながら、それと悟られずに相手に接し続けるに似た、秘めやかな愉悦に支えられている。</blockquote>

このように、江戸時代の山鹿素行も大久保彦左衛門も『葉隠』も「武士の役割とは何か？」とか「武士のあるべき姿とは何か？」と考え、それを観念化している。
ところが、<span style="color:#ff3300;">その内容は、大久保彦左衛門や『葉隠』では「主君への忠」が第一で民のことは意識されていないし、山鹿素行の「農工商に人倫を示すのが武士の役割」という論も、庶民の生活や期待とは遊離した、上から目線の観念論である。</span>　村落共同体の中で生きている共同体質の農民にとっては、「人倫」など言われなくてもわかっていることである。


<span style="font-size:130%;">何故、江戸時代に入って「武士の役割とは何か？」と自問自答する必要が生じたのか？</span>


<span style="color:#ff3300;">戦国時代までの武士が民の生活第一であったのは、
【１】打ち続く戦乱で、社会の最大期待が秩序安定期待であったからであり、
【２】武士階級のほとんどが農村に住み、村落共同体と密着し、大衆（農民）に期待を直接受けていたからである。</span>


実際、戦国時代の農民が戦国大名に期待したのは、治水・法度・守護（灌漑・司法警察・国防）といった秩序の安定課題である。そして、それぞれの戦国大名も領国内を統治するために分国法（法度）を制定したことに見られるように、秩序安定期待に応えようとしていた。戦国大名の役割の一つは法度＝司法警察であるが、そこでは公平性が求められた。
その最たる者が江戸時代の幕藩体制という安定秩序を作り出した徳川家康である。家康が最終的に戦国の覇者と成り得たのは、秩序の安定期待という、この時代の（支配層から末端大衆までを貫く）期待＝意識潮流に応えたからだとも言える。<a href="http://www.sayuu.net/blog/2010/09/001730.html">「武力支配時代の秩序期待」</a>


ところが、<span style="color:#ff3300;">徳川幕藩体制によって秩序が安定すると（それは当たり前のことになって）秩序安定期待は衰弱する。かつ、武士は全て都市に集められ、村落共同体から切り離された市場の住人と化す。かつ、戦国時代までの武士の仕事（＝戦争）がなくなる。つまり、武士たちは社会的期待も仕事も喪失し、役割不全に陥ったのである。</span>


<span style="color:#ff3300;">実際、「天下泰平」「御静謐の世」を実現した江戸時代には、心がすさんだ武士も多かった。</span>
瑣事をきっかけに抜刀し、命を失う武士も多かった。井原西鶴は１６８８年刊『武家義理物語』の中で「自然の時のために知行をあたへ置かれし主命を忘れ、時の喧嘩、口論、自分の事に一命を捨つる」と述べている。あるいは、異様な服装・言葉遣いをし、恐ろしげな名称の集団を作って街をのし歩き、喧嘩を売り、乱暴狼藉を働く者がおり、さらには辻斬りをする者さえいた（かぶき者と呼ばれる）。<a href="http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-033100-5.html">『日本政治思想史（十七～十九世紀）』（渡辺浩著　東京大学出版会）</a>
このような無頼化した旗本奴と争った幡随院長兵衛は、弱きを助け強きをくじく男の中の男としてその後、芝居や講談の題材となった。
また、儒学者三輪執斎（１６６９－１７４４）の著によると、<span style="color:#ff3300;">「口惜しや、畳の上ののたれ死に、目出た過ぎたる御世に生まれて」</span>という辞世の句を残した武士もいたという。


そうなると、<span style="color:#ff3300;">武士にとっては民の生活はもはや第一ではなくなり、この武士たちの役割不全を解消することが第一課題となる。これが「武士の役割は何か？」を観念化した思想が登場した理由である。</span>
それが、山鹿素行の「農工商に人倫を示すこと」であり、大久保忠教（彦左衛門）の「御家の犬」であり、『葉隠』の「主君の御用に立つ」「武士道とは死ぬことと見つけたり」である。


このように、<span style="color:#ff3300;">主君への忠や武士道といった武士の規範観念が、ことさら強調されることになったのは、天下泰平が実現した江戸時代以降のことである。</span>
実際、江戸時代より前の武士たちは主君に対する忠誠心は極めて希薄であった。
１５７９年に日本にやってきた神父ヴァリニャーノは、日本の武士の主君に対する忠誠心の無さを次のように書き残している。
「主君の敵方と結託して反逆し、自らが主君となり、再びその味方となるかと思えば、状況が変わればまた謀叛するという始末である」


<span style="color:#ff3300;">江戸時代に入って、忠や武士道がことさら強調されるようになったのは、社会的期待と役割を喪失した武士階級を観念的に統合するためであったろう。
同時にそれは、支配階級である武士たちが、戦国時代まであった「民の生活を守る」という規範意識を忘れてゆく過程だったのではないだろうか。</span>

<a HREF="http://blog.with2.net/link.php?1276435" target="_blank"><img src="http://www.sayuu.net/blog/banner_04.gif" border="0" alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"></a> 
<a href="http://politics.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://politics.blogmura.com/img/politics80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 政治ブログへ"></a> 


<a href="http://www.rui.jp" target="_blank"><img src="http://www.rui.jp/banner/image/ruinet_banner4.gif" border="0" alt="るいネット"></a> 
<a href="http://www.rui.jp/new/kousei/kousei_19.html" target="_blank"><img src="http://www.rui.jp/banner/image/mm_banner.gif" border="0" alt="メルマガ"></a> ]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>橋下大阪市長の意識構造と今後の方向性を探る</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.sayuu.net/blog/2012/02/002208.html" />
   <id>tag:www.sayuu.net,2012:/blog//1.2208</id>
   
   <published>2012-02-11T10:50:07Z</published>
   <updated>2012-02-14T09:56:02Z</updated>
   
   <summary> 　 大阪都構想を主軸として、大阪府知事→大阪市長に就任した橋下徹氏。最近のＴＶメディアでの露出でも、（レベルが低いとは言え）学者をことごとく粉砕し、ますます注目を集めているように見えます。 　 しばらくの間、大阪の行政、さらに国政に影響を与え続けることが予想されます。一つ一つの政策に対しては、賛否両論あると思いますが、まずは彼がどのような政策を打ち出していくのか、その方向性を探っておきたいと思います。 　 それを考える上で、まず、ネットや書籍を中心に、橋下大阪市長の生い立ちからの意識構造の分析から始めます。 　 （※個人情報が多く入っていますが、個人攻撃をする意図はありません。あくまで、意識構造を分析した上で、今後の方向性を探ってみようという試みです。） ...</summary>
   <author>
      <name>tnaito</name>
      
   </author>
         <category term="10.日本の時事問題" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sayuu.net/blog/">
      <![CDATA[<a href="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E6%A9%8B%E4%B8%8B.jpg"><img alt="%E6%A9%8B%E4%B8%8B.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E6%A9%8B%E4%B8%8B-thumb.jpg" width="400" height="300" /></a>
　
大阪都構想を主軸として、大阪府知事→大阪市長に就任した橋下徹氏。最近のＴＶメディアでの露出でも、（レベルが低いとは言え）学者をことごとく粉砕し、ますます注目を集めているように見えます。
　
しばらくの間、大阪の行政、さらに国政に影響を与え続けることが予想されます。一つ一つの政策に対しては、賛否両論あると思いますが、まずは彼がどのような政策を打ち出していくのか、その方向性を探っておきたいと思います。
　
それを考える上で、まず、ネットや書籍を中心に、橋下大阪市長の生い立ちからの意識構造の分析から始めます。
　
（※個人情報が多く入っていますが、個人攻撃をする意図はありません。あくまで、意識構造を分析した上で、今後の方向性を探ってみようという試みです。）
]]>
      <![CDATA[<span style="background:#A4FFA4"><strong>■生誕～中学校時代</strong></span>
　　
　
橋下は東京で長男として生まれ、４つ下に妹がいます。小学校２年生のときに暴力団員の父親が自殺し、その後小学校５年生のときに大阪東淀川区（同和地区）の府営住宅に引越し、貧乏な母子家庭の中で育ちます。橋下はそこで、同和地区での理不尽な現実に晒されながら生きることになります。
　
小学校は転校初日から、東京者とからかわれて同級生から殴られます。すると橋下は敵対するのでも、手下につくのでもなく、言葉巧みに取り入り、彼らの交友関係に自ら入ることで身を守ります。自身でもドラえもんのスネ夫のような生き方だったと語っています。　
中学は荒れた学校に通っていたため、「一番悪そうな部が安全」とラグビーに入部します。頭の回転を武器にして悪達の代弁者となり、クラスの争いごとや学校側との交渉の先頭に立ちます。周りや教師からの評価は、口達者、卓越した交渉術など当時から処世術に長けていたことが分かります。
　
また受験前の短期間で猛勉強して（中学時代の橋下は学校トップクラスだが偏差値44）、見事に大阪トップの北野高校（偏差値70以上）に合格します。
　
　
<span style="background:#A4FFA4"><strong>■高校～大学時代</strong></span>
　
高校での成績は最下位クラスで、自分に利益のないことはせず（掃除、汚れ仕事は徹底的にサボり）、自分の利害にかかわることには理屈を考え出し、平気で嘘を付くと、周りや教師からの評価は低かったようです。
　
部活は引き続きラグビーを続けていましたが、まじめに練習せずに遅刻も多かったようです。そのため３年でレギュラーを外されそうになりますが、「もう一度チャンスがほしい」と懇願して猛練習を行い、大一番の試合で大活躍！４６年ぶりの「花園出場」に貢献します。部活の顧問は、「追い込まれなければやらないタイプだが、本番では予想外の力を出す」と当時を語っています。
　
大学は１年浪人しながらも、短期間で必死に勉強して、早稲田大学の政治経済学科（高田馬場）に進学します。しかし、授業に興味がなく、またサークルで仲間とつるむこともなく、大学にほとんど行かなかったため、早々に大学留年（5年生）が決定します。
　
生活は駆け落ち同然の彼女（高校の同級生）と同棲し、バイトしながら細々と食いつないでいたようです。その時の学生ビジネスで騙されたのをきっかけに、必死で法律を学び司法試験に合格します。
　
　
<span style="background:#A4FFA4"><strong>■弁護士時代</strong></span>
　
司法研修を終えた橋下は「人の下で働きたくない」と周りに言いながらも、金銭面及び経営手法も分からないため、「ノウハウだけ学んで、絶対に１年で独立してみせる」と大阪市内の弁護士事務所に就職します。
　
弁護士になってからは「人脈を広げなければ商売にならない」と、高校、大学の卒業名簿を取り寄せて売り込みのハガキを数千枚も送ります。さらに興味のない法曹サークルや護憲団体などの複数の勉強会や積極的に参加し、先輩弁護士には「ここの団体は付き合ってメリットありますか？」などと聞いていたそうです。「仕事は優秀だが、お金への執着心が強い人間で、金にならない仕事は手早くこなし、人脈づくりなど個人の仕事ばかりを優先させていた」と当時の弁護士事務所の所長は橋下を評価しています。
　
就職１年後には、異例の早さで独立事務所を構えます。（通常は１０年程度かかるそうです）仕事は、金にはなるがトラブルが多くて人気のない損害賠償保険の交渉業務を中心とし、人脈などをフルに活用して積極的に仕事をしていきます。また橋下は弁護士になってから、髪を茶髪に染めています。これは厳しい状況で独立を果たした橋下が、生き残りを賭けて選んだ手段（茶髪でインパクトを出す作戦）でした。
　
橋下は弁護士をサービス業として位置付け、厳しい交渉案件や問題視されていた消費者金融大手アイフル系列企業での顧問弁護士を務めるなど仕事を拡大していきます。法廷では「法」がすべてであり「正義」など何の役にも立たないとし、目的のためには手段を選ばない（吹っかけて論破する、法の隙間を利用する）仕事ぶりが目立つようになります。
　
こうした仕事ぶりや風貌から、周りの弁護士から「行儀が悪い、弁護士の品がない」など、橋下は嫌われはじめていきます。さらにこの後、山口県光市母子殺害事件の弁護団懲戒請求発言問題で、元事務所を含めた周りの弁護士（弁護士会）との隔絶が生じていきます。
　
　
<span style="background:#A4FFA4"><strong>■タレント時代</strong></span>
　　
独立から４年後に、橋下は毎日放送のディレクター（高校のラグビー部の先輩）から声を掛けられ、弁護士コメンテーターとしてテレビに出演します。「（ニートには）拘留の上、労役を課す」「私は改憲派だし核保有を肯定する」などの、これまでの弁論術を駆使した過激で分かりやすい本音発言が視聴者からの人気を呼びます。
　
橋下氏はこの過激な発言を通して、テレビで何をどう話せば視聴者にウケるのか、賛同を得られるのかを理解していきます。テレビ局は自分たちの意図を良く理解してくれている使いやすから番組数を増やし、橋下の知名度は高まり、人脈も増えていきます。そして周囲からの府知事選の後押しと、財界への根回しが上手くいき勝算が出ると府知事選に出馬し、マスコミを上手く利用して見事に当選します。
　
　
<span style="background:#A4FFA4"><strong>■橋下市政、今後の方向は？</strong></span>
　　
再び橋下氏の過去を振り返ってみると・・・
・小中学では、いじめられないように力の強いものの仲間になる
・大学では、法制度を学び弁護士の資格を取得する
・大阪府知事、大阪市長へと就任する
　
橋下氏の発言をみると・・・
・「今の日本の政治で一番重要なのは独裁」
・「政治家を志すっちゅうのは権力欲、名誉欲の最高峰だよ」
・「４０歳代くらいの職員を対象に自衛隊での研修を検討したい」
・「税金を払わない奴は生きる資格がない」
・「私は改憲派だし核保有を肯定する」

ここから浮き上がってくる意識構造は、力の強いものへの憧憬とその正当化です。

<strong><Div Align="center">


不遇な環境からの脱出欠乏
∥
∨
より大きい力への憧憬
∥
∨
市場原理主義＜───　力の原理主義　───＞核武装を肯定 　　
　
</Div></strong>
　
橋下は子供の頃に、同和地区の理不尽な現実に晒されながら貧乏な生活を送っています。誰も助けてはくれないため、この不遇な環境からの脱出欠乏が強く生起し、<span style="color:#ff3300;"><strong>この状況を変えられる、より大きな力に憧れを抱いたのでしょう。より大きい力を手に入れることを、「力の原理主義」（力の強いものが弱いものを導き、全体を統合していく）によって正当化していきます。</strong></span>
　
この延長上にある発想が<strong>大阪都構想</strong>です。府知事時代の財政悪化を隠蔽してでも、大阪都構想を推進していることからも、<strong>力の原理の信奉者</strong>であることが分かります。
　
教育政策については、府立高校の学区撤廃によって、トップの北野・天王寺高校へと集中させ、年収８００万円までは私立高校の年間授業料を１０万円程度（公立並）とし、ある程度の公立でなければ私立でよいという潮流を作り出そうとしています。
この結果、下位の公立高校は人が集まらず廃校となっていくでしょう。（３年連続定員割れの府立高を統廃合）。これは、<strong>力の強い高校を作り出し、下の方の高校から、存在意義を奪っていくということです。</strong>また市立小中学校を学校選択制（平成２６年度導入）にすることから、小中学校も同様の意図だと考えられます。
　
（ただし、これら教育政策は、独自に考えられたわけではなく、日本で一番力の強い東京の真似しているだけに過ぎません。）
　
　
経済政策については、具体的なことを言及していないのでよく分かりませんが、はっきりしているのは、民営化を推進することで競争力を高めて、財政を再建しようとしている点です。。さらに力の原理の信奉者という点からみると、製造業、エネルギーなどの<strong>各産業の中心地を決め、外から企業を誘致して集約させ、各産業の力の強い地域を作り出していくと考えられます。</strong>
　
　
これらの制度改革に対して反対する地方官僚は、「選挙で当選した」「自分こそが民意を反映している」という論理を使って、次々に首を切っていくでしょう。これによって橋下に逆らう地方官僚はいなくなり、<strong>面従腹背の集団</strong>が形成されていくことになるでしょう。　
　
しかし、逆にこの構造は、橋下氏の最大の弱点になるはずです。<span style="color:#ff3300;"><strong>マスコミからの人気、それを背景にした得票数という数の「力」によって、全体を統合しようとしているのですから、彼に擦り寄っている人間も、橋下氏が持っている「力」を利用としているだけです。ですから、マスコミが作り出した「力」にかげりが見え始めた途端に、集団は空中分解することになるでしょう。</strong></span>　
　
　　
<a HREF="http://blog.with2.net/link.php?1276435" target="_blank"><img src="http://www.sayuu.net/blog/banner_04.gif" border="0" alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"></a>  
 <a href="http://politics.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://politics.blogmura.com/img/politics80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 政治ブログへ"></a>  ]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>近代科学の成立過程１８～十六世紀ヨーロッパの言語革命はキリスト教と金貸しの共認闘争だった</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.sayuu.net/blog/2012/02/002206.html" />
   <id>tag:www.sayuu.net,2012:/blog//1.2206</id>
   
   <published>2012-02-09T12:49:10Z</published>
   <updated>2012-02-09T13:04:28Z</updated>
   
   <summary> カエサルのガリア征服（この画像はこちらからお借りしました） 近代科学の成立過程シリーズ、前回はイギリスが国家を上げて科学技術を吸収し、それを武器にして略奪行為を国家ぐるみで行い、世界帝国を築き上げていく過程を学びました。この後、ヨーロッパ世界は国民国家の時代となっていきます。 今回は、この国民国家の時代への転換の基礎となった、１６世紀ヨーロッパの言語革命について学びます。この言語革命はカエサルによってヨーロッパにもたらされたラテン語に変わって自らの言語を国語として獲得し、中世にラテン語を独占したカトリック教会から独立していく過程でした。 山本義隆氏の著『十六世紀文化革命』（みすず書房）の「第９章　一六世紀ヨーロッパの言語革命」の前半要約です。 応援も宜しくお願いします。 ...</summary>
   <author>
      <name>nodayuji</name>
      
   </author>
         <category term="13.認識論・科学論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sayuu.net/blog/">
      <![CDATA[<img alt="%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%82%B5%E3%83%AB.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%82%B5%E3%83%AB.jpg" width="300" height="225" />
カエサルのガリア征服（この画像は<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%82%B5%E3%83%AB">こちら</a>からお借りしました）

近代科学の成立過程シリーズ、前回は<span style="color:#ff3300;">イギリスが国家を上げて科学技術を吸収し、それを武器にして略奪行為を国家ぐるみで行い、世界帝国を築き上げていく</span>過程を学びました。この後、ヨーロッパ世界は国民国家の時代となっていきます。

今回は、この国民国家の時代への転換の基礎となった、１６世紀ヨーロッパの言語革命について学びます。この言語革命はカエサルによってヨーロッパにもたらされたラテン語に変わって<span style="color:#ff3300;">自らの言語を国語として獲得し、中世にラテン語を独占したカトリック教会から独立</span>していく過程でした。

山本義隆氏の著『十六世紀文化革命』（みすず書房）の「第９章　一六世紀ヨーロッパの言語革命」の前半要約です。

応援も宜しくお願いします。
<a HREF="http://blog.with2.net/link.php?1276435" target="_blank"><img src="http://www.sayuu.net/blog/banner_04.gif" border="0" alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"></a><a href="http://politics.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://politics.blogmura.com/img/politics80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 政治ブログへ"></a>]]>
      <![CDATA[<blockquote><span style="color:#ff3300;"><strong><span style="font-size:130%;">１　中世前期の俗語とラテン語</span></strong></span>

十六世紀文化革命の指標は､大学とは無縁な職人や芸術家や外科医が俗語で書いた科学書・技術書の出現であった。それまで文字文化から阻害されていた人たちが、自分たちの言語で経験と思考を公表し、知の独占に風穴を開けたことである。そのためには俗語自体が変革されなければならず、十六世紀文化革命は同時期の言語革命と並行して進められた。

カエサルが紀元前50年にガリアを征服し現在の西ヨーロッパに文明と統一がもたらされた。ローマ人の言葉である<span style="color:#ff3300;">ラテン語は当初から統治のための公用語であり文明の言葉</span>でもあった。ラテン語は比較的短期間に土地の言葉にとって変わっていった。

キリスト教はもともとローマ帝国属州の奴隷や虐げられた民の間で生まれたが、四世紀末には帝国の国教となり支配階級の宗教となった。四七六年に西ローマ帝国が崩壊しガリアはフランク族の支配下に入るが、キリスト教は生き延びガリアの地に広まっていく。そして<span style="color:#ff3300;">ローマ帝国に変わってキリスト教会が文字文化を独占</span>していく。

キリスト教がガリアの地に浸透して行く過程は、土地の支配者をキリスト教化する形で進められた。改宗は多くの地で支配層だけに限られていた。<span style="color:#ff3300;">支配者もキリスト教会の階級制度は統治に利用できる事に気付いた</span>。ガリアではフランク族を統合したクロビスが五世紀末に、ブリテン島ではケントの王エセルバートが六世紀末に受洗している。ヒスパニアでも教化は支配層から始まり、北イタリアのランゴバルト族も七世紀の初めに王の入信が認められた。こうして俗権と教権の提携が始まった。その際に上位にあったのは教権であった。<span style="color:#ff3300;">中世ヨーロッパ社会は超越的権力である教皇が世俗の権力に君臨するという二重の支配構造</span>を有していたのである。

八〇〇年に神聖ローマ帝国の王冠を戴いたシャルルマーニュが王朝の秩序樹立のさいに範としたのは旧ローマ帝国の秩序でありキリスト教の組織であった。シャルルマーニュは宮廷に知識人としての聖職者を集めラテン語を教育する宮廷学校を創設し、さらに修道院に学校の設置を促す勅令を発している。シャルルマーニュがラテン語の教育に力を入れたのは民衆のキリスト教化に必要な聖職者の部隊を養成するためであったが、今ひとつは文書による行政を復活させるための人材を必要としたからであった。行政の言語にその時代に唯一の書き言葉であったラテン語があてられたのは必然であった。<span style="color:#ff3300;">キリスト教とラテン語はヨーロッパの権力者たちに支配のイデオロギーと手段を与えた</span>のである。

<img alt="%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%88%B4%E5%86%A0.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%88%B4%E5%86%A0.jpg" width="300" height="273" />
シャルルマーニュ（カール大帝）の戴冠（この画像は<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Sacre_de_Charlemagne.jpg">こちら</a>からお借りしました）

シャルルマーニュの死後、帝国は解体に向かうが教会や修道院の附属学校は徐々に数を増やしていった。爾来、ヨーロッパの学校制度は、イタリアに存在していたとされる在俗の学校を除いて、基本的に教会の組織であり、一二世紀に創られていった大学もナポリ大学のような少ない例を除いて教会の息がかかっていた。パリ大学もオックスフォードもボローニャ大学も教権の後ろ盾を求めた。教育は教会の支配下にある教育機関でのみ行われ、そこでラテン語とキリスト教思想を教育された。このように中世において支配宗教および司法と行政のための文書言語としての<span style="color:#ff3300;">ラテン語は少数の知的エリート、主として教会に属するカーストの言語であり、民衆の生活と隔絶</span>した物であった。

ところで一口にヨーロッパと言っても実際には風俗も言語も違う異なる民族の寄せ集めである。これらの地域をヨーロッパと一括りに語ることが出来たのは、社会上層部におけるキリスト教の支配と共通言語であるラテン語の存在ゆえにであった。実際、聖職者たちはヨーロッパのどこに行ってもその地の聖職者や支配エリートとラテン語で意思疎通が出来たのである。ラテン語は正規の文書語、教会と文化の用語、ヨーロッパ統合の要因であった。

以上で言うラテン語はローマ帝国における法律と行政のためのラテン語を指す。強固な行政機構のための書き言葉として利用されたラテン語は帝国の末期まであまり変化することはなかった。それに対して帝国の民衆に使われた話し言葉としての俗ラテン語は帝政末期には古典ラテン語と異なっていたと言われる。<span style="color:#ff3300;">俗語とは俗ラテン語がさらに変化して出来たロマンス語(フランス語など)および土着のフランク族の言葉(ゲルマン語)を指す</span>。こうして何世紀もの間に民衆の話し言葉としての俗語と支配層の書き言葉としてのラテン語の乖離が進行していった。九世紀の初頭にはラテン語は民衆に理解できなくなっていた。圧倒的多数の民衆は文字文化と無縁のところで生活し、支配階級の俗人貴族もラテン語に通じているのはごくわずかで、ラテン語を操る者だけが文明人であった。</blockquote>

<span style="color:#ff3300;">共同体（共認基盤）を喪失したヨーロッパにおける社会統合は、共同体を失ったがゆえに規範共認では集団を統合することが出来ず、法律などの観念で統合するしかなかった</span>。風俗も言語も違う部族の寄せ集めにすぎない欧州が「ヨーロッパ」という一括りの観念が成立したのは、キリスト教とラテン語という共通（支配）観念があったからだが、これも共認基盤を喪失したが故に観念によって統合するしかなかったことの裏返しだった。<span style="color:#ff3300;">教皇権力が王権より強いのも、観念（キリスト教とラテン語）で統合するしかないから</span>。

共認基盤が存在せず、観念統合が全てなので、観念は権力を獲得し保持するための武器（手段）となる。だから、ヨーロッパでは中世キリスト教会でも、近代の科学者たちも、エリートの間だけで観念を隠匿し、大衆には知らしめないことが、支配のための常套手段となってゆく。

例えば、神聖ローマ帝国の王となったシャルルマーニュもが権力を安定的に維持するために教会の権力を必要としたのは、彼が武力だけでのしあがった、言わばやくざの親分に過ぎなかったからであろう。力が強い者が支配者になれるというルールだけではいつまでも殺し合いが続くことになる。本源的な共認が崩壊した<span style="color:#ff3300;">ヨーロッパでは、教会が王として認めることが王権を安定させる唯一の共通観念</span>だったのであろう。

■参考投稿
「<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=260955">８．大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機</a>」
「<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=257534">10/9なんでや劇場１　追求過程では普通の人だったが、弟子や信者ができてプロ化した古代思想家</a>」
<br>
<blockquote><span style="color:#ff3300;"><strong><span style="font-size:130%;">２．ヨーロッパ社会の変化</span></strong></span>

西ローマ帝国の崩壊後、ギリシャの科学と哲学などはその大部分が見失われていた。修道院に古代の学芸が細々と伝えられていたが修道院は点在する孤立空間であり、事実上院内に死蔵されていた。西ローマ帝国の没落から数百年間、ヨーロッパの文字文化はきわめて少数の聖職者と支配者の一部に独占されていた。

変化は一二世紀前後に始まる。この時期ヨーロッパでは産業革命と農業革命が進行し気候にも恵まれて農業生産性が大きく向上する。その結果、余剰生産物の交換経済が始まり、人口の増大と領主的束縛の弛緩も相まって空前の都市文化がおこり、これまで聖職者と騎士と農民からなっていた社会に都市に住む商人や職人という新しい階層が加わることになった。商業は商品を携えて旅する遍歴商業として営まれたが、やがて都市に定住して為替手形で取引する文書主義に移行していった。一三世紀商業革命である。日常の業務でも正確な記帳による商品と会計の管理が不可欠となり見積書や請求書が重視され手紙のやりとりも増大した、こうして一四世紀には数学や法律や地理学を身につけた<span style="color:#ff3300;">物書き商人が登場し、聖職者と宮廷貴族による文字文化の独占を掘り崩していく</span>。

他方で<span style="color:#ff3300;">王権は、国庫を豊かにするため都市の有力商人の支援を仰ぎ、見返りとして都市に特権を与えた。さらに中央集権を強めるために支配機構に都市市民のエリートを登用し新たな知識階層としての官僚層が生み出されていった</span>。統治機構の肥大化に伴い文書依存も高まっていった。一二世紀にはフランスやドイツで公文書にフランス語やドイツ語が用いられるようになる。

書き言葉としての俗語使用は一二世紀の宮廷文学・騎士文学に始まる。これらの世俗的貴族文学としての俗語文学は騎士､小貴族を対象として君主に対する忠誠と戦闘に於ける勇気を表現するものであった。ともあれ、宮廷文学・騎士文学に於ける俗語使用は俗語にそれなりの権威を与えることになった。

中世文学の傑作と言われる薔薇物語が書かれた一三世紀中期には騎士文学の盛期は終わり、それ以降俗語文学は市民の関心を呼ぶものにシフトしていった。俗語による文字文化の拡大という点では、商業目的から読み書き能力を身につけていた商人たちの果たした役割の方が大きい。一四世紀にダンテが『神曲』を、ボッカッチョが『デカメロン』を共にトスカーナ語で著わし広く受け入れられていく基盤は出来ていたのである。

<img alt="%E3%83%87%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%AD%E3%83%B3.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E3%83%87%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%AD%E3%83%B3.jpg" width="250" height="353" />
デカメロン(この画像は<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%AD%E3%83%B3">こちら</a>からお借りしました）

このような背景の中で都市市民の初等教育においても俗語が重視され始め、都市の市民層は教会の目的から離れた学校を求めるようになっていった。長期のせめぎ合いを経て、<span style="color:#ff3300;">学校の管理権は次第に市民に移行し教会の影響から抜け出していった</span>。一四世紀には商人や職人の子弟のために俗語で教育することを目的とし教会から独立して地方行政局が運営する習字学校が出現する。こうして一五世紀末にはヨーロッパ全域で書き言葉としての俗語使用は拡大しそれに伴い都市市民の識字率も上昇していった。</blockquote>

山本義隆氏は、この時代の都市化は農業による余剰生産物が原因だとしているが、それよりも<span style="color:#ff3300;">大きな冨をもたらし都市と市場を生み出したのが十字軍</span>である。十字軍はキリスト教の聖地をイスラム教から奪回する聖戦と言われているが､その実態はヨーロッパ人によるイスラムからの冨の略奪行為だった。

100年以上に亘る十字軍遠征の結果、ヨーロッパでは市場が拡大し商業都市が発達していく。十字軍遠征は金貸したちが法王をそそのかして始めたものだが、<span style="color:#ff3300;">略奪した財が原資となってヨーロッパ市場が拡大したと同時に、略奪集団である騎士団が略奪財を元に新しい金貸し勢力と化す</span>という形でヨーロッパ市場は拡大していった。

■参考投稿
<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=257007">9/18なんでや劇場５　自我が全ての中心という西洋人の意識が原点となって近代市場が形成された</a>
<a href="http://www.sayuu.net/blog/2010/01/001507.html">12/29　なんでや劇場レポート②～近代市場は近世欧州社会の特殊事情の中から生まれた～</a>
<a href="http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/tyusei/113-europe13.html">十字軍と都市の発達</a>
<br>
<blockquote><span style="color:#ff3300;"><strong><span style="font-size:130%;">３．学問としてのラテン語</span></strong></span>

しかし、学問と宗教の世界は依然としてラテン語の聖域として残されていた。一二世紀から一三世紀にかけてヨーロッパは多大なエネルギーを費やして古代の学問をアラビア語やギリシャ語から翻訳するが、全てはラテン語への翻訳であり翻訳者の母語に訳されたものは無い。大学教育は全てラテン語で行われていた。ラテン語は汎ヨーロッパ的な学問言語であることによって学問と言語を全ヨーロッパに流通し文化的な単位としてのヨーロッパという観念を成立させていた。

学問世界で言語障壁を無化したラテン語は、民衆との間に高い障壁を設けることになり、民衆を学問世界から排除する有効な手段ともなった。<span style="color:#ff3300;">ラテン語使用は学問や思想を独占するための手段</span>という性格を強めていたのである。

もともと大学と言っても中世では一つのギルドであり、クラフトギルドが工芸技術を伝承したように、大学ギルドでは講義と討論で知識と論証技術を伝承したのである。<span style="color:#ff3300;">大学ギルドでも学問世界の隠語であるラテン語の使用を強制することでスコラ神学やスコラ医学を独占していた</span>のである。ルネサンス期にスコラ学に異を唱えたのは人文主義であったが人文主義は学問世界の排他性を打破することはなかった。多くの人文主義者にとって古典語はむしろ中世の大学以上に重要視されることになった。人文主義者は中世スコラ学者の用いたアラビア語やキリスト教の言葉が混じったラテン語を野蛮と見なし、古代の純粋で典雅なラテン語を理想として対置した。人文主義の運動は古典語の素養と古典文献の知識を不可欠とするものであり社会的にきわめて少数の閉鎖的エリート集団によって担われていたのである。

<img alt="%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%B3%E8%AA%9E%E7%A5%88%E7%A5%B7%E6%9B%B8.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%B3%E8%AA%9E%E7%A5%88%E7%A5%B7%E6%9B%B8.jpg" width="300" height="444" />
ラテン語祈祷書（この画像は<a href="http://www.mita.lib.keio.ac.jp/archives/rarebook/abstracts/LatinPsalter">こちら</a>からお借りしました）

このようなヨーロッパ知識層の知の秘匿体質は古代にまでさかのぼる。古来ヨーロッパでは神から与えられた真理はみだりに公開してはならないと言う観念が行き渡っていた。ピタゴラスの弟子のリュシスは哲学を公にすることは師が禁じたと伝えている。プラトンは対話篇『パイドロス』で不適当な人に言葉を与えることに対する危惧をソクラテスの口から語らせている。三世紀の教父オリゲネスや、一三世紀のロジャーベーコンによる同様な発言も残されている。自然の秘密が俗衆の目に触れぬよう包み隠すことが知識階級の道徳的責務でさえあった。学問世界におけるラテン語の排他的使用はそのための最も直接的で有効な手段であった。</blockquote>

共認基盤が存在せず、観念統合が全てなので、観念は権力を獲得し保持するための武器（手段）となる。 だから、ヨーロッパでは中世キリスト教会でも、近代の科学者たちも、エリートの間だけで<span style="color:#ff3300;">観念を隠匿し、大衆には知らしめないことが、 支配のための常套手段</span>となってゆく。

観念で大衆を支配するのは、中世キリスト教や近代科学者たちだけの方法ではない。現代の<span style="color:#ff3300;">日本でも統合階級は一般の国民に理解できない難解な観念を駆使することで国民を支配している</span>。例えば、日本は法治国家であり､すべての国民は法によって支配されているが、その法律を熟知している大衆は殆どいない。
　
　何か問題があって法律に目を通しても難解な表現が連続し、理解することはほぼ不可能なように出来ている。そして、大衆は法の内容を熟知し解釈し執行する知識と権限を持っている､統合階級に支配されるしかないように出来ている。

■参考投稿
<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=253468">「法律」と「捜査権」と「カネ」と「天下り」の特権を握ることで「官僚支配」が形成されている</a>
<br>
<blockquote><strong><span style="font-size:130%;"><span style="color:#ff3300;">４．カトリック教会とラテン語</span></span></strong>

　一一九九年教皇イノケンティウス三世はメッツ市の信徒が聖書をフランス語に訳し自分自身で解釈し説教しようとしているという司教からの報告に次のように答えている。「信仰の奥義は至る所すべての人に説明すべき物では無い。教会において教師の階級はすぐれたものである。従って無差別に誰もが自分はこの任務を持つと主張してはならない。」

　中央集権化された<span style="color:#ff3300;">カトリック教会では聖書解釈の権限は上級聖職者に独占されていた。そしてその独占はラテン語によって維持されていた。</span>裏返せば教会権力にとって俗語使用はそのこと自体が潜在的異端であり、忌諱に触れることであった。俗語の聖書を読んで教皇庁とイエスの教説に大きな懸隔があることを知り自らの理解を説いて異端として弾圧されたワルド派や、聖書を最初に英訳して異端として弾圧処刑されたウィクリフの一派、聖書をチェコ語に翻訳し教会刷新運動を起こし火刑に処せられたプラハのウス等の例がある。一五世に印刷技術が発達すると、ドイツの司教はギリシャ語ラテン語からドイツ語に翻訳されたあらゆる書物を検閲するとしている。ここでも問題なのは印刷書一般ではなく俗語の書籍であった。

　それとは裏腹に、この時代には人文主義者が異端的な言説をもてあそんでも、それがラテン語で書かれていてその影響がエリート層に限られているかぎりでは、教皇庁は事実上黙認していた。一五一七年にマルティン・ルターは贖宥状を批判する「九五箇条の提題」を発表した。これは宗教改革の発端と言われるがそれは後から見た判断でルターはこれをラテン語で書いた。その段階ではルターは聖職者の内部での教会批判を意図していたと思われる。しかしこれは多大な反響を呼び起こしたので翌一八年にはこれをドイツ語に翻訳・要約して印刷したが、それは瞬く間にドイツ中に広まり、こうして始めて宗教改革は民衆の世界に届くことになった。

　ルターの宗教改革以降、ルターの書いたものを始め改革派のパンフレットが飛ぶように売れたので印刷業は商売としてもペイするようになり、読書人口も拡大していった。このようにプロテスタントは半世紀前に登場した印刷技術を積極的に利用して大衆に訴えかけた。これに対してカトリックは印刷に消極的というよりはむしろ警戒的であった。これは単なる戦術の違いではなく信仰のあり方、聖職者と民衆の関係の理解に於ける基本的な違いに由来する。

　それまでの教会では信仰と教義の基本が聖書にあると明確に定められていなかった。<span style="color:#ff3300;">カトリックではテクストを読むのは聖職者に限られ、大衆は教会上層部の決定や上級聖職者の解釈を聞かされるだけでよい</span>と考えられていた。それに対して<span style="color:#ff3300;">プロテスタントは、福音書を通じて神の言葉に直接接することが信仰の基礎に置かれ聖書の繙読が最も重要と位置づけられた。従って神と信徒の間を仲介する特権的な聖職者や権威主義的な教会を必要としない</span>。とすれば、大衆が読める聖書が必要であり特殊な言語ラテン語は必要としなくなる。

　最初にティンダルが新約聖書を英訳したのは1526年と34年でありそのことは教会の権威者たちを震撼させた。これは、中央集権的で階級的な教会組織がキリスト教誕生当時から存在していたかのように語るカトリックの虚偽を暴き出すことになった。ティンダルは1563年に異端の罪で絞首刑に処せられた。フランスでは仏訳聖書が1528年に出版され、その翻訳者ベルカンは1529年に火刑に処せられた。他方では宗教改革の最中にドイツから持ち込まれる改革派の印刷物もラテン語で書かれている限り大目に見られていた。

16世紀の後半、もはや俗語書籍の普及を押しとどめることが不可能になった段階で教会がとった方法は禁書目録の作成であり、ここでも俗語が問題にされた。1600年に異端として火刑に処せられたブルーノが書いたスコラ学批判の対話篇はいずれもイタリア語で書かれており、ガリレオが宗教裁判に掛けられたのも彼が地動説を唱えた事よりも天文対話をイタリア語で著し自説を誰にも分かるように語ったことが問題視されたと思われる。<span style="color:#ff3300;">カトリック教会はラテン語で書かれている限り新発見を報じる書物でも許可し、反対に学者が誰にでも理解できる国語で自説を広めようとすると告発する場合が多かった</span>。</blockquote>

ルターの宗教改革が広がったのは大衆の支持もあったがそれだけではなかった。<span style="color:#ff3300;">ローマ教皇から破門されたルターを守護したのは、ザクセン選帝侯をはじめとするドイツの有力領主たち</span>であった。都市化の進展と市場の発達により、封建領主たちの権力基盤が、キリスト教から都市の富裕商人とそれを支える金貸しへと大きく転換してきている時代であった。

　ローマ教皇側に立ちルターを捉えるためにルター派のドイツ諸侯と戦った神聖ローマ帝国皇帝のカール5世は、皇帝選挙に出馬する際にローマ教会と関わりの深いフッガー家に資金を借りていた。スペインの王でもあったハプスブルク家カール5世の王位を継いだフェリペ2世は即位するや否や破産を宣言せざるをえなかった（1556年）。ハプスブルク家に金を貸していたフッガー家も没落していく。<span style="color:#ff3300;">十字軍以来のキリスト教会を拠点にした金貸しは没落していった時代</span>であった。

ルターの宗教改革自体は、後のカルバァンのように商業自体を肯定するところまで進んではいないが、聖書を信仰の中心に置くことで、ローマ法王の権力を否定することを可能にしている。ローマ教皇が言うことでも聖書に書いていなければそれは正しくないと反論することが可能になる。<span style="color:#ff3300;">ルターの宗教改革は新興勢力にとって権力の交代を正当化するのに都合がよい</span>思想だった。

カルヴァンは、職業は神から与えられたものであるとし、得られた富の蓄財を認めた。この思想は、当時中小商工業者から多くの支持を得、<span style="color:#ff3300;">資本主義の幕開けを思想の上からも支持するものであった</span>とされる。

<img alt="%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%B3%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%B3%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC.jpg" width="205" height="300" /><img alt="%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3.jpg" width="221" height="300" />
ルターとカルヴァン（この画像は<a href="http://ritsumeikan.blog.shinobi.jp/Entry/76/">こちら</a>と<a href="http://geocities.yahoo.co.jp/gl/mgfchurch/view/20101031/1288540275">こちら</a>からお借りしました）

ちなみに、ルターは商業を肯定はしていないが、ルターの父親は富裕な鉱山業者であり、法律家になる事を期待されてロースクールに通っていたという経歴の持ち主である。また、宗教改革の中で司教の妻帯を認め､自信も41歳の時に26歳の元修道女と結婚し三男三女を設けている。修道者のように神のために結婚しないことをよいものであると認めていたが、その反面、常に肉体的欲望に悩まされるのなら結婚するべきだと思うようになったそうである。都市化による自由な性市場の拡大を認めていたことは間違いないようである。

■参考投稿
<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=184112">宗教改革が金貸しの勢力図を激変させた</a>
<br>
<blockquote><span style="color:#ff3300;"><strong><span style="font-size:130%;">５．一六世紀の言語革命・国語の形成</span></strong></span>

一六世紀に俗語で書かれた科学書が登場したことは単に国語が利用されただけではなく、民衆の話し言葉であった国語が、語彙を豊富化し思想や学問の記述に耐えられるまでに鍛え上げられ文法の整備や正字法の確定を通して標準化され国語になるべき言語が鋳造されていったことを意味している。

　俗語を学術的に使用するためにはボキャブラリーを増加させる必要があった。一四世紀末につくられた英訳聖書ではラテン語や外国語から千を越える言葉が借用されている。一六世紀に自ら英語で執筆したエリオットはラテン語やフランス語からの借入語を用いインキ壺用語と揶揄されたが、その多くは現代英語の不可欠な部分をなしている。一六世紀にドイツでルターが聖書を独訳したときにも民衆の言葉を使用するだけでなく言葉を編み出さなければならなかった。パラケルススもラテン語やギリシャ語からいくつも特異な言葉をつくり出している。新生ネーデルランドのシモン・ステヴィンもフランスのデュ･ベレーも同様であった。

<img alt="ABC%E3%81%A8%E8%81%96%E6%9B%B8.gif" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/ABC%E3%81%A8%E8%81%96%E6%9B%B8.gif" width="219" height="300" />
聖書とABC（この画像は<a href="http://www.seijo.ac.jp/pdf/falit/206/206-04.pdf">こちら</a>からお借りしました）

　それだけではなく、当時はイタリア語とかスペイン語と言っても標準化されたものが存在した訳ではなく地域ごとに異なる方言しかなかった。例えばドイツ語ではバイエルン人がザクセン人の言葉を理解できないし、フランスでは住民・地方・都市の数だけ習慣や言語が存在するという証言があり、イタリアは少なくとも14の俗語に分かれしかもその俗語のすべてが各自内部で分化していた。従って一六世紀に俗語が国語として使用されるためにはどの国においても領邦からなる封建国家の諸方言からの淘汰をとおして有力言語が浮上し国家の国語に結晶化されなければならなかった。

　イベリア半島ではカスティリア方言がスペイン語に、フランスではイル・ド・フランス地方の言葉がフランス語に、イタリアではトスカーナ方言がイタリア語に、イングランドではロンドン方言が英語に昇華していった。

　<span style="color:#ff3300;">地域的な話し言葉であった俗語方言のひとつが他の諸方言を上回る有力言語として規範化され、さらには文法的に整備されて標準化されて国語に成長し､それと同時に語彙が豊富化されて込み入った思想表現に耐えられるように鋳直され、やがてラテン語使用が絶対的であった領域にまで使用されるようになる過程は､言語革命とも言うべき根底的な変化である</span>。一六世紀文化革命にはこの言語革命が伴っていたのである。

その言語革命の<span style="color:#ff3300;">背景的要因としてはいくつかのことが考えられる。第一には印刷書籍の出現、第二には宗教改革、そして最後に国民国家の形成</span>がナショナリズムを喚起したことである。</blockquote>

一六世紀言語革命の果たした役割は非常に大きい。近代市場の拡大は十字軍や大航海により略奪した物財が原資になっているが、<span style="color:#ff3300;">市場が恒常的に拡大していくためには、大衆の欲望を過剰刺激することが不可欠</span>であった。そのためには、大衆に誰にも私権獲得の可能性が開かれたと刷り込み、利便性や快美性を煽る必要があった。宗教改革は従来の禁欲的なカトリックから金儲けを肯定するプロテスタントへの転換であり、印刷書はこのプロテスタントの拡大だけではなく、ロミオとジュリエットに代表されるような自由な性市場を蔓延させる手段としても使われた。
　<span style="color:#ff3300;">大衆が理解できる言葉で、プロテスタントの教理が広まり、文芸書と共に自由恋愛の観念が広まることで、市場は着実に拡大していった</span>のである。

■参考投稿
<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=260742">２．私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた</a>
<br>
<strong><span style="font-size:130%;"><span style="color:#ff3300;">※まとめ</span></span></strong>

十六世紀ヨーロッパの言語革命は、大衆が使っていた俗語が正式な国語となり、それまで知識を独占していたラテン語に取って代わっていく過程でした。この過程は、ヨーロッパを観念で統合する勢力がカトリック教会から都市の商人を基盤とした金貸しに変わっていく過程でもあります。

<span style="color:#ff3300;">金貸しは､市場を拡大するため、禁欲的なカトリックに変わる観念であるプロテスタントや恋愛を美化した文学を大衆にばらまき大衆を洗脳していったのです。金貸しが共認闘争でカトリックに勝利したことを象徴しているのが１６世紀ヨーロッパの言語革命</span>だと言えるでしょう。

次回は、金貸し勢力がどのようにしてカトリック教会との共認闘争に勝利したのか､その過程を見ていきます。]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>12/29　なんでや劇場レポート(2)～学校やマスコミによって刷り込まれた｢絶対に正しい｣という旧観念が理論追求忌避の元凶～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.sayuu.net/blog/2012/02/002207.html" />
   <id>tag:www.sayuu.net,2012:/blog//1.2207</id>
   
   <published>2012-02-08T09:26:15Z</published>
   <updated>2012-02-08T10:06:26Z</updated>
   
   <summary>前回の『12/29なんでや劇場(1)～私権時代の観念追求は、大衆を観念統合するためのものだった』では･･･ ・原始人類～部族間の同類闘争の時代まで、本能･共認機能で外圧をとらえ、それを言葉化して共有するために観念は使われていたこと(観念を使って追求していたわけではない) ・観念追求の歴史は、私権時代に入ってからで、3,000～4,000年程度しかなく、専ら、大衆を統合(支配)する道具として観念が追求されてきたこと が明らかにしました。 現代は100％そのような状態になっていますが、その中でも、10年ほど前から、“もったいない”“節約志向”“社会の役にたちたい”“食欲”など、新理論の土台となるような、潜在思念が生み出す瑞々しい言葉が登場し始めました。 このように、可能性が出始めているにも関わらず、誰もその先の、新理論の追求に向かわないのはなぜなのでしょうか？       ...</summary>
   <author>
      <name>hikaru</name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sayuu.net/blog/">
      <![CDATA[前回の『<a href="http://www.sayuu.net/blog/2012/01/002202.html">12/29なんでや劇場(1)～私権時代の観念追求は、大衆を観念統合するためのものだった</a>』では･･･

・原始人類～部族間の同類闘争の時代まで、本能･共認機能で外圧をとらえ、それを言葉化して共有するために観念は使われていたこと(観念を使って追求していたわけではない)

・観念追求の歴史は、私権時代に入ってからで、3,000～4,000年程度しかなく、専ら、大衆を統合(支配)する道具として観念が追求されてきたこと
が明らかにしました。

現代は100％そのような状態になっていますが、その中でも、10年ほど前から、“もったいない”“節約志向”“社会の役にたちたい”“食欲”など、<strong><span style="color:#ff3300;">新理論の土台となるような、潜在思念が生み出す瑞々しい言葉が登場</span></strong>し始めました。
このように、可能性が出始めているにも関わらず、<span style="font-size:130%;"><strong><span style="color:#6666ff;"><span style="background:#C8FFFF">誰もその先の、新理論の追求に向かわないのはなぜなのでしょうか？</span></span></strong></span>

<img alt="%E8%A6%B3%E5%BF%B5%E5%BF%8C%E9%81%BF.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E8%A6%B3%E5%BF%B5%E5%BF%8C%E9%81%BF.jpg" width="427" height="137" />


<a HREF="http://blog.with2.net/link.php?1276435" target="_blank"><img src="http://www.sayuu.net/blog/banner_04.gif" border="0" alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"></a>     <a href="http://politics.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://politics.blogmura.com/img/politics80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 政治ブログへ"></a>
]]>
      <![CDATA[<blockquote><a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=260372">12/29なんでや劇場２　学校やマスコミによって刷り込まれた「絶対に正しい」という旧観念が理論追求忌避の元凶</a>●人類はいよいよ、同類観念という本格的な観念統合の時代に入った。
にもかかわらず、人々は何故、観念(理論)追求しようとしないのか？

まず、観念のプロたちは、旧観念で飯を食っているので、それを捨てることができない構造にある。
しかし、プロたちと云えども潜在思念は私権収束⇒共認収束という状況の変化を受けて動いているはずである。この潜在思念と固定観念(旧観念)の関係はどうなっているのか？

観念は意識の統合者の位置にある。一個一個の観念が意識の羅針盤or物差しである。だからこそ、意識に対する観念の支配力は絶大となるのだが、とりわけ文字化されると観念の固定度は一段と高くなり、動かなくなる。
学校の教科書はその典型で、100年経っても中身が変わっていない。潜在思念は刻々と変わっているのに、これは異常な事態である。

情報過剰とは、単に100倍という量の過剰ではなく、旧観念発の情報の過剰であり、旧観念支配の徹底のことである。従って、情報中毒とは、単なる量による麻痺ではなく、潜在思念と旧観念の乖離・混濁による統合力・追求力の衰弱である。

旧観念(ex.恋愛・民主)は「絶対に正しい」という形で存在している。
観念追求すれば、絶対正しいとしていた観念が崩壊する。観念の支配力は絶対なので、それは存在の崩壊に等しい。これこそが理論追求しない原因である。

「絶対に正しい」と正当化しているのは自我であることは言うまでもない。
釈迦は我を封鎖して宇宙の真理を探求したが、その真理に対しても絶対正しいとは考えていなかった。他にも真理は様々に存在しているはずであり、釈迦自身がそう考えていたからこそ、仏教に見られる融通無碍な宇宙認識となったのである。
それに対して、自我の塊である西洋人がつくった近代思想では、あらゆる観念群は絶対正しいとされており、現在の人類が支配されているのは、この絶対化した観念群なのである。だからこそ、それ以外の観念を受け付けようとしないので、理論追求に対しても拒絶反応を示すのである。
そして、その「絶対正しい」とされた観念群によって、人類は滅亡寸前の瀬戸際に追い込まれている。</blockquote>

<img alt="%E6%83%85%E5%A0%B1%E9%81%8E%E5%A4%9A.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E6%83%85%E5%A0%B1%E9%81%8E%E5%A4%9A.jpg" width="438" height="157" />


情報過剰によって情報中毒状態が起きます。これにより、<span style="color:#ff3300;">人々は、潜在思念がとらえた新しい可能性を言葉化していく活力が奪われている</span>のです。
これが、新理論が生まれない理由の1つです。


もう1つの理由に、本来それを生み出す可能性のあった人たち(学者や官僚、マスコミ)の問題もあります。

<blockquote>●何故、新理論が登場しないのか？　もう一つ、直接的な原因がある。

新理論をつくる素養のある人間のうち99.9％は、プロ、すなわち学者・官僚・マスコミ人となっており、彼らは新理論を生み出す資格はない。

では、何故、彼らはプロになったのか？
プロになったらお終いということはなる前からわかりきっている話であって、本物の追求者であれば、プロにならずに追求しているはず。

それは彼らがプロになる前に、<strong><span style="color:#ff3300;">本当に追求すべき課題（＝同類の期待）を掴み切れなかったから</span></strong>である。釈迦や孔子がそうであったように、追求すべき課題を強く持っていれば立身出世の道からドロップアウトしてでも本来の追求を続けるはずである。逆に言うと、プロになった者たちは追求の道に入るだけの課題意識がなかったということに他ならない。

では、何故、素養ある人間の99.9％がプロになってしまうのか？
それは小中高大と学校で旧観念を教育され、一旦それが定着してしまえば、そこから抜け出せなくなって本当に追求すべき課題意識が消えてゆくからである。しかも、大人になれば学者・官僚・マスコミが観念支配しているから尚更である。

<strong><span style="color:#ff3300;">学校とマスコミを通じて徹底して旧観念支配されていることが、新理論が生れてこない直接の原因</span></strong>である。そうして刷り込まれた観念群が絶対正しいものと思い込まされているから観念を忌避する。この構造は大半の経営者も嵌っている。</blockquote>


統合階級による観念支配は、学校教育やマスコミを通して、子供の頃から徹底されています。私達が普段、何気なしに受け入れていることも、全ては観念支配に繋がっているのです。

<strong><span style="color:#6666ff;">例1)朝日新聞の記事である、『天声人語』が大学入試に多用されている</span></strong>　　
　　→朝日新聞は金貸しの息のかかった新聞。その内容も、金貸しの意向に支配されている。
　　　朝日新聞の記事がいかにも有用であることをイメージ付け、人々に疑念の余地を持たせな
　　　いようにしている。

<strong><span style="color:#6666ff;">例2)オバマ氏の就任演説やノーベル賞受賞に関する知識を問う問題が入試に出されている</span></strong>　　
　　→その中身を考えさせる問題は出さないことによって、初めから、“いいもの”“正しいもの”と
　　　固定化させられている。

<img alt="%E5%85%A5%E8%A9%A6.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E5%85%A5%E8%A9%A6.jpg" width="472" height="222" />


そこを突破する力となるのが、<strong><span style="color:#ff3300;">潜在思念が新しい潮流の中から本質を掴んで作り上げた新しい観念(“もったいない”“節約志向”“社会の役にたちたい”“食欲”など)</span></strong>です。
これ自体が、新しい可能性に向かうための土台となる観念です。そして、これらの観念が知識人からではなく、若者たちの中から生まれてきている点も注目すべき点です。

次回は、この可能性をさらに深めてみたいと思います。]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>尊皇攘夷や右翼思想は、敗者の思想ではないか？</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.sayuu.net/blog/2012/02/002205.html" />
   <id>tag:www.sayuu.net,2012:/blog//1.2205</id>
   
   <published>2012-02-07T13:25:04Z</published>
   <updated>2012-02-07T14:37:08Z</updated>
   
   <summary>近代日本史を民の生活派ＶＳ金貸し派という支配者の対立構造から捉え直していきます。 その前に、まずは江戸時代の支配階級の思想はどんなものだったのか？を検討していきます。 そこで今日は、『時代を見通す力（副島隆彦氏著）の第一章：｢義｣の思想を日本が受容した』を参考にして、追求していきます！ いつも応援ありがとうございます。        ...</summary>
   <author>
      <name>よっし～</name>
      
   </author>
         <category term="04.日本の政治構造" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sayuu.net/blog/">
      <![CDATA[近代日本史を民の<strong>生活派ＶＳ金貸し派</strong>という支配者の対立構造から捉え直していきます。
その前に、まずは江戸時代の支配階級の思想はどんなものだったのか？を検討していきます。

そこで今日は、<strong>『時代を見通す力（副島隆彦氏著）の第一章：｢義｣の思想を日本が受容した』</strong>を参考にして、追求していきます！

いつも応援ありがとうございます。
 <a HREF="http://blog.with2.net/link.php?1276435" target="_blank"><img src="http://www.sayuu.net/blog/banner_04.gif" border="0" alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"></a>  
 <a href="http://politics.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://politics.blogmura.com/img/politics80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 政治ブログへ"></a>  ]]>
      <![CDATA[<blockquote>
<strong>①モンゴルに滅ぼされた南宋の官僚文天祥の｢正気の歌｣が、日本の支配階級に影響を与えた</strong>

<img alt="%E6%96%87%E5%A4%A9%E7%A5%A5.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E6%96%87%E5%A4%A9%E7%A5%A5.jpg" width="150" height="286" />

（画像:http://time-az.com/main/detail/139）

・<span style="color:#CC6600;">文天祥</span>の<strong>「正気の歌」</strong>が700年間日本の支配階級に与えた影響は非常に大きく、日本人の精神史を考える上でとても重要です。（時代と国を超えて、日本の幕末と昭和史を突き動かしました。）
・文天祥（1236－1282）は中国の大官僚で、中国南宋（1127－1279）時代（宋の王朝が北方の遊牧民である遼（契丹）、金それからモンゴルの進出で追われて南へ亡命して出来た王朝）の首相クラスの人物です。
・この文天祥がつかまって処刑される直前のおそらく1281年に作った有名な詩を「正気の歌」といいます。この漢詩が後世、きわめて重要な意味を持ちました。

<strong>「正気の歌」</strong>

天地に正気有り
雑然として流形を賦す
下っては則ち可獄と為り
上っては則ち日星と為る
人に於いては浩然と日う
沛乎（はいこ）として蒼冥（そうめい）にみつ
皇路清夷に当たれば
和を含んで明廷に吐く
時窮まれば節即ち見われ
一つ一つ丹青に垂る

＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
天地には正しい気がある
それは雑然としていて　様々な形を与える
例えば地に下れば大河や山となって
天に上れば太陽や星となる
人に作用すればそれは「浩然」と呼ばれ
みるみるうちに広がって大空、宇宙に広がって行く
政治の大道が清く正しい時に当たっては
それは穏やかな姿で朝廷にあらわれ
時が行き詰まれば節目となって世にあらわれる
それは一つ一つ　歴史に残されることになる
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
</blockquote>

<blockquote>
<strong>②文天祥の思想が「尊皇攘夷」や「右翼思想」の源流</strong>

・日本の支配階級は、この「正気の歌」を死ぬほど愛していました。
・「正気の歌」は、室町時代（足利時代）の「五山」の秀才の僧侶（高僧）たちが、日本語にこの漢詩をなんとか解読して移植されて「儒学」となり、武士達のインテリの間に広まりました。そして幕末が近づくと水戸学の藤田東湖たちが朝から晩までずっとこの「正気の歌」を読みました。
・1660年代ぐらいに文天祥の思想は、日本で最も偉大な東洋思想として山崎闇斎が創った崎門学により大ブレイクしました。そこから浅見絅斎、栗山潜峰らの後の日本の右翼思想の源流といいますか、愛国主義、民主主義が生まれました。浅見絅斎が書いたのが「靖
献遺言」です。その中で文天祥のこの「正気の歌」が激しく礼賛され、当時の優れた武士たちに強い影響を与えました。
・その後に、「中国夷狄論（日本こそは中朝なり。中国が世界の中心ではない。日本が中心だ）」と「南朝正統論」を浅見絅斎らが切々と説いて、強烈に唱えた。陽明学（王陽明の実践思想）の山鹿素行もこの「中国夷狄論」であり、水戸学も含めた尊皇攘夷の思想の中心になっています。そして、幕末の橋本佐内から西郷隆盛も、そして吉田松陰もみんなこの思想であり、2・26事件の青年将校たちも昭和の軍人たちも同様だったのです。

<img alt="%E8%A5%BF%E9%83%B7%E9%9A%86%E7%9B%9B.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E9%9A%86%E7%9B%9B.jpg" width="137" height="160" />
(西郷隆盛　画像:http://www.kirei-ni.com/portrait/shouzouga/gallery-12.html）

<img alt="%E5%90%89%E7%94%B0%E6%9D%BE%E9%99%B0.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%9D%BE%E9%99%B0.jpg" width="137" height="136" />
(吉田松陰　画像:http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/60194978.html）

<strong>☆しかし、自分達が学んだ儒教（正統の中国の官僚思想）は、中国の学問であるから日本の知識人たちは、どうしても中国に劣等感が抜けません。
☆一方中国では、思想の大義に従って生きて、そのためにつかまって牢屋に閉じ込められ、そして最後は首を切られて死ぬ。それが自分の名前が後世につながり良いことなのだともされていました。</strong>
</blockquote>

<blockquote>
<strong>③中国からの借り物思想を元に出来た中国夷狄論→尊皇攘夷論</strong>

・日本の支配階級の一番上の頭のいい学者、知識人たちは、700年間に亘ってこの文天祥を学んでいました。
・南北朝（室町時代の前半）の武将で文人の北畠親房の『神皇正統記』が原型ではないか？という人もいるかものしれませんが、これも少し前の文天祥らの行動の影響が強くあり、もともとは中国伝来であることに他ならないのです。
・日本では、お坊様達が平安時代、室町時代から、儒教の経典の解読をずっとやっていました。
・幕末の日本で爆発的に読まれた本が、平田篤胤の『出定笑語』と頼山陽の『日本外史』と会沢正志斎の『時務策』であり、この3人が幕末のベストセラー言論人であったようです。これらの大人気を博した日本知識人の思想の原型（範型）はまさしく文天祥なのであります。
・そして私たち日本人の思想の正当性の根拠が、中国の儒学者達からもらってきた思想であり、この複雑な心理と悲しみのところに、日本の知識階級のねじれ・哀しみがあるのです。ですからこの考えがねじくれて、「日本こそ世界の中心の国であって、即ち中朝である」という考えが生まれます。それが浅見絅斎が言い出した「中国夷狄論」です。中国こそは夷狄（北方の蛮族）である。日本の方が正当の国である、という考えです。
</blockquote>

<blockquote>
<strong>④中国人の根底にあるのは儒教（孔子）ではなく、道教（関羽）</strong>

・朱子学というのは、儒教の一種ではあっても「易姓革命論」と「大義名分論」と「湯武放伐論」を強調しています。易姓革命論とは、中原の覇者である権力者が入れ替わり、その人が新しい皇帝になったとき、王朝の名である姓（姓氏）がかわり、天命が新しい権力者に降りたことから、天命が革まったということだ、とする思想です。
・この「易姓革命論」を日本の徳川氏（江戸幕府）は非常に重視しました。そしてこの中国伝来の思想を日本語においても正統の政治思想としました。ここで孔子あるいは朱子の思想と対立するのが道教（タオイズム）の思想です。儒教と対立するもうひとつの大きな流れが道教（占い、まじない）の寺院を大変大切にしています。
・それに対して、中国民衆は孔子（儒教）の思想が大嫌いです。君子というのは官僚たちのことだと知っているからです。民衆達は、どこの国の官僚たちにも共通することとして、
本心では自分達官僚（の利益）のことしか考えないということを知っているからです。
<strong>☆結果として、儒教は官僚の間で広まり、道教は民衆の間で広まりました。</strong>
・また日本でも同様ですが、民衆は道教の寺院（道観）にお参りに行きます。浅草の浅草寺に人気が集まるのもその理由です。
</blockquote>

<strong>〈注目ポイント〉
※日本の支配階級は属国根性が抜けきれず、自らの正当化思想さえ<span style="color:#CC6600;">中国からの借り物</span>です。
従ってそこから派生した「日本が世界の中心」という尊王攘夷・右翼思想は、最初から矛盾を孕んでいました。

※文天祥の思想はモンゴルに滅ぼされた南宋の思想、つまり追い詰められた敗者の思想です。朱子学も宋代につくられた思想であり、<span style="color:#CC6600;">敗者の思想→観念論</span>である疑いが濃厚です。それが尊皇攘夷・右翼思想の源流というのが事実だとしたら、尊皇攘夷も右翼思想も敗者の思想であるということになります。もともと日本の支配階級の出自は、中国への属国根性が染み付いた朝鮮の中でもさらに敗者の集まりだからこそ、これら敗者の思想が700年もの間受け入れられたのではないでしょうか？

※戦国時代直後の江戸時代初期は、庶民も武士も期待は<span style="color:#CC6600;">秩序安定期待</span>でした。それに応える形で徳川幕府が身分序列を正当化するための朱子学を広めました。こうして天下泰平が100年も続き戦乱がなくなると秩序が安定します。戦国時代には浪人たちも戦功を上げることで取り立てられる可能性がありましたが、秩序が安定するとその可能性がなくなり、固定の身分序列の中で浪人たちは窮してゆきます。浪人たちの不満の矛先は徳川体制に向かいます。実際、徳川体制に不満を持つ浪人たちが幕府に対する反乱「由井正雪の乱」を起こしました。　
<span style="color:#CC6600;">「中国夷狄論」</span>につながる思想を広めた山崎闇斎も山鹿素行も、もともとこの浪人という身分であり徳川幕府に対する不満や批判は相当根深いものがあります。そして幕府を批判し天皇を第一とする後の<span style="color:#CC6600;">「尊皇思想」</span>につながる思想を唱えました。
<strong>この徳川体制に不満を持つ浪人たちも、安定秩序からのはみ出し者であり、秩序安定期待から外れた敗者ということができます。
「尊皇」から進んで、孔子の思想である万世一系を実現しているのは日本であって、それ以外の国は夷狄であるという攘夷思想が生まれます。中国をも夷狄と看做したのが「中国夷狄論」です。戦乱による権力争いを繰り返す中国よりも万世一系を実現している日本のほうが優れているとする思想が「中国夷狄論」です。</strong>

<blockquote>
<strong>⑤神・仏・儒を全否定した、町人の思想家富永仲基</strong>

・江戸時代の中期の1730年代に、<span style="color:#CC6600;">富永仲基</span>という思想家がいました。この人は、豪商がお金を出して建てた大阪の懐徳堂（今の大阪大学の前身）で学んだ人です。
・この富永仲基という人が書いた『出定後語』（1745年、後語）という本が大変素晴らしいと語り継がれています。
・富永仲基と同時代の人物に、石門心学を生み出した石田梅岩という人がいます。この人は、日本で初めて教育を学習塾で始めた人です。
・それに対して、江戸では塙保己一（1746～1821）という全盲の人がいました。彼は、総検校という針灸師、音曲師としての職のいちばん上にまでのぼって将軍様にもお目見えしたほどの人で、麹町に私設の学習塾をつくり人を集めました。この頃から寺子屋という考え方が生まれてきました。
・富永は、「神道はおかしい、仏教もおかしい、儒教もおかしい,三つとも全ておかしい」と書いた。富永はそれに対して、日本には<span style="color:#CC6600;">「誠の道」</span>というのがあって、人間は正しく商売をやって、まっとうに利益出して堅実に暮らしていくべきだ、それが正しい思想だということを書いた立派な人です。
・富永仲基は神、仏、儒の全てを批判しています。『仏教はインド人という肌の黒い人たちの思想だ。儒教は中国人の思想だ。それらの外来思想を日本人である我々が過度に有り難がるのはおかしいではないか？』とも書いた人です。加えて神道もおかしい（本当は神道ではないか？）とまで言っている人です。
</blockquote>

<strong>〈注目ポイント〉
※天下泰平が100年も続き、期待の中身が豊かさ期待に変わっていきました。そこで士農工商の最低身分である商人の中から、身分秩序を正当化する朱子学批判が強まり、町民独自の思想が登場します。こうして旧観念を全否定する思想を生み出したのが富永仲基です。町民からこのような思想が登場したことは注目すべき事実であり、可能性ではないでしょうか？</strong>

そこで、しばらくは<strong>『江戸時代の思想史』</strong>を追求していきます!！
]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>共同体社会の実現に向けてー１９　～実現論序５．破局後の経済は？その時、秩序は維持できるのか？（その４）～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.sayuu.net/blog/2012/02/002204.html" />
   <id>tag:www.sayuu.net,2012:/blog//1.2204</id>
   
   <published>2012-02-03T04:32:46Z</published>
   <updated>2012-02-03T04:20:05Z</updated>
   
   <summary> みなさんこんにちは。寒波が続いていますが、体調のほうはいかがですか？　まだまだ続く各地の地震や近い将来の大地震予測、放射能拡散、ウイルス・・・さらには金融不安など、外圧の厳しさが直撃し、その勢いが止まらない感じですね。この記事が、このような多様な外圧を乗り越える一助になるよう仲間と一緒に頑張っていますので、応援よろしくお願いします。 さて、ここ３回の記事では、破局前夜ともいえる現在の経済状況と破局に至る過程を予測し、その背後にある金貸しの思惑を探ってきました。 まず『目前まで迫ってきた国債暴落』（リンク）では、3.11大震災、原発事故を経て今、国債暴落が迫ってきている危機的状況を押さえ、その背後にある、日本国債も含めた世界中の国債を暴落させたうえで全世界一斉に新紙幣に切り替えようとする金貸し勢の企てを探り、 次に『国債暴落→リセット後の世界経済』（リンク）では、米国債デフォルトを引き金にした超インフレ→新紙幣発行に至る過程を予測しました。金貸したちは、18世紀初頭前後の貧困を再現し、私権欠乏を原動力にした市場社会の再構築を狙っているのではないか！という仮説でしたね。 そして前回『金貸し勢の甘い読み』（リンク）では、金貸しにとっての「打ち出の小槌」である中央銀行制度を手放さないまま、ギリギリのところで秩序崩壊は逃れるだろうと読んでいる、彼らの甘さを切開しました。 続いて今回は『秩序崩壊し、壊滅してゆく個人主義国家』と題して、米中をはじめとした個人主義国家は崩壊不可避であること、そしてその崩壊過程を大胆に予測していきます！ ...</summary>
   <author>
      <name>daian</name>
      
   </author>
         <category term="06.経済破局の行方" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sayuu.net/blog/">
      <![CDATA[<center><OBJECT classid="clsid:d27cdb6e-ae6d-11cf-96b8-444553540000"
 codebase="http://fpdownload.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=6,0,0,0"
 WIDTH="480" HEIGHT="300" id="%E7%A7%A9%E5%BA%8F%E5%B4%A9%E5%A3%8A%E3%81%97%E3%80%81%E5%A3%8A%E6%BB%85%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%8F%E5%80%8B%E4%BA%BA%E4%B8%
BB%E7%BE%A9%E5%9B%BD%E5%AE%B6" ALIGN="">
<PARAM NAME="allowScriptAccess" VALUE="sameDomain">
<PARAM NAME="movie" VALUE="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E7%A7%A9%E5%BA%8F%E5%B4%A9%E5%A3%8A%E3%81%97%E3%80%81%E5%A3%8A%E6%BB%85%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%8F%E5%80%8B%E4%BA%BA%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E5%9B%BD%E5%AE%B6.swf">
<PARAM NAME="menu" VALUE="false">
<PARAM NAME="quality" VALUE="high">
<EMBED src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E7%A7%A9%E5%BA%8F%E5%B4%A9%E5%A3%8A%E3%81%97%E3%80%81%E5%A3%8A%E6%BB%85%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%8F%E5%80%8B%E4%BA%BA%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E5%9B%BD%E5%AE%B6.swf" menu="false" quality="high" WIDTH="480" HEIGHT="300" NAME="%E7%A7%A9%E5%BA%8F%E5%B4%A9%E5%A3%8A%E3%81%97%E3%80%81%
E5%A3%8A%E6%BB%85%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%8F%E5%80%8B%E4%BA%BA%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E5%9B%BD%E5%AE%B6" align=""  allowScriptAccess="sameDomain" 
type="application/x-shockwave-flash" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer">
</EMBED>
</OBJECT></center>
<br>
みなさんこんにちは。寒波が続いていますが、体調のほうはいかがですか？　まだまだ続く各地の地震や近い将来の大地震予測、放射能拡散、ウイルス・・・さらには金融不安など、外圧の厳しさが直撃し、その勢いが止まらない感じですね。この記事が、このような多様な外圧を乗り越える一助になるよう仲間と一緒に頑張っていますので、応援よろしくお願いします。<br>
<a HREF="http://blog.with2.net/link.php?1276435" target="_blank"><img src="http://www.sayuu.net/blog/banner_04.gif" border="0" alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"></a><a href="http://politics.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://politics.blogmura.com/img/politics80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 政治ブログへ"></a><br>
<br>
さて、ここ３回の記事では、破局前夜ともいえる現在の経済状況と破局に至る過程を予測し、その背後にある金貸しの思惑を探ってきました。<br>
<br>
まず<strong>『目前まで迫ってきた国債暴落』</strong>（<a href=" http://www.sayuu.net/blog/2012/01/002193.html ">リンク</a>）では、3.11大震災、原発事故を経て今、国債暴落が迫ってきている危機的状況を押さえ、その背後にある、日本国債も含めた世界中の国債を暴落させたうえで全世界一斉に新紙幣に切り替えようとする<span style="color:#ff3300;">金貸し勢の企て</span>を探り、<br>
<br>
次に<strong>『国債暴落</strong>→<strong>リセット後の世界経済』</strong>（<a href=" http://www.sayuu.net/blog/2012/01/002194.html ">リンク</a>）では、米国債デフォルトを引き金にした超インフレ→新紙幣発行に至る過程を予測しました。金貸したちは、18世紀初頭前後の<span style="color:#ff3300;">貧困を再現し、私権欠乏を原動力にした市場社会の再構築</span>を狙っているのではないか！という仮説でしたね。<br>
<br>
そして前回<strong>『金貸し勢の甘い読み』</strong>（<a href=" http://www.sayuu.net/blog/2012/01/002203.html#more ">リンク</a>）では、金貸しにとっての「打ち出の小槌」である<span style="color:#ff3300;">中央銀行制度を手放さない</span>まま、ギリギリのところで秩序崩壊は逃れるだろうと読んでいる、彼らの<span style="color:#ff3300;">甘さを切開</span>しました。<br>
<br>
続いて今回は<strong>『秩序崩壊し、壊滅してゆく個人主義国家』</strong>と題して、<span style="color:#ff3300;">米中をはじめとした個人主義国家は崩壊不可避</span>であること、そしてその<span style="color:#ff3300;">崩壊過程</span>を大胆に予測していきます！
]]>
      <![CDATA[<blockquote><strong>【秩序崩壊し、壊滅してゆく個人主義国家】<br>
旧国債も旧紙幣も紙クズとなったリセット以降、食糧価格が２倍～5倍に高騰しているなかで、果たして秩序は維持できるのだろうか？<br>
それは、新紙幣と食糧配給制という新秩序が信認されるかどうかにかかっているが、それは各国の国民性or民族性による。<br>
<br>
日本をはじめ、東南アジアや南米やアフリカ、あるいは欧州やロシアの一部etc、共同体質が比較的残存している国々or民族は、政府の食糧供出令と配給制に従うだろう。従って、秩序が維持される可能性が高い。<br>
<br>
しかし、米・中をはじめ、欧州やロシアの過半etc、骨の髄まで個人主義に染まり共同体質がほとんど残存していない国々or民族の場合、農家の過半が供出に応じず、流通業者の大半が買占めに走る可能性が高い。従って、食糧不足による大暴動は必至となる。</strong> </blockquote> 　 
<br>
危機的状況に陥ったとき、秩序が保たれるのか、崩壊するのか？・・・それは<span style="color:#ff3300;"> <strong>「共同体質が残存しているか、崩壊してしまっているか？」</strong></span>がキーポイントになります。<br>
始源人類その全ては皆、共認＝共同体意識に依拠することで生き延びてきたのですが、しかし現在、共同体質を失った民族と残存している民族に分かれたのは何故でしょうか？・・・時代を遡ってその特徴を見ていきましょう。<br>
<br>
<strong>■ヨーロッパ</strong><br>
ヨーロッパではほとんどが<span style="color:#ff3300;">個人主義</span>に染まってしまっており、<span style="color:#ff3300;">共同体質崩壊組の代表格</span>と言えるでしょう。その特徴は。。。<br>
<center><img alt="%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E3%81%AE%E6%9E%B6%E7%A9%BA%E8%A6%B3%E5%BF%B5%E6%96%87%E5%8C%96.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E3%81%AE%E6%9E%B6%E7%A9%BA%E8%A6%B3%E5%BF%B5%E6%96%87%E5%8C%96.jpg" width="500"></center>
・気温が低く<span style="color:#ff3300;">土壌が貧弱</span>で農業生産力に乏しい。<br>
・食糧資源等の争奪を歴史的に繰り返し、皆殺しも頻発。生き残ったとしても奴隷となる。<br>
支配者層と被支配者層からなる明確な序列社会が形成された。<br>
→共同体はとことん破壊される。<br>
→救われない民衆はキリスト教に救いを求める。<span style="color:#ff3300;">現実での充足ではなく</span>「神との契約」という<span style="color:#ff3300;">架空観念</span>により<span style="color:#ff3300;">代償充足</span>を得るしかなかった。<br>
・<span style="color:#ff3300;">支配者層は、私益獲得、民衆支配を正当化するため、自由・平等などの支配観念を捏造。</span><br>
・絶対王政の打倒等、絶対的な支配層の力が衰弱した後、民衆は私権獲得の可能性が開かれ、私権闘争に明け暮れる。<br>
（註：王や貴族に代わり、金貸しが市場の背後で支配しているという構造は、王政時の序列支配体制とその構造は変わっていない）<br>
→自由・平等・個人などの現実とはかけ離れた<span style="color:#ff3300;">架空観念で私権闘争を正当化</span>し、<span style="color:#ff3300;">骨の随まで個人主義に染まる</span>事になる。<br>
<br>
<strong>■日本、東南アジア</strong>など<br>
ヨーロッパとは違い、気候は温暖で水資源も豊富、食糧生産力が高く豊かだという特徴あり。これらの地域では、共同体質がかなり残されています。その特徴は。。。<br>
<center><img alt="%E4%BA%9C%E7%B4%B0%E4%BA%9C%E3%81%AE%E5%85%B1%E5%90%8C%E4%BD%93%E7%9A%84%E6%96%87%E5%8C%96.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E4%BA%9C%E7%B4%B0%E4%BA%9C%E3%81%AE%E5%85%B1%E5%90%8C%E4%BD%93%E7%9A%84%E6%96%87%E5%8C%96.jpg" width="500"></center>
・食糧が豊かなため、争いが少ない。起こったとしても<span style="color:#ff3300;">皆殺しは少なく、服属</span>の関係を結ぶ。<br>
・支配・服属という形で、勝者も敗者もその<span style="color:#ff3300;">氏族集団は残存</span>し、その共同体質が受け継がれる基盤が残り続けた。<br>
→<span style="color:#ff3300;">架空観念は必要なく、共同体の中での共認充足や現実課題に取り組む中での充足</span>に満たされているため、<span style="color:#ff3300;">共同体質は残存</span>する。<br>
→ヨーロッパから近代思想が入ってきても、心のどこかに違和感を感じる。また、<span style="color:#ff3300;">民族の規範やつながり</span>も強く残っているため、個人中心の近代思想には染まりにくい土壌があった。<br>
<br>
<strong>■イスラム</strong><br>
砂漠地帯が多く、豊かとは言えませんが、ここも共同体質が残っている地域です。その特徴は。。。<br>
<center><img alt="%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%95%99%E6%96%87%E5%8C%96.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%95%99%E6%96%87%E5%8C%96.jpg" width="500"></center>
・砂漠なので、そもそも<span style="color:#ff3300;">生存圧力が高い。生きていくための現実の圧力が高く、必然的にお互いの協力</span>が必要となる。<br>
・イスラム教を信仰。架空観念ではなく、<span style="color:#ff3300;">日常的な規範</span>をひたすら守る教え。<br>
・他地域との交易により繁栄する（ex.シルクロード）。市場社会では私益追求に収束しがちだが、イスラム教の<span style="color:#ff3300;">生活規範がそれを抑制。</span><br>
→結果として共同体質が残存。<br>
<br>
<strong>■中国</strong><br>
大国です。多くの地方は農村で、共同体質も残っていそうです。一方で都市では市場が発達し、また暴動も頻発し、共同体質は崩壊しているようです。その特徴は。。。<br>
<center><img alt="%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96.jpg" width="500" ></center>
・土地は豊か。食糧も豊かだが、周辺の遊牧民族の侵略に常に脅かされる。<br>
・遊牧系騎馬民族が国家を形成、支配。国家が広大なため、<span style="color:#ff3300;">法治主義と官僚制度による統治。</span>ただし民衆への支配強制力は弱く、氏族集団が残存。<br>
・遊牧民族の侵入や、統一王朝の弱体化による国家の分裂で<span style="color:#ff3300;">戦乱が頻発</span>するなど、民衆は安定した生活ができないため、集団単位で移民を繰り返す。<span style="color:#ff3300;">集団内の結束は強いが、周りに対しては問答無用。</span><br>
・結果として「支配層」「移民層」「共同体層」の3層構造となるが、現代の中国で中心的な位置にいる都市住民層は「支配層」「移民層」がほとんどのため、<span style="color:#ff3300;">共同体質は薄い。</span><br>
<br>
<blockquote><strong>とりわけアメリカは、禁酒法の下で密造業者＝マフィアが繁殖したような国である。従って、闇市場が蔓延り、食糧不足に陥った人々が暴動→略奪に走るのは必至であるが、その暴動→略奪の規模は、金貸し勢(とりわけディビット・ロックフェラー)が準備しているようなFEMA程度で鎮圧できるものではなく、軍の出動が不可避となる。<br>
<br>
しかし軍は、同胞を銃撃するような教育は受けていないので、射殺命令は貫徹されず、なかには大衆側に寝返る部隊も出てくる。
他方、暴動・略奪集団も当然武装し、鉄道や送電線etc、もっとも弱い環を破壊してゆく。そうなると、軍の力をもってしても制圧できなくなり、逆に食糧不足に陥った軍が崩壊し、各部隊そのものが略奪集団化してゆく。<br>
<br>
かくして、至る所で殺し合いが発生し、アメリカは数百万→数万→数百の略奪集団が割拠する無法地帯と化し、リセットから三年後には人口は
1／5に激減しているだろう。</strong></blockquote>
<br>
禁酒法を堂々と破って闇酒を売りさばき、私腹を肥やそうという輩がまかり通る国＝アメリカ。このような国が秩序を維持できるのでしょうか？・・・アメリカの混乱を、さらに詳しく予測してみましょう。<br>
<br>
<strong>■「自由の国」アメリカの崩壊過程</strong><br>
<br>
リセットによる暴動→略奪を予測しているロックフェラーは、<span style="color:#ff3300;">FEMA</span>（<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=213393
">リンク</a>）によって、アメリカの秩序を維持しようとしているようです。<br>
確かに、有事においては、エネルギー・食料・運輸・労働力など、ほとんどの権限を委譲できることになっていますが、平時ならともかく、未曾有の混乱時にこうした権限が機能するとは到底思えません。現在すでに極度の貧困状態にあるアメリカ国民ですから、<span style="color:#ff3300;">リセットによる食料暴騰には我慢できず、たやすく暴徒化し、政府＝FEMAの言う事など聞かなくなるのは自明</span>です。<br>
<br>
ですから、やはり<span style="color:#ff3300;">米軍の出動</span>が必要となるでしょう。<br>
しかし、米軍といっても、アメリカ国民のために任務を遂行する部隊という体裁ではすでになく、ハリバートン（<a href="a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=213732">リンク</a>）や、ブラックウォーターUSA（<a href="http://www.asyura2.com/07/war91/msg/856.html">リンク</a>）に代表されるような、<span style="color:#ff3300;">戦争を食い物</span>にする企業にすり替わっています。<br>
前線に立つのはカネで雇われた<span style="color:#ff3300;">傭兵</span>なので、彼らのなかには『同胞』という本源的な意識や『愛国心』など活力に繋がるような概念はありません。<br>
ですから、暴徒化した大衆に向けて、さほど抵抗無く発砲する可能性もあるかもしれません。<br>
<br>
一方の大衆側も、おとなしく殺されはしないでしょう。なにしろ個人主義の国ですから、自分の身は自分の手で守るために動くのでしょう。<br>
例えばアメリカでは、2011年だけで1,080万丁もの銃が売れました。これは、世界でもっとも大きな14の軍隊を併せて、そのすべての現役軍人が所持している銃の数より多いのです。（参照：<a href="a href="http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1079.html">経済崩壊に備えて銃を買うアメリカ人</a>）<br>
<center><img alt="%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%9A%B4%E5%8B%95.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%9A%B4%E5%8B%95.jpg" width="250"></center>
<center><span style="font-size:70%;">（画像は<a href=" http://www.ammoland.com/2012/01/04/free-americans-buy-10800000-guns-in-2011-dont-f-with-usa/">こちら</a>よりお借りしました）</span></center>

★かくしてアメリカは、予想以上に早く、かつ大規模に<span style="color:#ff3300;">秩序崩壊してゆく</span>と考えておいたほうが良さそうです。

<blockquote><strong>また、中国は現在でも暴動が頻発しており、食糧３倍～５倍で秩序が維持できるわけもなく、アメリカ以上に暴動</strong>→<strong>殺し合いが激化し、人口が1／10に激減している可能性も充分にある。

しかも、秩序崩壊するのは米・中だけではない。おそらく、欧州やロシアの半分、さらにアジアや南米やアフリカの一部でも崩壊する国が、
次々と出てくるだろう。</strong></blockquote>

それでは、現代の中国の様子を見ておきましょう。・・・以下は、昨年報道された事件のほんの一部です。

<strong>■「暴動国家」中国</strong><br>
<span style="color:#696969;"><strong>官憲の横暴に抗議</strong></span>
・広東省広州市で露天商に対する治安当局員の暴力をきっかけに1,000人を越える<span style="color:#800080;">出稼ぎ労働者</span>の暴動発生。警察の武装車両などが出動。<br>
<span style="color:#696969;"><strong>路上取締まり職員に抗議</strong></span>
・貴州省で違法駐輪取締まりの際の暴力に抗議して暴動発生。<span style="color:#800080;">数千人が車両破壊や放火、トラックで幹線道路を封鎖</span>。<br>
<span style="color:#696969;"><strong>賃金不払い抗議</strong></span>
・広東省潮州で、陶磁器工場で働く<span style="color:#800080;">出稼ぎ労働者</span>が政府系ビルを攻撃、車両に火をつける暴動が発生。<br>
<span style="color:#696969;"><strong>土地収用に抵抗</strong></span>
・広東省中山市で当局が住民に対する補償なしで土地を売却したことへの抗議から、農村住民が<span style="color:#800080;">工業団地を襲撃</span>。<br>
<span style="color:#696969;"><strong>増税抗議</strong></span>
・浙江省湖州市で、零細企業に対する<span style="color:#800080;">一方的な増税に数千人が反発</span>。公安の車両が焼き打ちに遭うなど、負傷、死者が出た。<br>
<span style="color:#696969;"><strong>村の共産党幹部に抗議</strong></span>
・広東省東海鎮烏坎村の村民が、幹部の不正に抗議。暴動の首謀者を逮捕した警察に対し<span style="color:#800080;">釈放を求めた8,000人デモ</span>。<br>
<span style="color:#696969;"><strong>日系企業に対するストライキ</strong></span>
・日立製作所子会社の深セン市工場で、<span style="color:#800080;">1000人規模のストライキ</span>が続く。警察隊が工場に突入し、労働者と激突。<br>
<span style="color:#696969;"><strong>モンゴル族の反政府デモ</strong></span>
・内モンゴル自治区で、当局が出動させた<span style="color:#800080;">300人以上の暴動防止警察と、抗議活動を始めた遊牧民と学生数百人が衝突</span>し、40人以上が逮捕。<br>
<span style="color:#696969;"><strong>チベット族の反政府暴動</strong></span>
・四川省カンゼ・チベット族自治州セルタ県で<span style="color:#800080;">チベット族住民</span>が反政府暴動。住民1人死亡、1人負傷、警官14人負傷。<br>
<span style="color:#696969;"><strong>ウィグル族の反政府暴動</strong></span>
・新疆ウイグル自治区ウルムチ市内で商店破壊、車への放火など、<span style="color:#800080;">独立を求める3,000人規模</span>の暴動発生。警察官や市民、129人が死亡、武装警察3万人以上が投入された。
<center><img alt="%E6%9A%B4%E5%8B%95.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E6%9A%B4%E5%8B%95.jpg" width="500"></center>
<span style="color:#ff3300;">土地収用を巡るトラブルや暴動</span>は全国で<span style="color:#ff3300;">年間10万件以上</span>あるとも言われています。大半が、土地を収用した役所が開発業者に転売、その差額の一部を収賄あるいは闇カジノで儲けるといった、構造汚職につながっている様です。<br>
その他、<span style="color:#ff3300;">環境汚染、低賃金</span>などの不満を地方自治体の役人にぶつける小規模なデモも頻発。

また、これまでの農村部における強制土地収用への抗議暴動に代わって、最近は<span style="color:#ff3300;">当局の横暴や市民権利侵害への抗議が急増</span>し、都市部にも広がっているようです。
そして最近は、派手な騒乱が相次いでおり、<span style="color:#ff3300;">市民の怒りが沸点</span>に達していることの表れとみなす報道が急増しています。
　　:m240:　   :m240:　   :m240:　   :m240:　   :m240:　   :m240:　   :m240:　   :m240:　   :m240: <br>
<br>
★最後に、今回記事の重要ポイントを簡単に整理しておきますね。<br>
<strong>１．個人主義国家は崩壊不可避！</strong>
米中を始め、<span style="color:#ff3300;">個人主義</span>がはびこる国々は、経済破局の状況では、秩序が維持できるとは考えにくい。
<strong>２．共同体質だけが、秩序維持の可能性！</strong>
日本を始め、<span style="color:#ff3300;">共同体質</span>が比較的残存しているところだけが、危機的状況に陥っても何とか、社会秩序を維持して乗り越えていく可能性がある。<br>
という点が重要です。そして、米中などの個人主義国家の崩壊過程を予測しました。<br>
しかし現在、日本でも個人主義を是とする<span style="color:#ff3300;">自己中</span>がはびこり、共同体質が失われつつあります。さらに<span style="color:#ff3300;">政治家も官僚もマスコミも学者連中も</span>、その多くが個人主義の権化とも言える<span style="color:#ff3300;">金貸しの息</span>がかかってもいます。・・・そんな状況で本当に<strong>この日本に可能性はあるのでしょうか？</strong><br>
・・・あるハズです。・・・いや、あります！<br>
その可能性とは、<br>
　　・<span style="color:#ff3300;"> <strong>事実を求める大衆の意識の中に。</strong></span>
　　・市場がドン底にある中でも活力もって上昇基調にある<span style="color:#ff3300;"> <strong>共同体的企業群に。</strong></span>
　　・そして的確に<span style="color:#ff3300;"> <strong>歴史構造を解明し、次代を予測</strong></span>するため、新しい認識を構築しようとしている人々の中に、見い出せます。<br>
そして、彼らには<span style="color:#ff3300;"> 「新勢力」</span>と呼ぶにふさわしい勢い、活力も備えていると感じます！<br>
さて、次回は、<strong>『崩壊一歩手前での旧勢力と新勢力の闘い』</strong>と題された可能性発の考察を紹介し、検証していきます。
・・・お楽しみに　:m022: :m022: :m022:
]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>近代科学の成立過程１７～金融勢力と一体となった海賊国家イギリスが科学革命を実現し、世界を征服した</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.sayuu.net/blog/2012/02/002201.html" />
   <id>tag:www.sayuu.net,2012:/blog//1.2201</id>
   
   <published>2012-02-02T14:42:26Z</published>
   <updated>2012-02-02T15:38:12Z</updated>
   
   <summary> 「イギリスの海賊ドレイク」 画像はこちらからお借りしました。 「金貸しが育成した特権階級（ジェントリ）が私権獲得の為に科学に収束した」では、 【１】イギリスのジェントリ（地主階級、大商人、法律家、官僚、上位聖職者、大学数授、医師）たちを主勢力として、１７世紀イギリス民主革命が実現したこと。 【２】１６８８年名誉革命後も、ジェントリが支持するホイッグ党（後の保守党）の優位が続き、イギリス帝国の拡大を目指す重商主義政策が展開されたこと。 【３】彼ら特権階級ジェントリたちが自らの私権獲得という目的と国力の増強という目的を重ね合わせ、科学技術に強力に収束していったこと。 つまり、特権階級ジェントリを主勢力として、１６世紀まで後進国であったイギリスが、世界の覇権国家になっていったことを明らかにしました。 今回は、その後イギリスが科学技術を発達させ、世界を征服してゆく過程を見てゆきます。 引き続き、山本義隆氏の著『十六世紀文化革命』（みすず書房）の「第8章　16世紀後半のイングランド」の後半要約です。 いつも応援ありがとうございます。    ...</summary>
   <author>
      <name>member</name>
      
   </author>
         <category term="13.認識論・科学論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sayuu.net/blog/">
      <![CDATA[<img alt="igirisu257.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/igirisu257.jpg" width="270" height="320" />
「イギリスの海賊ドレイク」
画像は<a href="http://wadaphoto.jp/kikou/igirisu11.htm">こちら</a>からお借りしました。


<a href="http://www.sayuu.net/blog/2012/01/002199.html">「金貸しが育成した特権階級（ジェントリ）が私権獲得の為に科学に収束した」</a>では、


<span style="color:#ff3300;">【１】イギリスのジェントリ（地主階級、大商人、法律家、官僚、上位聖職者、大学数授、医師）たちを主勢力として、１７世紀イギリス民主革命が実現したこと。
【２】１６８８年名誉革命後も、ジェントリが支持するホイッグ党（後の保守党）の優位が続き、イギリス帝国の拡大を目指す重商主義政策が展開されたこと。
【３】彼ら特権階級ジェントリたちが自らの私権獲得という目的と国力の増強という目的を重ね合わせ、科学技術に強力に収束していったこと。
つまり、特権階級ジェントリを主勢力として、１６世紀まで後進国であったイギリスが、世界の覇権国家になっていったことを明らかにしました。</span>


今回は、その後イギリスが科学技術を発達させ、世界を征服してゆく過程を見てゆきます。
引き続き、<a href="http://www.msz.co.jp/book/detail/07286.html">山本義隆氏の著『十六世紀文化革命』（みすず書房）</a>の「第8章　16世紀後半のイングランド」の後半要約です。


いつも応援ありがとうございます。
<a HREF="http://blog.with2.net/link.php?1276435" target="_blank"><img src="http://www.sayuu.net/blog/banner_04.gif" border="0" alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"></a> 
<a href="http://politics.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://politics.blogmura.com/img/politics80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 政治ブログへ"></a> ]]>
      <![CDATA[<blockquote>５．ウィリアム・ボーン

この時代のイングランドの科学書の書き手の多くは大学教育と無縁であった。彼らはレコードやディーやディッゲズの提供した数学的原理を実際の経験や知識に役立てることができた。ウィリアム・ボーンはそのような数学を独習し、大学教育とは無縁な書き手の一人として、航海術や測量術や砲術の著書を英語で著した。

彼は平時は宿屋を営みながら、１５７１～７２年にはグラーヴェセンドの市長を務め、危急のさいには要塞にかけつけて防衛の任にあたる市民兵として、ふだんから砲術の訓練をうけていたようである。

彼は１５７４年には教育を受けていない船乗りのために『航海規則』を出版した。イギリス人の手になる最初の印刷された航海術の書物である。

ボーンはまたおのれの技術について無知な砲術師たちの間では技術教育がより必要なことを見出し、『大型大砲における射撃の技術』を出版している。また測量について論じた『旅行者の宝』を出版している。そこには、三角測量が図版をふくめて記されている。イングランドでは測量は、接収された修道院領地の再配分のためにも必要とされていた。

大学の外部にボーンのような人物を生み出したことは、大きな変化を言わなければならない。</blockquote>
<blockquote>６．ロバート・ノーマンとウィリアム・ボロウ

レコードとディーとディッゲズ父子は英語による数学書・科学書の執筆によって職人や機械工や船乗りや商人や軍人のために必要な知識を提供し、１６世紀後半にイングランドで輩出した数理技能者を直接・間接に育てあげた。

しかし、職人や技術者が自分たちの言葉で著述を始めたのは、このような上からの働きかけだけによるのではない。実際、２０年間の船乗り稼業ののちに航海用機器の製造に携わり、伏角を発見し『新しい引力』を出版した職人のロバート・ノーマンや、偏角の測定と論考を著述した英国海軍の会計検査官ウィリアム・ボロウたちの仕事は、レコードやディーの影響を受けてはいるものの、基本的にはおのれの経験と実践と考察から生み出されたものである。

ノーマンの伏角の研究は、それまでは定性的な科学でしかなかった自然哲学における、特別の測定装置をもちいた定量的測定のはじまりであり、自然学で実行された、はじめての自然的事物の定量的測定である。

ボロウはエリザベス１世の海軍の検査官であるが、大学を出ていない、叩き上げの船乗りである。１６歳で北東航路の発見のための航海に向かう艦隊に水夫として乗り込み、４０歳になるまでロシア沿岸への航海をおこない、主任パイロットにまで出世し、そのときまで天文学とラテン語をマスターしていた。

彼の「論考」の序文で、イングランドの旅行者、海洋航海者そして水夫に、「自分の仕事に習熟したいと欲するすべての船乗りや旅行者は、すべての科学とある種の技芸の基礎である算術と幾何学の知識をまずはじめに身につけるべきである」と呼びかけている。ここには、すべての科学の基礎が数学であるという新しい認識とともに、学習意欲にあふれたこの時代の船乗りの心意気が鮮明に記されている。

イングランドにおけるロバート・レコード以来の俗語科学書の存在は、イングランドの職人や船乗りの教育水準を押し上げるのに大きく貢献した。

また、広範囲にわたる偏角の測定と伏角の発見は、地球磁場という観念を生み出し、地球が巨大な一個の磁石であるというウィリアム・ギルバートの大発見につながってゆく。１６００年の『磁石論』は、科学革命の時代にあってイングランドから大陸にむけてのはじめての発信である。地球が不活性な土塊ではなく他者への作用能力や自己運動の原理を有する磁石であるというギルバートの発見は、その時点ではコペルニクス理論に要求されていた地球の運動の自然学的根拠を与えるものと思念された。さらには、地球の磁力という観念はケプラーによって天体間の引力という観念を生み出すにいたり、やがてロバート・フックとニュートンによる万有引力の提唱と、それに基づく「世界の体系」の確立－１７世紀科学革命の頂点－へとつながってゆく。

しかし、そのギルバートの発見にとってもっとも重要な契機となったのはロバート・ノーマンによる伏角の発見であった。ギルバートは、北半球では磁針の北端が下を向く伏角現象こそが、地球が球形磁石であることの直接の証拠であると捉えた。ロバート・ノーマンの仕事は、同時代のアンブロアズ・パレの外科学やボンベッリの代数学とならず、１６世紀文化革命の頂点と言える。</blockquote>
<img alt="220px-RoyalSociety20040420CopyrightKaihsuTai.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/220px-RoyalSociety20040420CopyrightKaihsuTai.jpg" width="220" height="153" />
「イギリス王立協会」
画像は<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E7%AB%8B%E5%8D%94%E4%BC%9A">こちら</a>からお借りしました。

<blockquote>７．上からの技術教育

しかしイングランドでは、１６世紀後半の職人や技術者サイドでの学問的関心の高まりは、支配層のヘゲモニーでおこなわれる技術教育の推進に連動していた。

<span style="color:#ff3300;">エリザベス朝イングランドで国家権力が強化され、経済が飛躍的に発展し、軍事が高度化し、海外にむかって政治的・経済的に関心が高まってゆくと、支配層のあいだでも技術者や船乗り軍人に組織的に数学教育と技術教育を施すことの必要性が痛感されるようになっていった。いや、支配エリート自身にもそれは要求されるようになっていたのである。「国益の増進」と「地上における栄達」を重ね合わせてみることのできる上流市民階層がすでに誕生していたのである。</span>

ところが、イングランドの既存の大学は、海外進出にむけてのイングランドの技術力を向上させるという目的には到底おぼつかない状態にあった。「その当時、オクスフォードやケンブリッジで教授されていた科学は実際的な問題や探求とはかけ離れていた」のであり、そのため「１６世紀にはイングランドの大学を卒業した者でさえ、自然科学においてはきわめてわずかな教育しか受けておらず、それらの問題の諸原理を理解するためには、通常は通俗書に頼っていた」のが実情であった。

軍人で植民地主義者のハンフリー・ギルバート（１５３９頃～８３）による「貴族とジェントルマンの子弟」のための教育機関としての＜エリザベス女王のアカデミー＞の提唱は、そのような要求に応えようとするものであった。１５７２年に書かれたその趣意書には<span style="color:#ff3300;">「大学においてはもっぱらスコラの学問が学ばれているが、本アカデミーでは戦争と平和の双方に関して現実の実践に適合する事柄が学ばれるであろう」と謳われている。土地所有者や商人や外交官などの子弟のために戦争や商業や航海知識を教育するための学校である。</span>

上流階級の子弟のためのものではあるけれども、徹頭徹尾、実用知識の学校である。そこで教えられる知識は、いずれも１６世紀に芸術家や技術者や数理技能者が案出したものに他ならない。それまで蔑んできた技術的知識の重要性を、イングランドの支配エリートは認識しはじめたのである。

そして、このアカデミーでの使用言語は英語と定められていた。
人文主義者が純粋なラテン語を過度に賛美し、中世スコラ学でなされていたような新造語の使用を野蛮として攻撃したために、ラテン語は新しい学芸に対処する力を失いつつあった。そして上流階級の子弟にとっても、単なる教養としての死語の習得に多大な時間を消費するよりも、軍事や航海に必要な実践的知識を俗語で身につけることの方がよほど重要になっていたのである。

このアカデミーの構想はすぐには実現しなかったが、<span style="color:#ff3300;">１５８２年にはアメリカ植民地建設の提唱者リチャード・ハクルートが航海術の公開講座を開くように訴え、その２年後にはウォルター・ローリーがヴァージニアに最初の植民地を建設している。海外進出のための人材養成は急務であった。</span>

軍人や船乗りのための数学の公開講座がロンドンで開催されたのは１５８８年のスペイン無敵艦隊の襲撃にそなえて、ロンドン防衛の市民軍が組織された時であった。枢密院とロンドンの商人グループと市当局が有効な都市防衛に必要な数学を講じるための基金の創設に賛同したのである。そして、無敵艦隊が撃破された後も、次の襲撃に備えて市民組織は維持され、この市民軍の教育を目的として講義は始められた。しかし、スペインのさらなる襲撃の危険性が薄れるとともに、<span style="color:#ff3300;">講座は軍事技術のためのものよりも、海外進出を目論んでいた商人の利害と関心に合わせて航海技術のためのものに変質していった。いずれにせよ「スペインに対する勝利に続く好戦的な海の冒険と並んで、探検事業や新しい商売の調査や植民地計画が進められ、そのため多くの方面から数学者が求められていた」のである。</span>ケンブリッジを出たエドワード・ライトが１６世紀末に東インド会社で数学を講じたのはその例である。

<span style="color:#ff3300;">商人トマス・グレシャム（１５１９～７９）の遺志で１５７９年にグレシャム・カレッジが開校されたことで、ついに技術者教育のための機関がロンドンに確立された。グレシャムは「グレシャムの法則」で有名だが学者ではなく、１５６５年に王立取引所の設立を提唱したロンドンの大商人である。</span>

グレシャム・カレッジは神学、天文学、音楽、幾何学、法律学、医学、修辞学の７講座からなる。その講義内容は実用性を最大限に重んじるものであった。「このカレッジは世界を測定するであろう」という１７世紀のジョセフ・グランヴィルの一節が、それまでの大学との相違－講釈にかわるに測定によって、文書をではなく世界を調べるという研究の方法と対象両面の相違－を謳っている。そして実際に、グレシャム・カレッジは、一方で教育の面で実際の経験を重視したが、他方で経験だけに頼っていたそれまでの航海術を数学に基礎づけられたもの改めるのに大きく寄与した。

１７世紀の初期には、グレシャム・カレッジの数学や天文学のスタッフにはイングランドの中のもっとも有能な学者が集まり、そこではスコラ学と異なる実践的な学問が教育され研究されていた。例えば、実用数学である対数の発明にいち早く着目して常用対数表を作成し、対数の実用化と普及に尽くしたヘンリー・ブリッグスは初代の幾何学教授であった。

<span style="color:#ff3300;">この教授たちの集まりの中から王立協会が生み出され、それがイングランドにおける科学革命の中軸となった。しかしそれは、職人や技術者の運動ではもはやなく、以前には蔑まれていた技術に対する重要性を十分に認識した知識人の運動になっていたことを忘れてはならない。</span>

イングランドにおける１６世紀文化革命は、大陸のものと少々異なり、当初から知識人のヘゲモニーによって進められていた。そのことは、社会的に差別され知的にも疎外されていた職人たちの運動であった１６世紀文化革命が大きく変質してゆく遠因でもあった。<span style="color:#ff3300;">ジョン・ディーの「数学的序文」は国家の反映と国力の増進が科学の発達と手を携えて進むということのいち早い認識を示している。</span>

先進的な職人たちの意欲的な運動が<span style="color:#ff3300;">新しく形成された国民国家の支配階級（ジェントリ）と重商主義政策のもとで成長した産業資本家たちの指導する運動に絡め取られてゆくのは、最早とどめ難い。</span>それがナショナルな色彩を帯びることも、なかば不可避であろう。「わがブリテン王国は人間が創造されてこのかた地上に存在してきたいかなる王国をも凌駕するのは当然と言えるだろう」と語ったのはジョン・ディーであった。

イングランドにおける知識人による俗語書籍による教化活動と、それに呼応した船乗りや技術者の側の意欲的な学習と執筆活動は、実用的な技術の考察が自然の研究にとって重要で有効であるという認識を広く受け入れさせることになり、大学で営まれていたスコラ学と異なる新しい学問の可能性を開くことになった。支配層の内部にも手仕事や機械的なるものへの蔑視を克服し、むしろ手工技術の重要性を積極的に認める機運が強まっていった。

かくして<span style="color:#ff3300;">１６世紀末にロンドンにグレシャム・カレッジが創設され、さらに１７世紀中期にはロンドン王立協会が発足し、ロバート・フックやニュートンを輩出し、イングランドは１７世紀科学革命の先頭に立つことになる。しかし、それは知識人のヘゲモニーで進められ、もう一度学問を支配エリートの独占に引き渡してゆく過程でもあった。</span></blockquote>

これが<a href="http://www.sayuu.net/blog/2011/10/002128.html">「近代の科学者は金貸しの手先だった」</a>ことのもう一つの証拠である。「悪貨は良貨を駆逐する」と語った金融勢力グレシャムによるグレシャム・カレッジが母胎となって、イギリスの王立協会が成立し、１７世紀の科学革命が実現したのである。


その過程を山本義隆氏の著『十六世紀文化革命』（みすず書房）「第１０章　１６世紀文化革命と１７世紀科学革命」から要約する。
<blockquote>十七世紀初頭にアリストテレスをはじめとする古代の哲学を厳しく批判し「知は力なり」のスローガンのもとに産業社会の時代の科学のありようを声高に語ったのはフランシス・ベーコンであった。

<span style="color:#ff3300;">ベーコンにとって自然研究の目的は「行動により自然を征服する」ことにあり、「技術と学問」は「自然に対する支配権」を人間に与えるためのものであった。</span>『ノヴム・オルガヌム』には「技術と学問は自然に対する支配権を人間に与えるもの」と書かれており、「自然の秘密もまた、技術によって苦しめられるとき、よりいっそうその正体を現す」「技術が自然と競争することによって勝利を得ることにすべてを賭ける」と語っている。


それと同時にベーコンは、科学技術研究の近代的なあり方をはじめて提唱した。
<span style="color:#ff3300;">彼は、近代科学技術研究のあり方として、選ばれた専門の研究者集団が国家の庇護のもとで先進的研究と技術革新を組織的かつ目的意識的に遂行するべきことを提唱した。</span>晩年の『ニュー・アトランティス』において、その機関として「ソロモン学院」を描き出している。

<span style="color:#6666ff;">それは選ばれて国家から俸給を得ている卓越した研究者集団が、国家の拡張主義的政策を推進し、その見返りに国家から研究費を得て研究に専念する組織である。その研究者たちは、全員が上流階級のみに許される特別な服を着ている。研究は国家に生活を保障されて研究に専念するエリート研究者の仕事であり、彼らだけが自然の秘密を握っている。彼らの得た情報や研究の成果は無統制に公開されるものではない。そのいずれを秘匿しいずれを公開するのかは、彼らが自分たちで決定するのである。</span>
ベーコンにとっては、先進的な研究や技術革新は、選ばれた専門の研究者集団によって組織的かつ目的意識的に遂行さえなければならないのである。

<span style="color:#ff3300;">１７世紀にはベーコンの思想を指導理念として科学の組織化が進められてゆくことになった。１６６２年に発足したロンドンの王立協会は、このソロモン学院をモデルにして作られた。</span>
これは王の勅許があるだけの民間の機関であったが、中枢会員は国家・公共のために研究を担っているという意識を強く有していた。１６６６年に発足したフランスの王立科学アカデミーにいたっては、れっきとした国家機関であり、ソロモン学院にさらに近い。実際、その会合はすべて非公開で、１６６７年には「アカデミーの業務は秘密に保たれ・・・機関の認可によってのみ外部に伝えられるべきもとする」という規約を定めている。

国璽尚書を親にもち、大法官にまで登りつめたベーコンは、知的・社会的に自分と同レベルの上流階層しか見ていない。ベーコンの言う協働も公開も、知的エリートや支配階級である「閑暇に恵まれた」ジェントリの間だけでの協働や公開であった。
１６世紀文化革命の過程で職人たちの実践から自然発生的に生れていた研究の協働的推進と科学の累積的発展という観念を、ベーコンは国家の主導で推進するように主張し、その実践を高等教育を受け研究に専念するエリート科学者に託したのである。</blockquote>
そして、ベーコンの思想は、急速に工業化を進め帝国主義にむかって邁進している国家の指導層に強く訴え、科学者たちは国家プロジェクトに組み込まれていくことになる。


<span style="font-size:130%;">★これがイギリスが覇権国家になった理由であるが、なぜイギリスにおいてそれが実現したのか？</span>
<img alt="1312708433.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/1312708433.jpg" width="399" height="294" />
画像は<a href="http://takemoto.ko-me.com/Entry/86/">こちら</a>からお借りしました。


<span style="color:#ff3300;">エリザベス1世の時代のイギリスは、スペインの無敵艦隊に対抗するために国家ぐるみで海賊行為を始める。</span>
「私拿捕船」「私掠船」 と云って、海賊船に国王の許可を与えたのである。国家公認の海賊船である。イチから自前で海軍を整えるよりも、手っ取り早く海賊たちにスペイン艦船を襲わせ、略奪した財宝を国家が吸い上げるという方法である。この海賊船にドレイクやホーキングといった名だたる海賊が参加し、当時のスペインの商船を襲いまくって大量の銀や財宝を略奪した。スペインはイギリスに厳重抗議したが、イギリスはこれを無視した。この国家ぐるみの海賊戦法によってイギリスはスペインの力を削ぎ、無敵艦隊を破ったのである。


このように、南米を略奪しまくったスペインの上を行く海賊国家がイギリスである。
<span style="color:#ff3300;">近代につながるイギリスは１０６６年、海賊集団ノルマン人（ヴァイキング）が征服して建てた国家である。</span>
ここからはじまるイギリスの王朝がノルマン朝で、この征服を「ノルマン＝コンクェスト」という。


つまり、国家ぐるみで海賊行為を行ったのも１６世紀が始めてではなく、その５００年前に海賊行為によってイギリス王朝を建てているのである。
<span style="color:#ff3300;">５５００～２９００年前の略奪闘争によってヨーロッパでは部族共同体が破壊されたが、イギリスではそれに加えて１１世紀のノルマンの征服という二重の略奪闘争によってできた国家なのである。</span>
そして、その後もイギリスは国家ぐるみの海賊行為によって世界中を侵略してゆく。イギリスは１１世紀から同じことをやり続けてきたのである。
<span style="color:#ff3300;">この国家ぐるみの略奪闘争（海賊行為）こそがイギリスの国家戦略であり、イギリスが世界の覇権を握った根本的な理由も、イギリスが最も侵略性の強い国家（民族）であったことにある。</span>


但し、同じ国家ぐるみの海賊行為でも、１１世紀の「ノルマン＝コンクェスト」の時代と１６世紀以降では違いがある。<span style="color:#ff3300;">
１１世紀は肉弾戦の武力そのものが制覇力であるが、１６世紀以降は戦争の制覇力は科学技術に変わっている。</span>
だからこそ、<span style="color:#ff3300;">イギリスでは国家ぐるみで科学者を組織し、その科学技術力を武器に国家ぐるみの海賊行為を働いたのだと考えるべきだろう。</span>


その背後にいたのはグレシャムをはじめとする金融勢力であることは言うまでもないが、イギリスの科学を推進させたのは金融勢力だけではない。その主勢力となったのは特権階級ジェントリであり、かつ、彼らは１７世紀民主革命の主勢力でもある。


イギリスの王侯貴族がノルマン海賊の末裔であることは言うまでもないが、その下の<span style="color:#ff3300;">特権階級ジェントリたちもノルマン海賊の将校や兵士クラスの末裔であろう。そして、彼らが主勢力となって１７世紀の民主革命と科学革命を実現し、イギリスは世界を征服していったのであろう。</span>
<span style="font-size:200%;">ノルマン海賊の末裔たち（王侯貴族と特権階級ジェントリ）と金融勢力が一体となって海賊行為と科学技術と民主主義に収束していった。これが覇権国家イギリスの構造（正体）なのである。</span>


<a HREF="http://blog.with2.net/link.php?1276435" target="_blank"><img src="http://www.sayuu.net/blog/banner_04.gif" border="0" alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"></a> 
<a href="http://politics.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://politics.blogmura.com/img/politics80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 政治ブログへ"></a> 

<a href="http://www.rui.jp" target="_blank"><img src="http://www.rui.jp/banner/image/ruinet_banner4.gif" border="0" alt="るいネット"></a> 
<a href="http://www.rui.jp/new/kousei/kousei_19.html" target="_blank"><img src="http://www.rui.jp/banner/image/mm_banner.gif" border="0" alt="メルマガ"></a> ]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>共同体社会の実現に向けて－１８～実現論　序５．破局後の経済は？その時、秩序は維持できるのか？（その３）～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.sayuu.net/blog/2012/01/002203.html" />
   <id>tag:www.sayuu.net,2012:/blog//1.2203</id>
   
   <published>2012-01-26T15:00:00Z</published>
   <updated>2012-01-27T11:56:58Z</updated>
   
   <summary> こんにちはー。 前回は、200年前の貧困の時代にリセットし、一から市場拡大を狙う金融支配勢力の思惑を紹介してきました。 このようになったら大変な事態ですが、裏ではこの為の下準備が着々と進められています。 今回は、その下準備である世界中で頻発している大災害や異常気象などのが、どのようにして金融支配勢力の支配構造へと繋がるのかを、金貸しにMAX同化してその魂胆をFIXしていきたいと思います:D     ...</summary>
   <author>
      <name>mizuguti</name>
      
   </author>
         <category term="06.経済破局の行方" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sayuu.net/blog/">
      <![CDATA[<center><OBJECT classid="clsid:d27cdb6e-ae6d-11cf-96b8-444553540000"
 codebase="http://fpdownload.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=6,0,0,0"
 WIDTH="400" HEIGHT="300" id="%E9%87%91%E8%B2%B8%E3%81%97%E5%8B%A2%E3%81%AE%E7%94%98%E3%81%84%E8%AA%AD%E3%81%BF" ALIGN="">
<PARAM NAME="allowScriptAccess" VALUE="sameDomain">
<PARAM NAME="movie" VALUE="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E9%87%91%E8%B2%B8%E3%81%97%E5%8B%A2%E3%81%AE%E7%94%98%E3%81%84%E8%AA%AD%E3%81%BF.swf">
<PARAM NAME="menu" VALUE="false">
<PARAM NAME="quality" VALUE="high">
<EMBED src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E9%87%91%E8%B2%B8%E3%81%97%E5%8B%A2%E3%81%AE%E7%94%98%E3%81%84%E8%AA%AD%E3%81%BF.swf" menu="false" quality="high" 
WIDTH="400" HEIGHT="300" NAME="%E9%87%91%E8%B2%B8%E3%81%97%E5%8B%A2%E3%81%AE%E7%94%98%E3%81%84%E8%AA%AD%E3%81%BF" align=""  allowScriptAccess="sameDomain" 
type="application/x-shockwave-flash" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer">
</EMBED>
</OBJECT></center><br>
<br>
こんにちはー。<br>
前回は、200年前の<span style="color:#CC6600;">貧困の時代にリセット</span>し、一から市場拡大を狙う金融支配勢力の思惑を紹介してきました。<br>
<br>
このようになったら大変な事態ですが、裏ではこの為の下準備が着々と進められています。<br>
今回は、その下準備である世界中で頻発している<span style="color:#CC6600;">大災害や異常気象などのが、どのようにして金融支配勢力の支配構造へと繋がるのか</span>を、金貸しにMAX同化してその魂胆をFIXしていきたいと思います:D<br>
<br>
<a HREF="http://blog.with2.net/link.php?1276435" target="_blank"><img src="http://www.sayuu.net/blog/banner_04.gif" border="0" alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"></a> <br>
<a href="http://politics.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://politics.blogmura.com/img/politics80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 政治ブログへ"></a> <br>
<br>
]]>
      <![CDATA[<blockquote>【金貸し勢の甘い読み】<br>
しかし、この計画を実現させるには、いくつかの条件がある。<br>
新紙幣に対する信認をスムースに形成するためには、まず旧紙幣は紙屑化すると思わせなければならない。そのためには、物価とりわけ食料価格を２倍から５倍へと段階的に超インフレ化させる必要があり、そのために、１ヶ月毎に人工災害が引き起こされる。(そのような人工災害の実験の一つが東北大震災と原発事故であった疑いが濃厚である。) <br>
<br>
すでに、ケム・トレイルと呼ばれる気象操作のための化学物質が数年前から盛んに航空散布されており、その頻度が年々増えている。こうして、１ヶ月に１回程度、計画的な人工災害が引き起こされ、そのたびに食糧価格が上昇し、紙幣がどんどん紙屑化していって、新紙幣にリセットされても仕方がないorむしろその方が良いという大衆共認が作り上げられてゆく。</blockquote><br>
<br>
<center><a href="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%EF%BC%91.jpg"><img alt="%EF%BC%91.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%EF%BC%91-thumb.jpg" width="400" height="148" /></a> </center><br>
<span style="color:#000080;">■気象兵器</span><br>
世界を支配する勢力の一派は、連日、ケムトレイルと呼ばれる各種の微細な金属粉の空中散布を続けており、加えて、電磁波を照射して、電離層に穴を開けたり膨らませたりして<span style="color:#CC6600;">気象を操作する気象兵器を実戦発動中</span>です。しかも、このHAARPと呼ばれる気象兵器は、<span style="color:#CC6600;">地震を起こすこともできる地震兵器</span>だとも言われています。<br>
・<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=254994">ケムトレイル</a><br>
・<a href="http://www.financial-j.net/blog/2011/06/001642.html">ＨＡＡＲＰ</a><br>
<br>
<span style="color:#000080;">■食料価格と自然災害</span><br>
最近、日本では食料価格が高騰しています。寒波や乾燥などの天候不順により、生育が遅れ、市場への出荷量が減少しているためです。1/17のニュースによると、1月第1週（6～12日）の卸値は、12月第3週（9～15日）と比べキャベツやレタスが<span style="color:#CC6600;">2倍</span>以上、ホウレンソウが<span style="color:#CC6600;">1.8倍</span>などと<span style="color:#CC6600;">「超高値」</span>です。昨年の1月第1週との比較でも、ダイコンやコマツナが<span style="color:#CC6600;">2倍</span>近くまで高騰しているとのことです。また、東日本大震災と原発事故により、コメなどの価格も高騰しています。このように、<span style="color:#CC6600;">自然災害を人工的に起こすことが出来さえすれば、食料価格も簡単に高騰させることができる</span>のです。<br>
<br>
また、<span style="color:#CC6600;">世界各地で自然災害が増加</span>しています。最近の10年間を見ると、1970年代に比べて発生件数、被災者数ともに約<span style="color:#CC6600;">3倍</span>に増加しています。<br>
<center><a href="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%EF%BC%92.jpg"><img alt="%EF%BC%92.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%EF%BC%92-thumb.jpg" width="400" height="182" /></a> </center><br>
<br>
 <span style="color:#000080;"><center>図：世界の自然災害の状況</center></span><br>
<blockquote>ところが、世界的な食料不足を演出するための、世界的に影響を与えることのできる災害となると条件は限られてくる。地震や旱魃や洪水は局地的な災害であり、世界的に影響を及ぼすには大型の火山噴火が最も好都合であろう。<br>
<br>
金貸し勢は、一年間に亙ってマイナス0.5℃～マイナス1℃になる程度の人工災害、つまり食糧生産高8割くらいを想定していると予想される。<br>
その場合、食糧価格は、自然需給に任せていても2倍に上昇するが、現実には至る所で農家の売り惜しみや流通業者の買占めが横行するので、簡単に３倍～５倍に高騰してゆく。</blockquote><br>
<br>
平均気温と食糧生産高の状況については、こちらの図がわかりやすいです。これは米の場合ですが、<span style="color:#CC6600;">気温が1℃下がると作付指数は87％まで下がり</span>ます。<span style="color:#CC6600;">2℃低くなると、なんと40％程度まで減少</span>します。<br>
<center><a href="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%EF%BC%93.jpg"><img alt="%EF%BC%93.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%EF%BC%93-thumb.jpg" width="250" height="308" /></a> </center><br>
<span style="color:#000080;"><center> 図：平均気温と作況状況グラフ（宮城県）</center></span><br>
<br>
このような状況を世界的に作り出せる災害が、火山噴火です。局地的には、火山灰の降下により農作物に大きな被害をもたらしますが、火山の大噴火が起こった場合、成層圏に大量のエアロゾルと塵埃が放出されます。その結果、地表に到達する太陽光は減少し、気温が低下します。実際1991年に発生した<span style="color:#CC6600;">ピナトゥボ火山（フィリピン）の噴火では、太陽光が最大5％減少し、北半球で気温が0.5℃～0.6℃下がり、地球全体で0.4℃下がりました</span>。（<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%8A%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%9C%E5%B1%B1#.E5.85.A8.E4.B8.96.E7.95.8C.E3.81.B8.E3.81.AE.E5.BD.B1.E9.9F.BF">Wikipediaによる</a>）また、1815年に発生したタンボラ山（インドネシア）の大噴火でも、世界的に異常な低温が記録されたとのことです。（<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%A9%E5%B1%B1#1815.E5.B9.B4.E3.81.AE.E5.A4.A7.E5.99.B4.E7.81.AB">Wikipediaによる</a>）<br>
<br>
<blockquote>従って、食糧価格を沈静化させるためには、国家が全食糧を買い上げ、全国民に配給するしかない。<br>
その場合、政府が国債を発行し、中央銀行が紙幣を発行して国債を買い受けるという従来の体制のままでは、旧国債と旧紙幣が紙くずになってしまった直後であり、新紙幣に対する信認を形成することができずに、食糧価格の暴騰から暴動へ、そして最終的には秩序崩壊に陥る可能性が高い。<br>
むしろ、秩序崩壊を避けるには、中央銀行を廃止し国家が自ら紙幣を発行した方が簡単で、新紙幣に対する信認も得られやすく、安全度が高くなる。</blockquote><br>
<br>
旧国債、旧紙幣が紙くずになってしまった直後は<span style="color:#CC6600;">『新紙幣に対する信任が得られにくい』</span>とありますが、みなさんはどう予測しますか？<br>
支配観念に染脳されている層がまだまだ多く、また事なかれ主義者が多い日本人は、簡単に信任してしまうかもしれませんが、疑い深い個人主義者の多い国では、おいそれと信じる者は少ないでしょう。（日本でも大変な混乱状況下では同様だと思われます）<br>
<br>
ここで、似たような歴史事例を二つ紹介します。<br>
<center><a href="http://www.sayuu.net/blog/img2011/4.jpg"><img alt="4.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/4-thumb.jpg" width="300" height="300" /></a> </center><br>
<span style="color:#000080;"> <center>ソ連：ルーブルよりドルを信任</center></span><br>
1998年にロシア財政危機（政府及び中央銀行による対外債務の90日間支払停止→ルーブル下落・キャピタル・フライトなどの経済的危機）の当時、ルーブルを信任せず、ルーブルをUSドルに代えようとした国民が続出し、さらなるルーブル下落を引き起こし、暴落した。<br>
<br>
<center><a href="http://www.sayuu.net/blog/img2011/5.jpg"><img alt="5.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/5-thumb.jpg" width="400" height="126" /></a> </center><br>
<span style="color:#000080;"> <center>ドイツ：ノートゲルト (Notgeld・緊急通貨) </center></span><br>
1914年の第一次世界大戦勃発を受けてマルクの金兌換が停止された以降のドイツの通貨。特に、1922、23年、借金支払いの為に紙幣を大増刷したことにより発生したハイパーインフレ時に使われたもので、<span style="color:#CC6600;">町や村の自治体や企業によって発行</span>された。（当時のドイツの法律では1マルク以下のお金なら町と村は自由に発行する事ができた）紙幣以外にも、硬貨、革、絹、リネン、切手、アルミホイル、石炭、再生紙等も緊急通貨として使用された。<br>
当時ドイツが何千万マルクの紙幣を発行している時期だったので、このような町や村が発行したその地方限定で使用されるお金の方が、<span style="color:#CC6600;">中央銀行が発行した紙幣よりずいぶん価値があった</span>様子。<br>
<br>
※注目ポイントは、<span style="color:#CC6600;">法定通貨である中央銀行券よりも信任</span>された事と、地域通貨的色彩で、<span style="color:#CC6600;">各地域や企業共同体が自主的に発行、運用</span>していた点です。<br>
これらの歴史や、将来の混乱状況をリアルに想像すれば、やはり<span style="color:#CC6600;">国家紙幣のほうが信任度は高そう</span>ですね。<br>
<blockquote>しかし、金貸し勢にとって、無から有を生み出す打ち出の小槌である中央銀行は、全ての力の源泉であり、彼らが中央銀行を廃止するとは考えにくい。<br>
もちろん、金貸し勢とその配下の試験エリートたちは、アメリカが借金国に転落した’85年以来、25年に亙ってリセットのシミュレーションを重ねてきた。とりわけ、世界バブルが崩壊した’08年以降、集中的に思考実験を繰り返してきたはずである。<br>
しかし、彼らはあらゆるリスクを十分計算したつもりでいるが、最後の所は常に自分に都合のいい判断に流れる。今回も、「中央銀行を存続したままでも、秩序は維持できる」というのが彼らの結論だが、その甘い判断が彼らの致命傷となるだろう。</blockquote><br>
<center><a href="http://www.sayuu.net/blog/img2011/6.jpg"><img alt="6.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/6-thumb.jpg" width="400" height="136" /></a> </center><br>
ここで、<span style="color:#CC6600;">1985年以降の金貸し勢力の思惑と国家頼りの救済策が繰り返されてきた歴史</span>を見ておきましょう。<br>
<br>
・１９８５年国際協調（プラザ合意）という脅しで日本のバブルが演出され、１９９１年バブル崩壊で日本の金融機関は巨額の不良債権を抱え窮地に陥ったが、国家による資本注入などで対応した。<br>
・１９９７年金貸し勢力によるＡＳＥＡＮ諸国への攻撃でアジア通貨危機が発生。ＩＭＦの介入で欧米金貸し勢力による搾取実行。<br>
・１９９８年ロシア財政危機でヘッジファンドのＬＴＣＭが破綻。巨額の融資をしていた欧米金融機関が連鎖破綻の危機に瀕し、ＦＲＢ主導で米国政府の支援による救済策が採られた。<br>
・２００７年米国発のサブプライムローン破綻が世界中に拡大、２００８年リーマンショックで世界バブル崩壊。米国政府・ＦＲＢをはじめ欧州各国政府も協調して金融機関の救済策が実施された。<br>
・２００９年頃から表面化しているユーロ危機では各国政府・中央銀行による救済策が実施されている。<br>
・	２０１１年米国債デフォルト危機でも米国政府・ＦＲＢによる救済策が打ち出された。<br>
<br>
日本のバブル崩壊以来、東南アジア、ロシア、アメリカ、ヨーロッパと繰り返された危機は世界中に拡大し、かつ深刻さは大きくなる一方です。これまで、各国政府及び中央銀行を動員した対応策で破綻を先延ばしし、<span style="color:#CC6600;">社会秩序はかろうじて維持</span>されていることから、<span style="color:#CC6600;">金貸し勢力は、最終的に政府・中央銀行・マスコミ等を総動員することでこれからも秩序は維持できるという甘い読みに嵌っている</span>と思われます。<br>
しかし、大衆の意識はどうでしょうか。ギリシャ、スペイン、イギリスなどヨーロッパ各国だけでなく、ニューヨーク・ウォール街でも大規模なデモが発生しているように、<span style="color:#CC6600;">金貸し勢力の思惑を越えて、秩序崩壊の兆しが現れている</span>と見るべきでしょう。<br>
<br>
<br>
現段階の仮説では、金融勢力の狙いは紙幣を紙屑化させた後、中央銀行方式は継続させたまま新紙幣を発行させ、<span style="color:#CC6600;">現物資産所有による経済支配体制を再構築</span>することです。<br>
しかし、この間の事例を見ても、個人主義国家の突如崩壊は不可避であると考えられます。<br>
いずれにしても<span style="color:#CC6600;">「秩序は維持できるのか」</span>が今後の最大のカギになりますので、次回は日本をはじめとした世界各国の状況を分析しながら追求していきたいと思います:D<br>
お楽しみにー:m033:
]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>近代科学の成立過程１６～金貸しが育成した特権階級（ジェントリ）が私権獲得の為に科学に収束した～</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.sayuu.net/blog/2012/01/002199.html" />
   <id>tag:www.sayuu.net,2012:/blog//1.2199</id>
   
   <published>2012-01-26T06:30:00Z</published>
   <updated>2012-01-26T15:54:49Z</updated>
   
   <summary> 画像はこちら（リンク） 前回近代科学の成立15～科学技術者たちは侵略航海による私権の可能性に収束し、国家プロジェクトに組み込まれていった～では科学者の発明、研究成果を国が評価し、更に国の発展に繋がる研究を権力、財力を使い後押しすることで国が他国（アジアの植民地を）を侵略することで、また更に科学技術の発展に財をつぎ込むことで科学技術は発展していきました。 今回は山本義隆氏の著『十六世紀文化革命』（みすず書房）から「第8章　16世紀後半のイングランド」の要約です。イングランドではどのように国と科学技術が発展していったのかを見ていきましょう。 興味を持たれた方は、応援もお願いします :D    ...</summary>
   <author>
      <name>KAWA</name>
      
   </author>
         <category term="13.認識論・科学論" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.sayuu.net/blog/">
      <![CDATA[<img alt="220px-El_bieta_I_lat_13.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/220px-El_bieta_I_lat_13.jpg" width="220" height="288" />
画像はこちら（<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B91%E4%B8%96">リンク</a>）

前回近代科学の成立15～科学技術者たちは侵略航海による私権の可能性に収束し、国家プロジェクトに組み込まれていった～では科学者の発明、研究成果を国が評価し、更に国の発展に繋がる研究を権力、財力を使い後押しすることで国が他国（アジアの植民地を）を侵略することで、また更に科学技術の発展に財をつぎ込むことで科学技術は発展していきました。
今回は山本義隆氏の著『十六世紀文化革命』（みすず書房）から「第8章　16世紀後半のイングランド」の要約です。イングランドではどのように国と科学技術が発展していったのかを見ていきましょう。
興味を持たれた方は、応援もお願いします :D 

<a HREF="http://blog.with2.net/link.php?1276435" target="_blank"><img src="http://www.sayuu.net/blog/banner_04.gif" border="0" alt="ブログランキング・人気ブログランキングへ"></a> <a href="http://politics.blogmura.com/" target="_blank"><img src="http://politics.blogmura.com/img/politics80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 政治ブログへ"></a> ]]>
      <![CDATA[ :D 続きを読んでいただき、ありがとう御座います :D 

<blockquote>
第8章　16世紀後半のイングランド

<span style="color:#009933;">１．テューダ王朝下のイングランド</span>職人や技術者が俗語で科学書を書きはじめた16世紀文化革命は、序章でロバート・ノーマンについて記したように、16世紀後半にはイングランドにおいても認められた。しかしイングランドでの様相は大陸の諸国とはいささか異なり、職人たちにたいする教化が、どちらかというと高等教育を受けた知識人のへゲモニー上から推し進められた。そのことは、16世紀文化革命の行く末と同時にその限界性をも暗示している。
16世紀のイングランド科学史を特徴づけているのは、なによりも「<span style="color:#ff3300;">1640年に先立つ80年間に、イングランドは科学の分野で後進国から先進国のひとつへと躍進した。</span>　」というこの時期の飛躍的な発展にある。


16世紀後半はイングランドにおいて数学的科学のいちじるしい発展があった。裏返せば、16世紀前半までのイングランドは軍事的な名声についてはひけきらないにせよ、科学的知識については大陸のライバルたちに大きく水をあけられていたと言える。


17世紀のジョン・ウォリスは、少年時代を回顧して「そのころ数学は学術的と見なされることばはほとんどなく、むしろ機械的なもの、つまり貿易商や小商人や船乗りや大工や測量技師など、そしておそらくは暦の製作者のすることと見られていたと証言している。実際、すでに14世紀末のチョーサーの『カンタベリー物語』には、貿易商人にふれて「彼はフランス金貨を両替するやり方を知っていました」とある。


このことは、当時、両替の計算そのものが商人のもつ特殊な技術と見られていたことを示唆している。14世紀後半以降、当時のイングランド最大の輸出商品である羊毛を大陸に輸出していたいわゆるステープル商人－国が定めた特定の取引所で主要商品の貿易に携わる商人たちは、ネーデルラントやイタリア・ロンパルディア地方の商人との大規模な取引をおこなっていた。当然、彼らは大陸の進んだ商業慣行に適応し、為替や両替をふくめ、込み入った商業計算に習熟していた。


同様に、職人の世界でも、定量的測定とそれにともなう計算の重要性は高まっていた。
印刷された英語による最初の数学書は、作者不詳の「ペンないし算板による計算術学習入門」であった。これはインド・アラビア数字と十進位取り表記法によって記述されたもので、内容は整数の四則演算、分数計算、三数規則などで、例題も以前に見た大陸のものとほとんど変わらない。表題よりわかるように、筆算だけではなく算板計算の説明もふくまれている。これは1537年に印刷され、その後、1539年、46年、52年、66年、74年、81年、1629年と、１世紀近くにわたって版を重ねることになる。そのことは、この頃からイングランド経済が急速に発展していったことを反映している。</blockquote>


当時のイングランドは大陸の他国よりも科学技術、特に学術的発展に関しては完全に遅れをとっていた。しかし現実課題を担う職人や技術者、商人などはそれなりに学を得ていた。この遅れを巻き返した方法は一体なんなのか。



<blockquote>「商業数学発展の背景には、1540年からの1世紀のあいだの「先駆的工業革命」とも「第一次産業革命」とも言われるイングランド経済の飛躍的発展があった。「先駆的工業革命」と命名したのはジョン・ネフだが、それは本質的に美術工芸に属さない諸領域の工業生産の量的発展－工業生産の目標の質的向上から量的拡大への転換を意味している。


1485年のばら戦争の終結とテューダー王朝の成立からエリザベス一世（エリザベス女王）が1603年に没するまでの一世紀余のあいだ、イングランドでは強力な王権が成立して、<span style="color:#ff3300;">重商主義政策がとられ、大陸とくにドイツやイタリアから鉱山業、製鉄業、火薬製造、製紙、印刷、ガラス製造などの技術者が呼び寄せられ、さらには独占付与による産業の育成、特許会社の設立がはかられた。</span>それを可能とした条件としては、その間、大陸の諸国が宗教戦争や王位継承戦争に明け暮れていたのにたいして、イングランドでは国内がおおむね平和であったことが大きい。


イングランドは1534年の「国教会を地上における唯一最高の首長とする」という「首長法」の発布により、対外的には教皇庁の支配から離脱したが、国内的には、とくにエリザベス一世の時代には、一方では王の支配を揺るがさないかぎり旧教徒を厳しく取り締まることもせず、他方では原理主義的ピューリタニズムを排し、穏健中道路線をとることで国内統合をはかり、宗教改革にともなう混乱を最小限にとどめることができたのである。そして1540年から1640年のあいだにイングランドの人口は倍増した。こうしてイングランドは国民国家への発展をとげ、1588年にはかのスペイン無敵艦隊を撃破し、強力な海軍を擁する海洋国家へと成長し、海外への進出を開始する。

<img alt="%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB.bmp" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB.bmp" width="300" height="200" />
画像はこちら（<a href="http://ee-news.seesaa.net/article/100870600.html">リンク</a>）



エリザベス一世がハンフリー・ギルバートのアメリカ植民計画に勅許状を与えたのが1578年で、84年にはウォルター・ローリ1世が北米に最初の英国植民地を建設している。東インド会社の設立は1600年である。この一世紀間にイングランドは、ヨーロッパの西端にあってその経済活動の中心から遠くに位置する遅れた封建国家から、新しい富の源泉であるアジアと新世界につながる大西洋に面した政治的・軍事的・経済的大国に躍り出たのである。すでにばら戦争で封建貴族が没落し、大土地所有者としての修道院も消滅し、<span style="font-size:130%;"><span style="color:#ff3300;">その後の資本主義発展の基幹部隊となるジェントリが社会の主勢力になり、同時にヨーマンリーすなわち比較的裕福な独立自営農民出の広範な成立を見ていた。ジェントリは主要に地主階級であるが、大商人、法律家、官僚、上位聖職者、大学数授、医師もそのうちにふくめられている。資本主義が発達する条件はすでに整っていたのである。</span></span></blockquote>

エリザベス1世の時代からイングランドの他国侵略の為の科学技術が発展していく。
「ジェントリ」とは地主階級だけでなく、大商人、法律家、官僚、上位聖職者、大学数授、医師などを指します。つまり、現在の特権階級に相当する。国家ぐるみで彼らは重商主義のもと、率先して他国侵略の為の科学技術発展に尽力を尽くした。その成果が後のイングランドの政治的、経済的、軍事的に他国を圧倒するものとなる。

※イギリスを覇権国家にした重商主義とはどのような政策か？　
参考サイト（<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E5%95%86%E4%B8%BB%E7%BE%A9">リンク</a>）

重商主義とは貿易などを通じて貴金属や貨幣を蓄積することにより、国富を増大させることを目指す経済思想および経済政策の総称。
大航海時代、アメリカ大陸やインド・東南アジアへの西欧の到達と直接交易の開始が貴金属や香辛料など稀少商品の価格革命をもたらし、商業革命のパトロン（援助者・免許者）としての王権に莫大な富をもたらした。オランダ、イギリス、フランスの各東インド会社は植民地政策の重要な尖兵となっただけでなく、有限責任方式の開発など市民社会形成に重要な足跡を残し、のちの産業革命をもたらした。また、その是非を通じて経済政策や思想における活発な議論がなされるようになり、これが後にケネーやアダム・スミスが登場する素地となった。


★フランスの例：コルベールの重商主義
彼は、東インド会社を再興するだけではなく、西インド会社・レバント会社・セネガル会社など作り、いまのカナダのケベック州に大規模な植民団を派遣してます。また、保護関税をかけて輸入を制限し、国内産業の保護育成を図ってます。典型的な重商主義者で、コルベール主義といえば重商主義の代名詞にもなってます。
<span style="color:#ff3300;">彼がやったのは国際貿易の振興と徹底した大企業優遇政策です。逆に農民や小自営業者は徹底的に搾取され、貧乏人ほど税率が高いという嘘みたいなことをやってます。要するに庶民は搾り取れるだけ搾り取り、それで全体の産業を発展させよう、国際的に儲けようということで、なんか日本（小泉政権）みたいですね。経済の発展は庶民を豊かにするためではないってことです。</span>そのため庶民階層の恨みが骨髄に至り、後のフランス革命の火種を残します。


★イングランドの例：エリザベス１世の重商主義
エリザベス1世は、カトリックに急旋回して世情不安になっていたのを、再びイギリス国教会中心に引き戻し、両派のバランスと融和を図ります。同時に経済を立て直すために、毛織物工業を保護・育成します。
参考（<a href="http://aplac.info/thisweek/essay345/thisweek080121.html">リンク</a>）

<img alt="%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AB.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AB.jpg" width="200" height="300" />
画像はこちら（<a href="http://jp.chateauversailles.fr/jp/history/court-people/louis-xiv-time/jean-baptiste-colbert">リンク</a>）



<blockquote>
私たちの問題意識からすれば、とくにこの時代のイングランドにおいて注目すべきことは、土地を所有するジェントリの多くが次男以下の息子たちを都市の商人や手工業者の徒弟奉公に出したことである。この習慣は「外国からの訪問者を驚かせた」と言われている。専門の論文の説くところによれば「貿易と商菓の世界における彼ら〔イングランド中産階級〕の野望は、彼らをして新しい科学、とりわけ機械学と航海の分野における功利的な価値にたいする前向きな関心を育むことになった」とあるが、これはイングランドならではのことであった。そしてこの関心こそが、職人や技術者の仕事にたいするそれなりに高い評価と、大陸諸国には見られない技術者教育への熱意を生み出すことになった。</blockquote>

<blockquote><span style="color:#009933;">3　ジョン・ディー</span>

ディーは1547年から50年までルーヴァンに滞在し、ブリュッセル、アントウェルペン、パリを旅行し、ヘマ・フリシウスやメルカトールやオルテリウスをはじめとする大陸の数理技能者や地理学者の知遇を得ている（オルテリウスはのちに渡英しディーを訪れている）。彼はまたこの旅行で大陸における新しい学問として地図学・航海術・ヘルメス主義・カバラ・機械工学・建築理論を修得した。故国には地理学や地図学についてしかるべき専門知識の所有者がいないと1540年にはディー自身がこぼしていたように、いずれの学問も、その当時のイングランドには根づいていなかった。


地図学にかんして言えば「海上雄飛の栄光の訪れが遅れた英国では、エリザベス一世の時代以前には英国人海図製作者を一人も生みえなかった」のである。ディーはへマの設計した航海用の天体観測機器やメルカトールの製作した地球儀とともに、これらの学問そのものを大陸からイングランドに持ち帰ったのである。しかしディーの数学は、レコードのものと異なり、大陸の新プラトン主義や魔術思想にも通底する一面を有していた。

ディ一によれば事物は「<span style="color:#6666ff;">超自然的なもの</span>」と「<span style="color:#6666ff;">自然的なもの</span>」と「<span style="color:#6666ff;">第三の存在</span>」に分類される。「超自然的なものは、非物質的で純一で不可分で不滅・不変である。自然的なものは物質的で複合的で分解可能で壊れやすく可変である。超自然的なものは精神によってのみ捕捉されるが、自然的なものは外感によって知覚される。超自然的なものにおいては至上の明証性ともっとも確かな叡智が得られるが、自然的なものにおいては概念的な理解と推測がもっぱらである」。明らかに「超自然的なもの」と「自然的なもの」の区別は、プラトンの言う真実在と可感的事物の区別に対応している。


そのさいプラトンは、厳密な学としての数学が適応されるのは前者にたいしてだけであると考えたが、ディーは「第三の存在」として「数学的なもの」を措定する。「数学的なもの」は「超自然的なものと自然的なものの中間にあり」、それ自体は非物質的であるが「知覚しうるより低いもの」。つまり「自然的なもの」にも適用されるのである。この意味においてディーにあっては、感覚によって捉えられる物質世界にたいしても数学が適用可能とされる。


たしかにディーの数学は、一面で数秘術や魔術への傾斜を示していた。とくに当時「魔術師」と広く称されていたネッテスハイムのアグリッパのオカルト哲学の影響は顕著である。それゆえディーは「妖術使い」というあまり芳しくないレッテルを貼られ、そのうえ天使との交信を試みた日記なるものが死後にセンセーショナルに公表されたこともあって、とりわけ啓蒙主義の時代以降には彼の果たした役割はきわめて小さく評価されてきた。

しかし16世紀には、魔術思想そのものが自然界に秘められているもろもろの力、「隠れたカ」の存在と作用を経験的・実験的に調べあげて人間生活に役立てるという、経験主義的で実用主義的な傾向を強めていた。そのうえディーの数学思想は、現実には地図製作や天体観測機器の改良に取り組んでいたへマ・フリシウスやメルカトールといった大陸の数理技能者や航海術にくわしい数学者ペドロ・ヌーネスなどの影響をもつよく受けたものであって、現実的で実践的な側面を大きく有していた。</blockquote>


<span style="color:#6666ff;">ディーの「超自然的なもの」「自然的なもの」「第三の存在」は西欧の考え方をよくあらわしている。「超自然的なもの」は自然を超えた普遍的で、絶対的不可侵である。これは現実を捨象した観念世界のことである。「自然的なもの」は現実の社会、自然を意味する。つまり観念と現実を比べたとき西欧の考えでは観念が重きをなすことになる。
これが現実を捨象した観念（精神、宗教、哲学）が重きをなす西欧の考え方の特徴である。</span>

<blockquote>ディーは、大学が学問の実用的な価値に関心を示さなかった時代にあって、数学的科学の技術的適用の可能性と重要性をいち早く見抜いていたのである。　しかし彼のまなざしは職人や技術者だけに向けられていたのではなかった。彼はこの「数学的序文」を英語で書いたが、その他の著審をラテン語で書いている。ディ一にとっての科学の価値は、ひとえにイングランドの繁栄と国力の増強にとってのものであった。実際、彼は英国王室海軍顧問にしてエリザベス一世のブレーンでもあった。

<img alt="%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E6%BF%80%E3%81%AF.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E6%BF%80%E3%81%AF.jpg" width="300" height="250" />
画像はこちら（<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B91%E4%B8%96">リンク</a>）


とりわけイングランドの帝国主義政策の熱烈な推進論者で、彼はその立場から地理学の進歩と航海術の改良には並々ならぬ関心を寄せていたのである。現実にも彼は、ほば30年間にわたってマルティン・フロビシャーやハンフリ1・ギルバートやウォルター・ローリーといったエリザベス朝イングランドの航海関係者や植民地主義者のアドヴァイザーであり、航海士たちに教育をほどこし、探検航海への助言を与えている。1570年代にくり返し試みられたフロビシャ一による北西航路発見のための航海は、ディーの熱心な勧告と指導によるものであった。
<span style="color:#ff3300;">ディーは『完璧な航海術』を執筆して1577年に出版したが、それはエリザベス一世にたいして、強力な海軍を常備し、領土の拡張をめぎして海外に雄飛する大ブリテン帝国を樹立するように促すための建白書であった。</span></blockquote>

今まで見てきたように科学技術は科学者の真理の追究による純粋な発展ではなく、国家が自国の政治的、経済的、軍事的、資本の拡大と他国の植民地化を果たすための発展に過ぎません。「潮流５　失われた40年」（<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=213681">リンク</a>）にあるように「自由競争・自由市場など幻想」であり、「現実には国家に支えられた市場しか存在しない」のと同様に、近代科学も国家の力によってはじめて発展したのです。


ジェントリの一人と言われている男
<img alt="jenntori.jpg" src="http://www.sayuu.net/blog/img2011/jenntori.jpg" width="200" height="258" />
画像はこちら（<a href="http://niki310.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301702080-2">リンク</a>）


<span style="color:#ff3300;">イングランドの特徴はジェントリ（特権階級）の成立です。</span>特権階級（閑暇階級）であるジェントリたちが私権獲得のために科学に強く収束したことが後進国であったイギリスで科学が発達し、ニュートンをはじめとする１７世紀科学革命を生み出したのです。


イングランドではヘンリー8世はローマ教会の力を無くすことを目標とする金貸しに唆され、教会からの独立を目指しイングランド国教会を作りました。しかしその新教も王の指導力が揮わず、衰退していきます。<span style="color:#ff3300;">国が財政危機に陥ると修道院領を接収して、その土地地主達に売り払いました。売り払った土地の持ち主達が後のジェントリです。また、ジェントリたちは羊毛生産のために農民の共有地や開放耕地を没収し、自らの所有地としていきました。第一次囲い込み（エンクロージャー）と呼ばれますが、その結果、貧農たちは生活の基盤を失い、賃金で雇われる以外に生きる術をなくし、大量の賃金労働者を生み出しました。これがイギリスで工業生産が発展する土台となります。</span>


エリザベス1世が登場し、もう一度国教会に勢力を集中し、カトリック教会とのバランスを保つようにしました。そして更にこの当時羊毛の毛織物工業が盛んになり、土地を持っている地主達は一気に稼ぎを得ることになります。そのジェントリ達と手を組み、国家が一丸となって他国に負けない科学発展。そして遅れを取っていた他国を超える軍事力、政治力、経済力つけていきました。金貸したちが目標とした教会の力の及ばない工業、商業中心の発展が実現した。資本を増やしていったジェントリ達は貴族と同等の力を持ち、国家をも脅かすほどの勢力となった。
参考：貴族と新興ジェントリー（<a href="http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~tamaki/joyama/joyama99/99nsgc1.htm">リンク</a>）


参考：「実現論：序２（上）　現実に社会を動かしてきた中核勢力」（<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=256054">リンク</a>）
<blockquote>市場社会では、金貸しが、官僚を支配し、教団に変わって登場した学者とマスコミを支配し、そして官僚機構が大衆を法制支配し、教宣機関(大学・マスコミ)が大衆を共認支配している。
こうして見ると、古代と近代では、社会統合と大衆支配の仕組みは、基本的にはまったく同じであり、ただ統合力＝制覇力が、武力から資力に変わっただけである。
要するに、力の頂点に君臨する金貸しが、政治家や官僚や学者やマスコミ等の統合階級を支配し、その統合階級が大衆を法制支配＋共認支配しているというのが、現代社会の基本構造である。</blockquote>

武力支配時代の支配構造は、お飾りの王侯貴族－実権を握る神官と官僚－庶民という構造ですが、市場時代の支配構造は、影に隠れた金貸し－政治家や官僚や学者やマスコミ等の統合階級－庶民という構造です。
１６世紀イギリスのジェントリとは、この政治家や官僚や学者やマスコミの原型です。つまり、この段階で既にジェントリたちは金貸しに支配されていると考えてよいでしょう。


<span style="color:#ff3300;">実際、このジェントリたちを支持基盤として１７世紀イギリスの民主革命が実現します。ジェントリを支持基盤として成立したのがホイッグ党（後の保守党）である（対抗するのがトーリー＝王党派）、１６８８年名誉革命後も、大地主や大貿易商を背景とするホイッグ党の優位が続き、イギリス帝国の拡大を目指す重商主義政策が展開されました。</span>
このことも、イギリスの特権階級ジェントリたちが金貸しの手先と化しており、金貸しとジェントリたちを主勢力として、１７世紀イギリスの民主革命が実現したことを示唆しています。


つまり、<span style="color:#ff3300;">イギリスこそ、影に隠れた金貸し－政治家や官僚や学者やマスコミ等の統合階級－庶民という、市場時代の支配構造を完成させた国家です。これが「国民国家」と呼ばれるものの正体です。そして、特権階級ジェントリたちが自らの私権獲得という目的と国力の増強という目的を重ね合わせ、科学技術に強力に収束していった。
これが１６世紀まで後進国であったイギリスが、世界の覇権国家になっていった理由ではないでしょうか。</span>

]]>
   </content>
</entry>

</feed>

