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2012年01月19日

近代科学の成立過程15~科学技術者たちは侵略航海による私権の可能性に収束し、国家プロジェクトに組み込まれていった~

 前回(近代科学の成立過程14~国家ぐるみの海賊行為のために天文学・地理学は発展した)は、山本義隆氏の『十六世紀文化革命』から「第7章 天文学・地理学と研究の組織化」の要約を引用しながら、天文学・地理学の発達によって大航海時代を迎えたのではなく、実は略奪とその後の貿易(一方的な搾取と奴隷貿易)を目論む国家権力や商人の後押しによって発展したということを見てきました。

 引き続き山本義隆氏の『十六世紀文化革命』から「第7章 天文学・地理学と研究の組織化」後半部分の要約を引用しながら、近代科学の発展過程を見て行きたいと思います。 
 
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                       国家プロジェクト:壁面四分儀で観測するチコ・ブラーエ
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5.南ドイツの数理技能者たち

 もちろんニュールンベルクの影響は近隣の諸都市にもおよび、ニュールンベルクの100キロほど南のアウクスブルクは天体観測機器や天球儀の製作にすぐれた腕をもつシスラーを生んでいる。

 メランヒトンは、コペルニクス理論を受け入れることはなかったものの、天文学をふくむ数学を重視した教育改革を声高に主張し、強力に推進した。その影響は、彼の弟子たちがドイツ各地の大学で教鞭をとるようになったこともあり、ドイツ全域の大学のみならず、さらにはネーデルラントやデンマークにまでおよんでいる。こうしてレギオモンタヌスとメランヒトンの働きで、16世紀のドイツは天文学の先進国になり、17世紀にはヨハネス・ケプラーを生み出すことになる。

 聖職者をめざして1589年からチュービンゲン大学に学んでいたケプラーを天文学に誘ったのは、その大学の天文学の教授でルター派のメステリン(1550-1631)がコペルニクス理論を説いたからであった。16世紀後半にコペルニクスの太陽中心説の信奉者は10人を越えなかったと言われる。

 またヴィッテッベルク大学で1530年代にメランヒトンに学んだのが、後にポーランドに赴いてコペルニクスに自著の出版を促すことになるレティクス(1514-74)であった。ポーランドでレティクスは、コペルニクスに著書の出版を熱心に勧めただけではなく、コペルニクスの理論を説いた『第一解説』をみずから執筆し、1540年にそれを出版することでコペルニクスの背中を押した。コペルニクスにとっては、レティクスの『第一解説』は、自説がキリスト教社会にどのように受け入れられるのかを見極めるための観測気球の役割を果たした。
こうしてコペルニクスの最初にして最後の弟子レティクスは、コペルニクスに自著の出版を決意させ、その草稿を持ち帰り、1543年にコペルニクス畢生の書『天球の回転について』が誕生したのである。
 
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               コペルニクス
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 プトレマイオスの再発見によって天文学とともに復活した地理学と地図学もまた、15・16世紀における遠洋航海の拡大によって飛躍的に発展をとげることになる。とくに地図製作は、ハード面での印刷地図の進歩に支えられ、コロンブスによる新世界の発見とその後急速に進められた新大陸への探検航海の拡大、そしてヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開通以後の東アジア各地へのヨーロッパ人の進出により、内容的にも急速に手直しされていった。

 こうしてみると、ニュールンベルクそしてその近隣の南ドイツの都市のアクティヴィティが天文学の改革と地理学の発展にどれほど大きく寄与したかがわかるであろう。それは観測機器を設計・改良し、みずから観測し、ときには印刷や出版までこなす「なかば応用科学者、なかば道具製作者」としての数理技能者が作り出した伝統のうえに生み出された。15・16世紀のニュールンベルクにおいては、一方でデューラーのような大芸術家が数学者に接近していったのにたいして、他方では、レギオモンタヌスのような大数学者が職人に接近していったのである。
 
6.ネーデルランドの数理技能者たち 

 『宇宙地誌』の1533年の版に付された付録「二点間の距離をいかにして測定するのかの、これまでに知られていなかったノウハウを教示する、すべての地理学者にとってきわめて有益で有用な小冊子」においてヘマがはじめて地図製作のための三角測量の技法を印刷出版したことは特筆されるべきである。

 近代国民国家の形成にともなって、版図の全域をくまなく見渡し正確に表現する陸上地図の製作は、支配権力にとって喫緊の事項であった。それに封建領主の力の低下により土地所有形態が変化し、領地の再配分の必要性が生じ、土地の正確な測量にたいする需要が高まっていたこともある。そしてアピアヌスやヘマ・フリシウスのような数学者たちによって、これまで天体観測に使用されていた装置―四分儀、アストロラーベ、十字桿など―が改良され測量技士たちに推奨されていた。この時代に航海術とならんで測量術もまた数理技能者が関心をよせる技術に変貌を遂げていたのである。
 
 かくしてフランドルは16世紀後半に二人の傑出した地図製作者を生み出すことになった。ひとりはアントウェルペンでドイツ人の両親から生まれたオルテリウス(1527-98)、いまひとりは、メルカトール(1512-94)である。

 メルカトールの名を成さしめたのは、新しい投影法にもとづく航海用の世界地図『航海での使用に正しく適合させられた新しく拡大した地球の記述』であり、1569年に発表された。赤道で地球と接する円筒に地球表面を射影するこの投影法では、すべての子午線(経線)は平行でつねに緯線に直交する。当然それだけでは極に近づけば緯度一度の間隔が広がってゆくが、その広がる割合をうまくとると、等角航法の軌跡である航程線をつねにきまった角度で子午線と交わる直線にすることができる。以前にペドロ・ヌーネスが提起した問題を解決するもので、これがいわゆる「メルカトール図法」である。

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メルカトルの世界地図
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 16世紀中期のフランドルは世界貿易の中心地アントウェルペンやブリュッヘを擁し、また海洋国家スペインの支配下にあり、スペインの宮廷や商業に関係が深く、スペインによって精力的に進められていた地理学上の発見の情報が比較的速く伝わり、そんなこんなで遠洋航海にたいして高い関心を有していた。そのことはメルカトールが遠距離航海にとってきわめて有用なその図法を考案した背景として考えられる。
 ところで当時の遠洋航海にとって重要な問題は、海上での位置決定(緯度と経度の決定)であった。緯度は原理的には極高度の測定により求めることができ、一度の四分の一 (約27キロメートル)以内の誤差で決定することができた。しかし経度の決定は精度の期待できない航行距離の推測に頼らざるをえず、より困難な問題を提供していた。とくにスペインとポルトガルは、両国の海外領土の境界をベルデ岬西方370レグア(約1850キロメートル)を通る子午線と定めた1494年のトルデシラス条約の施行のために、正確な経度測定を必要としていた。

 この問題に思いもかけない面から光をあてたのが、磁針の偏り(磁針の指す方向が子午線から東西に逸れる現象)であり、かつ、磁針が指している点が地球上の一点―地理上の北極とは別の位置にある「磁極」―であるとはじめて考えたのが、1546年のメルカトールであったが、磁気偏角への関心が高まり、計測値が得られるにつれ明確な関係性が無いことが明らかになった。

 それでもメルカトールが語った地球上の磁極という観念は生き残り、やがて地球自身が一個の巨大な磁石であるというイギリス人ウィリアムーギルバートの発見へとつながっていった。地球が一個の磁石である、すなわち地球が自己運動の原理と他に働きかける能力を有した活性的な存在であるという認識は、地球が不活性な土塊として宇宙の中心に静止しているというアリストテレスープトレマイオスの宇宙像からの離脱を自然学的に可能とするものであった。この点については、次章で立ち戻る機会があるだろう。


 
 
 この16世紀にアメリカから大量に略奪されてきた金銀が欧州にインフレを起こす(価格革命)。16世紀の約百年間に、欧州の物価は数倍に跳ね上がり、このインフレによって、額面固定の地代に依存する封建領主・貴族は没落し、金貸しからの借金で首が回らなくなった。金融勢力が繁殖してゆく過程であり、この状況を目の当たりにした者たちが南米やアフリカ大陸への大航海(略奪)に私権拡大の可能性を見いだした時代とも言える。


金貸しや商人だけではなく、国家(王侯貴族)や学者・技術者・職人に至るまでもが、侵略航海に可能性収束したのである。これが15~16世紀の西欧を包んでいた空気(期待)である。だからこそ、侵略航海を目的とした天文学・地理学の国家プロジェクト化が成立したのである。
これは単に金貸しの思惑だけでは実現しなかったであろうし、科学者や技術者たちが侵略航海による私権の拡大可能性に強く収束していたからこそ、彼らは金貸しの手先となっていったのである。
「近代の科学者は金貸しの手先だった」

 
 この時代から遠洋航海に必要な航海用地図・測量技法など様々な分野で飛躍的発展を遂げてゆくが、数理技能者と呼ばれる人々は、手作業を含めた技術的分野等、様々な分野と繋がることができたからだと考えられる。

 個人の知識や技術では不可能なことも集まれば実現出来るというのは普通の事かもしれないが、その背景には、やはりそれだけの人材を集められる権力と財力があったから、そして科学技術を発達させることでさらなる旨みを得られたからに他ならない。この時代これらの研究課題を担った職人に至るまで、大航海による私権の獲得が明確な目的となっていたのである。
 
 そして、その研究規模はさらに大きくなってゆくことになる。次章からその流れを見てゆく。
 
 

7.チコ・ブラーエ

 近代天体力学ひいては近代物理学の出発点である太陽を中心とした惑星運動の正しい法則を見出しだのはドイツ人ケプラーであるが、それはデンマークの貴族チコ・ブラーエ(1546-1601)が蒐集し蓄積した観測データにもとづいてはじめて可能となった。

 チコは、25年を超える注意深い天体観測によって確定された数値で表された新しい正確な表を作成し、これまでの天体表の不正確さを明らかにすることが可能であると語り、そしてこの天体表の完成は弟子ケプラーに委ねられた。

 チコの死後、ケプラーはチコの777個の恒星目録を1005個にまで増やし、みずから印刷を指揮し、1627年にこれを『ルドルフ表』として出版した。それはその後一世紀以上にわたって天文学研究の不可欠の道具となった。のみならずケプラーは、チコのデータから惑星運動についての有名な「ケプラーの三法則」を導き出し、それがのちにニュートンによる万有引力の法則の確立に決定的な役割を果たすことになる。ケプラーはチコの集めた高い精度のデータをもとにしてはじめて、惑星の楕円軌道や惑星運動にたいする面積定理を見出すことができたのである。そしてまた『ルドルフ表』の精度が抜群に優れていたことがチコとケプラーの権威を高め、ケプラーの法則の受け入れを後押しすることになった。
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                      ケプラー
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 チコは、観測精度の極限的向上という近代精密自然科学の前提的課題をはじめて現実の課題として引き受け、そのため一方では観測機器の不断の改良に努め、他方では地道な日々の観測を三〇年余に
わたって継続するという、それまで誰もおこなわなかったことをやってのけた。
彼の原点は、このようにそれまでの観測の不正確さの認識であり、そこから天文学者としてのチコを一躍有名にしたのが1572年11月の新星(チコ・ブラーエ新星)の出現であった。

 占星術を信じていたチコ・ブラーエ自身、新星の出現を占星術的予言に結びつけて考えていたため1573年のチコの著書『新星について』は大きな関心をよび、国王の目にもとまり、チコは国王の後押しで1574年から75年にかけてコペンハーゲン大学で講義をしている。国王はチコをデンマークに留め置くために、通常の貴族には要求される公務をいっさい課さず、フヴェーン島を封土として授け、そこにチコの希望する天体観測施設を建設し、終身年金を与え、天体観測に専念することを認め、そのための財政的支援をも約束したのである。1576年、チコ29歳であった。
 
 この島にチコは天体観測のためのウラニボルク(天の城)を建設し、1597年まで助手たちを使って観測を継続した。しかしウラニボルクでは天体観測だけがおこなわれていたのではない。それまでの観測機器にあきたらないチコはその改良や開発に取り組み、そのための製作工房を設置し専属の職人たちを集めて製作にあたらせた。そして地下に設けられた実験室では錬金術の研究も進められ、さらには気象観測からフヴェーン島の三角測量までおこなわれていた。ウラニボルクにはそのうえ1584年には印刷所も設けられ、のちには製紙工場さえも設置された。チコの観測基地ウラニボルクは、今でいうならば、超大型加速器とスーパー・コンピューターを備え、出版部も設けて独自の年報を発行し、多数の研究者と大学院生と技術者が働いている大規模先端研究機関に匹敵する。 
 
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        ウラニボルク(天の城)                      ステルンボルグ(星の城)
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 チコの測定機器開発を伴った観測精度は驚異的であり、肉眼の精度の極限と言われ、そしてそれだけの精度があっだからこそケプラーによる楕円軌道の発見が可能となり、ひいてはニュートンによる万有引力発見への道が拓かれることになった。実際、ケプラーが楕円軌道に辿りつけたのは、それまでの理論とチコの観測が八分ずれていたからであった。

 製作工房と印刷機を備えた恒常的天体観測施設とその成功は、それまで知識人のあいだで低く見られていた技術的なもの機械的なものの重要性を十二分に理解し認識していたチコ・ブラーエが、みずから観測機器の設計と製作、そして不断の改良に取り組み、また職人や技術者の潜在力を最大限に発揮せしめたことに負っているが、一世紀にわたる技術者と数理技能者の働きが築き上げ押し上げた土台のうえに開花したのである。

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 16世紀に復活した数理天文学と数理地理学は、航海術への応用や地図製作という実際的な問題と密接なかかわりをもっていた。これらはたんに数学や天文学の理論だけではなく、観測機器の操作や改良や製作、あるいは地図の投影法の研究や地図の実際的な作製という多方面の知識と技能を要求する。つまり理論的研究だけではなく、手仕事・機械的作業を必要とする。

 いずれにせよ、16世紀の新しい地理学と天文学は、理論的な研究や著述から長期にわたる日々の観測、ひいては観測機器の開発や製作にいたるまでをカバーするものであり、もっぱら文献のみを相手にする大学アカデミズム内部で個人的に営まれたそれまでの研究とはまったく異質のもので、科学研究の目的意識的な組織化を促すものであった。実際にもそれは、ポルトガルにおけるように国家的事業として、または国王の全面的な後援を受けたチコ・ブラーエのような特異な人物の手によって、あるいはレギオモンタヌスとそれを引き継いだニュールンベルクをはじめ南ドイツやネーデルラントの数理技能者の手で、言うならば地域的な自然発生的協働によって、進められた。

 しかし、遠洋航海のための数学者委員会を設けたポルトガルのジョアン二世は「国家の問題の解決にとって科学的知識の有する潜在的な力」を認識していたし、チコ・ブラーエにフヴェーン島を授けたデンマークの国王も、占星術に囚われていたとはいえ、同時に「科学が国家に威信をもたらし、国の防備を強化することを知悉していた」のである。チコ・ブラーエを生み出してゆく過程は、新しい科学のヘゲモニーが国家ないし支配エリートに移行してゆく過程でもあった。それは職人たちによる16世紀文化革命の成果が支配階級に属する知的エリートに簒奪されてゆく過程でもあった。そのことが典型的に見られるイングランドの例を次章に見てゆくことにしよう。

 
 

 チコ・ブラーエやケプラーはそろってルドルフ2世(ハプスブルグ家、ルドルフ表の起原)の元に出入りをしており、パトロンとして養われていた。デンマークの国王やこのルドルフ2世など複数の権力者・金貸しの元で私権獲得の為の研究・開発を行っていたといっても過言ではないだろう。

 そしてチコ・ブラーエの事例に代表される科学研究の目的意識的な組織化は、後々の現代に繋がる戦略的国家プロジェクトとして代々引き継がれてゆく事になる。 現代の原爆・原発開発プロジェクトの原点は、侵略航海を目的とした天文学・地理学の国家プロジェクトにあったのだ。 
 
 その末路が『科学はどこで道を誤ったのか?』(9)「Blog:自然の摂理から環境を考える」でも扱われている。

◆大量に組織化された国家プロジェクトが作られてゆく 

【マンハッタン計画のこの「成功」をうけて、戦後アメリカ政府は科学技術振興に積極的に介入していった。実際、第二次大戦後(20世紀後半)の宇宙開発競争のような科学技術は、このような官軍産の強力な指導のもとに大量の学者と技術者が計画的に動員されることで可能となったのであり、当然それは、大国における政治的・軍事的目的、あるいは金融資本と大企業にとっての経済的目的に従属したものであった。
戦後、原子力開発が民間企業に負わされることになっても、国家の後ろ盾のもとにいくつかの大企業にまたがって担われるプロジェクトとしての原子力開発において、マンハッタン計画と同様の状態が出現することになった。】
※山本義隆氏「福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと」より引用

 戦争圧力によってマンハッタン計画が推進され、第二次世界大戦は原爆の製造に成功した連合国が勝利をおさめました。
その成功を受けて、その後も国家プロジェクトによる科学技術開発は、米ソ冷戦による「宇宙開発競争」へと発展してゆきます。また、資本主義が蔓延する中でより儲けの多い「エネルギー開発(核エネルギー)」が国家プロジェクトとして推進されてゆきます。
 
 これらの背後にある「市場拡大」という原動力に導かれ、数々の巨大な国家プロジェクトが生まれ、科学者たちはその中に根こそぎ取り込まれてゆきます。
そして、それは科学技術が経済的目的(市場拡大)に従属してゆくことに他ならないのです。
 
 
 
◆科学者も技術者も、視野狭窄→無能化してゆく 
 
 国家体制に組み込まれることによって科学者や技術者には、どのような影響があったのでしょうか?マンハッタン計画において、既に科学者の視野が狭められていることがわかります。

【もちろん秘密の軍事研究であり、情報管理は徹底されていて、個々の学者の大部分は、全体としての目標への疑問は許されず、というか、そもそも原爆製造という最終目標すら教えられずに、与えられた問題の解決にひたむきに取り組んだ。】※山本義隆氏「福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと」より引用

 科学者たちは、市場拡大を目的とした国家体制に組み込まれる中でプロジェクト全体の目的すら対象化しなくなります。そして、社会に与える影響、自然世界全体を統合するという視点を持たないまま、限られた自らの専門領域の中でしか頭を使わなくなり、ひたすら与えられた課題だけに向かいます。

【生産規模の巨大化と生産能率の向上のみがひたすら追及されるが、そのこと自体が意味のあることなのかどうかは問われることはない。そのことに疑問を呈した人間はただ脱落してゆくだけとされる。こうして”怪物”化した組織のなかで、技術者や科学者は主体性を喪失してゆく。】※山本義隆氏「福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと」より引用

技術者や科学者たちは、権威のみ与えられた特権階級となり、社会の当事者であるという主体性を失い、無能化してゆきます。

 要するに、マンハッタン計画や原発開発そして環境破壊に至るまで、様々な破壊や弊害を生み出したのは、権力や金貸しによって研究開発だけの為に集められた技術者や科学者が視野狭窄→無能化してしまっているからに他ならない。その起原がこの16世紀文化革命の時代、やはり権力者や金貸しに因って生み出されていたのである。 


15世紀以降、侵略航海による私権の拡大に可能性収束した科学者・技術者たちは、国家プロジェクトに組み込まれて天文学や地理学を発達させ、それが力学と並んで近代物理学の土台となる。それを結実させたのがケプラーやニュートンである。


彼らが金貸しの手先となっていった理由もそこにある。つまり、科学者や技術者たちが侵略航海をはじめとする私権の拡大可能性に強く収束する自我・私権主体であったからこそ、彼らは金貸しの手先となっていったのである。実際、その後も科学者たちは金貸しが主導した戦争→国家プロジェクトに従事していったが、それも彼らが自我・私権主体であったからに他ならない。
「金貸し主導の戦争→国家プロジェクトの手先となり、アホ化した科学者たち」


 次回は、引き続き16世紀文化革命の成果が支配階級に属する知的エリートに簒奪されてゆく過程が典型的に見られるイングランドの例に迫っていきたいと思います。
 
 

コメント

日本で現実に起こった無能化の具体像を示す。

相変わらずFC2に弾かれっぱなしですw

「アメリカの狙いを砕く日米地位協定破棄と福一石棺化 」

「仰天!オウム真理教と北朝鮮が密接関係?」新時代創造さま
>>http://soubiken.blog20.fc2.com/blog-entry-1113.html

さて池田大作は戦後の混乱期に日蓮宗に入信して金銭欲名誉欲淫欲征服欲政治欲等すべての煩悩を巨大に膨張させ猛烈に出世を求めて活動した(オウム麻原グルそっくりw)。その衆にぬきんでた煩悩の異常な強さに目をつけたGHQが、すでに征服した天皇教というべき神道につづいて日本仏教界もGHQに服従させるべく、煩悩亡者池田大作に金銭と手下を与えて宗教政策スパイとして仏教界で活動拡大させたのである。が、本人のもともとの煩悩が強すぎて日蓮宗本山から破門されたのはGHQとしては予定外だったが、自分とこのスパイであることを告白されては困るのでその後もGHQが援助して創価学会、公明党と組織拡大させてやった結果が現在である。

すなわち池田大作、創価学会、公明党は生まれも育ちも全身隈なくアメリカスパイであり、いまでは居直ってアメリカに援助交際をやめさせないほどの手に負えぬ性悪スパイというところか。

しかし白人至上主義人種差別国家アメリカにとってアメリカ先住民と同じ黄色人種は決して対等の味方にしないすべて虫けら以下の敵なので、霞ヶ関、小泉一味、創価学会、統一教会など所詮敵国内政治撹乱のための使い捨てスパイであることは変わりなく、如何に性悪の腐れ縁でも黄色人種ごときに本当に弱みを握られているとは全く考えておらず、たとえば日本列島全土核廃棄物最終処理場化をすすめるときには敵国内アメポチスパイカルトも霞ヶ関も原爆投下したときと同じく無慈悲無差別虐殺の対象である。人倫など一銭の価値も認めないやったもん勝ち儲けたもん勝ちの世界観が米軍を操る悪徳ペンタゴンの根底にある。
実は黒人種オバマも彼らにとっては使い捨てである。これら使い捨てスパイが主人「死の商人」の真意に気づこうと気づくまいと、戦争で儲ける悪徳ペンタゴン人種差別主義者白人にとっては、世界のどこかで常に国が乱れて無残無道な戦争状態が勃発して武器が大量に売れればそれでよいのである。

日本をアメリカの敵国とみなす人類の恥日米地位協定を直ちに破棄宣言しよう。


>「法令を理解しないペテン師の戯言 公明党との不可解な共闘」先住民族末裔の反乱さま
>>http://blogs.yahoo.co.jp/nothigcat2000/22284510.html
>清和会と組んで利権漁りに明け暮れたカルト宗教盲信者

創価学会は会長個人を絶対崇拝盲従する政治結社であり、明らかに宗教法人資格がない。結社団体としては右翼団体や暴力団と組織構造から社会機能まで同一である。

さて、暴力団組員が公務員になれるであろうか。組員のままではなれないが暴力団を辞めて前科が法的に消えればなれる。

さて暴力団組員が選挙で公職に選ばれるであろうか。組員のままでは公職選挙法により経歴に嘘を書けないから被選挙権の不適格経歴により立候補できない。これも組員を辞めて前科が消えるまでまっとうな商売正業に就いて清い経歴をじゅうぶんに積まねば、立候補すること自体憲法が定める公職選挙法違反である。

ゆえに公明党は憲法が定める政党の要件に違反する、違憲政党である。行政罰による解散命令相当。

もうひとつ。ゆえに特定政治結社創価学会会員は学会員のまま公務員職に就いてはならない。就けば憲法が定める公務員法に違反する。学会員であることを隠して就けば経歴詐称も加わる。個人へ刑事罰がある。

フランスではすでに何十年も前から公明党を政党ではなくカルト団体として国が公式に認定しているそうな。

  • 通りがけ 2012年01月23日 18:52

単刀直入に霞ヶ関違憲独裁を浄化する。

日本をアメリカの敵国とみなす人類の恥日米地位協定を直ちに破棄宣言しよう。
アメリカ法治国家標榜の弱点は日本国民が合法的に国民主権行使して地位協定破棄するのを止める合法的手段を持たないことである。正面突破あるのみ。

  • 通りがけ 2012年01月23日 23:41

「地位協定スパイ防衛省と経産省に対する日本人常民の心の連帯闘争」

311以後沖縄の住民は自分が防衛省の攻撃を受けて先祖伝来の土地を奪われようとして苦しむ中から、被災地福島の住民が政府の棄民政策によって先祖伝来の土地財産を根こそぎ奪われようとしている苦痛に深く同情し、土地の少ない狭い島だが心は誰より暖かい住宅支援を打ち出している。
>>「沖縄県が福島県民に住宅支援」カナダde日本語さまhttp://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-3153.html

沖縄の人々の世俗の虚栄に無欲な、ただ自然を畏敬し生命を尊ぶこの心の美しさ温かさはどうだろう。
>「震災を節目にこれまでの古い日本から脱皮しよう」
>(転載)
「沖縄の原則とは『 ぬちどぅ宝 』。沖縄の言葉で、命は尊いという意味です。これは武器や暴力を嫌う沖縄人の表現です」と語り、20年間沖縄へ通うとマコーマックさん。
「沖繩は、国家に抵抗する市民お民主主義の力を見られる場所です。

ここでは、県全体が抵抗しています。だから日本とアメリカという地球上で最も強大な2つの国が、この小さな県に対して政策をおしつけららないのです。私は、沖繩では人々が歴史をつくっていると思います」

普天間基地移設予定地辺野古沿岸部。キャンプシュワブゲート前で毎週訴える、建設業者の渡具知さん。
マコーマックさんの滞在中、北部東村高江では米軍ヘリパッド建設の強行がされようとした。高江を訪れるマコーマックさん。年間6000人の兵士がこの森で訓練を行っている。

1996年北部訓練場は部分的に返還されることに。ただし、ヘリパッドの機能を高江周辺に集中的に移転する条件付き。 それまで政治運動にかかわったことのない安次嶺さんらは現場から抵抗を続けてきた。
人口160人の高江を囲むように6つのヘリパッドを建設し、墜落の危険を伴うというオスプレイ配備も検討されている。(検討されているのでなく配備)市民運動などしたことのない住民が建設反対に座り込みを始めた。

守りたいのは自分たちの暮らしと自然。 彼らは国家レベルのの安全保障については語らない。 語るのはここは民主主義の国なのだから、 住民がいらないと言うなら新しい基地は要らないということ。

安次嶺さん「福島からの移住者がたくさんいる。 来たくても来れない人いっぱいいる。 原発を田舎のほうに建てて、絶対安全ですと言ってたのに地震でもろくも崩れた。 田舎の弱みにつけこむ、原発も基地も中身は一緒」

福島と沖縄、 国家の骨格作る時、官僚が決めたこと、 「東北を東京の消費のため原子力エネルギーの精算拠点にしよう。 沖縄は防御のための場所としよう」と。

2011年は、3・11東北大震災と原発禍、9・11同時多発テロから10年、ソビエト連邦崩壊から20年という節目。日本の基盤を揺るがす災害事故や世界の枠組みが激変してゆく中で2012年が幕を開ける。

マコーマック氏は「日本と世界の未来を考える上で今最も重要な場所」を訪問。
日本と世界の未来に向けてグローバルスケールのメッセージを伝える。
(転載終わり)


震災前から沖縄高江と上関祝島の住民は連帯しており、憲法違反最高裁判決を振りかざした国の暴力(防衛省防衛局、国交省海上保安庁の強制執行実力暴力排除)に対して非武装で憲法を掲げて連帯して戦っていた。

震災前から沖縄の米軍基地反対派と岩国の米軍基地反対派は、防衛省の憲法違反最高裁スラップ判決を後ろ盾にした国民の財産を強制収用する暴虐行政執行に対して、非武装平和憲法を掲げて連帯して戦ってきた。

311後その国家権力にいわれなく虐げられ続けてきた沖縄県在住国民が、国の放射能ヒバクシャ棄民政策強制執行テロに徹底的に虐げられる福一ヒバクシャ国民へ連帯した。冒頭の避難住居無償提供が連帯のはじめの一歩である。

祝島も岩国も沖縄に続いて福一ヒバクシャ支援に乗り出し、福一被曝避難者住居無償提供を行うべきである。上関には立派な公的施設が遊休しており岩国には愛宕山という広大な住宅適地があるのだから、立派な支援が十分できる能力がある。
米軍基地に奪われ圧迫されて土地の少ない沖縄県がお金や物ではない「心で連帯する」心からの支援に乗り出した今、沖縄よりも恵まれた上関や岩国の住民国民がそれを座視拱手傍観するような自分の交付金や箱物だけが後生大事では、日本人の心がないと言われても反論できない。

今あるなけなしのもので「得手に帆あげて」支援する。義を見てせざるは勇なきなり。金じゃないよ、心だよ。これこそが日本人の心意気である。

>岩国市長選挙、本日告示!~米軍住宅地の新規造成も焦点のひとつに!(情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄さま
>>http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/605d4b6bcddd4843fe43fe2c21574301)
>※1:「防衛省闘う岩国に1000万人が350円ずつ寄付しよう!~防衛省のアメとムチ政策にノーを!」
>★寄付は終了しています。

直近1月29日の岩国市長選挙ではいずれの市長候補も米軍基地容認、愛宕山防衛省への売却容認であり、防衛省の交付金を誰がより多く取ることができるかだけを競う防衛予算ぶん盗り合戦に堕落し、米軍基地返還を第一に主張する独立不羈日本人候補がひとりもいないとは、日本国民として政治家政治屋どもの志の呆れるほどの低さが情けない限りである。政治家も市民の中から選ばれる存在であるからして、市民自身の猛省を促したい。

市長という地方自治体首長の立場で防衛省が配る交付金という金銭目的の乞食ねだりをいつまで続けるつもりであろうか。そもそも防衛省予算も交付金も我々国民納税者が働いて稼いで納めた税金なのである。防衛省などという下僕風情に勝手放題にバラマキ汚職交付金として使わせてはならないであろう。おねだりどころか逆に堂々と公明正大に今までの汚職で防衛省が国民から盗んだ予算を全額賠償返還するよう防衛省を訴追追及しシーザーのものはシーザーへ、国民のものは国民へと返還賠償させてやろう。

地位協定を直ちに破棄して米軍に基地使用料を米軍自ら基地地元住民自治体へ支払うよう請求書を突きつけよう。払えなければ法に従って基地を変換させ、粛々と日本国領土から退去させる国外退去命令を出そう。これで全国内の米軍基地が流血なく全廃できる。

  • 通りがけ 2012年01月24日 13:45

今年2012年1月の長周新聞に中部大学教授武田邦彦氏が寄稿している。題は「「善良」ではなかった日本の「指導者」」。
ほかのメディアで目に触れないので全文をタイプしてアップする。誤字脱字は各自で修正ください。
(開始)

「善良」ではなかった日本の「指導者」   中部大学総合工学研究所教授  武田邦彦

 2011年3月に起きた福島原発事故ほど「日本の指導者は善良でない」ということを白日のもとに晒したことは無かったかも知れない。これまでも第二次世界大戦などで醜悪な指導者像が描かれてきたが、戦争はあまりにも要因が多いので、その評価は紛れが生じる。その点、福島原発事故は起こったことが単純で、その被害が甚大であるという点で、指導者の姿をハッキリと映し出した。
 ▼福島第一原発が爆発する可能性が高いことが判ったのは、現実に爆発した前日の夜だった。原子炉内の冷却が不能になり、温度が上がってきた時点で発電所は「爆発の可能性が高い」と判断できる。その時点で発電所長は福島の119番(消防)に緊急の退避を要請する必要があった。
 原発を運転させてもらっているのは地元が了解しているからで、真っ先に運転を認めてくれた地元住民を避難させる必要があった。すでに石油コンビナートでは40年前から「火災の場合、上司に連絡せずに、現場が直接119番しろ」と指導しているし、法律でも「火事を見て119番に連絡しなければ放火同然」とされている。
 今回の事故で現場の活動が賛美されているが、事故を起こして通報もしなかった現場をほめることは誠意ある社会ではない。むしろ119番せずに東電本社に連絡した行為は実質的に「傷害罪」である。
 ▼福島第一原発から大量の放射線が漏れ出した3月12日夕刻、政府やNHKに出ていた東大教授は「遠くに逃げろ」と言った。原発事故では原発から放射線が襲ってくるわけではなく、放射性物質が風で流れてくるのだから風下にと逃げることがもっとも被曝総線量を高める。事実、飯館村の人々は風下に逃げて一日以上、被曝した。
 さらに東大教授は「被爆は距離の二乗に反比例して弱くなる」と繰り返したが、それは原発から放射線が直接来る場合であって、そんな場合は起こりえない。仮に強い放射線が原発から直接、発せられているとすると福島第一原発構内にいた東電関係者は強いダメージを受けるはずである。これほど簡単なつじつますらとらず、いたずらに住民を被曝させた。
 ▼伝え聞くところによると、NHKをはじめとした主要なマスコミの記者は数日内に無人の固定カメラなどを福島から退避したという。そして地元には「直ちに健康に影響はない」と繰り返し、それを信じた住民は普通の生活をしていた。
 約一ヶ月後、退避した記者が防護服を着て線量計を携帯し、おそるおそる福島に入ってみると、住民は普通の格好をして生活をしている。聞いてみると「健康に影響はない」と言うからそのまま生活をしていると答える。線量計を持ちながら被曝を減らそうとしている記者は自分たちが何をしたのか理解していなかった。
 事故直後に起こったことをマスコミは正直に伝えたほうが良い。そのほうが今後のマスコミに対する信頼性が上がるだろう。マスコミだけが糾弾されないという状態は長期的にはマスコミを腐敗させるだろう。
 ▼原発事故では流れてくる放射性物質を避けるのがもっとも大切であり、そのためには風の向きが大切である。気象庁はIAEAに直ちに風の状態を報告したが、国民には「担当が違う」という理由で公表しなかった。一週間後に批判を受けて公表したが、「これは国民に知らせるものではない」という注釈をつけて英語で公表した。
 気象庁が風向きを事故後すぐにIAEAに報告していたのに、NHKは二週間経った後、「震災で壊れていた風向計が復旧した」という理由で福島の風向きを報道し始めた。初期被曝がおわってからだった。
 さらに重要なのは気象学会が「国民が混乱するから研究社は福島の風向きの情報を出さないこと」と驚くべきアナウンスをした。これに対して学問を守る立場の学術会議は何も言わなかった。もともと原子力基本法で「公開の原則」が決められたとき、学術会議は「すべての情報の公開を意味する」というステートメントを出している。学術会議は学問から離れて権力と利権の場になった。
 ▼事故から数日経つと、東大教授は「胃のレントゲンが一回600マイクロシーベルトであるのに対して,線量は20マイクロに過ぎない。たった30分の1である」と繰り返して発言し、それをNHKが放送した。20マイクロというのは一時間で被爆する量であり、一日は24時間だから480マイクロになり、10日間で8回のレントゲンを撮るのと同じになる。
 「かけ算のできない東大教授」ということだが、もちろん知っていてウソをついたのだから、実質的に傷害罪である。
・・・・・このような悪意のコメントと誤報が延々とつづき、多くの人が被曝した。政府は住民が退避するためのバスを一台も出さず、寒風吹く福島に置き去りにした。
・・・・・そして九ヶ月。政府は相変わらず国民を被曝させるのに懸命である。特に政府ばかりでなく、自治体、教育委員会、研究している医師などが国民を被曝させるのに懸命になっている。既に半減期が八日のヨウ素は無くなり、放射性ヨウ素で大量に被爆した子供たちの被曝履歴を調べることもできない。
 ▼セシウムだけで一年5ミリシーベルト(全核種で17ミリと推定、1キロ500ベクレル)と決められていた九食の基準を、政府はあまりにもひどいということで40ベクレルに下げる決定をしたところ、17都道府県の教育委員会が「測定する機械がない」という理由で500ベクレルを維持するように要請した。
 子供たちの被曝をどうするかの議論をせずに、「お金」だけを理由にしている。測定器は最高級(自然放射線を除けるもの)で300万円である。
 ▼日光は不幸なことに第一派の放射性物質が降下し、ホットスポットになった。観光客は外人が中心だが、自己前は一日三千人だったのに、二十人に減少した。つまり、自由意思なら日光にいかないという状態なのに、東京を中心とした小学校、地方の中学校が日光に修学旅行などに行っている。私が「行かないで欲しい」と校長先生に呼びかけると「昨年も行っているから」という返事があった。
 爆弾が落ちても新型インフルエンザが流行しても、昨年行ったので今年も行くという理由を言うのだろうか?
 ▼講演会でしっかりした栄養士のかたが「保護者が給食の不安を言って困る。ベクレルは測定していないし、どう答えてよいか判らない」と質問をされた。私が「腐っているかどうかわからないものや、毒物が入っているかどうか不明なものを給食に出すのですか?ベクレルが判らなければ捨ててください」と言ったら会場は大爆笑になった。言われてみれば保護者の心配はまともなことが判ったようだった。
 横浜市は市長が先頭にたって「被曝など何でもない」というパンフレットを作り、ずさんな給食管理をやっていたら、国の暫定基準値(実質年間17ミリ)も超える異常な牛肉や椎茸を給食に出していた。それが発覚すると横浜市の職員が「すみません」と謝った。謝って済む問題とすまないものがある。子供は食べたものをはき出せないのだから、市長は辞職しなければならない。
 ▼チェルノブイリでは牛乳が原因した小児の甲状腺ガンが六千人にのぼった。さらに福島原発では牛肉が汚染された。このような事実から子供を持つ親が心配するのは当然だが、牛乳メーカーは断固としてベクレル表示をしなかった。
 すでに甲状腺ガンの原因となるヨウ素は無くなった。それでも雪印の(ママ。明治の間違いと思われる:筆写者註)粉ミルクの汚染が報じられた。子供に牛乳や粉ミルクを買って貰っていた乳業メーカーはまったく食材を扱う資格がないことが明らかになった。
 ▼群馬大学の早川先生(火山学)は早い時期から各地の放射線測定データをわかりやすい地図にして公表していた。その地図を頼りに移動したり、被曝を防いだりした人は多く、その功績は大きい。学問は国民が危機に陥ったときに、専門的な知識を活用して救うことが第一義である。ところが、群馬大学は原子力機関と提携していることもあり、学長が早川先生を処分した。理由は「事実を言って福島の人に不安を与えた」ということだった。
 あるテレビ番組で私はセシウム137が青酸カリより毒性が強い(ほぼ二千倍)を知らせるために、セシウムで汚染されている田んぼに稲を植えるのは青酸カリがまかれている田んぼに稲を植えるのと同じ」という趣旨の発言をしたところ、「学者が事実を言うのは不適切だ」というバッシングを受けた。学者が事実を言うとバッシングする時代である。
 事故から九ヶ月を経過した現在、お母さんは日本政府に絶望して、「我が子を守るのに私は何ができるの?」という行動に走っている。お母さんとしては万策尽きたのでやむを得ないが、民主主義においては「何ができる」というのは「政治を変える」ということである。
 日本は民主主義だから、お母さんが決めたことが政府の決定でなければならない。でも、たっぷりとお金(電気代)は政治家、官僚、学者、マスコミに流れていて、その力は強力である。
 しかも、日本の指導者層、とりわけ東大を出た人は「その時、その時で上手い言い訳をできる人」であり、「人格軽薄、口先だけ」である。それは教育の責任であり、大学受験などを容認してきた日本社会にある。
 教育は本来、本人の希望にそってその人が人生において必要なことを身につけるためのものである。最低限の知識として「読み書きそろばん」は必要であるが、それ以上は本人と保護者の希望にそって行うものであり、決して「他人より優れているか」が問題になるものではない。
 サッカーが好きな子がサッカーをやり、もし世界レベルに達すれば日本の力を世界に示すことになるが、それは最初から「日本のため」にサッカーをするのではない。それと同じように学業も「日本のために」という奉仕型ではなく、個人の幸福のために学び、その結果、世界的な学者も誕生するのが教育本来の目的である。
 ところが、現在の教育、特に国立大学の教育は「いかにして他人を蹴落すか」に主眼が置かれており、著者の経験では国立大学の大学院ですら、教授の講義に際して一番前の席に座り、講義中、ずっとグーグーと寝ていて恥じない学生は多い。「私は君たちを人間として見ているが、君たちは目の前の相手が寝ていても90分、話し続けることができるのか?」と諭さなければならないのが現状である。
 今、日本を指導している多くの人は、ゆがんだ教育と評価方法の中で、言い訳、裏切り、利己性などが巧みであることによって栄達している。このような社会体制こそが今回の事故とその後の政府、自治体、専門家、マスコミの言動となったと考えられる。
 善良な国民と誠実な国家・・・・・それこそが日本の基礎になるべきであり、東京で消費される電気を製造する原発は頭狂から50キロ圏内と決めることが求められる。
 (中部大学総合工学研究所教授)
(了)

  • 通りがけ 2012年01月24日 19:31

稀有な方武田邦彦教授が長周新聞にこの1月寄稿した論文をタイプしてアップしました。現在最終校正したものが
Goodbye! よらしむべし、知らしむべからずさま
「「善良」ではなかった日本の「指導者」  ~中部大 武田邦彦教授」
>>http://c3plamo.slyip.com/blog/archives/2012/01/post_2275.html
で掲示いただいてます。
是非武田教授の総括論文をごらんください。

  • 通りがけ 2012年01月25日 17:58

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